第8話.侯爵様が離婚した真の理由
キリのいいところまで仕事を終わらせた私は、馬車に揺られてラクセルの外れにある民家に向かっていた。
侯爵邸を出てから1時間が経とうかというところで馬車が止まる。
幌を動かして地に足をつける。
まず雄大な緑と土草のにおいが私を歓迎した。続けて、かすかに鳥の鳴き声や川のせせらぎが聞こえてきて穏やかな心地になる。
耳を澄ませば自然の奏でる音色が聞こえるほどに静かな場所だった。
そんな人の営みとは無縁と思われる場所に二階建ての木造建築はあった。
コンコンと扉をノックする。
パタパタと忙しい足音がした後に扉が開いた。顔を覗かせたのは、濃い桃色の髪に目尻の垂れ下がった優しい面持ちをした女性だった。
「突然のご訪問失礼いたします。先ほどラムルスから説明があったロミリア・サディエです」
「遠路はるばるようこそいらっしゃいました。私が元侯爵様夫人のラーシャよ。さ、あがってあがって」
マディカから侯爵様が離婚した真の理由を聞いた私は、その話をにわかには信じることができなかった。
だって、その話を鵜呑みにしてしまったら、あまりにもクロフォード・サディエのほんとうの姿と世間が認知するクロフォード・サディエが違いすぎるから。
あまりにも実状と噂が乖離しすぎているから。
唖然とする私に、マディカは午後からラーシャ様の家に足を運んではどうかと提案してきた。その提案に私は自らの意思で頷きを返し、ラムルスに頼んでラーシャ様に約束を取りつけてもらった。
そして、今に至るというわけだ。
「どうぞ、こちらに腰掛けて」
広すぎず狭すぎず、必要最低限の家具だけが設えられた簡素な部屋だった。
椅子に腰かけた私に、ラーシャ様は茶菓子と紅茶を運んでくる。
鼻をくすぐる風味がマディカの用意してくれる紅茶と瓜二つで、どちらかがどちらかに教えたのだろうか、なんて思った。
「ふふ、私たち髪の色がそっくりね」
くるくると髪を指先で弄びつつ、ラーシャ様が微笑みかけてくる。私は同じように髪を弄び「そうですね」と微笑み返した。
「話は聞いているわよ。あなたは元々伯爵邸の使用人だったのに、クロフォード様の命令で突然侯爵夫人になったんですってね」
「仰る通りです」
正確には、元伯爵令嬢候補の元伯爵邸の使用人だけど、べつに訂正する必要もないし、訂正したところでなにかが変わるわけでもないので黙っておいた。
ちなみにこの話はラクセルで暮らす誰もが知っているので、私が元使用人であることはどう足掻いても取り消せない状況となっている。べつに使用人であった過去に劣等感を覚えているとかじゃないから構わないんだけどね。
「侯爵夫人として過ごす日常はどう?」
「慣れないし、わからないことばかりですが、毎日が充実していて幸せです」
「でしょうね」
ラーシャ様の笑みが濃くなる。
「侯爵邸の方、みんないい人ばかりだし、なにより主がクロフォード様だし。クロフォード様に嫁げた貴女はとっても幸せ者よ」
この時点で、マディカから聞いた話は真実であると証明されているも同然だった。
けど、念のために確認することにする。本人からの言葉と第三者からの言葉では、信憑性に天地の差があるから。
「そんなとっても幸せ者である侯爵夫人として過ごす日々よりも、ラーシャ様は長年想っていた幼馴染みとの日々を欲したんですね」
「えぇ」
即答し、笑顔に一抹の翳りを滲ませる。
「……ほんとうにクロフォード様には感謝してもしきれません。今、私がこうして幸せに過ごせているのはすべてあの御方のおかげです」
2年前、パルタ国との戦争において当時の侯爵は命を落とした。
それにより空位となった伯爵の席に、新たな家門を抜擢するのか、それとも血族継承するのかという話になり、皇帝陛下が最終決定として下したのがクロフォード様に伯爵の爵位を授けるという案だった。先の戦争での活躍を受けての大出世だった。
当時、一介の下級貴族の子息でしかなかった彼は、侯爵になるにあたって侯爵令嬢と婚約するようにと命じられた。
そうして白羽の矢が立った侯爵令嬢こそがラーシャ様である。
かくして、クロフォード様はラーシャ様と婚約して侯爵となった。
ところが、それからほどなくして、大きな問題が発覚した。ラーシャ様が子を孕んでいたのである。無論、その子どもはクロフォード様の子ではなく、彼女が長年想っている幼馴染みとのあいだにできた子どもだった。
サディエ家は混乱に包まれた。
堕胎しよう、血が繋がらない子どもだということは隠して育てよう――。
意見が対立する中、クロフォード様は穏やかにこう言ったそうだ。
『俺と離婚し、例の幼馴染みと幸せになればいい』
これが、クロフォード様の離婚の裏側にある真実である。
つまらない女だったから離婚したというのは真っ赤な嘘。
クロフォード様は、ラーシャ様を想って世間を欺き、傲慢で身勝手な侯爵を演じているのである。
不意に家の扉の開く音がした。
しばらくして、小さな女の子と銃剣を背負った男が顔をみせた。
「ただいまママっ!」
「おかえりなさい。あなたもおかえり」
「ただいま。ん、この御方は?」
「ロミリア様よ。クロフォード様の奥様」
「なっ! お話し中のところ大変失礼いたしました!」
「いえいえ、お気になさらないでください」
ラーシャ様が幸せそうに笑っている。彼女の旦那様が幸せそうに笑っている。彼女の娘さんも幸せそうに笑っている。
クロフォード様の世間からの印象を犠牲に、3つの尊ぶべき幸せが生まれている。
「本日は突然にもかかわらずお話の時間を割いていただきありがとうございました」
「こちらこそ話ができて良かったわ」
ラーシャ様は私の手を両手で包み込んでくる。
「私が言えたクチじゃないのはわかっているけど、どうかクロフォード様を幸せにしてあげてね。もうとっくにわかっているだろうけど、あの御方は噂とはまったく異なる善人で、努力家で恥ずかしがり屋で優しくて孤独なお人だから」
「はい。それでは失礼いたします」
帰りの馬車に揺られつつ、暮れなずんだ空を眺めて私はぽつりとつぶやいた。
「なにが〝獅子王〟よ」
みんなあの人の表面ばかりを見て恐れ慄いている。
偽装された噂に加えて、あのお堅い表情だ。そりゃ孤独にもなるだろう。かくいう私だって、未だに距離感を掴めていないのだし。
伯爵邸でプラリネとの婚約を破棄して私の額に強引に口づけたとき、クロフォード様の顔はほのかに紅潮していた。
あの時、もしかしたら彼は相当に無理をしていたのではないだろうか。
聞けば、クロフォード様はラーシャ様に一度もキスしたことがないのだという。であれば、私の額への口づけが彼のファーストキスということになる。
……聞きたいことがいくつもある。
まずは話をしてお互いを知るところからだ。
クロフォード・サディエ。
私の、旦那様。
「……ますます好きになっちゃったわ」
頬が熱くなる。
彼は本気で私を愛してくれているのだろうか。それともなにか理由があって、一時的に婚約関係を築いているだけなのだろうか。
前者ならいいな、と思う。
いや、前者がいい。
私は彼を愛したい。
彼にも私を愛してほしい。
これまでは顔が良いから、という不誠実な好意の中から恋愛感情が芽生えていたけど、この一件を経て彼の中身も好きになった。もっと彼のことを知りたいと思った。
今の私は、きっとまだ〝侯爵夫人候補〟のままだ。
「……そういえば、まだ一度も、好きとも愛しているとも伝えたことがないわね」
次は絶対に候補止まりになったりしない。
正式に侯爵夫人になってみせる。
「……まずは、侯爵様じゃなくてクロフォードと呼ぶところからね」
手始めに、これからは心の中では侯爵様ではなく、クロフォード様と呼ぶことにしよう。
恋の鼓動が、愛の鼓動に変わる合図がした。




