第6話.大司教はもう死んでいる
社交パーティーに参加してから2時間が経とうとしていた。
「それにしても夢のある話だよね~。いきなり伯爵邸の使用人から侯爵夫人に成り上がるだなんて」
「はは、運が良かっただけですよ」
「それでそれで、獅子王様はどうなの? やっぱり夜も獅子王様なの!?」
「あ~、えぇと……」
「はぁ。ケセラは求婚されない原因がその猥談癖にあるっていい加減気づいたら?」
「な~に言ってるのプラちゃん。所詮、世の中顔だよ、顔。ロミリアを見れば一目瞭然の理でしょ。この子は美しいから侯爵夫人に選ばれた。世の中、顔よっ!」
「あはは……」
「ごめんね、ロミリア。この子ちょっと変わってるから全然無視してくれていいからね~?」
そう朗らかに私を気遣ってくれるのは、男爵家の令嬢ミトリーだ。
穏やかな気性でかつ、男を魅了するふくよかな身体つきをしているため、これまで何人もの貴族が彼女への接触を図ってきた。その、どこがとは言わないけどデカい。
「ちょっと傷つくんだけど!?」
そのミトリーに訪れる好機を毎回おじゃんにしているのが、縦ロールを元気いっぱいに弾ませる小柄な第二皇女のケセラである。
ポコポコするケセラをミトリーがよしよしと宥めている姿は、母親が癇癪を起こした子どもの機嫌気褄を取ろうとしている一幕にしか見えない。
事実、ミトリーとケセラの年齢差は5歳近くあるようだ。
そんなこんなで、私はプラリネとほかふたりの令嬢と仲睦まじく社交パーティーをやり過ごせていた。
まぁ私は愛想笑いが八割なんだけど。……とりあえずはこれでいいのよねプラリネ?
「やめてくださいっ!」
ミトリーとケセラのキャットファイトを見守っている最中、悲鳴にも似た叫びが鼓膜を突いた。
反射的に振り返る。
息が詰まった。
「そう拒絶するな。このオレが夜伽の命を下したのだ。これに勝る栄光はなかろう?」
涙を滲ませ身体を震わせる令嬢の顔をつかみ、ニヤニヤしつつ顔を近づけるのは、侯爵様が来なければ私が嫁ぐことになっていたデランジェ子爵だ。
現在8人の妻を持ち、私を9人目の妻に迎え入れようとしていた悪名高き子爵。
「いやだ……」
「あ?」
パチンと乾いた音が響いた。
デランジェ子爵の手の甲で力強く叩かれた令嬢の口からは鮮血が滴っていた。
「貴様は今、このオレと夜を共に過ごすことを否定したのか?」
「あ、あぁ……」
デランジェ子爵が懐からなにかを取り出した。――折りたたみナイフだった。
デランジェ子爵の目は赤く充血し、歯はギリギリと苛立ちの音を立てている。
気づけば足が動いていた。
私は令嬢の前に両手を伸ばして立ち、子爵を鋭く睨みつけた。
「刃物をしまってください!」
「ん、誰かと思えば伯爵家の元使用人ではないか。名はモロリネだったか」
ロミリアだ。ぜんぜん合っていない。
その程度の認識でこの男は私を妻にしようとしていたのだから呆れ返る。
「話は聞いているぞ。オレの求婚を跳ね除け、侯爵に嫁ぐことを選んだそうだな」
「……はい、そうです」
正確には半強制的に嫁ぐことになったのだけど、私が私の意思で嫁いだとした方が後々有利に働きそうなので、嘘をつくことにする。
「ふ、あの侯爵もなかなか見る目があるではないか。……まぁ良い。侯爵と子爵が並び、モロリネが侯爵を選ぶのは理に適っている。それで貴様はなぜオレの前に立ちふさがっている?」
「この子を守るためです」
「ほう、守るためか。その小娘は貴様と親密な間柄にあるのか?」
「いいえ、初対面です。一言も話していません。だけど、暴力を振るわれている場面を無視するのは嫌なんです」
私は暴力がどれほど人を傷つけるのか理解している。刃物で皮膚を裂かれる痛みも知っている。
「繰り返します。刃物をしまってください」
だから、守りたくなったのだろう。
その痛みをほかの誰かには知ってほしくないから。
デランジェ子爵は深々と息をつき、前髪を搔きあげた。
「おい貴様、元使用人の分際でこのオレに命令しているのか?」
デランジェ子爵が額に青筋を立てて私に飛びかかってきたのと、
「お前、うるさいよ」
と、突如現れた銀髪の男がデランジェ子爵の顎に一撃を見舞って意識を刈り取ったのは、ほぼ同時の出来事だった。
唖然とする私を振り返り、銀髪の男はにこりと微笑んだ。
「君は果敢だね。気に入った。少し話をしないかい?」
「……はい」
いけない、あまりに爽やかな笑顔で見惚れてしまいそうになった。
私はもう、侯爵夫人なのに。
◇◆◇
ワイングラスを片手に持ち、大広間から中庭に出る。夜空からは月光が降り注ぎ、夜風が軽やかに頬を撫でていく。
「噂は聞いている。君が先日クロフォード・サディエの妻に任命されたという伯爵家の使用人、ロミリア・サディエかい?」
「えぇ、そうよ」
こんな感じで誰もが侯爵様が伯爵家の使用人を妻に娶ったという形で噂が広がっているため、私が元使用人であるという事実は隠そうにも隠せなかった。
「ふぅん」
値踏みするような瞳。紅蓮の双眸はゾッとするほどに美しく、見つめられているとドキドキしてくる。
「クロフォード侯爵が物好きであることは重々承知しているけれど、まさか使用人を再婚相手に選ぶとはなぁ」
「あ、あの、まずはお名前を窺えますか?」
「おっと、失礼紹介が遅れたね。僕はザクセン。教会の大司教を務めている。よろしくね」
手が伸ばされる。
私はその手を握り返し、「よろしくお願いします」と冷静に言葉を返した。内心、「きゃ~! イケメンと握手しちゃった~!」とミニロミリアが小躍りしているのはここだけの話だ。
まさか立て続けに私のタイプの異性と巡り合うなんて。
ここ数日を切り取ったら私はさぞかし惚れやすい女と映っていることだろう。念押ししておこう。嘘偽りなく、私が異性を意識したのはクロフォードとぶつかったあの時が初めてである。
「ん?」
手を繋いだままザクセンが首を傾げる。
「どうしたの?」
「あぁ、いや……君、魔法は使えるかい?」
「いいえ、これっぽっちも使えないです」
「だよね。……そりゃこれだけ強力な呪いがかけられてたらなぁ」
「え?」
プラリネにこの反応は厳禁だと言われていたけど、明かされた衝撃の事実を前に、平静を繕う余裕はなかった。
「強力な呪いってどういうこと?」
「言葉通りの意味さ。君には強力な呪いがかけられている。魔力を封じ込める呪いだ。僕は大司教だから、手を握れば相手のおおよその魔力量を測定することができる。――呪いがなければ、君はラクセル屈指の魔力を秘めているよ」
にわかには信じがたいことだった。だけど、ザクセンが嘘を言っているようには思えなかった。
「週に一度、教会に足を運ばないかい? 僕ならその呪いを解いてあげることができる」
「……ひとついいかしら」
「なんなりとどうぞ」
「どうして私に親切にしてくれるの?」
私に冷たかった世界が急にあたたかくなり始めたものだから、真っ先に疑う癖がついてしまっている。
ザクセンは相好を崩して言った。
「僕はね、困っている誰かを放っておけない性分なんだ」
にこりと細められた紅蓮の瞳を見て、もし出逢いがもう少し早ければ私はこの大司教に恋をしていたんだろうなと思った。
私は、ザクセンの手を両手で握って言った。
「私にかかった呪いを解いてくれませんか?」
「うん、いいよ。これからよろしくね、ロミリア」
こうして、私はザクセンと友達になったのだった。
◇◆◇
月明かりの下、ひとつの命が潰えた。
「ごめんね、君がロミリアに執着したら面倒だからさ」
銀髪に紅蓮の双眸を携えた男は、毒魔法に血反吐を吐いて藻掻き苦しみ息絶えたデランジェ子爵の死体を川に突き落とし、手についた血をそそぎつつ満月を見上げる。
「あぁ、今日はなんていい日なんだろう。ようやく〝祝福殺し〟を無効化する兆しをつかむことができた」
――祝福殺し。
それは、クロフォード・サディエの持つ、すべての魔法を無力化する宝剣である。
男はこれまで何度もあの宝剣を盗もうと試みたが、どれも失敗に終わっている。
けれども、今回の案、『侯爵夫人を洗脳して祝福殺しを奪取する』は成功する予感がしていた。
「誰がかけたかわからないけど、あの呪いさえ無ければ目的達成だったんだけどなぁ」
綺麗になった手をハンカチで拭き、男は――ザクセンは、夜空に微笑みかけた。
「これからよろしくね、ロミリア」
――大司教ザクセン。
彼がクロフォード暗殺の命を受けている敵国の刺客であることも、本物の大司教はすでに彼によって討たれていることも、誰も知らない。並々ならぬ魔力を持つ彼にしてみれば、真実のひとつやふたつ、隠蔽することは容易なのである。
そんな彼をもってしても、ロミリアにかかけられている呪いの根源を特定することはできなかった。
もし特定できていたのなら、ザクセンはデランジェ子爵ではなくその人物を殺めていたことだろう。ちなみにデランジェ子爵はロミリアにかかっている呪いと一切関係なかった。
ザクセンは、命を奪うことには慣れている。
感情など、とっくの昔に壊れていた。




