第4話.新しい日常
ちゅんちゅんと小鳥がさえずる音で目を覚ました。
「……」
まず視界いっぱいに飛び込んでくるのは、純白の天井とおしゃれな天井照明だ。
身体を起こせば、ひとりで過ごすにはあまりに広すぎる部屋にカーペットやクローゼットといったインテリアが設えられている。どれも最高級の素材で。
「……夢じゃないのよね」
どうやら私は、正真正銘、侯爵夫人となったようだ。
〝獅子王〟クロフォード・サディエに嫁ぐ形で……。
どうして私が侯爵様の再婚相手に選ばれたのか。
実のところ、その理由はよくわかっていない。
私が元々は伯爵令嬢候補であったことを明かし、使用人に落ちぶれるまでの経緯をかいつまんで話すと、侯爵様は「俺は貴方と再婚するためにこの城に来たんだ」と、どうしてそうなったのかわからない来訪の裏側にある事情を明かしてきた。
それ以上はなにを訊ねても教えてくれなかった。微笑で聞き流された。
で、そのまま婚約式を迎えて。
いきなり額にキスされて――
「~~っ!」
かくして正真正銘、侯爵夫人になったというわけだ。
まさか伯爵邸で明かす夜が一昨日で最後になるとは思ってもいなかった。
侯爵様の不意打ちの口づけを思い出して悶えるのもほどほどに、クローゼットの中にある衣装を確認する。
詳しい事情は侯爵様に聞くのがいちばん手っ取り早い。私がまずすべきことは、ネグリジェから着替えることだった。
「わ~、きれい~!」
ササッとネグリジェから外行きの衣装に着替えた私は、姿見に映る自分の姿を見てくるくるまわってはしゃいでしまう。
どうして私にぴったり合うドレスが都合よく用意されているのだろうと疑問に思うが、それよりも可愛らしい衣装を纏えたという高揚感が勝っている。
伯爵邸では、お母様からこういった華やかな衣服を着ることを禁じられていたから新鮮だ。
だだっ広い屋敷の中をうろちょろしていると、ダイニングと思しき場所にたどり着いた。ちょうど使用人が朝食の準備を終えたところのようだった。
その部屋に侯爵様もいた。グラスを傾け水を飲んでいた侯爵様が、私に気づいて頬をかすかにほころばせる。
「おはようロミリア」
優しげな面持ちを前にして思う。
なぜこの侯爵様はこんなにも私に優しくしてくれるのだろう。
本人が話してくれないので頭を巡らせてみたが、ついに答えが導き出されることはなかった。
ただ、なにか勘違いしているという可能性は薄いだろう。侯爵様は、私が元伯爵令嬢候補であることを確認したうえで、私と婚約することを選んだのだから。
「おはようございます、侯爵様」
まだわからないことだらけだ。
だけど、侯爵様が私に敵意を向けていないことは明白にわかる。肉親に憎悪の感情を向けられて続けていた分、私は悪意に敏感なのだ。
詳しいことはおいおいでいいだろう。
そう結論づけ、私は侯爵様の向かいに腰掛けた。
「貴女はほんとうに俺を前にしても臆さないのだな」
「臆する要素がありませんからね。なぜここまで侯爵様が恐れ慄かれているのか不思議なくらいです」
獅子王だの、暴君だのと言われているが、私にとって侯爵様はただのイケメンの旦那様でしかなかった。
……そうだよね。私、この人の奥さんになってるんだよね。
全然実感湧かないなぁ。
用意された料理は、わかりきっていたことだけど、どれも絶品だった。
侯爵夫人という立場を忘れて食欲の奴隷になっていると、ひと足早く食事を終えた侯爵様が頬杖をついて問うてきた。
「友人はいるのか」
「はい、大勢いますよ。なかでもチャスシスはかけがえのない親友です」
「そうか。……夜まで待っていてほしい」
「え?」
夜までって……え?
やっぱり、獅子王様は夜も獅子王様なの?
「いくぞラムルス」
「承知致しました」
なにを承知したの?
というかラムルス、あなたは朝ごはん食べなくていいの?
困惑する私を余所に、侯爵様とラムルスはダイニングを後にする。
侯爵様の言葉は関係者のみが理解できる最低限のものだったため、関係者と自称するにはあまりにも日の浅い私には、夜までなにを待てばいいのかも、これから侯爵様とラムルス様がどこにいくのかも、さっぱりわからなかった。疎外感がすごい。
しんと静まり返った部屋にいるのは、私とふたりの使用人だけ。
私は笑みを繕って背後を振り返った。
「えぇと、良かったら貴女たちもいっしょに食べない?」
「私たちのことはお気になさらずお食事をご満喫くださいませ」
う~ん、気まずい。
◇◆◇
朝食を終えた私は、ぶらぶらと侯爵邸の中を歩いていた。
「ふ、夫人様っ、如何されましたか!?」
「どうもしないわよ。この屋敷がどういった構造になっているのか知りたくて歩いているだけだから気にせず作業していて頂戴」
「は、はいっ」
つい先日までは私もそちら側の人間だったから、すれ違うたびに使用人に頭を下げられるのは違和感しかなかった。反射的に私も頭を下げてしまいそうになる。
それにしても優秀な使用人ばかりがそろっている。きっと相当に腕の立つメイド長がいるのだろう。次、使用人と出会ったら、メイド長がどこにいるのか訊ねよう。
かくしてその時はすぐに訪れた。栗色のふんわりした髪を棚引かせる使用人が、脚立に登って絵画の角度を調整していた。
私は、手をメガホンにして背中に声を投げかける。
「忙しいところごめんなさいっ。少し聞きたいことがあるのっ」
「え?」
と、頓狂な声がかすかに聞こえると同時、使用人が脚立のいちばん高い位置で足を滑らせた。
「危ないっ……!」
重力のままに使用人が落下してくる。
私は、その落下地点に潜り込み、使用人を抱き留め――グキッと足首から変な音がした。
「いっつ! ……だ、大丈夫?」
「ろ、ロミリア様、今、足から痛ましい音が……!」
「あ~、平気平気。たぶん捻挫だから。あとでラムルスに治してもらえば万事解決よ。急に背中に大声掛けちゃってごめんね?」
「と、とんでもございません! 非はすべて私にあります! メイド長の座に就いていながらなんて体たらくなんだ私……!」
「あ、あなたがメイド長なのね」
なめらかなウェーブのかかった栗色の髪に利発そうな飴色の瞳。
なるほど、この子がメイド長なら使用人がそろって優秀なのも納得だ。そう一目見て思わせるほどの理知的な雰囲気を漂わせている。
「私はロミリア。ただの……じゃないわね。ロミリア・サディエよ。よろしくね」
「ま、マディカです! よろしくお願いいたしますロミリア様!」
差し伸べた手を強く握り返してくる。
注がれる視線は力強く、そこからは確かな矜持と自信を感じられた。
「ねぇマディカ。私はこれから侯爵夫人としてどんなことをしていけばいいのかしら?」
その印象に当てられ、私は募る疑問を疑問を口にする。というのも、侯爵様にあれをしろこれをしろと命令はされておらず暇を持て余しているのだ。
マディカは、少し悩んで答えた。
「まずは、社交パーティーに参加して人脈をつくられては如何でしょう?」
「なるほどね」
良い着眼点だ。
社交パーティーなんて最後に参加したのは10年近く前だけど、まぁなんとかなるだろう。極論、いい顔をして話をするだけだし。
「それよりロミリア様、足の具合は本当に問題ないのですか?」
「問題ないとは言い難いかなぁ」
というか、ヤバイ。
やせ我慢してるけど、けっこう痛い。
こういった不測の事態に陥ったときの対処法は昨日説明してもらっている。
マニュアル通りになるのかなぁと疑いつつも、私はパンパンと顔の横で手を叩いてみる。
一秒後、魔法陣が正面に浮かび上がった。二秒後には、平伏するラムルスが目の前にいた。
「如何されましたでしょうか、ロミリア様」
「ほんとにきた……」
いつどこでどんな状況であろうとも、二回、手を叩けばラムルスが助けに向かう。
昨日、説明されたことに嘘はないようだった。
足首の痛みは、ラムルスの回復魔法によって瞬時に引いた。
「ところでどうして足を怪我されたのですか?」
「ちょっとドジしちゃってね」
その嘘に気づくことなく、ラムルスは転移魔法で移動する。
マディカはほっと胸を撫で下ろし、腰を90度折り曲げて謝罪してきた。
「今後は同じ過ちを繰り返さないように細心の注意を払って作業致します」
「貴女が反省することはなにもないわよ。悪いのは急に声をかけた私なんだから」
私の返事に、マディカは「なんて寛容なお方なのでしょう……」と目を潤ませている。
大袈裟だなぁと苦笑しつつも、私もクロフォードに無礼を許されたときに安堵したことを思い出し、立場的には妥当な反応なのかぁとも思う。
ここから徐々に、感覚が使用人仕様から侯爵武人仕様に塗り替わっていく。
それはなんだか過去の自分と決別するみたいで、少しだけ寂しい気持ちになる。どうやら私は、自分が思っている以上に使用人として過ごす日々を好いていたようだ。




