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第26話.侯爵の帰還

 クロフォードが戦地に出向いてから2週間が過ぎた頃。


 長時間の座り作業で悲鳴をあげる臀部を癒すべく、使用人に混じり洗濯干しをしていると、遠くに馬に乗ってこちらにやってくる人影が見えた。


 柔らかな風に揺れる黄金の髪。

 獅子の掘りがある銀の鎧に、ゆらゆらと波打つ赤のマント。


 私は柵を飛び越えて彼の元に駆け出した。


「クロフォード!」

「……ただいまロミリア」


 柔らかい表情でそうつぶやくや否や、クロフォードはふらっと身体を揺らし落馬した。突然の出来事に目を剥き、私は慌ててクロフォードに駆け寄る。


「大丈夫クロフォード!?」

「……あぁ平気だ」


 とりあえず意識があることにほっとする。

 少しクロフォードを観察し、すぐに彼の瞳が虚ろで呼吸が整っていないことに気づいた。端的に言って体調が悪そうだった。


 私はパンパンと手を叩く。すぐにラムルスが出現する。


「お呼びですかロミリ……どうされたのですかクロフォード様!?」

「ひさしぶりだなラムルス。屋敷に異常はなかったか?」

「そんなこと言っている場合ですか! くそ、どうして僕の魔法で異常を検知できなかったんだ? どう見ても重症じゃないか」


 ラムルスが回復魔法を発動する。

 クロフォードの顔色が少しだけ良くなった。


「ありがとうラムルス。城までは自分で歩ける。馬を頼んでいいか?」

「かしこまりました」


 ラムルスが馬に乗って颯爽と駆け出すなり、クロフォードはふらついて倒れそうになる。そんな彼を私はすぐに支える。


「戦地で精神を疲弊させる魔法でも受けられたのですか?」

「いいや、傷は一切負っていない。強がりなどではなく正真正銘な。先週からずっと体調が優れないんだ。なにか病にでも罹ってしまったかな」

「流行り病かもしれませんね」


 クロフォードが赴いたのは北の土地だ。

 流行り病に罹った辺境伯のご令嬢の病を癒すために、ザクセンは北に向かったと言っていた。私の情報網が狭かっただけで、この情報に嘘偽りはないのかもしれない。


 それからクロフォードは、使用人へのあいさつもほどほどに自室に入り、それから夜になるまで部屋から出てくることはなかった。こっそり部屋へ入ろうと試みるも、ラムルスに出入りは禁止だと口ずっぱく言われた。



 ◇◆◇



 クロフォードが帰還してから3日が経とうとしていた。


 病は悪化の一途をたどっていた。


「お食事をお持ちしました」

「あぁ、ありがとう。……ふふ、ロミリアはほんとうに使用人の衣装が似合うな」

「元使用人ですからね。……あ~ん、してあげましょうか?」

「あぁ頼む」


 私はベッドのへりに腰掛け、雑炊をふーふーと冷ましてからクロフォードの口に運ぶ。ぱくりとスプーンをついばんで嚥下すると、クロフォードはにこりと赤らんだ顔に笑みを咲かせた。


「うまい」

「……なら良かったです」


 つくったのは私なんです、と種明かしして驚かせるつもりでいた。けど、できなかった。からかうために必要な精神的余裕がなかったから。


「……治りますよね?」

「あぁしつこい病だが直に治るよ。いいや、治してみせる」


 そう強気に言い切るクロフォードだけど、語勢は弱く、頬は食事不足でこけつつある。食べてもすぐに戻してしまうため、今のクロフォードは少量の雑炊を1日に二度食べるので精いっぱいなのだ。


「ほんとう、ですよね?」

「ふっ、俺は幸せ者だな」


 その言葉に違わない至福の笑みを咲かせ、クロフォードはヘッドドレスのついた私の頭をぽんぽんと撫でた。


「情けないな。病に勝てないせいで大切な嫁を泣かせてしまうなんて」

「……クロフォードはなにも悪くないですよ」


 ラムルスは王国きっての魔法の使い手だ。そんな彼が毎日回復魔法を施しているのに、クロフォードはまるで快復しない。むしろ日に日に悪化している。


 この調子で衰弱したら、やがて息絶えてしまうではないだろうか。


 そんな最悪の可能性が頭をよぎり、目頭に熱が広がる。自分には日に日に弱る彼の手を握り寄り添うことしかできないことが、たまらなく悔しくて歯がゆかった。


 しばらく会話をしているうちにクロフォードは眠りに落ちた。


 その隙を縫って、私は使用人衣装のままでひとり街に繰り出した。肩で息を切らし、教会の扉を勢いよく開ける。


「……なんだお嬢か」


 そこにいるのは、以前も顔を合わせた白髭を蓄える敬虔なご老公だけだった。


「どこにいるのよザクセン……」


 私は膝から崩れ落ち、ぽろぽろと涙を流す。


「どうした。苦しいことでもあったか?」

「……はい。大切なひとを、かけがえのないひとを、このままだと失ってしまいそうなんです」


 嗚咽混じりに告白する。ご老公に告げたところでなにも変わらないことはわかっているけど、誰かに胸中を打ち明けないと焦りでどうにかなってしまいそうだった。


「そうか。それで大司教様を頼りにしたわけじゃな」

「はい、彼はどんな病でも癒す力を持っていますから」

「儂と同じじゃな」

「え?」


 ご老公は、思いを馳せるように女神像を見つめていた。


「孫が未知の病に侵されておってのう。ずっと苦しそうにする孫に儂はなにもしてやれん。看病は女房で事足りとるから儂は不要じゃ。で、悩んだ末にこの教会で祈っておった。どうか孫を助けてください、とな」


 視線を私に転じる。

 ご老公は優しく相好を崩した。


「その毎日祈っているからか、孫はなんとか小康を保っておる。じゃからお嬢も祈ろう。大司教様が帰って来るまで」

「……うん」


 これまでの祈るふりをしていた。だけど今日はちゃんと真面目に祈る。どうかクロフォードを助けてください。ザクセンに会わせてください、と。

 だけど当然、その祈りはすぐには目に見える形となってくれない。


「積み重ねじゃ。明日も明後日も忘れず祈る。すれば願いはきっと叶う」

「……だといいわね」


 半信半疑だけど、そうすることで僅かにでもクロフォードが助かる確率が上がるというのなら、私は喜んで毎日教会に足を運ぼう。今の私には祈りを捧げることくらいしかできないから。


 女神像が慈愛に満ちた笑みを浮かべていることを、これまで何度も教会に足を運んでいたのに、私は今日知った。

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