第2話.侯爵様の再婚相手
「おーい、どした絞った後のオレンジみてぇな顔して」
夕飯にまるで手をつけず意気消沈とする私の顔の前で、「おーい、生きてるか~?」とイレーナが手を振ってくる。
ウルフカットの赤髪が良くも悪くも目立つ彼女は、口調こそ荒々しいものの、お人好しで職務を忠実にこなす使用人である。
基本、私はチャスシスとイレーナと3人で行動している。
「どうしたのロミィ?」
チャスシスが眉を八の字にして私の顔を覗き込んでくる。
「ちょっといろいろあってね……」
パゲットをかじりつつ、さきほどまで受けていた尋問を思い返す。
『なるほど。君はクロフォード様が注意が欠けていたのはお互い様だと言ったから、この件はすでに片がついていると思っているわけだ』
『そ、そうよ! というか、魔法も使えない私を拘束する必要なんてないでしょ! 解放しなさいよ!』
『ん、待てよ? 魔法が使えない? 加えて桃色の髪……もしかして君、元伯爵令嬢だったりする?』
『だったらなによ! やだー! 死にたくないー!』
『……驚いた。運命というものには懐疑的だったけど、こりゃ信じざるを得ないかもだな』
その後も、根掘り葉掘りと拘束されたまま1時間尋問が繰り返されて、そして今に至るというわけだ。おかげで肩凝りがすごいのなんの。
そんな私の精神的疲労や肉体的疲労など知ったことかとばかりに、チャスシスとイレーナは話を弾ませている。
「明日のプラリネ様の結婚式楽しみだな! めでてぇめでてぇ!」
「そうだね。お相手の侯爵様もすっごいイケメンみたいだし」
「いいよなぁ伯爵令嬢。あたしも令嬢になりてぇ~。……あ、あの妻に乱暴してばっかっていうデラ……ジェラート? 子爵の妻になるのだけはごめんだけどな」
「ジェラートじゃなくてデランジェ子爵ね。仮にイレーナが令嬢の地位に就いても、その粗暴な所作のせいですぐに廃位だろうね」
「はは、言えてる。な、ロミィ?」
「そうね。イレーナに令嬢は絶対無理だわ」
「なんだとこの野郎~」
冗談めかした風に、イレーナが私の側頭部を両こぶしでぐりぐりとしてくる。
「はは、やめてよ~」
あぁ、なんて心地良い時間なんだろう。
そう思いつつ、ふたりの友達と会話を弾ませながら夜の憩いを満喫していると、
「ロミリア様」
懐かしくて馴染みのある声が鼓膜を揺らした。
声の先を振り返る。
予測に違わず3年前まで私に仕えていた侍女のアーネがいた。
アーネはどこか気まずそうに視線を彷徨わせた後に私を見つめて言った。
「伯爵様がお呼びです」
「えっ……」
肝が冷える感覚があった。
「ロミィ、だいじょうぶ?」
伯爵から呼び出されるのは3年ぶりのことだった。
「……えぇ、平気よ」
その返事が恐怖を孕んでいたことは、誰から見ても明らかだっただろう。
◇◆◇
「お待たせして申し訳ありません、伯爵様」
「良い。顔をあげろ、ロミリア」
あげたくなかった。
だって、顔をあげたら必ずお父様と視線を合わせることになる。
――あの地獄の日々の記憶を鮮明に蘇らせることになる。
「どうした。顔をあげろと言っているじゃないか」
「まぁまぁ良いじゃないの。この子の顔を見ないで事が済むのならそれに越したことはないでしょう?」
お母様の声。
――私の顔に刃物を振り下ろしてきた幼少期のトラウマが脳裏をよぎる。
ガチガチと歯が音を立てている。
この悪魔は、陰で何度も私を殺そうとしてきた。おそらくお父様が、私を若き日のお母様に重ねて性的視線を向けることが我慢ならなかったからだろう。
「この売女が!」と罵られながら腹部を蹴られた記憶がちらつき、なにもされていないのにおなかの奥がきゅうと痛んだ。
「同じ空間にいるだけで不快だから端的に要件だけ伝えるわ。明後日、あなたにはデランジェ子爵と婚約してもらいます」
「っ……!」
デランジェ子爵って、あのデランジェ子爵だろうか?
妻に暴力を振るってばかりいると黒い噂が絶えないあのデランジェ子爵?
お父様が言葉を継ぐ。
「子爵には今現在8人の妻がいるのだが、9人目の妻としてお前を迎え入れたいそうだ」
「……私が今現在は使用人であることは伝えられましたか?」
「あぁ伝えた。その上で子爵はお前を選んだ。先日、プラリネが主催した社交パーティーに足を運んだ際に一目惚れしたそうだ。良かったな。ようやく国の役に立てそうで」
「……はは」
あぁそうか、と理解する。
私は、もうこの人たちの道具でしかないんだ。
〝元〟娘である私がどうなったって関係ないんだ。
「明日の朝、お前にはデランジェ子爵の元に発ってもらう。そのように準備しろ」
「……はい、承知いたしました」
なんでもない日常が、音を立てて崩れる気配がした。
◇◆◇
「……ひぐっ、うぅ……」
布団に包まり、私は息を殺して涙を流していた。
どうしてこうなっちゃうんだろう。
伯爵令嬢じゃなくたっていい。
このなんでもない日常が続けばいい。
それだけでいいのに。
……それだけで充分なのに。
「なにがあったの?」
柔らかなささやきに続けて、小さな温もりが背中に触れた。
「チャスシス、起きてたの?」
「今、起きた。起きたらロミィが泣いてたからどうしたのかなって」
「……なんでもないわよ」
私は、笑顔を繕ってチャスシスを振り返った。
チャスシスはどこか寂しげな笑みをたたえていた。
「そっか。……つらかったらなんでも相談していいんだからね? わたしはロミィの親友なんだから」
「うん」
だからこそだ。
私が囚われた地獄に、親友であるこの子を導きたくなかった。
それから5分と経たずチャスシスは眠りに落ちた。
「……嘘ついてごめんねチャスシス」
私は上着を一枚羽織って、窓の桟に足を掛けた。伯爵邸に監視の目がある以上、逃げ出すにはこの窓から飛び降りるしかなかった。
「うぅ、こわいわ……」
吹きつける夜風に足がすくむ。
だけど、子爵に嫁げばわたしの人生は終わる。生き地獄を味わうくらいなら、すべてを捨てて新しい人生をやり直すほうがマシだ。
「じゃあね、チャスシス、イレーナ、シクリー」
覚悟はできた。
私は、慎重に壁の突っ張りに足を引っ掛けて下っていく。
……いける。時間はかかるけど、これなら監視の目につかず脱出できる。
そう安堵した直後のことだった。
突風が駆け抜けた。
私は、足を滑らせた。
「あっ」
正面に広がる満天の空がいやにゆっくりと遠ざかる。
……振り返ってみれば、まぁ悪くない人生だったのかもしれない。
最後の3年間は、つらい時間よりも楽しい時間のほうがずっと長かった。
もう一度人生をやり直せるのなら、ほどほどに幸せな人生を謳歌できますように。
そう祈りつつ、私はそっと目を閉じる。
――ガシッと、首裏と太ももを支える硬い感覚があった。
「よもや夜月から想い人が降って来ようとはな」
冷徹ながらも、かすかなあたたかさを孕んだ声。
私はその声を知っている。
まだ記憶に新しいから覚えている。
「……侯爵様?」
「如何にも。俺はクロフォード・サディエ。明日ロミリアと再婚する予定の侯爵だ」
「ふぇ?」
今、ロミリアと再婚する予定と言わなかっただろうか。
「え、ちょ、どういうことです?」
「詳しい話はおいおいだ。今日はもう疲れただろう。ゆっくりおやすみ」
「おやすみってそんな……」
突如、強いまどろみが押し寄せてくる。
見れば、侯爵様の背後にラムルスが控えて魔法を発動していた。
やがて瞬きをする余力すらも削ぎ取られる。身体が無意識の中に沈みゆく。
「おやすみロミリア」
その甘いささやきを最後に、私の意識は現実から絶たれた。




