第10話.誓いの口づけ
「今晩、お時間をいただけませんか?」
朝食の最中、私は正面に悠然と腰掛けるクロフォード様にそう切り出した。
クロフォード様は紺碧の瞳を大きく見開き、少しの沈黙を挟んで言った。
「ここで済ませることはできない用か?」
「はい。今晩、侯爵様のお部屋で、ふたりきりでお話をしたいです」
使用人がどよめいている。きっとそういう意味合いだと取られているのだろう。勘違いだけど構わない。むしろ好都合だ。
「だめ、ですか?」
クロフォード様は眉間を揉み、深く息を吐いた後にまっすぐ私を見つめた。
「わかった。では20時にロミリアと話をする時間を設けよう」
「ありがとうございます」
にこりと微笑み返し、朝食に舌鼓を打つ。
その後、クロフォード様が朝食に手をつけることはなかった。
◇◆◇
まもなく約束の時間になろうとしていた。
「じゃあ行ってくるわね」
「うん。……その、ロミィ、がんばってねっ」
顔を赤らめたチャスシスが、ふんすと両こぶしを握りしめてエールを送ってくる。
私の部屋にクロフォード様を呼べなかったのは、チャスシスがルームメイトであるからだ。
チャスシスは、いろいろと都合が悪くなったら自分を部屋から追い出してくれて構わないと言っているけど、そうするつもりは一切なかった。……今のところは。
彼女の太ももの上には、いつか私が伯爵邸で助けた子猫が乗っている。悩んだ末に、今はいないもうひとりの使用人仲間にちなんでレーナと名づけた。チャスシスが侯爵邸の使用人になった日から、こっそりレーナも私のルームメイトになっていた。
「にゃー」
「ありがとう、チャスシス、レーナ。行ってくるわね」
ザクセンに選んでもらったターコイズブルーのドレス。
マディカに仕立ててもらった化粧。
不慣れなおめかしが、少しでもクロフォード様の気に入るものであったらいいなぁと思う。
内面も外見も、クロフォード様に好かれたい。
私は、クロフォード様の内面も外見も好いているから。
緊張に胸を弾ませながら歩いているうちに、クロフォード様の部屋の前にたどり着いた。
ひとつ深呼吸し、扉をコンコンとノックする。すぐに「どうぞ」と声が返ってきた。
「失礼します……」
おずおずと部屋に入り、飛び込んだ景色に私は息を呑んだ。
「……こんばんは」
そう消え入りそうな声を転がすクロフォード様は、水気を孕んだ金髪を掻き上げ、痛ましい傷跡がいくつか残るたくましい肉体を惜しげなく晒した、下半身だけをバスローブで隠した姿でベッドに腰掛けていた。
あんぐりと口を開ける私をチラチラと見やり、クロフォード様はやがて意を決したように鋭いまなざしを私に突き刺した。
「美しいな、俺の嫁は」
ぼふっと顔から湯気が出た。
え、マズいマズい。これ完全に営む気でいるよね? どうしよ今さらそんなつもりはなかったといえないところまで来ちゃってるよ。
しちゃう? しちゃうか私? いや冷静になれ。落ちつけ、ただビジュアルの暴力が襲い掛かっているだけだ。深呼吸、深呼吸……
「ロミリア?」
「っ! な、なんでもないです! お褒めいただきありがとうございます! 侯爵様のお身体もお美しいです」
カチコチだったクロフォード様の顔がほころんだ。
「貴女はほんとうに変わっている。俺の身体の傷をみれば、たいていは気まずそうに目を逸らす。初見でここまで直視してくれたのはロミリアが初めてだ」
「す、すいません! や、やましい気持ちとかはないんですよほんとですよ?」
「そう早口で否定すると反って疑ってしまうよ?」
「うぐぅ。……まぁ一切ないと言えば嘘になるのですが」
「っ! ……そ、そうか」
気まずい沈黙が満ちる。
やや強引に切り出したのはクロフォード様だった。
「俺と話がしたいのだろう? 隣においでロミリア」
「は、はい……」
誘われるがままに、クロフォード様の隣にぽすんと腰掛ける。
全身からせっけんの香りが漂っている。私と営むことになった際に備えてちゃんと準備をしてくれたのだろう。好きだなぁと想う気持ちが強くなる。
クロフォード様は、私の肩をそっと抱き寄せ至近距離でささやきかけてきた。
「遠慮することはないよ。俺になにをしてほしいか言ってごらん」
「……」
赤らんだ顔。瑞々しい唇。
顔が熱い。頭がどうにかなりそうだ。
クロフォード様がそっと私の頬に手を添えてくる。
あたたかい手のひら。
大きくて無骨な手のひら。
「こ、侯爵様?」
クロフォード様の顔が少しずつ近づいてくる。
やがて息遣いまで聞こえる距離になる。
「ロミリア……」
鼻先と鼻先が掠れる。
私はパシッとクロフォード様の手首をつかんで訊ねた。
「プラリネではなく、私を選んだのはどうしてですか?」
行為に及ぶにしろ及ばないにしろ、これだけは明確にしなければならないと思った。
私は、これからクロフォード様を愛すると決めている。
だけど、クロフォード様はどうなのだろうか。私もサーシャ同様に、刹那的なパートナーだと思っているのだろうか。
クロフォード様はぴたと動きを止める。
じっと私を無言で見つめると、か~っと沸騰するように顔を赤くして私から距離を取った。え、なにこの初々しい反応。可愛すぎる。
「すまない。情欲に負けて許可なく貴女に口づけしようとしてしまった」
「そ、それは全然構わないんですけど」
むしろめちゃくちゃ嬉しいんですけど。
「……えぇと、まずはプラリネではなく私を選んだ理由を聞かせていただけますか?」
急かすつもりはないけど、可能な限り早く答えてほしい。
そんなことを言われたら、私も情欲に屈して口づけしたくなるじゃないか。
少し思考し、クロフォード様は口を開いた。
「訳あって詳しい事情は明かせないが、貴女が元伯爵令嬢でありながら凄絶な境遇にあることを俺は知っていた。救ってほしいと頼み込まれた。頃合いよく俺は再婚相手を欲していた。俺は既に侯爵の地位に就いているし、これ以上の出世も望んでいないから、再婚できるのであれば誰でも構わなかった。そんなわけで貴方に白羽の矢が立ったというわけだ」
「なるほど」
私が凄絶な境遇であることを知っている。私を救ってほしいと頼み込んだ。クロフォード様と話をする機会がある。
以上の条件に合致する人物はひとりしか思い当たらなかった。
……もしかしたらあの子は、実は私のことを嫌ってるふりをしてるのかななんて期待しちゃうなぁ。そうだといいなぁ。
「とはいえ、ロミリアにとってこれが強引な婚約であることは変わりない」
私をしっかり見つめてクロフォード様は続ける。
「だから、1年ほどを目安に離婚しようと考えている。1年間だけ侯爵夫人になってくれないか?」
「侯爵様はこれからもそうやって婚約しては離婚してを繰り返していくおつもりなのですか?」
「……どうだろうね。次こそ正真正銘の夫に妻になれる婚約ができたらいいなと思っているよ」
苦笑するクロフォード様に、私はそっと口づけた。
「私じゃだめですか?」
「……」
「私は侯爵様に嫁いだことを不幸だと感じたことは一瞬たりともありません。詳しい事情は明かせませんが、私は侯爵様がサーシャ様と離婚した理由を知りました。私は貴方が噂に違う素敵な人だと知っています。そんな貴方に惹かれました」
クロフォード様の両頬をそっと撫でる。
「愛しています、侯爵様。――いいえ、クロフォード。1年と言わず、命が尽きるその日まで、私のことを愛してくれませんか?」
「……はは、まさかこんな幸運が訪れる日が来ようなんてな」
クロフォード様は――クロフォードは、私の手の甲にそっと手を重ねた。
繊細な割れ物に触れるように、そっと優しく。
「一目見た瞬間から、ロミリアのことが好きになった。この屋敷で共に暮らすことになり、いつも明るく、誰が相手でも親身に接する姿を見て、ますますロミリアのことが好きになった。いつまでも手放したくないと思うようになり、その気持ちを鎮めるために会話は最小限に留めてきた」
胸が熱くなる。
クロフォードも私のことを好いてくれていた。
奇蹟だと思った。
「改めて言わせてほしい。
――ロミリア、俺と結婚してくれないか?」
「もちろんです、クロフォード」
喜びに涙を流しながら私はクロフォードに抱きついた。
そんな私を、クロフォードはやっぱりぎこちなく抱き締めてくる。
「さてはクロフォード、唇と唇でキスをするのはこれがはじめてですか?」
「うん、貴方が初めてだ」
「そうですか。……えへへ、幸せです」
私は、クロフォードの胸にすりすりと頬をこすりつける。
「私が絶対にクロフォードを幸せにしてみせますからね」
こうして、私は正式にクロフォードの妻となった。
クロフォードとの物語が、ようやく幕を開けた気がした。
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