第1話.元伯爵令嬢の使用人
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本作品は「第8回アイリス異世界ファンタジー大賞」に参加している作品となります!
始まりから終わりまで一気に投稿しましたのでお好きなペースで本作を楽しんでいただければと思います!
薄雲が棚引く群青の下で、庭園の枝を切りそろえているときのことだった。
「にゃぁ……」
茂みからか弱い鳴き声が聞こえてきた。
私は身をかがめ、草木を掻き分ける。
前足から血を滴らせる子猫が地面に横たわって身体を震わせていた。
その傷を癒すために、私は両手を伸ばして回復魔法の発動を試みる。
「【施しの祈り】」
瞳を閉じて魔力を練る。身体の奥底に眠っているはずの魔力を探す。
集中力を極限まで研ぎ澄ませること30秒ほど。
ついに魔法陣が浮き上がることはなく、神経を摩耗させて疲労だけが蓄積された。
「だよね」
わかりきっていた結果に苦笑する。
ロミリア・ライバルだった頃、かすかに開花の兆しをみせた魔法の才能は、魔力量が定まると言われる17歳になってもついに芽生えることがなかった。
より正確にいえば、12歳までは微力ながらも魔法が使えて、とある出来事を起点に私は一切魔法を使うことができなくなった。
翻って、妹のプラリネ・ライバルは非凡な魔法の才能を持ち合わせている。
ライバル家では、代々子どもが17歳になった折に魔法式典を催し、街の人たちが大魔法の発動を目にすることで正式に爵位を授かることが慣例となっている。
――私はそれに失敗した。
両親は、一族の恥だ、どうしてこんな出来損ないを産んでしまったのかと私を面罵し暴行を加えた後に、ライバルの名を奪って家族のつながりを絶った。
そして私は、プラリネの提案で伯爵邸の使用人になり下がった。
それが、3年前の出来事。
17歳の私に刻み込まれた痛ましい記憶。
今の私は、伯爵邸に仕えるただのロミリアである。
「もう少しだけ痛いの我慢してね」
震える子猫をそっと抱き上げ、私は医務室に駆け出す。
自分に魔法が使えないという現実はとうの昔に受け入れている。
けれども、誰かがケガを負ったときには切に思う。
自分に誰かを癒せるだけの力があればいいのに、と。
「あ、ロミィ~! こっちの手入れ終わったよ~!」
まもなく庭園を抜けようとする私に底抜けに明るい声が掛けられる。
声の先を振り返る。
「お疲れさま。私、少し医務室に行ってくるわ」
「え、大丈夫? 体調悪いの?」
眉をひそめて、とてとてこちらにやってくる小柄な彼女は、私と同じく使用人で、ルームメイトのチャスシスである。
茶髪に大きな瞳を携える彼女は小動物のようで、その印象に違わない活発さと愛嬌を備えている。使用人の間で妹のような扱いをされている。
「私じゃなくて、この子の体調が優れないの」
子猫に目をやり、チャスシスは目を丸くする。
「脚、いたそ~。わかった。じゃロミィの分までわたしがやっとくね!」
「ありがとう。無理しない程度でいいからね」
その後も、使用人仲間と短い会話を交わしながら足を進める。
「ロミィ、この後なんだけど――」
「ごめんなさい。今はちょっと手が離せないから後にしてくれるかしら?」
「お、ロミィじゃん。そんなに焦って腹痛か?」
「そんなところよ」
伯爵令嬢候補という地位を剥奪されて使用人に成り下がった直後は死んだも同然だと気が滅入ったけれど、今では使用人として過ごせる毎日を気に入っている。
魔法の発動に失敗するたびに暴力を振るわれなければ、食事中に無能だ出来損ないだとがみがみ言われることもない。
使用人仲間とは気兼ねなく話せるし、両親は一切干渉してこないし、この日常は私にとって快適なものだった。
医務室手前の曲がり角に差し掛かったときのことだ。
どんっと強い衝撃が走り、私は尻持ちをついた。
「いたたぁ~」
「すまない。平気か?」
顔をあげる。
「……」
見惚れてしまった。
その金色の髪に、紺碧の瞳に。
素朴ながらも上品さが漂う衣装や強者特有の威圧感が、片膝を床につけて私を気に掛けるこの御方が貴族であることを言葉なく証明している。
理性が息を吹き返す。
私は勢いよく立ち上がってペコペコと頭を下げた。
「すいません! ほんとうにすいません! どうか命だけは!」
「案ずるな、貴女を罰するつもりはないよ。注意が欠けていたのはお互い様だろう。どこも痛めていないか?」
「は、はい! 私は無事ですけど……」
「ならよかった」
些細な変化だ。
だけど、私には彼の頬がかすかにほころんだのがわかった。
「その子猫は貴女の飼い猫か?」
子猫を指差して問うてくる。
「いえ、ケガしていたので放っておけず医務室に運んでいる最中です」
「そうか。優しいお人なのだな、貴女は」
彼は間違いなく貴族のはずだ。だというのに、私のことを貴女と敬意を持って呼んでくれている。
これまで数多の貴族と顔を合わせてきた。だけど、使用人の私に、それも無礼を働いてしまった私に、こうも温厚に接してくれるのは彼がはじめてだった。
「ところで貴女は俺がこわくないのか?」
まっすぐ私を見つめて訊ねてくる。
私は首を傾げて答えた。
「全然こわくないですよ?」
「そうか。……貴女が例の女性だったらいいな」
「え?」
「では俺はこれで失礼する」
颯爽と立ち去るその背中を見つめながら私はぽつりとつぶやいた。
「カッコいい……」
胸がドクドク高鳴っている。頬が熱くなっている。
これが恋という感情なのだろうか。
生まれて初めて、私は異性に恋愛感情と思しきものを抱いていた。
まぁ、身分違いの恋情だから成就することはないんだろうけど。
◇◆◇
「【施しの祈り】」
詠唱の後に、子猫の前脚が蛍光色に包まれて傷が塞がっていく。
「ふぅ。これでよしっと」
子猫がパチリと目を開き、むくっと立ち上がる。
私に視線を投げるなり、飛びついてぺろぺろと顔を舐めてくる。
「あはは、くすぐったいわ」
「あなたって子はほんとうにお人好しね」
子猫と戯れる私を頬杖をついて見つめ、シクリーは慈愛と呆れの入り混じった顔をしている。紫紺の長い髪を、窓の隙間から吹きつける穏やかな風がそよと揺らしていた。
シクリー・シュナイゼは子爵令嬢である。
彼女は、私が使用人になった後も友達でいてくれている。シクリーが医務室の当直であるのは幸いだった。ほかの貴族は私を煙たがっているから。
私の右手の薬指についている指輪は、幼い頃にシクリーが誕生日プレゼントに、と贈ってくれたものである。
シクリーの右手にも同じ形状の指輪がついている。この指輪を私たちは『友達の証』と呼んでいる。その名称通り、指輪がついている限り私とシクリーはどこにいてどんな立場であっても友達なのだ。
「このお姉様があなたの傷を癒してくれたのよ。感謝なさい」
「シャー!」
「なにかしたかしら私……」
威嚇する子猫に肩をすくめ、シクリーはティーカップに口をつける。
さすがは子爵令嬢だ。ただ紅茶を飲んでいるだけなのに絵になる。
「明日はプラリネの婚約式ね」
不意に、シクリーが壁に飾られたカレンダーを見つめてつぶやいた。
「そうね」
2か月後に17歳になり、正式に伯爵令嬢となる予定の妹は、その未来が確約されていることもあり、明日侯爵様と婚姻式をあげることになっている。
でも、その侯爵様は……
「例の侯爵様がうわさに反して優しい方なら文句なしなんだけどね」
「もしうわさ通りの御方だったら?」
「こっそり魔法で嫌がらせし続けるわ」
「ふふ、ロミィってば魔法はからっきしじゃないの」
ふふっと笑い合う。
私が魔法を使えないことを冗談として口にできるのは、数多くいる友人の中でもシクリーくらいだ。シクリーは間違いなく、友人という枠組みを超えた親友のカテゴリーの中にいる。
「そういえば、例の侯爵様がすでにこのお屋敷にいらしているそうよ」
「へぇ、どんな出で立ちをしているの?」
「まさしく〝獅子王〟といった風よ。獅子を思わせる金髪に、湖畔のように澄んだ紺碧の瞳。社交パーティーで遠目に見たことしかないのだけれど、すごい圧だったわ」
「獅子を思わせる金髪に、湖畔のように澄んだ紺碧の瞳……」
紅茶を嗜む手を止め、数分前の出来事を思い返す。
『すまない。平気か?』
……まさかね?
「無礼を働いた人間は即死刑。期待に応えなかった婚約者とは即離婚。プラリネはそうならないことを祈るばかりだわ」
「無礼を働いた人間は即死刑?」
血の気が引いた。
「らしいわよ。侯爵様にはふたりの軍部長が仕えていて、そのうちのひとりが凄腕の魔法使いらしいの。どれだけ逃げても捕まえにくるって噂よ」
「へ、へえ~」
いやでも私は許されたものね?
というか、その侯爵様があの御方と決まったわけでもないものね?
がくがく震えながらティーカップに口をつけた直後、
「ロミリアだね?」
危うく吹き出しかけた。
密やかな男の人の声が聞こえた背後を振り返ると、片目が濃紺の髪で隠された男がじっと私を見据えていた。
鎧にローブをまとった魔法騎士だ。腰に蒼玉のついた杖を差している。
転移魔法を使って瞬時にこの場にやって来たのだろうか。だとすれば、とんでもない腕前だ。転移魔法を使える魔法騎士はこの国に5人もいないと聞いている。
で、そのひとりはたしか侯爵様の……
「ど、どうして私のことを知っているの? 初対面よね?」
「なに、僕の魔法を使えば名前の特定くらいは用意さ。僕はラムルス。クロフォード様に仕える軍部長のひとりだ」
そう、ラムルスだ。
幼少期から神童と謳われるラクセル国きっての魔法使い。
そんな彼が、ただの使用人の私と相対している。
彼は険しい面持ちのまま続ける。
「ロミリア、君に話がある。ちょっと来てくれる?」
「なにをしでかしたのよロミィ?」
「あ~……えっと……」
これは人生詰んだかも。
元・伯爵令嬢候補。
現・伯爵邸の使用人。
その肩書きでいられるのが今日で最後になるなんて――
このときの私が知る由もなかった。




