陰キャ送り犬、仕事を探す気はあまりないが、生活のため仕方なく探したらモデルの仕事を押し付けられた
前作の捨て犬ヨルは人間の夢を見る、淪命世の、別の世界線の話です。
三階建てのボロアパートの202号室に彼は住んでいた。壁には何十年も放置したカビが繁殖している。天井や壁は染みだらけ。窓はいつも遮光カーテンで締め切っていた。電気をつける紐は切ってある。そうしないと明かりでのたうち回るからだ。人間に化けた送り犬、黒野月臣が暮らす部屋はおおよそこんな具合だ。
朝はいつも19円のモヤシだ。たまにごちそうとしてジャーキーを買うことがあるが、ごくたまにしか買えない。
そんな彼には同居人がいる。といっても彼と同じ怪異である人魂のナキメと小鬼だ。ナキメは不謹慎ワードを撒き散らす煽り魔で、小鬼はおべっかゴマすり子分気質の二重人格だ。月臣にとっては彼らはノイズでしかないが、彼が住む場所は例外なく事故物件のようになっていき、妖怪が住み着くのだから仕方がない。だから、月臣は歩く事故物件のようなものだ。
そんな彼がスーパーの特売のチラシを見ていると、いつものようにナキメがスマホを見ながらしゃべり始めた。
「今人間の間じゃ、事故物件に住むのが流行ってるんだって。それって、僕らが驚かし放題ってことじゃん。幽霊に驚かされて喜ぶ物好きを、ここに招いたら面白いと思わない?」
「……くだらん。俺が静かにしたいっていうのをことごとく打ち砕きたいようだな」
剣呑な空気が流れたとき、小鬼が月臣の耳に障るような高い声でゴマを擦り始めた。
「そんなことは決してございません! 月臣様のご威光で、のこのこやって来た人間を文字通り静かにしてやれば、後は静かになりますです! はい!」
「うるさい、黙れ。俺は呼ぶ気はないからな」
そういうや否や月臣は立ち上がると、買い物袋からモヤシを取り出した。今彼の頭の中はうるさい人魂達を黙らせる方法や、食事のことしかないようだ。平穏とは程遠い日が来るとは、この時は誰にも思いよらなかった。
ボロアパートの近隣にその男は暮らしていた。やたらリアクションがでかく妖怪偏愛が凄まじく、部屋の中は妖怪フィギュアでいっぱいだ。もので溢れ返った中でその男は動画の編集作業をしていた。この男、日野勝は最低辺の心霊系動画配信者だ。コメントのほとんどがサクラか、知り合いという疑いが持たれている。しかし、根が単純なこの男は落ち込むということを知らないらしく、次のターゲットを絞っていた。
そう、近辺のボロアパートに住む黒野月臣のことを知ってしまったのだった。
「とうとう俺の時代が来たぜー! これでチャンネル登録者も100万は目じゃないぜ!」
しかし、それを冷ややかな目で見ているものがいた。紫乃和沙だ。元人間の送り犬である。夜中に散歩していたら、山中にある謎の骨の瘴気に当てられ送り犬化してしまい、送り犬の本能に目覚めてしまったのだ。普通の生活が出来なくなった和沙は隠れて過ごす事を余儀なくされたが、同居人が目立ちたがり屋とあっては何時なんどき和沙の居場所が知られるか分かったものではない。ため息をつきながら和沙は言い放った。
「ネットは夜の23時までです。それ以上の夜更かしは禁物です」
「そんな固いこと言うなよー。ビッグになるチャンスなんだぜ? 本物に出会えるチャンスだ!」
和沙が送り犬であることは勝はまるで気がつかない。勝には和沙自身のことを秘密にしているが、いつまで隠しおおせるだろうか。和沙はこれでは家族に見つかるのも時間の問題だとうめいた。
背筋がゾクッとした。誰か良からぬ事を考えている気がする。こんな時の月臣の野生の勘はだいたい当たるものだ。月臣の視覚は弱いが、聴覚と嗅覚は人間の何万倍もある。何かよからぬ事を企むものの発する気配を、敏感に感じ取っていた。
「……ドアに結界でも張っておくか」
そう言って立ち上がった瞬間だった。部屋の中に閃光が走り、爆音が激しく鳴り響いた。
「ギャー! 眩しすぎるー!」
「消えちゃう! 助けて!」
人魂と小鬼が光に当てられ部分的に透けている。月臣自身も指先が透け始めていた。これは普通の雷ではなく、浄化の光だと彼はとっさに思い出した。
「お前らの方がうるさい……」
目をしっかり閉じながら耳をふさぐ。しかし、誰の仕業が、月臣には分かっていた。そして、月臣のすぐ側に誰かがいる気配がした。
「ちょっと! まだあんたこんなカビ臭いところで暮らしてるの? 今すぐ浄化しても良いけどあんたが消えちゃうから、代わりに私が良い仕事を見つけてきてあげたわよ! 感謝しなさい!」
ツインテールに白いブラウスを着た女の子がいつの間にか部屋の中に立っていた。彼女の周囲から仄かに光が溢れていた。この少女、谷中まりいは天界の血筋のお嬢様である。
「まりい、部屋に入ってくる時は静かにしろと言ったはずだ」
月臣の剣呑な物言いに彼女は悪びれずに言い返した。
「前に来たときより10デシベルは静かだったわよ!」
危うく消えかけた人魂と小鬼は身の危険を脱した後、顔を見合せ計測までしてたのかと感心していたが、月臣は呆れてしまった。
「それよりこの部屋を掃除するって約束はどうしたの? 変わっていないようだけど?」
細かいところまで見ているなんて、まるで姑のようだ、とは月臣は口に出さず、言い含めるようにこう言った。
「掃除はしたぞ。……押入れの中をな」
それでは意味がない、とまりいは一瞬ぐらついたが、気を取り直してタブレットを出した。まりいだけでも眩しいのに、タブレットから放たれる光が目に染みてタブレットに出ている画面を見ることができない。
「とりあえず、私のコネでこの仕事を探したんだから! 明日から行きなさい!」
相変わらず、押しの強い物言いのまりいに月臣は半ば諦めの気持ちで光を遮るためサングラスをかけながらタブレットの画面を見た。
『天界一のファッションデザイナー主宰、華やかなモデルで心を豊かに!』
目映い天界人が煌びやかな衣装をまとってポーズを決めていた。いつも暗い場所にいる月臣とは縁遠い仕事だ。
「却下だ。こんな人目につくような眩しいことしていられるか」
月臣は断ってしまいたかったが、モデルが何か知らずに威厳のあることだと思った小鬼が食いついた。
「何をおっしゃいます。月臣様! 天界人達に月臣様の威厳を見せつけるチャンスですぞ!」
その後、人魂のナキメが面白そうに皮肉った。
「けどさー。月臣が眩しくなったら目だってしまって人間の後ろをつける事ができなくなっちゃうねー」
小鬼と人魂は月臣の気など知らずに言いたい放題である。まりいは月臣のためだと言わんばかりの意気込みだ。話を聞かない奴らばかりに、月臣はため息が出そうだった。
「月臣の事は伝えてあるから、逃げようなんて思わないでよね!」
月臣は気が遠退いて行く気がした。平穏からこれほどに遠退いてしまうとは。




