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七、おうめの最後の心意気・・・・・

その数日後、おうめは巳之助への文を書いていた。巳之助が二十(はたち)になって戻って来るのをおよつは楽しみにしていた。

その時は、巳之助の身の丈も大きくなって戻って来るだろう。とおよつが常に口にしていたので、おうめは巳之助からの返し文には身の丈を教えて欲しいと書いた。これをおよつの仏壇に供える事が、およつへの一番の供養と思っている。

思いが詰まって、書き表せない筆を何とか前に進めた。

文の末には、巳之助が送ってくれた(くし)を髷から抜く事もなく。およつが旅立った事を書き留めた処で、おうめの筆は止まった。

そんな辛い日々をおうめは迎えていた。巳之助が戻って来てくれれば、此の鬱屈(うっくつ)の気持ちも幾らか晴れるだろうと思う日々を過ごしいる。

「おうめ、そんなに思い詰めると、お前まで体を壊す事になるぞ」

宗茂は、おうめの()(しお)れている姿を見て言った。

巳之助が塾を出てから、梅塾との拘わりから外れていたおうめであったが、ここで子供達の明るい声に接して、おうめの心に明るさを取り戻したいと言う思いから、およつが亡くなった翌月から、あの時と同じ様に子供達と一緒に遊ぶ事にした。おうめの心が日に日に元の明るさを取り戻していた。

子供達の無邪気な笑顔と元気な笑え声におうめは囲まれている。

おうめが元気を取り戻した頃に嬉しい知らせが届いた。与一郎が奉公先から戻って来る事を、おはつがおうめに伝えて来た。このおはつの話でおうめの心が大きく膨らんだ。

それに年が明けて一月には、新介が戻って来る話をおそよから聞いていた事を、おうめが思い浮かべて少しの含み笑いをすると、おはつが怪訝な顔でおうめに質した。

「おうめさん、何か、可笑しな事言ったかしら・・・・・」

「いや、可笑しいのじゃないのよ。嬉しくなったのよ」

 半年前までは、この世に息子達はいないと、半ば、諦めの心情をおはつもおそよも持っていた。それが与一郎に新介が帰って来る姿を思い浮かべると、嬉しさが笑いを連れて込み上げて来た。その笑いを殺した表情がおはつさんには可笑しく見えたのだろう。

おはつに見せたおうめの(おも)(がわ)りが申し訳なかった。とおうめが断りを掛けると、おうめの心を見せて貰ったおはつは、満面の笑みをおうめに返していた。


 年が変わって文化五年を迎えると、嬉しさと悲しさが交互におうめを包んで来た。

其の嬉しさとは、昨年の十一月に与一郎が奉公先から戻って来たかと思うと、一月の末日には新介の元気な姿をおそよ共々おうめの処に見せに来ていた。二人が奉公先から戻った元気な姿と、子供達の元気な声でおよつの不幸が癒されていた頃に、里のおとっつあんの興左衛門が二月に亡くなった。およつの不幸の鬱屈から逃れていたのが、おとっつあんの不幸が重なって、おうめの胸はじっくりと湿っていた。巳之助が、此の文化五年の年には奉公を終えて戻って来る事は知ってはいたが、この年の何時の日に戻って来るかの知らせが入ってなかったおうめに、巳之助からの文が舞い込んだ。

其の文には七月十日に戻って来ると書かれている。戻って来る日が分かると、おうめの心がおよつや興左衛門の悲傷(ひしょう)()()られていたのが、どこやら明るさの中に引き戻されたかのように思っている処に、訃報の知らせが舞い込んだ。

不幸が続く時には続くもので、おたかが博多山笠を見取ったかの様に六月十五日の追い山が終わった翌日に、おたかがおよつの後を追う様に亡くなった。

およつに興左衛門、そしておたかに寄せる愁嘆(しゅうたん)な気持ちから逃れる為には、子供達との触れ合いの場である梅塾に心を注ぐ事だと思って学舎に眼を遣ると、今日も学舎に朝陽が射し込み賑やかな子供達の声がおうめの耳に届いていた。此の子供達の声で、およつやおたか達が楽しげであった頃を思い出した。

其の楽しげの頃をおうめはおよつやおたかそして興左衛門の不幸と置き換えて、嬉しさが迫り来る七月十日に心を寄せて、鏡の前に腰を下ろしてみると、隠すに隠せない小皺(こじわ)を目尻近くに捉えて、おうめは深い溜息をついた。

この小皺は久吉から巳之助と名を変えたあの子の身を案じ乍ら、此処まで育てて来た褒美として神様が下さったのか。とおうめは思って目尻近くに笑みを浮かべて腰を上げた。


巳之助からの便りに書かれていた七月十日が遣って来た。

家並の先から朝の陽射しが街道を照らしている。刻は未だ朝五ッ(午前八時)を過ぎたばかりなのに、街道より奥まった処の武家屋敷から蝉時雨が街道へ流れている。

播磨屋の丁稚が朝の打ち水を、柄杓から門口に撒き散らしているが、撒かれて黒ずんだ処が暫くすると元の白さに返っていた。

丁稚が打ち水をしている傍で、宗茂が佇んで街道の先を見詰めている。

だが、街道の先には旅人らしき人影を見付ける事は出来なかった。宗茂は街道から眼を外し、小首を捻り乍ら三和土へと戻って来た。

朝から、何度もこの所作(しょさ)を繰り返していた。

昼餉の刻から半刻(一時間)が()っくに過ぎていた。

だが、巳之助は戻って来なかった。裏口から出て来たおうめは梅塾の庭に水を撒いていた。梅塾では既に朝と昼の入れ替えが終わって、昼の(まなび)が始まったので水を撒く音がやけに大きく聞こえている。

おうめが門口の方に廻って見ると、そこでは、朝から何度となく街道の先を見詰めていた宗茂が、帳場へ戻ろうと振り向いた時に、おうめと眼が合った。

宗茂は照れ隠しに少し俯いた。おうめも眼を外した。二人が再び眼を合わせた時には、二人は思わず()みを交わしていた。

腕組をして街道の先を見詰めている宗茂を、空の桶を傍に置いて、手には柄杓を持っているおうめが宗茂の(びん)を見ると、めっきり白い物が増えているのが眼に付いた。(まげ)に置いていた眼を街道の先へと向けた。

本町の先に、小さな旅人の姿がうっすらと見えて来た。

宗茂とおうめが顔を見合わせる。

長かった四年の歳月が消えようとしている。

四年の思い出と共に、一歩一歩と人影が大きくなって来る。


積もる話の中で、巳之助は火事場の様子を書き送った九日後に起こった事を話し出した。

あの大火事の時に、ご主人様のお内儀さんを新介の処に連れて行く時に渡った。

また去年の六月、ご主人様の使いで木場の升屋を目指している時にも渡った。

あの永代橋が人の重みで崩れて、千四百名近くの人が亡くなられた事を話した。

この永代橋の崩れには巳之助は遭遇しなかったが、あの大火事の時に起こっていても不思議ではないと思われる事が起こった。

巳之助は大火事にしろ、この永代橋にしろ、命を落とすかもしれなかった江戸の話を夜遅くまで話した。

夜が明けた時、おうめは眠たそうな眼を擦って、箪笥の奥に仕舞い込んでいた小袖と羽織をおうめが嬉しそうに取り出した。取り出した長襦袢(ながじゅばん)と小袖、それに羽織を畳みの上に広げて見た。螺施(らせん)(しぼ)りを施した長襦袢に、利休(りきゅう)鼠地(ねずみじ)(しま)文様(もんよう)をあしらった小袖の横には、丈が長く前垂(まえだ)気味(ぎみ)になった黒無地の羽織が揃えられていた。おうめはその横に独鈷(どっこ)(はな)(ざら)の文様を取り入れた博多帯を並べてみた。

並べた衣裳は、巳之助がおよつに送ってくれた山東京伝の、『通言総籬(つうげんそうまがき)』の(つや)次郎(じろう)出立(いでた)ちに似た様に、亡くなる前のおよつと話し合って仕立てた衣裳であった。

巳之助と話している宗茂に、おうめが声を掛けた。

「お前さん、お婆ちゃんと一緒に仕立てた小袖に・・・・・・」

「そうだった。巳之助、婆ちゃんがお前に着せる事を楽しみにしていた小袖を着て見ろ」

 と宗茂は言って、腰を浮かせた。

おうめが巳之助の肩に長襦袢から小袖を掛けた。

「あぁーお前さん、巳之助の丈に丁度合っているわ」

「おぉー、これで、押しに押されぬ播磨屋の若旦那になったなぁ」

 巳之助の十五の時、元服祝いの小袖の上に羽織を羽織らせた。あの時の事をおうめは思い出していた。あの時は前髪を切り落として髷を結った。初々しい大人の初めだと思い出していたが、いまは大人その物だった。その顔立ちは誰にも負けない。目鼻立ちが通った顔に、すんなりした背丈をしている。

あの夕陽の中で、頭を下げなさったお百姓風の二人を思い出した。

―あの二人に似ているわ・・・・・・・

 おうめは思った。

―あぁ、あの二人に誓った事が・・・・・

 何とか出来たのかなぁ、とおうめは思って、巳之助の傍に寄ると、おうめの背丈は巳之助の肩の処で止まっていた。

「おとっつあん、おっかさん、此の衣裳で婆ちゃんの墓参りに行こうよ」

 巳之助が衣裳を上から下までを眺め乍ら言った。

播磨屋から程遠くない寺に葬られているおよつの墓前に叩頭(ぬかず)いた巳之助は、四半刻(三十分)近く墓前から去ろうとはしなかった。巳之助が墓前のおよつに何を語ったかは、おうめにも分からなかったが、巳之助の言葉が、宗茂とおうめの耳に途切れ気味に聞こえていた。

―婆ちゃん、もう少し元気で・・・・会えた・・・・・ー

 天を仰ぐ様な仕草をして、背を返すと宗茂とおうめに眼を遣った。

「此の足で、おたかさんの仏壇に手を合わせて来るから」 

 と言った巳之助は東職人町でおたかの弟子が穏婆をしている処へ向かった。

巳之助は忙しかった。江戸から戻っておよつやおたかへ念仏を唱えると、与一郎と新介の処に顔を出した。

三人が出会うのは久し振りだと言って、博多山笠の追い山を見に行く話になった。

六月十四日の夜九ッ(午前零時)に水鏡天満宮で落ち合って、夜通し掛けて祭りを見物する話だ。祭り見物の話をしている中で、梅塾の学び友達に江戸の話を聞かせてやろうと言う話が持ち上がった。六月末日に集まる触れ書を、梅塾三十騎の連中に出す事にした。


 徳川将軍のご側室の方が亡くなられた事で、博多山笠の追山が十五日から二十五日に延期になった。追い山見物が延期になった十五日の朝餉後、巳之助が行き成りおうめに尋ねて来た。

「おっかさん、下澤先生はどうしていなさるのでしょうかねぇ」

「お前には知らせなかったが、下澤先生は昨年七十二歳でお亡くなりになられました」

 下澤先生の葬儀の様子をおうめが巳之助に聞かせた。先生はお武家様だから、商人の私達が騒ぎ立てる事ではないので、旦那様と二人で先生のご葬儀には行かせて頂き、お前の様に梅塾で先生の教えを受けた者達の心を、先生のお位牌(いはい)にお伝えして来ました。

とおうめが葬儀に行った時の心の内を話してくれた。このおうめの話を聞いた巳之助が暫く眼を(つむ)って口を閉ざしていたが、その口を開いた。

「そうですか。お元気で居られるなら、この巳之助の姿を見て頂きたかったですねぇ・・・・」

「そうですねぇ。先生に皆の姿をお見せしたかったねぇ」

「おっかさん、じゃあ、岡部十太夫様は」

「あぁ、岡部様は昨年、嫡男(ちゃくなん)の覚十郎様に家督(かとく)をお譲りになられましたよ」

 おうめは巳之助の心が岡部様に会いたい気持ちだと思って、言葉を繋いだ。

「ご隠居生活のご身分ですから、播磨屋にもちょくちょくお出でになられますよ」

「そうですか。それなら、おっかさん、いまから、岡部様にお会いして来たいのですが」

 巳之助はおうめの応えを待った。

「岡部様はご隠居なされていられるから、行っても不都合にはならないでしょう」

 おうめが承諾の返事を出した後、暫し、巳之助を見詰めて言葉を掛けた。

「それにしても巳之助、お前が戻ってから一刻(いっとき)も、私と話せる時がありませんねぇ」

 おうめは少し険しい顔を見せた。

「おっかさん、あと半月後にはゆっくりと話せる時が来ますよ」

「そうかねぇ」

 おうめは冷えたお茶を引き乍ら、力なく言った。

「巳之助、お前が書いてくれた、お前の生まれ素性・・・・・・」

 とおうめは巳之助の顔を見る事なしに、熱いお茶を巳之助の方に押し出し乍ら言った。

「おっかさん、其の事は・・・・」

 巳之助が言葉を止めて、暫し、おうめの顔を見詰めていたが、口を開いた。

与一郎さんや新介、そして弥三郎にも言いましたが、巳之助のおっかさんは、いま眼の前にいなさるお人が巳之助のおっかさんで、他には巳之助のおっかさんは誰一人としていませんよ。これが巳之助の偽らざる心です。

「・・・・・・・・」

 おうめは暫く巳之助を凝視した。少しの間が流れた。

「そう言ってくれてありがとう」

 おうめの眼に喜びの色が流れると、おうめは手の平で鼻を被った。気持ちの昂ぶりを押え切れなかった。少し刻が流れた。おうめは手の平を除かずに言った。

「巳之助、岡部十太夫様の処へ行っていらっしゃい」

おうめの言葉に従って、腰を上げた巳之助の跫音が帳場の方へと遠ざかって行く。

独り残った部屋で、おうめは両手で顔を被って嗚咽を抑えるが、抑える事は出来なかった。

其の嗚咽の中でおうめは呟いた。

―安心して下さい。巳之助は立派な大人になりましたよー

 おうめはあの夕焼けの中で見た二人に、巳之助の清楚(せいそ)の姿が届く様にと思った。


七月も過ぎ、秋に入っている。

だが、空の至る処でもくもくと入道雲が湧き上がっている。

其の雲の切れ間から、先月と代わり映えがしない陽が街道を照り付けていた。

街道の東から、日傘に小箱を抱えた商家の若ごりょんさんと思える人が近付いて来ている。陽は真上近くから、少し西に傾き掛けた頃である。日傘を畳んで足を止めたのは播磨屋の太鼓暖簾の傍であった。

「まぁ、おふじさん、この暑い中をようこそお出で下さいました」

 冷えた手巾と冷たい砂糖水を勧め乍ら、おうめが言った。

播磨屋の奥の座敷に通されたのは、本町で生蝋問屋を営んでいる萬屋の娘おふじであった。おふじは一昨年の春先に博多の油問屋へ嫁入りをしていた。

額から頸筋に冷えた手巾を当てたおふじは、おうめに声を掛けた。

「今日は、巳之助さんはお留守ですか」

 おうめの緩く振っていた団扇の手が止まった。

「あら、おふじさん、巳之助から聞いてはいなかったの」

「えっ、何をですか・・・・・」

 先月の末日に、梅塾で学んだ者が播磨屋に集って、塾を巣立ってからの話に花を咲かせていた。この席に、おふじも来ていたので、おうめは訝った。

「おふじさん、巳之助はねぇ、二日から長崎に行ったのよ」

「えっ、長崎へ、そうだったのですか。巳之助さんは何もおっしゃらなかったので・・・・・」

「そぅー、それは、おふじさんには悪かったわねぇ」

「いえ、それはいいのですが・・・・・」

「何か巳之助に・・・・・」

「いや、巳之助さんが山東京伝さんの話をしていらしゃたので・・・・」

「山東京伝さんのお話・・・・」

 このおうめの問いにおふじは、山東京伝さんが書かれた絵草紙等の話を伺いたいと思って巳之助を尋ねたと言う。

このおふじにおうめが言った事は、肥前長崎の出島で通詞(つうじ)をなされている方が、阿蘭陀人(おらんだじん)から学んだ医学を西山郷と言う処で教えていなさるから、その人から南蛮生薬の調合や処方を学びたいと言って、巳之助は七月から年を越して一月の末日近くまで長崎に行ったので、おふじさんが聞きたい事が出来ずに申し訳ないと、詫びを言った後に話を続けた。

「おふじさん、巳之助が戻りますと、早速おふじさんの処へ繋ぎを付けさせて頂きますよ」

 おうめは申し訳なさそうに、おふじに伝えた。


 時節は既に春になっていたが、この年は何時もの年に比べて、冬の寒さが未だ尾を引いている。北からの風が日に寄っては雪を運んで来ていた。城下の南に連なる背振山系の山巓は真っ白い雪に覆われている。城下は、今日も博多湾から吹き付けて来る風に乗って、粉雪が舞っていた。街道では疎らの人が肩を窄めて急ぎ足で通り過ぎている先で、一匹の犬が街道を横切っていた。

一月の二十二日、長崎街道の山家(やまや)宿(しゅく)手前(てまえ)にある追分から、左に折れて日田街道を博多に向かって巳之助は歩いている。北からの風を受けて、巳之助は右手で菅笠の(つば)を押さえ乍ら、前屈みで歩を無性に進めていた。どうにか夕刻までには城下に辿り着くだろう。


巳之助が長崎から戻ってからもう五日が過ぎている。この日の夕餉後は巳之助の話で賑わっていた。

田代から江戸の話、そして今度の長崎の話を巳之助が饒舌(じょうぜつ)に話している。この巳之助の話に宗茂とおうめは笑みを浮かべて、何度も頷いていた。

今夜も外は冷え込んでいた。

巳之助は最初の奉公先、田代の事を口に乗せた。

配置売薬の行商で、田代の朝鮮名方奇応丸がこの福岡の城下で売り捌かれているのは、おとっつあんも知っていなさるでしょう。この田代の他にも、近江の日野商人までがこの福岡の城下で如神丸を売っている。これらの事を、筑前の薬種問屋が指を咥えて見ておく手はないでしょう。この播磨屋から配置売薬行商を行う事で、播磨屋の商い処を増して行こうと思っている。と手焙りに当てていた手を、膝の上に置いて巳之助が言った。

「商い処を増やす」

 と宗茂は言って、おうめを一瞥(いちべつ)した。

巳之助が江戸から戻った時に、播磨屋で梅塾を出た連中と席を持った事がある。その席で話が出た事は、百姓の次男や三男などは仕事がなく困っている事を巳之助は耳にしていた。

福岡藩の領地は福岡城下と博多の町を除いた十六の郡が五郡奉行配下に置かれている。巳之助はこの十六の郡に配置売薬を売り込みたいと思っていた。その売込みには梅塾出の百姓の次男や三男などを、配置売り子人として雇い入れたい。と巳之助の考えを言った。

「配置売り子人・・・・・」

宗茂は、聞き覚えのない言葉を口に出して問うた。宗茂の傍で聞いているおうめも、訝った顔で巳之助を見た。

訝っている宗茂とおうめに巳之助が続けた話は、雇い入れた者に十六の郡を盆に伺う処と、暮れに伺う処とを分けて、一年毎に配置薬を持って行かせると、使われた薬の御代と不足した薬を入れさせて貰う役目をさせる。

盆と暮れ以外は、新たなお得意様を探す事や、既にお得意様になっている処を回っておけば、これ以上他国の配置売薬で筑前の国が染まらないだろう。と巳之助は田代宿で学んだ事を先へ進めたい考えを述べた。 

この田代宿の話の後には、江戸で学んだ事を宗茂とおうめに聞かせた。山東京伝の教えである引札とか、薬袋に絵を描く事は宗茂宛てに出した文に、其の事は書き述べていたが、此の事を如何にするかを巳之助が語り出した。

この話も、梅塾の連中が集まった時に、代呂物問屋松屋の得平が、名を藤助と改めて席に出ていた。その藤助は、梅塾に居る時から絵を上手に(えが)いていたから、藤助に今でも絵を(えが)いているのかと巳之助が尋ねたら、藩の絵師で衣笠道仁と言う人に仕えていると言った。巳之助はこの藤助を使って、引札とか薬袋に絵を描きたいと言い出した。

「聞いたかおうめ、薬屋が引札を使う話、況してその引札や袋に絵を描こうと言う話」

 此の事で宗茂は、おうめの考えがどうかと尋ねて来た。

この宗茂の問におうめが言うには、薬を求めに来なさるお人は何処かに苦しさがあるから、この播磨屋まで来なさるのでしょう。その人達が絵を見て少しでもその苦しさから遠ざかる事が出来れば、それは播磨屋の商いの繁昌(はんじょう)(もと)でしょうと応えた。

「繁昌か・・・・巳之助、おっかさんがそう言われるから、これもお前に任せた」

宗茂は上機嫌であった。巳之助が田代で、江戸で、この様な事を色々学んで来てくれた事が嬉しくてたまらなかった。その上機嫌の宗茂とおうめの前に、巳之助が懐から小物を取り出した。

「おっかさん、これは長崎名物の鼈甲(べっこう)細工(ざいく)だけど・・・・」

 腰を浮かした巳之助がおうめの後ろに廻った。取り出した鼈甲の(かんざし)と櫛を、おうめの丸髷(まるまげ)に挿した。

「やっぱり、おっかさんに似合うわ」

 部屋の隅に置いてある鏡台(きょうだい)から、手鏡を巳之助が持ち出しておうめに渡した。

「あら、ほんと、しっとりした色合いで、私にぴったりだわ。ありがとう巳之助」

 おうめは手鏡を右に左に移し乍ら、行灯の仄かな灯に浮かぶ飴色(あめいろ)の櫛に見とれていた。傍の巳之助はおうめが差している櫛をみ乍ら、にこにこと笑っているだけだった。

そこに、茶の入れ替えにおひでが入って来た。

「あっ、おひでさん、丁度いい処に」

 と巳之助が言って、ビードロで作られた南蛮渡来の櫛三つを、小物入れから取り出した。

一つは淡い水色で出来ていた。後の二つは渋い色が混ざり合って、不思議な光沢が行灯の灯に揺れている様に見えた。

人様からの頂き物に此処何十年と遠ざかっていたおひでであったから、おひでは(こと)(さら)に喜んだ。淡い水色の櫛を手に取り、何度も何度も髷に挿す仕草を見せた。

「おひでさん、一寸挿して御覧なさいよ」

 おうめが声を掛けると、おひでは嬉しそうに微笑んで、淡い水色の櫛を髷にそっと挿した。おうめが手鏡を二つ渡すと、おひでが手鏡を重ねて櫛を眺めている。

白い物が眼に付く髷だが、淡い水色が映えて、六十一のおひでが若返った様に見えた。

「おひでや、若こう見えるわ。嫁の貰い手が来るかも知れないよ」

 と宗茂が(はや)()てると、おひでは顔の火照(ほて)りを隠す様にして部屋を出ようとした時、宗茂が言った。

「おひで、外が冷えているから足を温めるから・・・・」

 床入りなさる旦那様が足先を温めなさるのだ。と思ったおひでが応えた。

「はい旦那様、用意をしておきます」

「うん、頼みましたよ」

 おひでが部屋を後にした時、巳之助が最後の奉公先の長崎で学んだ事を話し出した。

巳之助が長崎に赴いた頃の日本は、三つの不治の病が蔓延(はびこ)っていた。

その中の一つが労咳(ろうがい)であった。巳之助は通詞から教わった唐薬種や蘭方生薬を調合して労咳の薬造りを遣りたいと言った。

この巳之助の話に宗茂が頷き乍ら感心の表情を見せている。

すると、巳之助が宗茂と向き合っていた体を、今度はおうめの方に向けた。

「おっかさんが許して下さるなら、他にも遣りたい事があるのだが」

と言って巳之助がおうめを窺った。

「何だね。巳之助」

 おうめが膝を乗り出して応えた。

山東京伝の店で奉公している時に、巳之助が興味を引いた品があった。

其の品を売る為に、京伝が人を引き付ける文言を考え出し、それと絵を描き入れた引札を配ったのが、江戸の女子衆に受けに受けて品が飛ぶように売れていた。

「おっかさん、その品と言うのがねぇ。女子衆の肌の色を白くする薬なのよ」

「肌の色を白くする・・・・・・・」

「そぉ、肌の肌理(きめ)(こま)かにし、(つや)をすべすべする妙薬なの」

「本当かぇ、そんな薬があるのかい・・・・・。私も欲しいわ」

 おうめが宗茂に眼を遣ると、其の宗茂も乗り気の眼差しを見せている。

「それでお前は、その何とか言う薬を播磨屋で売るつもりか」

「いや、おとっつあん、それは人の(ふんどし)で商いをする事でしょう」

「そうだ」

「それは播磨屋の沽券(こけん)(かか)わる事でしょう」

「そらそうだ」

 と宗茂が言った処におひでが、お湯が沸いたので何時でも桶に入れる事が出来ると言って来て、部屋を後にしょうとした時に、おうめがおひでに巳之助の話を聞く様に勧めた。

宗茂が納得する様に巳之助が話し出した事は、箱崎宿の先に香椎宮があるでしょう。あの付近に不老水があると、おとっつあんが教えてくれたでしょう。あの水と、南蛮渡来の生薬とを調合して(しわ)が出来ぬ。()みが出来ぬ。若々しい肌が何時までも保たれる。と言う文言で、博多と城下の女子衆に売りたい。だから、今から、勉強しようと思っている。と巳之助は真剣な眼差しで語った。

「巳之助、遣りなさい。おっかさんは大賛成だよ」

「おとっつあんはどう思います」

 巳之助が顔色を窺って来た。

「巳之助、これは、おとっつあんが許されなくても、このおうめが許します」

 宗茂を見たおうめに、宗茂が()みを携えた顔で僅かに頷いて見せた。

「博多や城下の女子衆がどれだけ喜ぶ事だろうか。ねぇ、おひでさん」

「そうですとも、そうですとも」

 と二人の女子に押されて、宗茂はたじたじであった。

桑原(くわばら)、桑原、しかし、巳之助。お前の話は楽しかったぞ。なぁ、おうめ」

「お前さん、巳之助は播磨屋の立派な跡取り息子になりましたわ」

「そうだ。これで、播磨屋の先も心配いらないぞ」

 宗茂はおうめと巳之助、そしておひでに()みを見せ乍ら三人に言葉を投げた。

「じゃあ、儂は退散するか。おひで桶にお湯を頼むよ」

「はい」

 と言って、おひでが足温め処へ行った。用意が整えられたのか。おひでが足温め処から戻って来た。

先程まで、外は風が出ていたのだろう。雨戸が軋んでいたが今はその音も止み、静けさが辺りを包んでいた。時偶、犬の遠吠えが聞こえるだけだった。夕刻から降り出した粉雪が綿雪に代わったのだろう。夜明け頃には街道が白く覆われているだろう。と思える程の寒さが犇犇(ひしひし)と迫っていた。

「おぉー、寒む 寒む」

足を温めに行く宗茂の声が廊下から聞こえていた。

おうめは宗茂の声の方に眼を向けた。おひでが卓袱台の上を片付け始めた。巳之助は江戸と長崎から持ち帰って来た品を風呂敷に包み直していた。

宗茂が足温め処に行って四半刻(三十分)が過ぎていた。何時もの宗茂ならば、早く足を温めて来るのだが、とおうめに少しの不安が過ぎった。

その時、足温め処から大きな音が聞こえた。先程の不安がおうめの心を締め付けた。

「巳之助、足温め処のおとっつあんを見て来て、大きな音がしたから」

 おうめが慌てて巳之助に声を掛けた。急いで宗茂の処に行く巳之助の跫音がおうめに聞こえていた。足温め処から巳之助の大きな声が聞こえ来た。

「おとっつあん、おとっつあん、しっかりしてくれよ」

 この声に引き摺られる様に、おうめが小走りで足温め処に向かった。

巳之助の頭越しに、宗茂が桶から出した両足を拭きもせずに、濡れた足で仰向(あおむ)けになっているのをおうめが見た。其のおうめの肩先で、おひでの狼狽(うろた)える声がおうめの耳に入った。

だが、おうめは呆然とその場に佇んでいた。おひでがおうめの肩を揺り動かして、おうめがその場が何処だと分かると、おひでに言った。

「藤次郎を呼んで来ておくれ」

 とおうめが言って、繰り返し呼び続けている巳之助の傍に腰を下ろし、宗茂の顔を覗くと、宗茂の顔色が失われつつあった。藤次郎が荒い跫音を立てて足温め処に駆け込んで来た。

「旦那様」

 手代頭の藤次郎が大きな声で叫んだのが、おうめの肩越しに聞こえた。おうめは藤次郎に半身を向けて言った。

「藤次郎すまないが、薬院雁林ノ町の鶴原先生を呼んで来ておくれ」

「へい」

 藤次郎は綿雪が()(しき)る中に、裾を端折って(はだし)で飛び出して行った。此の藤次郎は手代であった小助が手代頭となった時に、名を藤次郎と改めていた。藤次郎と一緒に離れから走って来た丁稚が、藤次郎と同じ様に播磨屋の門口から勢い良く飛び出し、番頭の清次と隠居している伊平の処へ知らせに走った。

四半刻(三十分)もしない内に、番頭の清次と隠居している伊平が(いき)()きし乍ら駆け付けた。

しかし、藤次郎が飛び出して刻は四半刻(三十分)を過ぎたのに、医者は未だに来なかった。

冷たくなる宗茂の体を少しでも暖めようと思って、巳之助は寒々とした足温め処に布団(ふとん)を持ち込んだり、居間に置いていた丸火鉢を持ち出したりして、宗茂の体から熱が逃げない様に尽くしていた。

この刻だから、とおうめは思った。既に夜の四ッ半(午後十一時)近くになっている。

その上、この雪空だからと思い乍ら呟いた。

―何と言う事だー

 おうめの胸に悔しさが込み上げて来た。亡くなったおよつに縋った。

門口で物音がした。裾を絡み上げたおひでが、大きな声を上げ乍ら足温め処に入って来た。

「先生が来られましたよ」

 医者が宗茂の眼の開きを見る。脈を取る。心の臓に耳を近付けた。四半刻(三十分)ほど手当てを施したが宗茂の(ひとみ)が開く事はなかった。医者の鶴原が首を静かに左右に振った。

その医者の様子を見ていたおうめは、悲しみがどっと持ち上がる事はなかった。

先程まで笑みを見せていた宗茂が、眠っている様に思えた。おうめは宗茂に声を掛けて見たいと思ったが躊躇(ためら)った。

宗茂と鶴原は仕事の事でよく往き来をしていた仲であったから、この夜分にも駆け付けてくれて手を施してくれたが、宗茂は戻っては来なかった。

―これも、宗茂の運命(さだめ)か・・・・・

 とおうめが思った時に、おうめの体から全ての力が抜け出して、おうめの眼の前が真っ暗になって、おうめはのめり込む様に体がぐらりと倒れた。気が付くと誰かの腕の中で、おうめの体が受け止められている。二十一年前におうめの腕の中で抱き締めた久吉が、巳之助となっておうめを抱き留めていた。

「おっかさん・・・・」

 おうめは自分を呼ぶ声で(まぶた)を薄っすらと開いた。

播磨屋の葬儀は滞りなく終わろうとしている。

おうめは宗茂の位牌に眼を据えていた。

―お前さん、お前さんが居なくなって淋しいですよー

 おうめは一筋の糸を頬に流し乍ら呟いた。

―お前さんが、あの子を播磨屋に入れて頂いたお陰で・・・・・

と思った時に、後ろから声が掛かった。

「おっかさん」

 巳之助の声だった。

「おっかさん、葬儀に来てくれた方々がお帰りになる頃ですよ」

「そうかい、ありがとう。直ぐに行きますよ」

 と巳之助に応えた。


南側の障子を通して、鈍い陽が畳を温めているのにおうめは引かれた。

宗茂が急に逝ってしまってから、おうめは部屋の障子も開ける事なく、葬儀から一ッ月近く部屋に閉じ篭っていたが、今日、畳に落ちている陽を暫く見詰めていたおうめが、腰を浮かして障子を緩く開いた。二月にしては珍しい青空がおうめの眼に入って来た。余りの青さに、おうめは眼を細めて庭の樹木に眼を移した。樹木の先は隣のお武家屋敷との境を示す築地塀があり、其の塀越しに白木蓮が青空の中に浮かんでいるのが見えた。

真っ青に晴れ渡った空に幾つも白い花が咲き乱れている。おうめは白い花に心を吸い込まれる様な思いで暫し見蕩(みと)れていると、花が一つの塊になって、青空の中で宗茂が微笑んでいる様に見えた。おうめがその幻影に声を掛け様とした時、襖の陰に人の気配を感じた。

「ごりょんさん、西町浜の『ちくし』の方がお見えになっていられますが」

 と番頭清次の声がした。

「あぁそぅ、番頭さん、奥へご案内しておいておくんなさい」

「へい」

 西町浜の『ちくし』とは、博多の沖で取れた魚を捌いて、粋な料理を出してくれる小料理屋である。

その博多西町浜の『ちくし』に親戚ご一途を集めて、宗茂の喪明けの宴を開く事で、先方の人が打ち合わせに来た事を、清次が伝えに来ていたのであった。

日と刻は、三月の二十一日で、四ッ半(午前十一時)からお願いします。数は先日申しました様に十名ですよ。お料理は喪が明けていますので、精進に捉われなくても良いですよ。『ちくし』さんの腕にお任せいたします。それから昼餉の後は少しお話し合いをいたしますから、お酒はお話が終わった後からにして下さいな。

宴の中味を、おうめはちくしの人に告げた。

「では、その様にお受け賜りました。で、お話とは・・・」

「そうですねぇ、少し込み入っていますので・・・・」

「左様でございますか。では、奥のお部屋をご用意いたしましょう」

「そうして下さいなぁ」

 触れ文を出している事を思い出し乍ら、おうめはちくしの人との遣り取りを終わらせた。


三月に入って桃の節句が過ぎて日和の良い日を迎えていた。

今迄の鬱々(うつうつ)の日々暮らしから抜け出して、此処で気を聢と取り戻さなければとおうめは思って、宗茂の悔やみのお礼におはつの許を久し振りに尋ねて見ようと思い立った。

箪笥の奥に仕舞っていた御納戸(おなんど)縮緬地(ちりめんじ)に、雪中花を裾にあしらった小袖を取り出すと、(みず)浅葱地(あさ ぎ じ)に秋草文様があしらわれた帯に(しご)きを締めると、其の帯を島原結びで結んで白の(ひも)足袋を履いた。久しく羽織った事がない黒の紋付羽織を羽織ると、今日の日和に合わせる様に、おうめは何時もの街道筋から逸れて、下の橋から上の橋までの堀端に続く道に足を向けた。

堀の水も緩んで、きらきらと陽を跳ね返している。黄緑色に生い茂り始めた柳の色が、おうめの眸を染めているかの様だった。

時偶、吹き抜ける緩い風が、おうめの肩先をそっと撫でて行った先で、柳の枝を揺るがせていた。

昼餉後の刻が既に半刻(一時間)程、過ぎていた。お城に向かう何人かのお武家様と、お城から下って来る人に出会う度に、おうめは軽い会釈を交わして通り過ぎている。

堀に沿った道筋には、大身の武家屋敷が続いている。どの屋敷も築地塀に囲まれ、其の塀の中程には腕木門(うでぎもん)があるが、何処の門も締まってひっそりとしていた。

堀の水に眼を落とし乍ら歩いていると、大身の屋敷からの甲高い鳥の声に、おうめは眼を向けた。築地塀の奥に、黄色い小さな花を幾つも付けた枝で鳴いている鳥がいた。

鳥の姿は見えないが、鳴き声から目白だろうと思った。おうめは足を止めてその花を見た。

―あぁ、山茱萸(さんしゅゆ)だー

 と呟いた。

山茱萸の枝に留まっているのだろう。賑やかに(さえず)っている。

おうめは目白の囀りを耳にし乍ら、山茱萸に眼を留めていた。

―あぁ、旦那様と此の道を、何時通ったのかなぁ・・・・・

 と思い起こすと、おうめの胸はしっとりと濡れた様に重かった。

見えぬ目白から眼を外し、堀の輝きに眼を移して歩を進めた。

上の橋の御門口を通り過ぎると、道は堀に沿って右に折れている。おうめは折れずに大名町に足を踏み入れた。そこより左に折れて唐津街道に入って行った。

美濃屋の奥に通されたおうめは、五年前に亡くなったおはつの義父である理右衛門と、三年前に亡くなった義母のおちよの仏壇に手を合わせて、宗茂が亡くなった事を告げると、おはつと旦那様を前にして、生前の宗茂の話に花が咲き(とき)の流れも忘れる程であった。

おはつの話は宗茂が播磨屋の跡取りに、巳之助を決めているのかとの話になった。

おはつは巳之助に乳を飲ませた乳人役であったので、巳之助が播磨屋の跡取りとしてしっかりと決められているのかと尋ねて来た。

此の話に、おうめが応えた事は、おはつさんもご存知の様に、生前、宗茂が巳之助を播磨屋の養子に決め様とした時、巳之助はおとっつあんが隠居なさる時にお眼鏡に適った時は、お受けさせて頂きますと言って、江戸から長崎へと行って帰って来たばかりの時に、あの様になったので、お奉行所へのお届け代えもしてなかったのよ。とおうめは話した。

「そうなの・・・・」

 とおはつは、少し不安そうな表情を見せた。

「それで、今月の二十一日に親戚ご一同が集って、此の事を話すのだけど・・・・・」

 と言ったおうめが(まつげ)(かげ)る顔立ちをおはつに見せた。

「何かあるの・・・・・」

 一瞬、おうめが躊躇(ためら)いの仕草を見せたが、おはつに話し出した。

「いーや、親戚の中で巳之助の味方は誰一人と居ないから、私は心細いの」

「それは心配だねぇ」

 おはつはおうめの心を労わる様に、暫くおうめの眼を見詰めていたが、僅かに微笑を見せると、腰を浮かして庭に面した障子を開けた。

そこでは、心地よい風に雪柳が騒騒(さわさわ)と揺れていた。

「おうめさん、血筋でなかろうと巳之助さんは歴とした播磨屋の跡取り息子ですよ」

「そうですねぇ。私も、そうと思っているのですが・・・・・・・」

 浮かぬおうめの顔を見たおはつが言うには、宗茂さんも巳之助さんが播磨屋の跡取り息子と思って逝きなさったと思いますよ。おうめさんに後の事をしっかり頼んでいなさると思いますよ。おうめさんには宗茂さんが付いていなさるから。しっかりおしよ。とおはつが風に揺れる雪柳を背にして話してくれた。

街道を戻るおうめの足取りは聢としていた。

おはつの話で心を癒され、心に元気を与えられた。

―お前さん、此のおうめを助けておくんなさいよ・・・・

 おうめは播磨屋の敷居を跨ぐ時にそう思った。

中からおうめを迎える番頭清次の明るい声が聞こえた。


 朝から冷たい小糠雨(こぬかあめ)が降っている。時節はもう三月の雛祭りを過ぎたと言うのに、肌寒さを感じさせていた。

どんよりと曇った空を、庇越(ひさしご)しにおうめはゆっくりと見上げた。

此の日の親戚一同の集まりを、おうめは余り気が進まなかった。

だが、此処での話を乗り切らなければ、播磨屋のごりょんとしての立場はなかった。

もう一度、空を見上げたおうめが深い息を吐き出すと、箪笥から小袖を取り出して見繕いを始めた。梅鼠色の木綿地に細い縞をあしらった小袖に、団十郎茶色に縞が掛かった帯を締めると、その上に木綿の雨合羽を覆った。今日の集まりに気が乗らない為ではなく。また日和の為でもなく。

おうめは質素に身拵(みごしら)いをしていた。

番頭の清次と共に播磨屋の門口から街道に足を伸ばした。

雨に烟った街道の先では何人かの人影が僅かに見えている。半歩遅れて歩を進める清次におうめが少し小首を捻った。

「清次、今日はよろしくお願しますね」

 と言って、街道に眼を向けると、蛇の目傘の端から落ちる雨滴の先を、緩い風に流された小粒の雨が幕となって右から左へと流れて行った。

ちくしの奥座敷には未だ数人しか集ってなかった。宗茂の不幸を、おうめに慰めの言葉を二言、三言話し掛けて来た人達は、定められた席に着くと眼は定まらずに口を閉ざしていた。座に気まずさが流れている。

此の日の席には、博多店屋町の薬種問屋に嫁いだ宗茂の姉おゆりを始め、宗茂の弟で秋月城下の薬種問屋に養子に入った卯左衛門、そして博多土居町下の代呂物問屋に嫁いだ宗茂の妹のおりつ。それに博多古渓町(こけいまち)の塩問屋に養子に入った三男の喜三郎達の兄弟。

そしておよつの弟で、博多対馬(つま)小路(しょうじ)にある廻船問屋を隠居している太次郎。

宗茂の父の弟で、博多大乗(だいじょう)寺町(じまち)で博多織受売をしていたが、既に隠居されてある重右衛門、それに博多の鰯町下で相物問屋を営んで居る重右衛門の妹にあたるおつぎ。

末尾の席にはおうめの兄である徳兵衛と、おうめに番頭の清次を入れて十人が座っていた。


 席は埋まった。外は相変らずの小糠雨が緩い風に押されて薄い幕となって流れている。

宗茂の喪が明けた事をおうめが鄭重に一座の者に告げた。

宗茂が急な病で他界した為、播磨屋としては後の事を一切決めていないので、この席で、親戚ご一同様の御賛同を得て、巳之助を播磨屋の六代目にして頂きたい。とおうめが座の一同に流した。

座の者はおうめの口上は承知であるが、誰からも承諾の口火は切られず。座は静まり返っていた。此の静けさを破って、秋月城下の薬種問屋に養子に入った卯左衛門が、皆の顔を見渡し乍ら言った。

おうめさんが言いなさった巳之助は、二十年程前に播磨屋の門口に捨てられた捨て子でしょう。此の様な素性の分からない者を六代目に決めて欲しいと言いなさるが、其れは・・・と言って卯左衛門は話を止めた。

おうめは卯左衛門に向けた眼を、座の一同に配って卯左衛門の問いに応えた。

確かに、巳之助は捨て子です。しかし、巳之助が十五になった時、主人宗茂やおよつと話し合って巳之助を播磨屋の養子にする話を巳之助に伝えた処、いまは、此の巳之助の器量が播磨屋に適しているかどうか分からないと思います。だから、播磨屋の養子にするかの話は奉公が終わった巳之助を見て貰って、宗茂が隠居する時に決めて下さい。と言って身を引きました。此の巳之助の話を聞いた宗茂が、巳之助の言う通りにしょうと言う事で、お奉行所へのお届け物は巳之助を拾った時のままで、里親の申し出があるまで播磨屋で養育すると言うお届け物です。

だから、此処で親戚ご一同様のご賛同を得て、御届け物の書き換えをさせて頂こうと思っています。

此のおうめの話を聞いた卯左衛門は心の奥に笑みを隠して、おうめに畳み掛けて来た。

「いや、何があろうと、あの巳之助を播磨屋の六代目・・・・・」

と卯左衛門は言って言葉を切った。

卯左衛門の考えが何処にあるのかと思って、おうめは頭を巡らしたが分からず。口を閉ざしていたら、卯左衛門がおうめの顔を窺う様にして言葉を繋いで来た。

その卯左衛門の話は、御届け物に書いてある様に里親の申し出があれば、其処に里子として出す。二十の歳を超した者を世間様が里子として貰い受けると言う話は金輪際(こんりんざい)聞いた事はない。況して、素性の分からない者を、何処かの商家が里子として迎え入れる事がありましょうか。そんな事はない。

つまり、巳之助は播磨屋から追い出すか。播磨屋の奉公人として使うしかないのです。

此の卯左衛門の話で、おうめの頭から血の気が引いて行くのがおうめには分かった。

血の気に代わって心の臓の音が、胸を張り裂けさせるほどおうめを被っていた。

だが、どうする事も出来ずに唇を噛み締めた。一座の者にはおうめの苦衷(くちゅう)を伺い知る事は出来なかった。

おうめが一座に眼を向けて、きっぱりと言った。

「巳之助を播磨屋の養子に迎え入れます」

 此のおうめの話で、静寂さが深刻さに代わった。

誰も口を入れず、雨が風に流されている音だけが僅かに聞こえている。

座は未だ静寂の中にあった。この静かさに苛立ちを覚えておうめが口を開いた。

「それは・・・・」

 と言葉を切った。

「おうめさん、何か・・・・・」

 と宗茂の姉のおゆりが、優しくおうめに語り掛けた。

おうめがおゆりの方に眼差しを向けると、おゆりはおうめに促す様な眼を向けた。

「私の情で、巳之助を買い被る訳ではありませんが・・・・」

 とおうめが語り始めると、黙って俯いていた人達がおうめに釘付けになった。その人達の顔を一巡すると、おうめが止めた言葉の後を繋いだ。

巳之助が田代宿へ奉公に出て、その後、江戸から長崎へと奉公を終えて播磨屋に戻って来た時、旦那様や私に奉公先の話を聞かせてくれました。その話を聞いた私達は、巳之助を必ずや播磨屋の跡取り養子にするべきだと思いました。

 此のおうめの話に、卯左衛門が怪訝な表情を見せ乍らおうめに問うて来た。

「何があって、巳之助を養子に迎える積りですかねぇ」

 卯左衛門の問い質しに、おうめは末座に座っている清次を見た。

「番頭さん、巳之助が奉公先から戻って来た時の話を番頭さんも聞きましたか」

 番頭の清次からこの話をさせ様と思って、おうめは清次に投げ掛けた。指された清次は一座の者を憚って口が開かなかった。

「番頭さん、話してくれんね」

 とおゆりが声を掛けた。

清次がこの座に来る時に、おうめから投げ掛けられた言葉は此の事だったのかと思い乍ら話した事は、旦那様がお亡くなりになられた当日の話は清次は聴いていませんが、お亡くなりになられる二日前だったと思いますが、旦那様から呼ばれまして、巳之助が番頭に話したい話があると言っているので聞いて置く様に言われて、巳之助さんから話を聞かせて貰ったら、びっくりする様な話でした。と清次は一同の人に巳之助の話を披露した。

清次の話が終わるや否や、卯左衛門が声を荒立て乍ら言った事は、番頭さんは巳之助が話した事にびっくりしたと言いなさったが、あんたの父親もあんたも永く播磨屋にお世話になっていなさるから分かると思いますが、播磨屋がどんな店か知っていなさるのかねぇ。

卯左衛門が清次に向かって言った事は、卯左衛門に取って不利な風向きになって来たので、巳之助とは拘わりのない話で、不利な風向きを変えようとの魂胆が見えていた。

「へい、それは十分存じています」

 清次は萎縮(いしゅく)して、末座で俯いてしまった。それに勝ち誇ったかの様に卯左衛門は朗々とした声で、播磨屋は黒田孝高公が播磨の地に居られた時から使えて来た。歴とした武家の出である。しかし、ご先祖様に考えがあって商人になられたが、この播磨屋は血筋の通った家です。そこに、びっくりする様な事を言った人物を播磨屋に迎い入れようとしているが、素性の知れない者を跡取りに入れる事には私は承服出来ませんな。と卯左衛門はおうめを(あなど)った様な眼差しで言った。

座の様子が代わった。おうめが言い出した話や、清次の話から巳之助へ皆が感心を持ち出していたのが、卯左衛門の話でひっくり返った。

昔日の面影に、おうめの心は覆われていた。

―何と可愛い赤子だろうか・・・・・・

 あの寒空の中で泣いていたややを、おうめが抱いた時の様子が鮮明に甦っていた。

おうめの思いで、名を久吉と名付けて、この子の幸せの為には学を身に付けさせなければと思って学舎を建て、そこで読み書き算術を覚えさせたのも、あの小さな手に幸せを掴み取る手立てとして遣らせた。

それを大きく膨らませる為に、田代で、江戸で、長崎で、学ばせた事が日の目を見ようとしている矢先に、こんな話が座に出るなんて、おうめは悔しさを滲ませていた。

―あぁ、血筋には勝てないのか・・・・・・

 と思って、落ちそうになった涙を止める為におうめは天井を仰いだ。

騒ついていた座がまた静寂の中に引きずり込まれていた。

その静けさを破って、声が座に流れた。

その声は、卯左衛門の様に朗々とした声でなく。年老いた声であったが、何処かに力強さを秘めていた。

卯左衛門、確かに播磨屋はお前が言う様に血筋を引いた家柄であります。

お前が申した様に、播磨屋のご先祖様が仕えた黒田家も、黒田孝高公以来血筋を繋いで来られましたが、無念にも六代目のお殿様、継高公の時に血筋が途絶えたと聞いています。

しかし、家を繋げなければ、断絶の憂き目を見る事になります。そうなると、多くの家臣の方の行く末が心配されます。血筋の考えを捨てて、家を育ててくれる立派なお人を選ばなければならないでしょう。

商いの店においても同じ事です。商いの店にも奉公人の行く末もありましょう。またその店を頼りにしていなさる多くのお客様を見捨てる事は出来ないでしょう。その為には立派な人が播磨屋に入って頂く事は、亡くなった宗茂もおっかさんも望んでいられる事と思います。そう思いませんか。卯左衛門。

言葉は優しかったが、弟の卯左衛門を鋭い眼で見詰めて、おゆりは言った。

このおゆりが言った黒田家の血筋の話は、おうめが岡部十太夫から伺って、その話を何時だったかおよつに話した事を思い出していた。およつが娘のおゆりに聞かせていたのだ。

このおゆりの話に、年老いた叔父に叔母達は深く頷いていた。

おうめの兄徳兵衛も、事の成り行きを黙って聞いていたが、事が此処まで来た事で安堵の頷きを見せた。

だが、卯左衛門の顔色は、おゆりが此処まで言っても納得しがたい表情を見せていた。

卯左衛門の心の内は、惣領息子の二番目の子を播磨屋の養子に出したい思いがあった。

卯左衛門がこの思いを座に出した。

おゆりは(あき)()てた表情を(あらわ)に出して、卯右衛門に言った。

「その子は、あんたの孫でしょう。歳は幾つになるとね」

「二歳になった・・・・・」

「何です。二歳の子に播磨屋の商いを遣らせ様と思っているの」

 おゆりと弟卯左衛門との遣り取りを、座の者は半ば興醒(きょうざ)めの様子で聞いていた。

悔しさがおうめの胸を被って来た。この座から駆け抜けたい気持ちが一気に湧き上がった。何とか辛うじて押さえていた。

「姉さん聞いてよ・・・・・」

 と卯左衛門は、呆れ顔のおゆりを掴まえて一気に(まく)()て様との思いで、少しの間を置いて話し出した事は、その子が、二十歳になるまで当方で育て上げますので、それまでは、巳之助は播磨屋の奉公人として切り盛りして貰い。うちの子が二十歳になると播磨屋に入り、巳之助から商いのいろは受け渡して貰う。その時、巳之助は播磨屋の番頭になって貰う。おうめさんが心配していなさる巳之助の食い扶持は生涯心配させない様にします。

と卯左衛門は言った。

そう言った卯左衛門に眼を据えて、此の卯左衛門は我が孫を以って播磨屋を操りたいと思っていたのか。とおうめが思うと、悔しさがおうめの胸を被い尽くして来た。

巳之助が久吉と呼ばれている頃に、この子に幸せを与える先には険しさが待ち受けているだろう。決して、其の険しさに挫けはしないとおうめは心に誓って今日まで遣って来た。

此の卯左衛門の話が険しさの最後か。とおうめは思った。

此処で卯左衛門の考えに自分が引き下がってしまえば、何の為に巳之助を此処まで育てて来たのか。とおうめの心は迷路に入る様な思いだった。

この迷路から抜け出すには、この場の親戚ご一同様から、巳之助が幸せになれる手形の切れ端でも戴けるなら、此のおうめの命を投げ出しても何の文句もありゃしないと思って、おうめは座の一同に眼を配った。

しかし、おうめと眼を合わす人は誰一人としてなく。皆俯いていた。

その時、卯左衛門が孫の話を再び座に語り出した。其の卯左衛門の話を止める鋭い声が座に流れた。

「卯左衛門、黙らっしゃい」

 俯いていた一同の眼が、言葉を発したおゆりの許に集った。

この言葉で、少し身を引いた卯左衛門に、おゆりは眼を定めて言葉を続けた。おゆりが(ゆっくり)した口調で、また優しさを帯びた口調で話し出した。

卯左衛門、先程、私が話した事を、お前は分かってくれていないのか。私が言った事は、おっかさんが私に言って聞かせてくれた事ばい・・・・・・。

おっかさんは、自分が死んだ後で播磨屋で揉める様な事があった時は、お前が私の代わりとなって言ってくれ、と言いなさった事を、此処でもう一度話すばい。

おうめさんが播磨屋に嫁いで来て、ややを産めない負い目がありなさったから、おうめさんが久吉を宗茂との間でお腹を痛めて出来た子の様にしなさって、播磨屋の跡取り息子にさせ様とおうめさんが仕組んでいなさるとお前は見ている。

だから、血筋から言って卯左衛門の孫を播磨屋に送るべきだと言う思いがお前にはある。其れは違う。

此処まで言うと、おゆりは言葉を切って、辺りを見渡し一呼吸の間を置いた。

そして、小さな声が座に続いた。

確かに、おうめさんはややを産む事が出来なかった。

其れはおうめさんの所為(しょい)ではなかとよ・・・・・。

それはおっかさんの所為と思うばい。宗茂が未だ()()いしている頃、おっかさんが一寸眼を放した隙に、宗茂が上がり框から誤って三和土に落ちて、(したた)かに腰を打った事があった。此の三和土へ落ちた時に打った事が(もと)で、ややを(もう)ける事が出来ない宗茂になっていたのではなかろうか。と思っておっかさんが宗茂に謝りなさった。

丁度その頃、おうめさんが先代の旦那様に、ややを見せる事が出来ないので、宗茂に三下半の離縁状を書いてくれと言いなさった。

その時、おっかさんは、何時かは屹度(きっと)おうめさんの腕に抱く事がありますよ。

その事を、このおよつが冥途の土産として旦那様の処へ持って行きますからと言って、三下半はおっかさんが許さないと、おうめさんに言った事がある・・・・・・。

その後に、赤子が播磨屋の門口に置かれた。此の事は、おっかさんも宗茂も可愛さ一途で養育していなさったが、おうめさんの久吉に与える情の施し方を見ている内に、おっかさんと宗茂は人様の子でもあの様に濃ゆい情を与えると、子も本当の親の様に懐いて来る物だと思いなさって、自分達もおうめさんの様な心を持って養育すべきだと思いなさったのが、久吉が六歳になって里親の申し入れが切れた頃で、其れからのおっかさんと宗茂はおうめさんと同じ心で久吉を養育なさって、久吉の十四の歳におっかさんも宗茂も久吉を播磨屋の跡取り息子にする事をしっかりと心に決めなさった。すると、十五の元服の時に巳之助が言った話が、おっかさんや宗茂の心を揺るぎ無い物とした。とおっかさんから聞かされた。此の久吉は宗茂とおうめさんの間に出来たややだから、この子が大きくなった暁には、この子を必ず播磨屋の跡取りにする事だよ。此の事が出来なければ、おっかさんは死んでも死に切れんばい・・・・・・・。

お前に呉々も頼んで行くから、とおっかさんは私に何度も巳之助の事を言いなさった。

話を終えたおゆりは、肩の荷を降ろした様な表情を一同に見せると、腰を浮かして庭との境になっている障子を少し開けた。席に戻ると、おゆりは卯左衛門に厳しい眼を向けて、おうめには微笑を見せていた。

朝から降り続いていた小糠雨は既に止んでいた。雨上がりのひんやりした気が、おゆりが開けた障子の間から座を被い始めていた。

おうめは思いも掛けなかった話をおゆりから聞かされた。今まで、おうめの体に不都合があって赤子を儲ける事が出来ないと思っていた事を・・・・・・・・・、

おうめはずっと思い悩んで来た。其の事を今日の雨が洗い流してくれる様な思いに浸かって、おうめがおゆりと眼を合わせると、おゆりが静かに頷きを返した。そしておうめはおゆりが開けた障子の先に眼を遣った。垣根代わりの土手に小さな黄色の花が、(すだれ)の様に垂れ下がっているのが眼に留まった。

―あっ、黄梅だわぁー

 と胸で呟いた。黄色の小さな花は、雨上がりの薄日を受けて、僅かに輝いているのが障子の隙間越しに見る。

この小さな花におうめは心を癒されていた。その心を座に戻して卯左衛門に眼を向けると、卯左衛門は暫し俯いていた顔を緩と上げると、姉のおゆりを見た。

すると、卯左衛門は素早い仕草で身を横にずらして、敷いていた座布団を卯左衛門の背に廻した。頭を深く垂れて、はっきりとした口調で話し出した。

「姉さん、私が悪うございました」

 と言って言葉を詰まらせた。詰まらせた後に、卯左衛門が嗚咽交じりに言った事は、卯左衛門はおっかさんの心も読み取れず。卯左衛門の邪悪な考えを押し付け、おうめさんの心にどれ程の重荷を背負(しょ)()ませたか。詫びても詫び切れない思いです。おうめさんどうか堪忍して下さい。

卯左衛門は額を畳に擦り付けておうめに謝った。卯左衛門がこの様な仕草をおうめに見せた時に、おうめの(まぶた)におよつと宗茂の姿が浮かんだ。

およつはおよつの過ちをおうめに擦り替える事もなく、宗茂も苛立つ心をおうめに見せる事もなかった。およつも宗茂もこのおうめを労ってくれた。この二人の心に寄り添うには卯左衛門を許すべきだと思って、言葉を放った。

「卯左衛門さん、どうか、お手を・・・お上げなすっておくんなさい。お願い致しますよ」

 おうめの声は震えていた。それでも卯左衛門の額は畳から離れなかった。

おゆりがおうめの言葉を耳にして、卯左衛門に声を掛けた。

「卯左衛門や、もう良い。手を上げなさい。おうめさんも許していなさる事だから」

 おゆりの声は優しかった。卯左衛門はこの声に促されて、やっと畳に付けていた額を緩と離した。卯左衛門の眼は涙に濡れて薄赤い色を見せていた。

卯左衛門は懐から手巾を取り出すと、眼を押さえ乍ら一同に何度となく頭を垂れた。

長老の叔父から声が掛かった。

「よかった。よかった。おゆりさんありがとうよ・・・」

 とその長老は言って、おゆりに()みを返した。

「番頭さん、すいませんが、そこの障子を開けて下さらんかねぇ」

 とおゆりが言葉を掛けた。

「へい」

 清次が歯切れの良い返事をして障子を広く開いた。今朝方からの小糠雨は何処へ行ったのだろうか。雨上がりの陽に照らされた黄梅が、眩しい程の黄金色を皆の眼に写していた。

「まぁー、綺麗だこと」

 叔母の声が座に流れた。皆がその声に促されて、腰を浮かし障子脇に歩を進めた。おうめも皆の後から歩を進めると、背後(はいご)から声が掛かった。

「おうめさん、弟を許して下さいな・・・・」

 その一言を言って、おゆりも人の()(うし)ろから黄梅に眼を細めた。


 ちくしでの親族の寄り集りは、お目出度で終わった。

おうめと清次は泥濘の街道に足元を気にし乍ら、播磨屋への道を辿っている。

道筋でのおうめの顔は()えなかった。お目出度で終わったのだから、心浮き浮きの様子が表情に表れても良さそうな物だが、四十七の歳を迎えたおうめの顔には、憂いの影が何処となく浮かんでいた。

今日の話を巳之助が快く引き受けてくれたとしても、巳之助は未だ二十一歳の若者である。果たして播磨屋の暖簾を守り続けてくれようか。

確かに、宗茂が亡くなる晩に巳之助から聞かされた。田代宿や江戸、そして長崎で学んだ新しい考え方で播磨屋を切り回してくれるだろうが、巳之助は未だ若いし所帯も持たせていない。世間様が巳之助を受け入れて下さるだろうか。と心の曇りを気にし乍らの足運びであった。泥濘に片足が浸かる度におうめは立ち止まった。

半歩遅れの清次も立ち止まった。

おうめは小首を捻って、清次に眼を遣った。清次の眼とおうめの眼が合った。

そうだ、この番頭さんに巳之助を預けよう。今年で清次は四十三歳を迎えていた。

清次に何時の日か、巳之助の行く末の話を頼まなければならないだろうと思って、泥濘から片足を上げると共に清次に()みを見せた。

清次が三十二の時、播磨屋の手立てで所帯を持たせると、その時から通いの番頭さんになって、いまは、おきぬと言う女房との間に八歳になる男の子と、おちゑと言う女の子との四人家族と聞いていた事を思い乍ら、おうめは歩を進めた。

清次が六十の歳を迎えるまでには、十七年の歳月がある。その時には巳之助も三十八になって所帯も持っていよう。子供の二、三人も居るだろう。

私はおよつのように長生きは出来ないだろうから、いま心に描いた事を進めなければと思って、西空に眼を向けると夕焼け空に染まりつつあった。

その西空が茜空に染まる中に、およつの顔に似た雲が緩と西から東へ流れていた。

おうめはその雲に願いを込めた。

お母さん、私が六十四になるまで見守って下さいなぁ。と心で念じた時には、雲は東へ緩と遠ざかっていた。

街道が赤く染まるには、未だ少しの刻が掛かるだろう。

街道の先に、野良仕事帰りと思われる若夫婦の背が、おうめの眼に留まった。眼を細めて立ち止まった。

そして、心で、巳之助を此処まで立派に育てましたよ。

私の思いはあなた様と同じですよ・・・・・・・・。

と胸で言って、おうめはその若夫婦の後姿に頷きを、ゆっくりと二度程見せた。

清次が訝った顔で、おうめの横顔を見た。

もう少しで播磨屋の門口に帰りつく処で、おうめはこれでいいだろうと心に決めた。

確かに播磨屋の商いは巳之助が清次と組んで広げてくれるだろうが、播磨屋の暖簾を受け渡してくれるには、巳之助に嫁をと思った時、足は播磨屋の敷居を跨ごうとしていた。

その時、裏庭から昼の学びを終えた梅塾の子供達の声の中でも、女子の声が、この日はおうめの耳に軽やかに聞こえていた。                   

(完)





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