三、学ぶ処の建設へ・・・・
冬の緩やかな陽がおうめと久吉、そしておよつを包んでいる。
昨年の師走と同じ様に、おうめは永倉筋で久吉の手を引いている。昨年と違うと言えば、久吉の一方の手をおよつが引いていた。
時偶、久吉がおうめの顔を見上げると、今度はおよつの顔を見上げて何かを言ったと思ったら、おうめとおよつの手を解き放して小走りに走り出した。すると途中で立ち止まって、笑い乍ら二人を待っていた。陽は真上から西へ緩と傾き掛けている昼八ッ(午後二時)を過ぎた頃と思える。永倉の上の倉では昨年と同じ様にお奉行様に供の者が使えて、積み上げられた俵から米粒を取り出しては、お奉行様の手の平に移すと、お奉行様が米粒を空に舞い上げる仕草や、地上に溢す時に供の者が急いで器を差し出す仕草が、久吉に取っては楽しくて堪らないのであろう。永倉の通り沿いにある馬を引いて来た人の休み処の石段に久吉が立って中の様子を見ている。透塀に顔を擦り寄せて中の様子を一時も眼を離さず見ている。時に目を離すと、おうめとおよつに笑顔を見せて、また透塀に釘付けになった。
おうめが久吉の背をみ乍ら、塀の中から聞こえて来るお奉行様とお百姓さん達との遣り取りを何となく聞いている内に、おうめの心に芽生えている事を、およつに話したいと言う思いに駆られていた。
「お母さん」
およつは久吉に向けていた眼を、おうめに向けると、おうめの先の言葉を待った。
「わたし、久吉達の様な幼子が学ぶ処を造りたいのですが」
「学び処・・・」
と言って、およつは怪訝な眼差しをおうめに向けた。
「えぇ、学び処よ・・・・・」
と言葉を止めたおうめは、暫しおよつを見ていたが、止めた言葉の先を喋った。
おうめの話に寄れば、久吉に旦那様が幾分かの金子を渡してくれても、久吉が無造作に使えば一日で使い果たしてしまうでしょう。しかし、久吉に読み書きや算術の他に色んな事を教えておけば、久吉はこの習った事で一生身を立てて行く事が出来るでしょう。
「久吉の他に、何処かの子達にも教える積もりかねぇ」
このおよつの問い掛けに、おうめはおよつに向けていた視線をゆっくりと透塀先に戻した。およつも視線を透塀先へと遣った。透塀先のお武家様をおうめがみ乍ら、城下のお武家様のご子息は、東の修猷館と西の甘棠館に通っていなさるが、商人やお百姓の子供達は何処にも学ぶ処がありませんので・・・・・と話した。
「それじゃ、商人やお百姓の子供達を預かって教えろうと言う事かい」
「えぇ」
「じゃあ、学び処を何処で開く積もりかねぇ」
「お母さんや、旦那様のお許しが出れば、播磨屋の敷地の一郭で」
「へーぇ。そうかい。それは旦那様の許しを請うにしても、教える人達は誰なの」
とおよつは、疑問の事を立て続けに聞き質して来る。
「この前、久吉の回復祝いをしたでしょう」
「・・・・・・・・・」
およつが怪訝な顔付き見せた。おうめが笑みを浮かべた顔でおよつに語り出した事は、
あの回復祝いの時、お奉行所の近藤様から甘棠館の教授をなされている亀井南冥先生がどう言う訳か罷免され、禁足なされている事を聞かされたのです。だから、甘棠館の先生とか修猷館の先生で隠居なされた方に来て頂きたいと思っています。しかし、この様な大それた事をお城でお許しが出るか。近藤様を通してお奉行所に願い出ようと思っているのです。とおうめが言った。
おうめの話を聞いたおよつは、感心した顔をおうめに見せていた。
この時、透塀先の遣り取りが終わったのだろう。久吉が透塀から顔を外して、おうめとおよつの顔を見た。
「おっかぁ、ばあばあー見た・・・」
と久吉は、透塀先の様子を尋ねて来た。
「久吉、婆ちゃんも見たよ。楽しかったねぇ」
と言って、久吉の頭を何度か撫でて腰を浮かした。久吉はおうめとおよつの傍から両手を叩き乍ら、街道に向けて走り出した。
街道に向かって走っている久吉は、病の床を畳んだ七月の半ば頃から、元気さを取り戻し、背丈も人並み以上の育ちを見せている。
駆けている久吉の右半身に、夕陽が照り付けているのをおうめが見詰めていると、久吉の産みの親と思われる人の姿が、夕陽を浴びている久吉と重なって見えた様な気がした。
―久吉に、学びを教える事も幸せの一つ・・・・・・
此のおうめの考えが、あの二人に届けばと思っておうめはおよつの顔をみた。
年が明けて、寛政五年の一月十八日を迎えていた。久吉が五歳になった祝い事が親しい人を集めて播磨屋で行なわれている。
この祝いが行われてから数日後、おうめが先月、永倉に久吉を連れて行った時におよつに話した事を宗茂に話し掛けると、宗茂はおうめの話に釘を刺す事はしなかったが、商人や百姓の子供達が武家の子供達と同じ様に学を修める事にお城が何と言われるか。と宗茂がおうめに応えたのだった。
宗茂が思うこの不安はおうめも持っていた。
しかし、村や浦、そして町を賑やかにするには担い手を育てなければならない。その担い手が先々で自立する時の為に、学を身に付けさせておけば、子供達も親に心配を掛けないで遣って行けるだろう。身に付けた学で担い手が仕事を遣り遂げてくれると村や浦、そして町は賑やかになって来るだろう。苦しいから赤子に手を掛けるとか、捨てる事をすれば先々の担い手を無くしてしまう。
その様な事をすれば、村や浦、そして町に賑やかさは何時になっても遣って来ない。
だから、担い手達が仕事を手に付けるまでの暫くの間を、皆の力で助け合って行けば赤子の首に手を掛ける事もなく。捨てる事もなく。嫌なお触れを村や浦、そして町に出さなくても良い時が来るのでないか。とおうめの考えを宗茂に聞かせた。
このおうめの考えを聞いた宗茂は、如何にしておうめの考えをお奉行様に聞いて頂けるか。と宗茂は思案した。しかし妙案は浮かばなかったが、このおうめの考えを此のまま闇に葬る事はしたくないと思って、おうめの願いが叶えられる様に立ち振る舞ってみる。と宗茂はおうめに約束をした。
すると、傍で聞いていたおよつが、宗茂に問うて来た。
「宗茂、おうめさんが言いなさった薬園の空き地でこと足りるかなぁ」
「おっかさんにもおうめにも未だ話してなかったが・・・・・」
と宗茂は言葉を止めて、およつからおうめに眼を配った。
そして、止めた言葉の先を、播磨屋の商いから言って、いまある薬園は少し手狭になって来たので、程よい処を探していたら鳥飼村に五反の土地がある。そこを手に入れると薬園の全てを其処に移す。するといまの薬園が一反七畝程あるから此処で何とか学舎を造る事が出来るのではないかと言った。
「お前さん・・・」
と言ったおうめは、宗茂の顔を暫し見詰めた。
季節は夏の終わりの六月を迎えていた。博多山笠も既に終わった六月の末日近く、奉行所の近藤が播磨屋を尋ねて来た。
近藤の話に拠ると、先刻、宗茂から願い出ていた学舎を造りたいおうめの話を、明日お奉行の脇坂義兵衛が聞きたいとの伝言を持って来た。
宗茂とおうめは土手ノ町にある脇坂義兵衛の屋敷に伺っていた。裏庭に面している部屋に通された宗茂とおうめは、庭から流れて来る爽やかな風で高まる緊張を癒していたら、部屋の襖が開いて、近藤が宗茂とおうめに笑顔を見せ乍ら部屋に入って来た。そして庭に接している障子を静かに閉めた。近藤は閉めた障子の脇に座わると、先程の静寂がまた部屋に戻って来て宗茂とおうめを包んだ。再び緊張が襲って来る。
上座横の襖が静かに開き、歳の頃五十路前と思われる恰幅良い人に続いて、宗茂も知っている養育方の加茂利平太が部屋に入って来た。五十路前の恰幅良い人は上座に用意されている座布団に静かに座られた。加茂はその人から少し離れた処に座った。
加茂が宗茂とおうめを上座の人に紹介した。
その人は宗茂とおうめを見て、僅かに頷いた。少しの間を置いて口を開かれた。
「奉行の脇坂義兵衛と申す。本日はご足労掛けて相済まぬ。其方が播磨屋宗茂か」
宗茂とおうめが恐縮の様で、先程から畳に手を付いて伏せている口から宗茂が応えた。
「はい、左様でございます」
「うむ、両名とも面をあげい」
この奉行の言葉に従って、二人は静かに頭を上げた。この様子を見た奉行は頷き、宗茂とおうめに次の言葉を掛けた。
「其方夫婦の事は加茂から聞き及んでいるぞ。捨て子を晏如に育てているそうじゃなぁ」
「はっ」
宗茂が応えると、奉行は宗茂からおうめに視線を向けられて言葉を掛けられた。
「処でおうめとやら、学舎の事、聴いていたが今日まで待たせた事、相済まぬ」
「恐れ入ります」
「おうめ、其れでは其方の学舎の話を聞かせて貰おうかな」
おうめは四半刻(三十分)程、熱ぽっく学舎の話を語った。おうめが語った後、奉行は暫く眼を瞑って、おうめの話を甦らせてある様な仕草を見せられると、眼を静かに開かれて、おうめに言葉を掛けられた。
「おうめ、其方の話、この奉行、心に強く感じ入ったぞ」
と言った奉行は、暫しおうめの顔を窺っていられたが、口を開いて言われと事は、お内儀の話、儂もそう思う。子供の内から学を持たせる事は、将来に渡って身を起こす事になり、即ち国の繁栄に手を施す事になる。藩も赤子の養育からその後の手仕事と案じている処じぁ。よくぞお内儀の身で、国の事を考えてくれた礼を言うぞ。と言われ、おうめと宗茂に視線を施されて、ゆっくりと頷きを見せられた。
おうめは火照る体で、深々と奉行に頭を下げている。
この事は、当番家老殿へご報告をするので、いま暫く待つようにと言われた。
土手ノ町のお屋敷から播磨屋に戻ると、心配顔のおよつが帳場で待っていた。
ここ頓に大きくなった久吉が、およつの傍からおうめの処へ走って来た。
「おっかぁ・・・・」
おうめは久吉が上がり框から落ちないかと、慌てて久吉の方へ走り寄った。
「久吉、危ないよ」
と言って、おうめは上がり框の処で久吉を抱き上げた。
「あぁ久吉、重たい。重たい」
と言って、久吉を三和土に降ろした処へ、およつが心配顔で近付いて来た。
「おうめさん、お奉行様はどうだったかい」
「あぁ、お母さん、わたし緊張して何を喋ったか分からないのですよ」
そう言ったおうめの傍から、宗茂が口を入れた。
「おっかさん、おうめはお奉行様の前で聢りと話をしてくれたよ」
「そうかい。それならば、お奉行様も能く能く聞いて下さったのねぇ」
「えぇ、ご機嫌よく聞いて下さいましたよ。後は沙汰を待つのみですよ」
「そうかい。よかったなぁ」
やっとおよつが心配顔を解いて、おうめに笑顔を見せた。
だが、おうめはお奉行様があの様にご機嫌よく話を聞いて下さったが、果して、ご家老様がどの様に思われるのかしら、女子の身で無礼な者だとお叱りを蒙るのではないか。
―あぁー、なんで学舎の事を・・・・―
とおうめは思って、心を湿らかせていた。
おうめが悩みを抱いている間に、秋の季節は遠退き冬の時期を迎えていた。
お城からの沙汰は未だに来ない。
先日、宗茂が話してくれた新薬園の整地が出来ったと言う話が、薬園の管理を任されている久平から宗茂に伝えが来たのが、冬の時期に入った十月の半ば頃であった。
宗茂はお城からの沙汰があろうとなかろうとに拘わらず。播磨屋の商いとしては手狭になっている薬園であったので、新しく取り組む薬園をおよつにおうめ、そして久吉に見せようと思って、街道を西へ十六町半近くをゆるゆると歩いて新薬園に来ていた。
薬園の端にある番小屋から年老いた庭師の久平が、小走りに宗茂達の処へ走り寄って来た。
久平が首に巻いている。薄汚れた手拭を取り乍ら腰を折った。
「これは旦那様、漸く植え付けも終わりました」
「そうかい久平さん、ご苦労さんだったねぇ」
と久平に声を掛けると、およつを番小屋に残し、おうめと久吉それに久平が一緒になって薬園を一廻り歩いて見る事にした時、宗茂が何を思ったのか傍の久吉に眼を落として、
山査子の前にしゃがみ込んで、此の薬草の効果を久吉に丁寧に教え出した。久吉は初めて見る薬草に興味を抱いたのか。
次の処に行く為に宗茂が促しても、久吉はその場から動こうとはしなかった。
その宗茂と久吉の姿を、おうめは心に何やら暖かい物が被って来る様な思いで、二人を見詰めている。
宗茂達が薬園を後にする時、およつが薬園の入口に佇んでいる久平の処へ小走りに行くと、懐から懐紙に包んだ小物を無理矢理に手渡して、宗茂達の処へ戻って来た。
「おっかさん、何をして来たのだ」
と宗茂がおよつに尋ねると、およつは後ろを少し振り向く様な仕草で言った。
「今夜も冷え込むだろうね」
と言って、およつは久吉の手を引いた。
いま、およつが取ったあの仕草を見て、おうめは先代の旦那様がよく言われた話。
奉公人には心温まる接し方が大切ですよ。と言われた言葉を思い出した時に、おうめの頭に過る物があった。
宗茂が五代目を引き継いだ翌年に、先代から奉公している番頭伊平の娘おさつが嫁に行くのを、播磨屋が加勢して嫁に出させてやった。
十七のおさつが嫁に行って三年後の天明六年には、おさつの妹おそよが十八の歳で嫁に行く事になった。其の時も、播磨屋が加勢して嫁がせている。
此の事は、先代から教え込まれた事を宗茂が聢りと遣ったまでの事であったが、おうめにとっては四代と続いて来た播磨屋を滞りなく続けて行くには、先代から奉公している伊平は、宗茂とおうめに取っては掛替えの無い伊平だから、伊平の苦しみ、楽しみ、嬉しさを共に分かち合いたいと思って、おうめも宗茂の行動に精一杯の加勢をしているのであった。
薬園を家族で見に行って一月が過ぎた頃、手附役人の近藤が太鼓暖簾の横から播磨屋に入って来た。
先般のおうめの話に沙汰が出たので、明日の八ッ半(午後三時)にお屋敷まで、夫婦共々参上する様にと言った。
十一月の半ばの昼下がりともなると、博多湾から吹き付けて来る寒風に二人は身を窪めて街道を東に向かっている。
おうめは沙汰が出た事しか聞かされていなかった。果して、その沙汰がおうめに取って吉なのか。ご家老様の怒りを買った凶なのか。不安を抱いた足取りは重い運びであった。
お屋敷の奥座敷に入ると、部屋は火が入って暖かくしてあったが、おうめの体は寒さを感じていた。
「寒い中、大儀であった」
奉行の脇坂義兵衛は座ると共に言った。座には養育方の加茂だけが同席して、近藤は同席していなかった。緊張の表情を隠す様にして、おうめは頭を少し上げた。
「お内儀、先刻の話、遅くなって相済まぬ」
「いいえ、町人の身であり乍ら、大それたお話を申し上げまして後悔いたしております」
「何、後悔しておる」
「はい」
「何ぞ、其方は悪い話をしたのか」
と言った奉行は、冷たい視線をおうめに投げられた。おうめの体を冷たい視線が走り抜けた。早打ちの心の臓が、おうめに眩暈の様な物を誘い込む様だった。
恐れ乍ら、おうめは奉行に視線を施した。その奉行の顔は先程の顔とは程遠い笑顔に溢れていた。笑顔の先で奉行が言われた事は、あの話を当番家老の三坂殿にお話申し上げた処、三坂家老殿は女子の身で彼の様な考えを申すとは、と言われて結構喜ばれた。殿のご決断を頂くと言う事になったので沙汰がこの様に遅れた。此の事について三坂家老殿より、お内儀にお詫びを言ってくれと申された。
聞いているおうめの恐縮の様をみて、奉行が優しく話を掛けられた。
「殿はお歳が未だ若いので、此の事は家老で事を進めよと仰せになられた」
「お殿様が・・・・・・」
おうめは暫し放心した様な表情を見せていたが、吾に返り言葉を続けた。
「ありがたきお言葉、嬉しゅうございます」
「そうか、お内儀、これから先、お内儀の考えを存分に進めてくれよ」
「はい」
「この先、何事か困った事が起これば、此処に居る加茂に相談せい。よいな」
「はい」
おうめは奉行と加茂に深く頭を下げた。奉行が座を外されると、突然、気が抜けた様にになった。頭がふらっとしたが、それも一瞬の事であった。横の宗茂に眼を遣ると、小さな頷きを見せていた。
播磨屋に戻ったおうめは、およつの部屋に駆け込んだ。
「お母さん、お殿様がご家老様で事を進めよと仰せ下さったのよ」
およつに話し掛けた時、おうめは感極まったのか潤む眼を見せていた。
学舎の事がお城からお許しが出た。駄目だと半ば諦めていた事にお許しが出た。是ほど嬉しい事はないと思って、おうめはこの日の夕餉後、およつに宗茂、そして番頭の伊平も加えて学舎の考えを聞かせていた。
話の切り出しに、お奉行様から塾の名前を『梅塾』にしたらどうかと言われた話を出した。
お奉行様の話に拠れば、梅の花は一年で一番早く咲く花で、その年の先を明るくしてくれる様に思える。これからの先の世を開いてくれる子供達の頭を、素晴らしく膨らませてくれる塾の名前にどうだろうかと言われたのだ。
このお奉行様の話を受けて、おうめは塾の名前を『梅塾』と決めたいと言った。
塾の名前が決まれば、教えをして頂く先生の事であるが、奉行所の話に拠れば、東の学問所の修猷館と西の学問所の甘棠館を隠居なされた方から都合を付けてくれる事になった。
と言って、次の話は教えを受ける子供達の話しに移った。
教えを受ける子供達は五歳と六歳の子供達三十名近くを募って見る考えであったが、今年は初めての年であるので六歳と七歳の子供達を学舎に通わせたいと思っていた。
其の子達は今年から来年に掛けての二年間は朝の刻に学ばせると、その先二年間は昼の刻に学ばせようと考えていた。
おうめは梅塾に入って来た者の学習期間は四年と定めていた。
四年と定めると、三年後には朝昼の時間差で学ぶ事も出来なくなる。その為には学舎建設には三十名近く入れる教場を、二つ造らねばならないと思っていた。
其の学舎を建てる場所は、宗茂の許しを受けて播磨屋の敷地内になっているが、この学舎を造る建設資金の調達は、おうめの頭の中にはからっきしなかった。
だから、おうめの話は此処で止まった。
おうめの様子に訝った表情を見せた宗茂が口を入れた。
「おうめどうしたのだ・・・・・」
其れでもおうめの口は止まったままだった。座っている宗茂が前屈みに身を乗り出した時に、やっとおうめの口が開いたが、その声はか細かった。
だが、喋る先には、其の声も元の大きさに戻って行った。
おうめが再び話し出した事は、梅塾に入って来る子供達の事だった。
子供達の身分は一切問わない。男であろうと、女子であろうと、惣領であろうと、次男であろうと、長女であろうと、次女であろうと、素性の知れない捨て子であろうと、里子であろうと隔たりなく募りたい。おうめは誰にでも学びの機会を与えたいと思っていた。其れは久吉の素性を思っての強い気持ちの現れであった。
次におうめが話し出した事は、誰にも思い付かない話だった。
いま仕事をなさっていられる商人の旦那様やお百姓さん、そして職人の方に学舎まで足を運んで頂き、子供達に仕事の楽しさを教えて貰う。そしてその人達の仕事場を見せて頂く。この様な学習日を設けたいと言った。
此の話を聞いてる宗茂達は呆気に捉われたが、誰からともなく拍手がおうめに向けられた。其の拍手に、おうめは笑みを返している。
少しの間を取ったおうめが、次に語るのは、城下や博多の町のごりょんさんや隠居なされた方が学舎に足を運び、子供達と遊び乍ら子供達に躾を学ばせる事もしたいと言った。
学舎話の最後に語った事は、四年経って九歳か十歳になった時には、読み書きが出来た上に算術まで身に付いているだろう。だから梅塾を出て十一歳になって、何処かの奉公先に出されても、子供達には学が身に付いているからけして困る事はないだろう。とおうめが梅塾を開く考えを述べた時、皆から感歎な声が上った。
梅塾開きの考えを、おうめが熱っぽく話したが、これは飽く迄もおうめが描いた学舎の絵図であって、肝心な事は、これを一歩一歩前に進める事である。おうめ一人では出来ない。宗茂を始めとした多くの人達の助けがいるだろう。
学舎の建設資金を都合する事は、おうめには到底出来ない話である。
この金子の事で、学舎話をひょっとしたら止めなければならないかも知れない。とおうめの心に大きな不安が漂っている。
この不安を少しでも和らげたいと思って、おうめは美濃屋のおはつを尋ねていた。
おはつには金子話はせずに学舎を建てたい話をすると、おはつは諸手を挙げておうめの話に乗ってくれた。
子供達を募る話まで引き受けてくれると言う気の入れ様であった。
一方宗茂は、おうめの学舎の話を聞いた翌日から、店の事は番頭の伊平に任せて出掛ける日々が多くなっている。
季節は寛政五年の師走の半ばを迎えていた。
障子越しの穏やかな陽が畳に日溜りを作っている処で、久吉が絵本を熱心に見詰めている。
その傍では、おうめが久吉の衣裳の取り繕いをしている。刻は昼八ッ(午後二時)を過ぎた頃であろう。
「ごりょんさん、旦那様がお部屋の方でお呼びですよ」
おひでが襖を少し開けて声を掛けて来た。
宗茂は手焙りを前にして陽が射している障子に眼を向けていた。おうめが其の手焙りの前に座ると、宗茂は障子からおうめに眼を向けた。
「おうめ、心配しないでいいぞ」
宗茂が行き成りおうめに語り掛けたのを、おうめは何やら不安めいた眼で宗茂を見た。
「学舎を建てる金子の事だよ」
「金子・・・・」
とおうめは言った。
金子の事で、学舎を建てる事を止めざるを得ないかもしれないとおうめは思っていた。
だから宗茂の金子話が学舎建設を止めさせ様と言っているのか。とおうめは一瞬その様に思ったが、宗茂は心配しないでいいぞと言った。この事で、おうめは宗茂の心の中を計っていた。
宗茂が語るには、おうめが学舎の事を聞かせてくれた翌日から、職人町に住んでいる大工の棟梁政五郎と、其れに播磨屋と同じ簀子町で材木問屋を営んでいる日向屋の幸左衛門達とで学舎建設の話をした。
すると、薬園の跡地に建てる学舎建設には、百五十両近く掛かかる話になった。
この金子を播磨屋から持ち出すには、と思って宗茂は奉行所の加茂に相談する事にした。
その相談した結果が、昨日、宗茂に伝えられていた。
その話は、お城が領内の大店や富農家から二十年年賦の無利子で借受けされる物の一部を梅塾に都合する話であった。この話を加茂から聞かせて貰っていた宗茂だから、おうめに心配しないでいいぞと言ったのだ。
宗茂がおうめに金子都合の話を話した後、二人は手焙りを前に四半刻(三十分)近く話し合った。その話の中身は、来月は寛政六年の正月を迎えるので、その月の十八日に久吉の六歳の誕生祝を行ない。その誕生日に合わせて学舎の地鎮祭を行なって、梅塾の始まりを六月にしようと言う事にしたが、学舎がそんなに早く出来るのかしら、とおうめは不安を持って宗茂の話を聞いていた。
おうめと話した翌日、宗茂は梅塾開塾時の教授なって頂く人をお願いする為に、奉行所の加茂を訪ねてみた。
宗茂が出掛けた後、おうめは梅塾開塾に合わせて、子供達を何処から集めようかと思って、播磨屋のお得意様帳に眼を落としていた。このお得意様帳から六、七歳の子供達を三十名集めて見ようと思った。それに、三十名の子供達と一緒に愉しんでくれるごりょんさんやご隠居さんも、此処から探して見ようと思って、お得意様帳を何度も捲って心当たりの処を探していた。
師走のご挨拶を兼ねて、おうめはお得意様の処を尋ねてみた。
だが、梅塾と言う処で、子供達に読み書き算術を習わせ様と言う、親御達からの色好い話はなかった。手分けして廻っているおはつも良い話をおうめの耳に入れる事はなかった。
「子供達を学舎に通わせ様とする様な親御さん達は誰もいらっしゃらないわ」
おうめが伏せた眼で宗茂に話しをして来たのが師走も押し迫った頃だった。
おうめの悩みを除くには、加茂様の知恵を借りたいと思って宗茂が奉行所を尋ねてみた。
加茂の考えとしては、おうめの学舎創設の定書を奉行所に持ち込めば、奉行所がおうめと連名の定書にするから、これを町内に触れ廻してはどうかと言われた。
おうめはこの触れ書を持って町内を廻ってみた。
「おうめさん、この様な立派な事をなさるのかぇ。うちの子を預かっておくんなさいねぇ」
このお触れ書の効果と言う物に、おうめは驚きを隠せなかった。
中にはおうめに代わって、子供達を探してくれると言う親御も現れ。おうめが心配していた子供達の数は、断りを掛けなかればならない程の勢いであった。早くも、三十人の子供達が梅塾に集まって来る話になった。
これでおうめが描いた学舎『梅塾』は六月からの開塾が出来ると、おうめは嬉しさを隠し切れない様子だった。
久吉の六歳の誕生日を明日に迎えるにあたって、手焙りを挟んでおうめと宗茂と向かい合っていたが、宗茂の顔色が冴えない。宗茂の顔をおうめは窺った。
「お前さん、どうかなさったのかぇ・・・・」
「いや、困った事が持ち上がった」
「どうしたのです」
とおうめは険しい表情で、宗茂に擦り寄った。
擦り寄ったおうめに宗茂が言うには、昨年の夏は洪水があったし、秋には何度かの大風に見舞われ、それに冬に入って多くの火事があった。此の事で家を失くした人達が家を建てなさる事で材木が不足している。その為、予定の六月まで学舎を建てるのが間に合わないと、棟梁の政五郎が言って来た。とおうめに教えた。
おうめは眼を宙に浮かして考えた。此処まで何とか順調に事が運んで来たのに、此処で挫けると、久吉のおっかさんと思える人に、久吉は立派な人に育てますと誓った約束が嘘になる。どうするかと考えてみた。
考えに決着が付いたのか。おうめは大きく息を吐いて、閉ざしていた口を開いた。
「お前さん、難儀を重ねていられる方に材木を、皆さんも分かってくれますよ」
「そうなぁー」
「それで、棟梁の政五郎さんは、何時頃に出来ると言っていなさるのですか」
「うん、秋が終わる九月の末には、出来ると言っていなさる」
宗茂の話を聞いたおうめは、再び眼を天井に向けて、何やら考えている様子だった。
「それなら、今年から学ぶ子供達は、冬の時期を朝の刻と昼の刻の二部で学ばせましょう」
「そうなれば、昼飯はどうする」
と宗茂が不安顔で問い質した。
「それはお前さん、子供達が弁当を持って来る様にさせましょうよ」
久吉と同じ年頃の子供達だから、食べるのは多くは食べないから、おにぎり二つにこんこんを入れた様な物で大丈夫。ぶぶは竹筒に入れて通わせたら良いだろうとおうめは思っていた。
おうめが描いた学舎は、此処に来て大きな変更をせざるを得なかった。おうめ一人が考え出した学舎は、飽く迄もおうめ一人の考えであったので、事は順調に運ばないだろうとの思いがおうめにはあった。そこでおうめは思った。
三十人の子供達を預かると言う事は、この子達には親が居なさる。その親の考えを置き去りにして、おうめが全てを取り仕切る事は如何な物かと思うと、この子供達の親の中から親御会と言う物を立ち上がらせて、その会で決めた事を実行に移して行こうと言う思いを持った。
此の事をおはつに話し掛けて見る事で、おはつを訪ねていた。
事の相談に乗ったおはつも、おうめの考えに賛同した。おはつとの話では、学舎の完成が秋の終わりまで延びる事で、完成まで充分時間があるので、おうめが考えた親御会に参加してくれる人達を募って親御会を立ち上がらせると、その中でおうめが考えた事や皆から出された考えを話し合って遣って行くのが良いと言う事になった。
親御会を募った処、参加者が九名出た。
この九人で初めての話し合いを行なうと、教えてくれる教授への謝礼は、学びに来る処の親が支払う事は当然であるが、おうめの考えで募った子供達の中には、この謝礼支払いや五節句の祝い金、そして暮れの肴代。それに弁当の持ち込に事欠く子供達もいるだろう。この子達の為に基金を募ってはどうか。と親御会から話が持ち上がった。
基金とは、この『梅塾』の創設に賛同してくれる人を、一口二両の賛同金を城下と博多の町から募る事は如何な事かと考えが出た。基準として五十両の基金を有すれば、心配している事は解決出来るのでないかとの話になったが、此の話に奉行所がどう言われるだろうか。また心配が増えた。
久吉は六歳になった。播磨屋は本を糺せば武家の流れである。
だが、今は歴とした商人であるので、武家の為来りは遠慮せざるを得なかったが、六歳の祝い事であったので、武家の流れを汲んだ祝い事をさせようとして、久吉の祝い衣裳は軒忍色の生地に格子縞をあしらった中に、五月人形や扇などの文様が入った。紐結びで仕立てられた小袖を美濃屋から取り寄せ、それに仙台平の袴も用意をした。
学舎の建築現場から声が聞こえて来る。宗茂が声の方に向かって腰を上げると、およつが久吉の手を引いて裏口に向う。おうめも後に続いた。裏口から外に出て見ると、一月にしては穏やかな日和で風もなかった。緩い陽が敷地一杯に射し込んでいる。
地鎮祭の為に棟梁の政五郎や日向屋幸左衛門、それにおはつにおたか達が集っていた。
集まっている人達の眼が、およつが手を引いている久吉の袴姿に集中した。久吉を囲んで賑やかになっている処に、奉行所の加茂と近藤が遣って来た。地鎮祭も滞りなく終わった。翌日からは、播磨屋の薬園跡地には政五郎や大工衆の威勢良い声に混じって、鑿を打つ音や金槌を叩く音が賑やかく流れている。
大工衆が仕事の手を休める合間に、おうめは小まめにお茶や摘み物などを出している。
其のおうめが思いを致す事があった。
久吉が三歳の誕生日を迎えた時に、後三年、里親の申し出がない事を願った。その通りの三年が過ぎた。此れで、久吉は見知らぬ人の処に貰われて行く事はなくなった。
後は、久吉の十一歳の歳に、あの夕焼けの中で出会った人に久吉をお返しする迄には、久吉が賢い子供になって貰う。その為に、この学舎でしっかりと学を身に付かせる事を、此のおうめが気概を持って遣って行かねばと思って、日に日に完成して行く学舎を見上げた。
五月五日の節句を迎える頃、奉行所に願い出ていた先生が決まった。と近藤が伝えて来た。教えてくれる先生は寛政二年まで甘棠館で教鞭を執られていた下澤源五左衛門と言うお方で、五十六歳で隠居してある方だと近藤は言った。
「お住まいは唐人町に構えていられるから、近日中にお引き合わせをいたそう」
と近藤が、宗茂とおうめに伝えて播磨屋を後にした。
槌音の賑やかさは、おうめの耳に今日も届いている。
おうめは障子を開けて陽を見上げた。五月末日の陽は既に真上から西に傾きを見せていた。
―あぁー昼八ッ(午後二時)になるわ・・・・
と思ったおうめは、急いでお茶の用意をして大工衆の処に運ぶと、大工衆と出来具合を暫し笑顔で話し、柱が立ち並び出した学舎を何度も振り返り乍ら、播磨屋の表口へと回った。南からの陽は家の庇で遮られて、太鼓暖簾に薄い陽が当っている。
街道の東におうめが眼を遣ると、飛脚が軽やかに走って来るのが見える。飛脚は播磨屋前で足を止めると、太鼓暖簾の横から播磨屋の敷居を跨ごうとした時、おうめが声を掛けた。
「飛脚屋さん、ご苦労様」
飛脚屋は横のおうめに少し訝った顔を見せたが、すぐに笑顔になった。
「あっ、こちらのごりょんさんですか」
おうめは笑顔で頷いた。飛脚屋は肩に担いでいた箱から一通の文を取り出すと、笑顔を見せ乍らおうめの傍から次の処へと自慢の足を走らせた。
おうめが文の出し処を見ると、秋月の卯左衛門からであった。
この日の夕餉の席で、宗茂が卯左衛門からの文の中身を話してくれた。
宗茂の話に拠れば、弟卯左衛門が女房のおなつを連れて、来月十五日の追い山見物に出て来たい。と書いてある話をした。
「おっかさん、おなつさんとは久し振りに会うので、姉さんや弟に妹を呼びましょうか」
「宗茂、良い事だねぇ。お願いしますねぇ」
久吉の面倒をおうめはおひでに頼んだ。
およつは利休鼠色の絽の小袖に薄茶色の帯を締め、右手には同じ鼠色の日傘を持ち、左手には小袋と白い手巾を持って、黒の鼻緒の駒下駄を履いていた。宗茂は水浅葱色の麻地に紺の博多帯を締め、黒の鼻緒で締めた草履を引っ掛けていた。そしておうめは絽地の深川鼠色の小袖の裾には秋草流水文様をあしらっていた。この小袖に薄萌黄色の帯を締めていた。右手には白地の日傘を差し、左手には弟嫁のおなつへの贈り物を抱えていた。赤い鼻緒の駒下駄の音が那珂川に架かる東中島橋の橋板に響いている。
橋を渡り終えると、追い山の余韻が未だに残る博多の町に入る。播磨屋から鏡天神先にある弟卯左衛門夫婦が泊り宿にしている。旅人宿甘木屋まで二十一町近くを歩いて来たおよつは、頻りに手巾で額の汗を拭っている。
通された二階では、弟夫婦と姉のおゆりに弟喜三郎、そして妹のおりつが席を空けて待っていた。弟の卯左衛門夫婦が立ち上がって、およつと宗茂夫婦を招いた。
「おっかさん、此処へ座っておくれよ。兄さん達は此方へ」
卯左衛門が席を示した。料理は既に卯左衛門が指図していたのだろう。およつ達が席に座って暫くすると、宿の者が部屋を覗きに来て、何やら卯左衛門と話すと階下へ下がって行った。
「おっかさん、此処の料理は一寸した代物だよ」
卯左衛門が横のおなつに相槌を求める様な仕草を見せて言った。おなつが愛嬌の表情をおよつに見せている。
料理が運ばれて席は一段と賑やかになった。卯左衛門夫婦は昨日から此の旅人宿に泊まって、今朝方に行われた追い山見物していたので、追い山の話で盛り上がっている。
卯左衛門夫婦は興奮の様子で、おりつと喜三郎達との話に遑がない。
「山があの様に高い物だとは思いませんでしたよ」
おなつがおりつに話し掛けている。
「四丈五尺近くはあるでしょうねぇ」
「高さも立派ですが。山に掲げてある人形が綺麗です事」
おりつも喜三郎も住まいを博多の町に構えているから、暁の七ッ半(午前五時)の追い山を見に行ったのだろう。だから話が弾んでいるのだ。
宗茂達が暁の七ッ半(午前五時)の追い山を見に行くには、暁七ッ(午前四時)近くから二十五町近くの道程を来なければならない。およつにも宗茂に取っても堪える事だと言って、此処二、三年は祭り見物から遠ざかっていた。
おうめが播磨屋に嫁入りしてから二、三年は宗茂に誘われて、およつも連れ添って祭り見物に出掛けたが、此処数年は宗茂から祭り見物の話が出ないので、おうめも此処二、三年の追い山の様子は知らない。
だから、どうしてもおよつやおゆりとの話になってしまう。
山の話が一段落くすると、酒が入って、一段と座が賑やかくなった処で、卯左衛門が腰を浮かして宗茂の前に座ると、猪口を渡し銚子を傾けて話を投げ掛けた。
「兄さ、久坊は幾つになったのかなぁ」
「今年で六歳の祝い事を終わらせたよ」
宗茂が言った時、横のおうめが六歳と言う宗茂の言葉で、おゆり達と話していた顔は動かさず。耳だけが宗茂と卯左衛門の話に研ぎ澄まされていた。
「兄さ、六歳になった久坊をどうする積もり」
「どうすると言っても・・・・」
宗茂が口篭ると、卯左衛門は話の矛先をおよつに向けた。
「おっかさん」
と呼び掛けて来た時、およつはおゆり達との話を切って、卯左衛門に顔を向けた。
其のおよつに卯左衛門が話し掛けて来た事は、兄宗茂に久吉の身の振り方を尋ねると返事が返らないので、おっかさんに聞きたいと言って、久吉の身の振り方を聞いて来た。
「あたきは隠居の身、其の事は播磨屋の旦那である宗茂が決める事たい」
つれない返事を戻したおよつは、先程まで話していたおゆりとの話に戻った。
卯左衛門はおよつとの話では埒が明かないと思って、再び宗茂に話して来た。酒が入っている為に卯左衛門は先程と同じ事を宗茂に投げ掛けた。宗茂は卯左衛門が何故に久吉 の事をしつこく聞いて来るのか。と嫌な顔を見せ乍ら口を噤んでいると、卯左衛門が隣のおうめに声を掛けて来た。
「おうめさん、そうでしょう」
と言う問いに、おうめは何の話かと戸惑う様な表情を卯左衛門に見せ乍ら、おうめの心では養子に出た卯左衛門が何故に本家の事に嘴を入れるのか。
卯左衛門の腹の内は素性の知れない久吉を播磨屋から追い出す魂胆か。とおうめは読んでいた。そんな卯左衛門とは口を利きたくないと思って俯いていると、おうめが相手にしてくれないと分かったのか。卯左衛門はおうめの前から腰を上げて喜三郎の処へ移動した。
兄弟同士で酒を酌み交わしたあの日から数日が経った日、おうめは思いに耽っていた。
宗茂が卯左衛門に久吉は播磨屋で育てて行くと、何故はっきりと言わなかったのかと思う心があって、おうめの心は晴れなかった。
その為に、学舎の出来具合を見るおうめの眼は何処やら空ろ気味である。
女子の命より勝るものだと言う赤子をおうめが抱いて、あの夕焼けの中で出会った人に誓わせて貰った事を遣り遂げるには、険しい事が待ってい様と決して挫けはせぬ。
あの時、おうめの心に描いたではないか。卯左衛門がどんな険しさを持ち込んで来ようと負けはせぬ。
おうめがこの念いを我が心に強く思い込ませた時に、後ろの襖が開かれて小さな跫音と共
に久吉の声が耳に入った。
「おっかぁ・・・・」
おうめの背にしがみ付いて来た久吉を、おうめは胸元に抱き寄せ久吉の顔を見詰めた。
「なーに、久吉」
久吉は応えず。にこにことした顔でおうめを見上げている。
おうめはこの久吉のいじらしさで、久吉をぐっと抱き締めた。
一筋の糸がおうめの頬を濡らした。久吉が小さな指でおうめの滴を拭い取ると、おうめはもう一度、此の久吉を強く抱き締めた。
―この子は私が産んだ子ではない。だが、此の子は私の命だ・・・・・・
と思って、南の障子を開けて見ると、夜明け前まで雨が降っていたのだろう。庭の木々から雨の滴が間を置いて垂れている。其処から遥か先の山肌に眼を遣ると、脊振山系の山裾から湧き上がって来た雲が、山の中腹で右から左へと白い帯となって靡いている。其の靡いている処から、紫の山肌を山巓に向けて緩と眼を這わせて行くと、其の先は青空と白い雲が疎ら模様を作っていた。
久吉と共にこの光景に暫し眼を奪われていると、先程の心の重たさが何処やら軽くなって来た様に、おうめには思えた。
大工連中の処に茶菓子を入れたおうめは、材木の欠片が散らばっている足元に気を配り乍ら、整って来た学舎を久吉の手を引いて一廻りした時、母屋からおひでの声が届いた。
「ごりょんさん、お奉行所の近藤様がお出でになりましたよ」
「はーい、直ぐ行きます」
おうめは返事を返し、久吉の手を引いて母屋へ戻ってみると、座敷では近藤と見知らぬ初老の人が宗茂と和やかに話していた。おうめが宗茂の傍に座り、二人に腰を折って宗茂を見ると、宗茂が痩せ細った初老の人をおうめに紹介した。
「梅塾のご教授をして頂く。下澤源五左衛門先生です」
おうめは再び此の人に深く腰を折った。
「下澤源五左衛門です。よしなに」
少し腰を折って、おうめに笑みを送った。
下澤先生は先日まで、甘棠館で教鞭をお執りになられていたが、いま甘棠館が休校しておるので、先生は此れを機会に隠居なされていられたので、奉行所がお願いして梅塾の先生へ来て頂いた。と近藤が話してくれた。
「いや、いま、近藤殿から紹介を受けましたが・・・・・」
と言って、下澤は暫し言葉を止めておうめに眼を定めていたが、徐に話し出した事は教鞭を取っていた事は確かだが、いまは唯の隠居爺さんだ。其の爺さんが奉行所でお内儀の話を聞いた時、この爺が其の話に感動いたし、この爺に一役買わせて頂きたいと無理に参上して来た下澤と言う者だ。と言った。
「下澤先生、ご無理な参上とは滅相もございません」
おうめは畳に手を付いて、恐縮の様で言った。
「お内儀、お手をお挙げなされ。爺の言う事です。そう思って下され。あはははははは」
と下澤は笑いで、おうめの恐縮の体を解いていた。
厳つい先生が来られると思っていたおうめは、当てが外れた思いで下澤先生の話を聞いていた。先生の話に拠ると、子供達に教えるのは学びの基礎であって、いま梅塾を大工衆が建てているが、この梅塾の基礎になる土台が聢りとしておかなければ、その上に良い材木を積み上げても崩れて行く。
だから、子供でも学びが早い子もいれば、遅い子もいる。
教える者としては、どちらかと言うと、早い子を可愛がり遅い子を毛嫌いして行くので、遅い子は遅い子同士で仲間を作り、その仲間同士の者が教えの妨げを行い。最後には手が付けられなくなる。教えは早い子でもなく遅い子でもない。中程の子達に軸足を置いた教えで、学びの土台を聢りと身に付けて貰い。教えを蒙った全ての子が身を立てる事が出来る様にさせたいと思っている。その為には、子供達には優しさで接し、常に褒め言葉を言って喜ばせる事ですぞ。と話してくれた。
おうめはこの話を聞いて、何と良い先生に巡り会った事か。と心を躍らせている。
近藤が帰り際に、宗茂夫婦に明日奉行所に来る様に言って、下澤先生と夕映えが迫り来る街道を左右に分かれて行ったのは、秋も終わりに近付いた九月の中頃であった。
雨垂れの音が、おうめの耳を被っていた。眠そうな眼を少し開けて雨戸の方を見た。
おうめは眠い眼を擦り乍ら、雨戸の一枚を僅かに開けた。裏庭の木々は未だ暗闇の中で黒い影を見せていた。其から流れて来た冷気が、おうめの足元から体を包んで来ると、おうめは胸元の襟を手繰り寄せていた。
―昨日はあんなに綺麗な夕焼けだったのに、秋の空ってー
僅かに開けた雨戸から雨空を見上げて呟いた。
忍び寄って来たひんやりとした気を押し戻す様に、おうめは開けた雨戸を元に戻して床に戻る時、ぶるっと身震いをして肩を窄めた。
夜具の上に置いていた羽織を肩から掛けると、用足しへと裾を翻した。
部屋に戻ると行灯に灯を点し、肩に掛けていた羽織を行灯に覆い被せると、部屋は薄暗さに代わっていた。
おうめの動きで、宗茂が眠りから覚めた様だったが、低い声を出すとまた眠りに誘われたのか、再び軽い寝息を立てていた。
音を立てずに、おうめは身支度を整えて台所へ行くと、台所の壁行灯の薄暗い灯りの中でおひでが忙しく動いていた。
「あら、ごりょんさん、まだお休みになられて良いのに」
「今日ねぇ、お奉行所に呼ばれているの」
「そうでしたの。何か、ご心配なお呼び出しですか」
「いゃ、学舎の事じゃないかなぁ」
「そうかも知れませんねぇ。もう学舎も出来た様な物ですからねぇ」
夜明け前の暗さと、雨降りの暗さが重なって、台所の無双窓の先に何時もなら見える白々しさが今日は見えてはいなかった。
其の時、明け六ッ(午前六時)の鐘が聞こえて来た。
「あっ、明け六ッ(午前六時)だわ。旦那様を起こさなければ」
おうめが言って、台所の三和土から踏み台に足を掛けた。
其れから一刻(二時間)後の、五ッ(午前八時)を四半刻(三十分)ほど過ぎた頃、雨は先程よりも小降りになっていた。
この刻には、大工衆が建築場に入って来る頃であったが、雨のため誰一人として来る様な様子ではなかった。
高下駄に番傘を差した宗茂は裾を端折っている。横のおうめも裾を高めに絡ませて帯びに挟んでいた。二人がこの様な恰好で街道を行くのも、この日の雨模様の為だ。
この刻であれば、職人達と出会う筈だが、雨に烟った街道で職人達と出会うこともなく、
奉行所に着いた時は、二人とも肩口から背に掛けて雨の雫でじっくりと濡れていた。
端折った裾を降ろし、絡み上げた裾を直して、奉行所の門を潜り抜けた。
「雨のなか大儀であった。梅塾協賛金のお触れの事だが・・・」
この加茂の話におうめはびっくりした。親御会から出た協賛金の話は宗茂から奉行所に相談をしているとは聞いてはいたが、それから刻も大分と経っていたので、此の事はすっかりと忘れていた。いま、加茂から言われておうめはびっくりした。びっくりしたおうめであったが、このびっくりさが陰を潜めた時に、おうめの胸に被って来たのは加茂からお叱りの言葉を受けるのじゃないかと言う思いだった。体が硬直した。
しかし、加茂はにこやかに語り始めた。
城下と博多の町の富豪者に梅塾創設に賛同してくれる者を募った。その結果が、双方の町から三十五軒の賛同者が出た。金子七十両が集まったと言われた。
近い内に、近藤に金子七十両と賛同者名簿を持参させるとの仰せであった。
硬直していた体から力が抜けて行くのがおうめには分かった。抜ける力に代わって喜びがおうめの胸を被い尽くしている。
奉行所の門を出る頃には、雨もすっかり上がって曇天の空が低く覆っていたが、宗茂とおうめの心は晴れ晴れとしていた。二人は雨餘の街道に残る雨潦を避ける度に、宗茂とおうめの肩が触れ合っては、二人は顔を見合わせて笑みを交している。
九月の末日近く、棟梁の政五郎が七ッ半(午後五時)を過ぎた頃、宗茂を尋ねて来た。
「学舎の建築が終わったので、明日でも引渡をしょうと思っているが、よござっしょうか」
「そぅー、出来上がりましたか」
宗茂は帳場から立ち上がって、上がり框で丁寧に政五郎に応えた。
学舎が引き渡されるこのおめでたい日に、奉行所の近藤が城下と博多から募った賛同金子七十両と三十五軒分の賛同者名簿を持参してくれた。
宗茂とおうめは早速七十両の金子を、先刻約束していた銀主屋に一割五分の年利回りで預けて播磨屋に戻って来ていた。
これで下澤先生の授業謝礼、それに梅塾を営んで行くにあたって掛かって来る費用や、貧しい子供達の費用を工面する道筋が出来て、おうめと宗茂は安堵の胸を撫で下ろしている。
数日後、八ッ(午後二時)に親御会を招集して、いよいよ来月早々から子供達を通わせる事を発表した。
机は梅塾で揃えたが、筆・墨・硯箱・半紙・文鎮、それに教場と雪隠を掃除する雑巾は各子供達の家で揃える事としている。
束脩と先に梅塾に入っている子供達に、後から入って来る子供達が配る菓子などは一切無用と親御会で決めていたので、此の事は通って来る子供達の親から大いに喜ばれた。
もう一つの課題をおうめが親御会で提案した。
其れは、梅塾が半年置きにする大掃除の時の手伝い人を、通って来る子供達の旦那衆の手を借りたい。畳替えの費用は賛同金の運用利回りで賄いたいと提案したら、応えは不服の申し立てをする者はなく。子供達が通って来る最初の日に、此の事を書き表した書面を親御に配ろうと言う事になった。
塾を開くのに、準備は万端整った。
学舎の開き日に合わせて、慌ただしい日々をおうめは送っている。
だから久吉を構ってやる事が出来ず。およつやおひでに頼のむ事が多かった。
学舎の開きに合わせてする事にも、やっとけりがついて、おうめは久吉の事が気になった。
―忙しさに追われて、暫く久吉を手放していた・・・・・
おうめはそう思って、久吉の傍に寄って見ると、久吉は不機嫌な顔を見せている。
今迄の様に、おうめに甘え様とも、話し掛け様ともしなかった。おうめは久吉に頬摺りをし乍ら、何度も言ってみた。
「久吉、ごめんねぇ。おっかさんが構って遣れず。ごめんねぇ」
「・・・・・・・・・・」
「久吉、これからおっかさんと、お城まで行って見ようよ」
おうめの投げ掛けに、久吉はおうめの手から離れて帳場の方に走り出すと、途中で立ち止まっておうめを振り返った。おうめが久吉の処へ急いで行って、久吉の手を握った。
先程の久吉の手より温もりを感じた。
三和土に足を掛けた時、手代頭の清次が帳場横から声を掛けて来た。
「あっ、ごりょんさん、お出掛けですか」
「あぁ、久吉とお城の傍まで行って来ますよ」
おうめが清次に笑顔で応えた。清次が腰を折った。
久吉が強く手を引いた。おうめは転びそうな足取りで播磨屋の敷居を跨いだ。
久吉とおうめの二人は街道を西へゆっくりと歩いていたかと思うと、急に久吉が走り出して、おうめが小走りで追っていた。おうめと久吉は久し振りに愉しんでいる。
二人は街道の左右が白い海鼠壁で囲まれたお武家屋敷の間をゆるりゆるり歩いて来て、黒門川に架かる太鼓橋の袂まで来ていた。
おうめが街道を振り返ると、何人かのお武家衆と町人の姿を遠くに捉えていた。街道は真っ直ぐに見えている。
―あぁ、久吉と九町程来たのねぇ・・・・
おうめは振り返った先に、播磨屋のある処を見詰めていた。
おうめが久吉に眼を戻すと、久吉は黒門川手前の詰所前を通り越して、黒門川に架かる勾欄に身を凭れ掛けて川下を見詰めている。
おうめが久吉の傍に寄って、肩を並べて川下に眼を定めていると、久吉が問うて来た。
「おっかぁ、あれは何・・・・・」
寺の五重の塔を指さして来た。
「あぁ、あれはねぇ、お寺の大切な物を入れる処だよ」
「ふーん」
久吉はそれ程興味を示さず。おうめの手を引いて、いま来た道の方へ太鼓橋の勾配を下り出した。
黒門橋袂先の博多湾から流れ込んで来た川は、橋下を通り抜けて南へ昇ると、その先は大きな堀に通じていた。川が掘と一帯となった処から、東へ通じる道に杉が整然と植えられた並木道が造られている。おうめと久吉はその杉並木に沿ってお堀端まで遣って来た。
杉の木立の傍でおうめが腰を落として堀に眼を遣ると、堀の先は石垣が組まれた上に筑地塀が長く築かれていた。その奥には、高く聳え立つ松の枝越しに、御鷹屋敷と言われる屋敷の甍が、西に傾いている陽を浴びて鈍く光っている。
おうめが眼を左に向けると、お城の下の橋を数人のお武家衆が通っているのが小さく見えていた。
足元にある小石を拾ったおうめは、その小石を堀に投げた。「ぽちゃん」と言う小さな音を立て乍ら波紋が広がって行くのを何となく見ていると、横から久吉が声を掛けて来た。
「おっかぁ、おっかぁは何でおいらと遊んでくれないの」
と久吉は言って、おうめの顔を窺った。おうめは広がる波紋から眼を久吉に戻した。
「ごめんね。おっかさんはねぇ、久吉にお友達を沢山作ってあげようと・・・・・」
おうめは言葉を止めて久吉の顔を見た。久吉は不機嫌な表情を見せていた。
「おいら、友達なんか要らないよ。おっかぁが居ればいいんだ」
と言って久吉は、またおうめの顔を見詰めた。
「そぅー、久吉は、おっかさんが好きかい」
「うん。おっかぁ大好きだい」
「・・・・・・」
おうめは久吉の手を聢りと握った。
「そうかい。おっかさんとおとっつあんと何方が好きだい」
「何方も好きだよ・・・・・・」
久吉はおうめの顔をみ乍ら、暫く考えていたが言葉を繋いだ。
「だけど、おっかぁの方が好きだよ」
久吉がおうめに抱き付いて来た。おうめは後ろへ倒れそうな姿勢を何とか止めた。
「そぅー、じゃぁ、お婆ちゃんも好きかい」
「お婆ちゃんもお姉ちゃんも好きだよ」
久吉がお姉ちゃんと言ったのは、おゆりとかおりつの事だった。
「おゆりお姉ちゃんもおりつお姉ちゃんも、久吉に優しいからねぇ」
「うん」
「だけど、あのおっちゃんは嫌いだ」
「あのおっちゃんて誰だい」
久吉は考える素振りを見せた。
「この前来たおっちゃんだよ」
今度はおうめが考える仕草を見せた。
「あぁ、この前来たおっちゃんと言えば、秋月のおっちゃんだろう」
おうめはそう言って、久吉を見た。
「あのおっちゃん、おいらを睨み付けるから嫌いだ」
「えっ、久吉を睨み付けるの」
「・・・・・・・」
久吉は辺りの石塊を掴んで堀に投げた。強い音がおうめに跳ね返って来た。波紋は勢い良く広がったが、直ぐに消えた。
おうめが消えた波紋の後をじっと見詰めている。
先日のあの日の事を、おうめは思い起こしていた。其れは、あの山笠が終わった時の宴の事だった。あの時、宗茂が卯左衛門に久吉は播磨屋で育てて行くと、はっきりと何故言わなかったのだろうか。と思い起こしていた。
おうめは宗茂から教えられていた卯左衛門の家族の事を思い浮かべてみた。
卯左衛門には男の子が二人と、三年前に生まれた女の子が一人いると聞いていた。上の男の子が十四歳で、下の子が八歳になったのだろう。とおうめは胸で数えた。
卯左衛門の惣領息子は宇治屋の跡取り息子で育てていられるから、二番目の男の子は何処かへ養子に出さなければならないのだろう。
其の時、おうめは思った。此の二番目の男の子を播磨屋に送り込む魂胆ではなかろうか。
だから、久吉に辛く当たるし、あの日のあの言い種になったのだ。
おうめの気が昂ぶって来て、辺りの小石を一つ掴むと、其の小石をおうめは堀に勢い良く投げた。強い音が戻って来たのを、久吉が驚いておうめに振り返った。
「あっ、ごめんねぇ。びっくりしたかい」
おうめは久吉に笑みを見せた。
―しかし、そうだとしたら、宗茂がきっぱりと断わればよかったのに、それとも宗茂も、その子を播磨屋に迎えたい心が・・・・、
とおうめは淋しく思い込んだ。
おうめには宗茂の心の内を計り切れなかった。宗茂に確かめて見る道もあるが、宗茂から卯左衛門さんの処の子を養子に貰うと聞かされたとすれば、このおうめも久吉も暗闇に投げ出される様な思いだから、いまの流れに沿って、流れて行こうと思って腰を上げた。
そして、久吉の手を引いて杉並木に沿って歩き出していた。




