表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

二、この子にも、世間並みの事を・・・・・                    

おうめは宗茂が以前話してくれた。歴代の播磨屋市左衛門の事を思い浮かべていた。

宗茂の先祖は、筑前福岡藩の始祖である黒田官(くろだかん)兵衛(べえ)(よし)(たか)父黒田(くろだ)(もと)(たか)が播磨地方で勢力を張っていた()(ちゃく)城主小寺(こでら)(まさ)(もと)から姫路城を預けられていた。その姫路城で生まれたのが職隆の嫡男(ちゃくなん)で幼名を万吉と言って、後の黒田官兵衛孝高である。

この官兵衛が二十四歳の時に、館野(たての)城主赤松(あかまつ)(まさ)(ひで)が播磨八郡の城主である別府安(べっぷやす)(はる)と組んで小寺政職を攻めて来たのを、官兵衛が僅かの手勢で赤松軍の陣営に夜襲を掛けて三千名の軍勢を撃退させた。

この(いくさ)に播磨屋の先祖柴(しば)藤家(とうけ)も官兵衛の家臣として戦っていた。

天正十三年、秀吉の命により黒田官兵衛孝高が四国や九州討伐に出陣した時、その時も官兵衛孝高と共に戦って来た。

黒田官兵衛孝高が秀吉から豊前六郡十二万三千石を領有して、豊前中津へ官兵衛が入封した時も、官兵衛の家臣として中津へ付いて来たのだ。

黒田官兵衛孝高の嫡男長政が、関が原の戦いで大いなる戦功を挙げた褒賞として、筑前の名島城へ入ったのは慶長五年の十二月であった。播磨屋の先祖二代目市左衛門も黒田家の転封(てんぽう)に従って、筑前に付いて来ていた大譜代(だいふだい)の一人であった。

初代福岡藩主黒田長政が逝去して、嫡男の忠之が二代目藩主として襲封(しゅうほう)した時、柴藤家も家督を若き柴藤市左衛門に譲り忠之に仕えていた。

正保二年、柴藤市左衛門三十八歳の時、意を決する事ありとの文言を残して、禄を返上し一介の商人に身を(やつ)している。

その後の市左衛門は筑前一帯の野山を駆け巡り、筑前の国と肥前の国との国境になっている背振(せふり)山系(さんけい)に立ち入って、人の体の毒を消す草花を摘み取って、それを()(つぶ)したり、日陰干しをしたり、煎じたりして(しゃく)を治める事や、人の熱を下げる事で、人様の命が途切れそうになるのを繋ぎ留めるのを家業として、城下の簀子町に商い屋を開いた。


商い屋を(おこ)して二代目を任された二十四歳の市左衛門は、黒田家が姫路城の領主をしている頃から柴藤家が家臣として仕えていた事を思えば、父から受け継いだ()薬屋(ぐすりや)の屋号を播磨屋と決めたのだ。

宝暦二年に四代目を受け継いだ市左衛門宗(しゅう)(せん)が、二十四才の宝暦五年の年に妻およつとの間に伊之助、後の宗茂を(もう)けている。

宗泉は明和六年に十五歳になった宗茂を、対州の飛び地である長崎街道の宿場町、田代宿へ田代売薬の真髄(しんずい)を会得する為に奉公に行かせ、翌年の明和七年に戻ると江戸の薬種問屋へ奉公に出している。

薬種問屋の稼業を学んで来て二十歳に成った宗茂を、明けた安永四年には和漢薬種や阿蘭陀(おらんだ)薬種(やくしゅ)の勉強を納めさせる為に長崎に行かせた。

戻って家業の見習いをしていた宗茂を、安永八年におうめと祝言を挙げさせている。

この時、宗茂二十五歳おうめ十七歳であった。祝言を挙げて三年後の宗茂二十八歳の時に、播磨屋の五代目を引き継いだ。おうめ二十歳であった。

おうめは安永八年に宗茂と祝言を挙げて、播磨屋の若ごりょんとして、先代宗泉が亡くなるまでの三年程を一緒に暮らして来たが、その三年の間に宗茂とおうめの間に出来るややの顔を、先代宗泉は見る事もなく亡くなっている。

いま、おうめは床で寝ている久吉をみ乍ら、この様な可愛い子が自分達の子として、あの三年の間に生まれておればと思い乍ら、久吉の寝顔から眼を逸らしたおうめが、庭と部屋とを遮っている障子に眼を遣った。


障子を開けると、枝垂れ桜の薄紅色の美しさがおうめの眼に写った。花弁から久吉の寝顔に、おうめは再び眼を移した。

―あぁー、再来月は端午の節句だわぁー

 とおうめが心に描いた時に、庭からの微風(そよかぜ)が久吉の頬を撫でたのであろう。久吉は寝返りを打って風の流れて来た方に眼を向けて何かを見たいと思ったのか。

だが、久吉は見たい処が見る事が出来なかったのだろう。不機嫌な泣き声を出した。

おうめが久吉の泣き声に慌てて、久吉を抱き起こした。

―あら、久吉は(えら)く重たくなったわ・・・・・・

 と思って、久吉をあやし乍ら、陽を見上げた。陽は真上近くまで昇って来ていた。

―そう言えば、久吉はお腹が空いたのでしょうねぇ・・・・

と思い乍ら、久吉に声を掛けてみた。

「久吉、お腹が空いたのでしょう。もうすぐおっぱいのおはつさんが来られるよ」

と言って、おうめは久吉の顔に眼を落とした。そして播磨屋の縁続きの兄弟達がこの久吉をどの様に見ているのかしらと思った。その兄弟の中でも宗茂の姉に当たる。博多店屋町の薬種問屋に嫁いだおゆりが実家を伺った時には、およつと共に久吉が可愛いと言って眼を細めていた。養子に出た二人の弟の中でも、宗茂より三っ下の弟卯()()衛門(えもん)やその下の弟喜三郎達は、久吉を播磨屋が養育し始めてから実家に来た事がなかったので、おうめは二人の心の内は分からなかった。

しかし、宗茂より五っ下のおりつと言う妹は商い違いの処に嫁に行き、三つになる男の子を連れて里帰りをして来た時に、久吉を兄の実の子供の様に可愛がって帰るのを、おうめが見送っていた。

おうめは久吉をあやし乍ら、また枝垂れ桜に眼を遣った。

先日、おりつが里帰りをして来た時に、三歳になる男の子のお食い初めや端午の節句をした時の話をおよつやおうめに聞かせてくれた事を思い出して、旦那様にお食い初めや端午の節句の事を話してみようかと思ったが・・・・・・・

お七夜の時は、旦那様が捨て子の久吉にそこまでする事はないとの考えをお持ちだったが、おうめが話した事で許してくれた。

あの時の様に、お食い初めや端午の節句の(しき)()りも(こころよ)くしてくれるだろうか。

とおうめの心が沈思(ちんし)になりそうになった時、枝垂れ桜に向けていた眼を久吉に戻した。

すると、襖の陰から亀松の声が聞えた。

「ごりょんさん、おはつさんが見えられました」

「あっ、そう、早くお通して頂戴。久吉がお腹を空かしているから」

「へい」

 おはつが久吉に乳を飲ませると、久吉は軽いげっぷをして、乳を口の周りに少し垂れ流した。傍からおうめが手際よく手巾で久吉の口元を押さえた。久吉をおはつの腕からおうめが受けると、おうめが久吉の顔をみ乍らおはつに言った。

「おはつさん、久吉が貰い乳を頂き、再来月で五ヶ月になりますねぇ」

「そうなりますかねぇ。早いものですねぇ」

「おはつさんには色々お世話になり嬉しい限りですよ」

 とおうめが言って、暫しおはつの顔を窺っていたおうめが言い出した事は、おはつさんに乳貰いをさせて頂いた久吉も、この様に丈夫な子に育っていますので、再来月にはお食い祝いや端午の節句をしたいと思っているのですが・・・・、と胸の内を聞かせた。

「おうめさんそれは良い事ですねぇ」

「その祝いの話だけど、捨て子の久吉に旦那様はしてくれるでしょうかねぇ・・・・」

「あら、おうめさん、この久吉ちゃんを捨て子と思っていられるの」

「・・・・・・・・」

「わたしは、お七夜にお呼ばれた時から、おうめさん達の子と思っているのよ」

「えっ、おはつさん、そう思って下さっていたの。嬉しいわぁ」

 喜びの表情を見せるおうめの顔を暫し窺っていたおはつは、おうめの腕の中で眠っている久吉に眼を向けた。

「この様な寝顔の子が、なんで捨て子でしょうか」

「・・・・・・・・」

「おうめさん、しっかりこの子を抱き留めて下さいな」

「おはつさん、ありがとう・・・・・」

 

 夕餉前の部屋の障子を宗茂が少し開けると、庭から夏の香りが流れて来た。若葉の匂いであった。暫くして、宗茂が障子を閉めに行って戻った時に、床に寝かされている久吉を見た。すやすやと眠っていた久吉が人の気配を感じたのか。眼を大きく見開いて、宗茂を見上げている。

「おぅ、おうめ、久吉が目覚めたぞ」

「あら、そぅ、お前さんに抱いて貰いたいのではないのかしら」

 宗茂が久吉を床から抱き上げた。

「おっ、久吉重たくなったなぁ」

 と言って、宗茂は久吉をあやし出した。久吉は嬉しいのか「きゃきゃ」と言って、宗茂の頬に小さな指を押し付けた。宗茂が頬を上げ乍ら、落とし眼で久吉を見た。

その時、おひでが夕餉の支度を卓袱台(ちゃぶだい)に並べ出した。その音に久吉が眼を向けて、卓袱台に並んでいる茶碗をじっと見詰めた。

「おい、おうめ、久吉が茶碗を見詰めているぞ。何か食べる物に気が廻っているのかなぁ」

「あら、ほんとだわぁ」

「おうめ、これは、儂等がお食い初めをして遣らなければいけないのじゃないのかなぁ」

「お前さん・・・・・」

 思いもよらぬ宗茂の言葉に、おうめは宗茂の顔を暫し見詰めている。

おうめが気を揉んでいたお食い初めの祝い事と端午の節句を、五月一日にお食い初めの祝い席を設けて、その四日後には内輪だけの端午の節句を行なう事になった。

播磨屋が拾ったからには、世間の赤子と同じ様な幸せを久吉に味あわせたいと言ったおうめの話を素直に聞きなさったのか。それとも久吉の可愛さから其の事を口に乗せなさったのか。おうめは宗茂の心を見計らっていたが、どちらにしても良い事だと思って、宗茂に頷きを返していた。

 

お食い初めの祝い日に、おうめの里肥前屋から父興(こう)()衛門(えもん)に母のおふじと兄徳(とく)兵衛(べえい)に嫂が、博多の町から東西の中島橋を渡って城下の播磨屋に遣って来た。

おうめの両親と対面した席に、およつを始めとして博多の薬種問屋へ嫁いだおゆりと、博多の()呂物(ろもの)問屋(どんや)小倉屋へ嫁いだおりつが座った。上座の宗茂とおうめの間には腰掛けが設けられて、其処に久吉が深々と座っている。

久吉の前には膳が据えられ、膳には赤飯と尾頭付きの焼き魚に吸い物が添えられていた。 およつが一同を見て、興左衛門に眼を向けた。

「興左衛門殿、久吉のお食いの仕草をお願い致します」

 興左衛門は一同に眼を配り、久吉の前に進み出ると久吉の口元に、膳から赤飯を箸で一粒取り上げて食べる仕草をさせた。更に興左衛門は焼き魚の肉を(むし)()って、赤飯と同じ様に口元に付けた。

お食い初めの為来りは終わった。

「興左衛門殿、これで久吉も食べ物に事欠かず、健やかに育ってくれるでしょう」

 とおよつが、興左衛門から皆に眼を配り乍ら言った。

お食い始めの日から三日目の昼下がり、播磨屋の台所ではおよつにおうめにおゆり、そしておりつに女中のおひで達が(ちまき)を作り乍ら(かしま)しい。

およつが粽作りの手を止めて口を開いた。

「お(しゅうと)さんからこの粽の(いわれ)れの話を聞かされたのは・・・・・」

と言って、およつは昔を思い浮かべる様な仕草をしたが、思い出したのか口を開いた。

「多分、宗茂の三っの節句の時だったと思うが・・・・・・」

 と言って、再び口を閉じた。暫し間を置いて閉じた口をまた開いた。

「その話を、お前達に、何時だったか話したようだが・・・・・」

 と言って、おゆりに眼を遣った。

其のおゆりが手を止めて、およつの顔を伺った。

「おっかさん、そんな話は、今まで聞かされた事はないよ」

 と言って、少し怪訝(けげん)な顔を見せた。妹のおりつも手を止めておゆりに問い掛けた。

「姉様、あたきもそんな謂われを聞かされたことはないねぇ」

「そうだったかねぇ。お前達に聞かせなかったかねぇ」

 と言って、およつは明の国から伝えられたと言う粽の話を長々と話すと、女子達はこのおよつの話に呆気にとられていた。

其の呆気に捉われている女子達が作った粽を一つ口に頬張った宗茂が、先程、およつが話した粽の謂れ話から、久吉も将来は人様から慕われる人になって貰いたいものだと言った後、久吉と言えばと言って、宗茂はおうめに眼を定めて話を投げ掛けた。

「おうめ、この前、久吉のおとっつあんとおかっさんと思える人の話をしていたなぁ」

 この話で、女子達の手が止まり、おうめに眼が集まった。

「おうめお姉さん、久吉ちゃんのおっかさん達と出会ったの」

 おりつが眼を丸くして尋ねて来た。おうめは一瞬困った表情を見せた。

「会ったと言う訳でもないのですが・・・・・・」

 と言って言葉を止めた。暫し止めた後におうめが語り出した事は、おうめが外から播磨屋に戻って、太鼓暖簾の横を摺り抜け様とした時に、街道脇で播磨屋の門口を窺っていなさるお百姓風の二人連れを見掛けたの。その時、おうめが二人に軽い会釈を返したら、二人は腰を深く折りなさって、街道を西の方へ行かれたの。その時は播磨屋のお客様かと思ったのですが、後で思うと、どうも久吉のおっかさん達ではなかったのかなぁ。と思っているの・・・・。

 このおうめの話に、おりつが畳み掛ける様に尋ねて来た。

「お姉さん、その二人の顔を見たの」

「いいえ、二人は夕日を浴びていなさったから、顔は良く見えなかったけど・・・・」

「けど・・・・・」

 おりつがおうめの言葉尻を捉えて問うて来た。

おうめが応えた事は、おとっつあんと思われる人は、旦那様と同じ様に背丈の高い人だった。おっかさんと思われる人は、私と同じ位の背恰好だったわ。と言った。

「じゃあ、おっかさんは美人だった」

 とおりつが膝を摺り寄せ乍ら聞いて来た。

「西に向かって行きなさった後姿を一寸しか見ていませんから・・・・・」

 おうめは困った様子で言葉を止めた。

そして暫し間を置いた後に言い出した事は、身形(みなり)はお粗末だったが、お二人の素振(そぶ)りから良い人じゃないか。とおうめは思っていると言った。

 このおうめの話の後、およつが久吉の寝顔に眼を向けた。

―久吉のおとっつあんとおかっさんと思える人は、生まれてから手放すまでの間に、何度となくこの子の寝顔を見ていなさったから、運んではいけない二人の足が、何時しか播磨屋へ向いてしまったのだろう・・・・・・・。

 およつの表情がその様な思いをしている様におうめには見えた。

すると、およつが暫し見ていた久吉の寝顔からおゆりに眼を向けた。おゆりは母の眼を暫く見詰めていたが、およつの心を読んだのか。深い頷きを見せたのだ。


 陽が真上近くまで昇るには、未だ一刻半(三時間)近く掛かりそうな朝の五ッ半(午前九時)に、おうめが久吉を抱いて重湯を食べさせていた。庭からピッコロロ、ツクツクオーシと甲高い鳥の声が障子を通しておうめの耳に届いた。

―あら、久吉、何の鳥だろうー

 とおうめは呟き乍ら、腰を上げると障子を静かに開けた。

庭の奥では今が盛りの様に百日紅(さるすべり)の花が(まぶ)しくおうめの眼に写った。其の百日紅の梢で、黄色の胸毛を朝陽に当てている黄鶲(きびたき)が黄金色に見えていた。

涼しげな風が、おうめの頬を撫でて座敷の奥へと流れて行った。

風が流れた先からおよつの声が聞こえて来た。

「おうめさん」

「はーい」

 おうめが今日のお日和の様な(さわ)やかな声で応えた。

おうめがおよつの処へ久吉を抱いて行くと、おうめの腕の中の久吉をおよつが覗き、あやし言葉を掛け乍ら、久吉の頬を指で軽く押すと、笑顔をおうめに戻し乍ら腰を落とした。おうめもおよつの前に座ると、およつは再びおうめの腕の中の久吉を覗いた。

「おうめさん、初宮詣のお返しをおふじさんの処に届けてくれないかい」

 と言い乍ら、およつが紫の(かけ)袱紗(ふくさ)が掛けられた品をおうめの前に出した。

「今朝、番頭さんが唐人町の簗所(やなしょ)で求めて来なさった生きの良いお魚だよ」

 この品をおうめの里に持って行く様にとの事だった。潤む眼でおうめがおよつを見た。

「おうめさん、久吉はあたきとおひでで面倒見て置くから、安心して行って来ておくれ」

 それから四半刻(三十分)を過ぎた頃、おうめは浅葱(あさぎ)(いろ)(しゃ)に秋草文様を裾に描いた小袖で身を包み。左手には小袋を提げて、右手には蛇の目の日傘を差していた。手代から手代頭になった亀松が名も清次と改めていた。その清次の肩には天秤(てんびん)(ぼう)が担がれて、天秤棒の前には(ねり)(ざけ)を入れた器が下げられて、後ろには(たらい)の水に浸かった魚を吊り下げていた。

其の清次がおうめより半歩ほど離れて付いている。

夏の終わりの陽が真上近くから照り付ける中を、おうめ達は街道を東に十八町程歩いて枡形門(ますがたもん)に掛かっていた。この先に架かる西中島橋から東中島橋を渡り終えると、おうめが生まれ育った博多の町へと入る。おうめはいま東中島橋に軽やかな下駄の音を響かせて橋口町に入っていた。

東中島橋袂に立ててある制札場(せいさつば)に群がっている人達を、おうめは横目でみ乍ら糀屋番(こうじやばん)の実家に向かっている。

おうめと清次が実家で昼餉(ひるげ)を呼ばれて、戻りの東中島橋に足を掛け様とした時、須崎町上から人垣が流れて来た。

「綺麗だったねぇー」

 母親と思える人が連れの子供に聞かせているのが、おうめの耳に微かに聞こえた。

―あぁー、そうか、今日は六月十三日だったわー

とおうめは思い出して、清次を誘って須崎町上に足を向けた。博多山笠が一同に並んでいる。おうめは久し振りに博多の山笠を眼にした。

帰り道で、清次がおうめに尋ねて来た。

「ごりょんさん、あそこに揃えるのは何かの謂れがあるのですか」

「ああ、その事、あれはねぇ」

 と言って、一旦言葉を止めた後、振り返って博多山笠が並んでいるのを眼にしたおうめが言うには、あそこに寛文の時代までお奉行所が在ったので、あそこに並び立てているのが続いているの。と清次に聞かせて、清次の顔を見た。

「わたしは、博多商人の娘として生まれたから山笠の事は、少しは知っているのよ」

「そうでございますか」

「今、見て来たのは笠揃えと言って、あそこに十三日の今日、全部並べるのよ」

話し乍ら戻って来た二人は、既に本町近くまで来ていた。

「清次、先にお店に戻っていて下さいなぁ」

「へい」

「夕七ッ半(午後五時)までにはお店に戻りますと、旦那様に伝えておいて下さいな」

「へい」

「わたしは美濃屋のおはつさんと、少しお話をして来ますから」

「へい、わかりました。旦那様にはその様にお伝え致します」

「あっ、その品は、戻ったら台所に置いとってねぇ」

 清次が手にしている。おうめの母親からおよつへの(ことづけ)ものを見ておうめが言った。

「へい」

「すまないねぇ」

「いいえ、じゃあ、ごめんなすって」

 おうめは清次の後ろ姿を暫らく見ていたが、背を返して美濃屋の敷居を跨いだ。

おはつの久吉に対する乳人役は四月の末日で終わっていた。

「おはつさん、久吉の事では色々とお世話になり有難う御座いました」

「おうめさん、もういいって言う事よ」

「だけど・・・・」

「おうめさんそれはいいけど、久吉ちゃんは、食べ物はしっかり食べているの」

「えぇ、重湯をびっくりするほど食べるのよ」

「そんなに」

「それに、今月に入って障子に手を掛けて立ち上がる仕草をしたりするのよ」

「そぅー、じゃあ、言葉も話し出した」

「うーん、言葉ではないけれど、何か声を出しているわ」

「楽しい限りねぇ。それだったら、うちの良吉を追い越して行くかもしれないわ」

 良吉とは、久吉よりも四ヶ月ほど前に生まれたおはつの初子であった。

「いぇ、そんな良吉ちゃんのように、初めから丈夫な子ではないから」

 おうめが言って、少し俯いた顔をおはつに向けた。

「おはつさん、実は、先日、久吉のおとっつあんとおっかさんと思われる人と会ったの」

 とおうめが切り出すと、おはつがおうめに身を摺り寄せて言った。

「えっ、おうめさん、おっかさん達に会ったの」

 おうめの話に、おはつはおうめの顔を食い入る様にして聞いていた。

「へぇー、そんな事があったの」

 とおはつは、信じがたい顔をした。

おうめが久吉の産みの親と思われる人達との出会いを話した後に、おうめがおはつにこんな話を重ねていた。

あの様な可愛い子を、産みの親は(なに)(ゆえ)に手放しなさったのか。とこのおうめはあの子を抱いた時からずっとその事を考えて来たわ。すると、おっかさんと思われる人と眼が合った時、其の人がこのおうめに深く腰を折りなさった仕草が、あの子は手放ししたくはない。だが、生まれ乍らの苦労をあの子に背負わせるなら、手放す事であの子が幸せになるだろう。と思っていなさる様に、このおうめには思えたの・・・・・。

此のおうめの話におはつが応えるには、我が子を捨てると言う事は、久吉ちゃんの命を絶たざるを得ない様な、辛い苦しい事が立ち塞がっていたのねぇ。だから、我が身の苦しさは我が身の中に仕舞い込み、久吉ちゃんの幸せのみを祈って、何処の何方かがこの子の命を拾って下さって、幸せにして下さると言う細い望みに掛けなさったのだろうねぇ。

と顔に何処やら(うれ)いを秘めておはつが話してくれた時、おうめは久吉のおっかさんと思える人の面影を忍び乍ら、おたかから聞いていた筑前領内でも後が絶たない。赤子殺しを思い浮かべてみた。

―久吉の命は絶たれなかった。だから、この命に幸せを背負い込ませて見よう・・・

 とおうめは思い、おはつの手を握っていた。

「おはつさん、久吉のおっかさんの心を聞かせてくれてありがとう」

「いぇ・・・」

「久吉を何としても立派に育て上げるわ」

「わたしは人様の子を、おうめさんがあんなに大切に育てていなさる事に・・・・」

「誰の子であろうと、赤子の命は消しちゃいけないわ」

「そぅーねぇ」 

とおはつは言って、北の障子を少し開けた。博多湾から吹いて来る心地よい風が、おうめの左の(びん)()でて行った。

 おはつと暫く話し合った後で、良吉ちゃんの無心な寝顔を見詰めていたおうめは、無性に久吉を抱きたい気持ちが募り、西へ急ぐおうめの影が街道に揺れていた。

 

明けて寛政二年。

松の内が明けた十六日の夕餉後、宗茂とおうめが丸火鉢に手を(かざ)し乍ら、床で寝ている久吉を見詰めていた。

おうめは久吉から眼を宗茂に向けて、おうめの胸の内を宗茂に話した。久吉をおうめが初めて抱いたのは、昨年の一月十八日の嵐の日であった。あの日がおうめに取っては、久吉の生まれた日と思っている。とおうめは話した。

今年もその日が来ようとしている。

その日を、久吉の誕生祝い日とさせてくれ。とおうめは宗茂に願い出た。

十八日、昨年のあの日、久吉を抱いた人達が久吉二歳の誕生祝として駆け付けていた。

昨年のこの日に、おうめに抱かれた久吉の面影は、この日の誕生祝から探そうと思っても、何処にもその様な欠片は見渡らなかった。

顔にはふっくらと肉が付き、元気な笑顔を絶え間なく見せる子に育っていた。


 播磨屋の商いは藩が製薬した。【()(さい)(えん)】【()(せつ)】【(せき)(りゅう)(たん)】の三薬の販売を一手行なう上に、播磨屋が編み出した疱瘡(ほうそう)に効き目のある【(ほう)防丸(ぼうがん)】。それに気付や胃腸病に効き目がある【奇応(きおう)(がん)】を田代から取り入れて、城下から早良郡に怡土郡、そして志摩郡に掛けて繁盛を見せていた。

この繁盛を見て、秋月城下の薬種問屋宇治屋に養子に入っている。宗茂の弟卯左衛門が春先に兄の許を訪れている。

弟卯左衛門は福岡藩の支藩である秋月城下で、福岡藩が製薬した三薬の販売を、兄から藩へご注進願いをして貰いたい事で伺っている事はおうめにも分かっていたが、弟卯左衛門が宗茂と小声で話をする事に(いささ)か不快の思いがあった。

寛政二年の夏も過ぎて秋の気配が忍び寄る八月の末日、播磨屋の裏庭には(あか)蜻蛉(とんぼ)が群れをなして飛び廻っている。

この日も、春先の訪問時と同じ様に、宗茂と長い小声話を終えた弟卯左衛門が、座敷から帳場の上がり框に向かって行く時に、帳場から戻って来たおうめと出会わせた。

「これはおうめさん、挨拶もしないで引き上げようとは、相済まぬ事です」

 と弟卯左衛門は、おうめに愛想の笑顔を見せ乍ら詫びた。

「いえ、卯左衛門殿、こちらこそご挨拶が出来ず申し訳ありません」

 とおうめは鄭重に腰を折った。

「おうめさん、兄者とは商い話ですから、一向に御気を廻されなくても結構ですよ」

 卯左衛門は腰を軽く折って上がり框の方へ遠ざかって行った。おうめは卯左衛門の後を追って、卯左衛門が播磨屋の敷居を跨いで街道へ出るのを、上がり框に座り込んで深々と頭を下げた。卯左衛門の供の者が深く腰を折っておうめに返すと、卯左衛門の後を追った。これから今日の内に秋月城下に辿り着く事は出来ないので、二日市の温泉宿でも泊まって帰られるのだろうか。とおうめは思い乍ら上がり框から腰を上げて、帳場にいる番頭の伊平や手代頭の清次達に声を掛けて奥へと下がった。

おうめが座敷に戻ると、久吉は二つ三つの玩具を前にして遊んでいたが、おうめを見て立ち上がると、馬の玩具を手に取り「まんまあ、うまうま」と言って、おうめに手渡した。

「久吉ありがとう」

 おうめが笑顔で受け取ると、久吉に頬ずりをした。


季節は秋の様子がすっかり影を潜めてしまい。冬の季節が駆け足に来ようとしていた。寛政二年の師走。商人達は忙しく町を駆けずり回っていた。播磨屋の宗茂も城下の大身(たいしん)のお屋敷を四、五軒ほど、年末のご挨拶と来年も代わらぬご贔屓(ひいき)の願いを()うて、播磨屋の門口に帰り着いて番頭の伊平と話し込んでいると、お奉行所の手付役人の近藤房次郎が太鼓暖簾の横から少し笑みを漂わせて入って来た。

「播磨屋、邪魔するぞ」

「これは近藤様、ようこそお出で下さいました」

 と宗茂は、上がり框そばで深々と腰を折った。

手付け役人の近藤の話に拠れば、明日、昼八ッ(午後二時)にお奉行所の養育方加茂利平太を尋ねよとの伝言であった。

「播磨屋、案ずる事はないぞ。じゃあ、邪魔したな」

 と言って、手付け役人は帰って行った。

その日の夜、宗茂とおうめが手焙りを囲んで話し合っていた。おうめが言うには、お奉行所からのお呼び出しは、久吉に里親の話が持ち上がって来たのだろう。と言って宗茂に詰め寄っている。

加茂様の処へ出向く旨の口上しか(うけたまわ)ってないと宗茂が言って、おうめの心を更に掻き乱させた。二人が案ずれば案ずるほど、おうめの心は久吉から離れ難い思いを強めていた。

久吉を播磨屋に入れた時に、お奉行所に届け出した書状は何れ里親先が見付かれば、久吉を手放す旨の届け出であったので、お奉行所からの話がその話であれば断わる訳にはいかないだろうと思って、おうめは暗い顔を見せた。

宗茂はおうめの気持ちを悟って、手付け役人の近藤が言い残して帰った言葉をおうめに聞かせたが、おうめの心は晴れる事はなかった。おうめはあの夕日の中で出会った久吉のおとっつあんとおっかさんと思える人に約束をさせて貰った。久吉が我が子であると名乗りが出来る十一歳までは、このおうめが立派な子供に育て上げます。

其の先は貴女様へお返しいたしますと誓った手前、奉行所に届け出した里親の話は奉行所の届けからも、おうめの心からも消したかった。その様に思い乍ら久吉と添え寝をしたが、一時も眠れない夜を迎えていたのだった。

               

寛政三年も終わろうとしていた。

小春日和を背に受け乍ら、おうめは唐津街道を横切り、浜へ抜ける永倉筋を久吉の手を引き乍らゆっくりと歩いていた。年貢米の俵を馬の背に積んだお百姓衆の声が、おうめと久吉の背後で聞こえた。おうめは久吉を慌てて抱えると、道端に除けて遣り過ごさせた。何頭かの馬が通り過ぎた後には、もうもうと砂煙が立ち込めて行く手が霞んでいた。

この年の一月十八日で久吉は三歳になっていた。この頃から久吉はすくすくと背丈を伸ばし一尺八寸近くになっている。久吉はおうめに引かれている手を、時偶、先に引っぱって行く仕草を見せると、今度は立ち止まって、おうめの顔を窺ったりしていた。その(たび)(ごと)に、おうめは腰を落として、久吉に笑顔を見せている。

腰を落としたおうめに、久吉が指を差し向けて「うま、うま」とおうめに喋っていた。

永倉は筑前領国の夜須郡(やすぐん)御笠(みかさ)(ぐん)(おもて)粕屋郡(かすやぐん)(うら)粕屋郡(かすやぐん)那珂郡(なかぐん)、早良郡、宗像郡(むなかたぐん)の七郡から十五万俵。五万石の年貢米が運ばれて来る収納倉を有していた。永倉筋を挟んで東側の倉を上の倉、西側を下の倉と呼んでいた。此処に収納された年貢米は無足及び城代級の藩士への切米と、これ以下の藩士への扶持(ふち)(まい)として割り当てられていた。

おうめは上の倉と下の倉が道を挟んで並んでいる処まで、久吉を連れて来ていた。

永倉の通り沿いは(すき)(べい)で囲まれていた。此の透塀沿いに馬を引いて来た人の憩い場として、馬の繋ぎ所が設けてあった。その繋ぎ所の横には馬を引いて来た人が腰を落とす石段が組まれていた。其の石段におうめは久吉を抱え上げると、其処から中を覗かせていた。

久吉が中の様子を楽しげに見詰めている。透塀の間から覗いた中の様子は、二十俵毎に積み上げられた米俵の間をお奉行様と思える人が通っている。その人の手の平へ、お役所の手の者が米俵に差し込んだ筒からの米粒を落とすと、その人は其の米粒を暫し見詰めて、手の者が差し出す器に滑り落とすか、空中高く舞い上げるかの仕草を繰り返していた。

この様子を久吉が真似して、小さな右手を空中に舞い上げると同時に、きゃきゃと笑い声を上げているのをみ乍ら、おうめは江戸から訪ねて来た薬種問屋の番頭さんが、先日話をしてくれた事を、頬から背に当たる心地よい陽を浴び乍ら思い出している。


おうめと宗茂がまだ祝言を挙げる前、宗茂が伊之助と呼ばれていた十六の歳、江戸本所三ッ目徳ヱ門町野田屋市郎右衛門の薬種問屋に奉公に上がった時、その店の手代喜助が、いまは名を清兵衛と改めて店の番頭を預かっている。この人が、先月、店の手代と連れ添って長崎に阿蘭陀生薬の買い付けに行く途中、播磨屋に立ち寄って江戸の話を宗茂やおうめ、そしておよつに話をしてくれたのだ。

宗茂が江戸奉公の時、喜助と一緒に寺や神社で行なわれている勧進相撲を何度か見に行った。だから、江戸相撲の話を(つぶさ)に話してくれた。相撲の話が一通り終わった処で、芝居の話に清兵衛さんが移った時、およつが清兵衛さんへ頼んだ事は、清兵衛さんの長崎行きを一日先送りして、おうめの母親のおふじや嫂のおすみ、そしておよつの娘であるおゆりにおりつ、それに呉服問屋のおちよに乳人役をしてくれたおはつ、それから穏婆のおたかを播磨屋に呼び入れて清兵衛さんの話を聞かせたいと願った。

清兵衛さんが話した事を、年貢米の検査場から聞こえて来る声に、おうめは何となく耳を貸し乍ら、また久吉の身振りに眼を細め乍ら思い出している。

清兵衛さんが語ってくれた話は、昨年、寛政二年の江戸三座の出し物についての話であった。

中村座の演目『加賀見山旧錦絵((かがみやまきゅうにしきえ)』『おはつ徳兵衛』『お半長右衛門(おはんちょうえもん)』の話を語ってくれた。

加賀見山旧錦絵は享保九年、松平周防守の江戸屋敷で中老みちが、沢野(さわの)(つぼね)草履(ぞうり)と履き違いした事で、みちが沢野から恥辱(ちじょく)を受けて自害した。この事でみちの下女のさつが沢野を討った話が芝居に(おと)されていた。

この芝居は毎年奥女中達の宿下がりの頃、春から夏入りの時期に芝居が打たれて、毎年大入り満員であると話してくれた。

その芝居の話を思い起こしている時に、塀の向こうから大きな声が聞こえて来た。其れと同時に久吉が用を思い立ったので、この場で用をさせると大変な事になると思って、おうめは久吉を急いで抱えると、永倉筋を街道に向かって半町程戻った処から家並の間を脇へと入った。暫くすると、おうめに手を引かれている久吉が、清清しい顔で何度となくおうめの顔を見上げた。播磨屋への戻り道で西に傾いた陽が、おうめと久吉の右肩に射し込み、二人の影が塀に折れ写っている。

播磨屋の太鼓暖簾の横から敷居を跨いで奥に入ると、帳場で番頭の伊平が帳簿に眼を落としていた。帳場の奥では手代達が()(けん)()(うす)を動かして薬の調合をしている。

おうめは久吉を抱えて、踏み台から上がり框へ上がると、奥へ通じる廊下を久吉の手を引いて歩き出した。そこに、奥からおよつが裾の音を急がせて出て来た。

「おうめさん、何処へ行っていたの。あまり帰りが遅いので心配していたのよ」

「お母さん、すいません。永倉まで行っていましたの」

 手を引いていた久吉の手を離すと、久吉はちょこちょこと歩き出した。

「そぅー、永倉まで行っていたの」

「えぇ」

「お奉行様の仕草で・・・」

「お奉行様の仕草?」

「えぇ、お奉行様が手の平からお米を空高く放り投げられる。あの仕草ですよ」

「ああー、あの仕草ねぇ。だけどお百姓さんは困られるだろうねぇ」

 とおよつとおうめが、廊下を話し乍ら行っている前を、久吉がちょこちょこと歩く姿におよつが声を掛けた。

「これこれ久吉、危ないよ」

 およつとおうめが奥の部屋に座ると、二人は久吉の話で一時が過ぎて行くのも気にする事もなく話している。

二人の話は、今年の正月開けに久吉の三歳の誕生祝を終わらせて、夏の季節に入る頃から久吉が急に大きくなった事や、話し言葉を覚えて喋り出して来た事や、歩き出して縁側から庭へ落ちやしないか。上がり框から三和土へ落ちないか。お店から外に出て馬に蹴られやしないか。荷車に()かれはしないか。勾引(かどわかし)に合わないかと心配の種が減らないと言って話に夢中だ。

「おうめさん、一時も眼が離せないから疲れるわねぇ」

「でもお母さん、久吉が日毎に大きくなって行く事が、この疲れを癒してくれますよ」

「そぉーねぇー」

とおよつがおうめに応えて久吉の方に眼を向けると、久吉は夕方の薄暗い明かりで張子の犬と遊んでいた。其の久吉の様子を見ていたおよつが大きな声を出した。

「あっ、思い出した。おふじさんがくれた白菜漬け」

「はぁ・・・・・」

「いや、おうめさんに初宮詣のお返しを肥前屋に持って行って貰ったじゃあない」

「お母さん、あの時は、ありがとうございました」

「なに、お礼を言うのは、このおよつよ」

「・・・・・・・・・」

「ほら、おふじさんが漬けてくれた白菜は一番美味しいからねぇ」

 おうめが里からおよつへの託物として貰って来た。白菜漬けの美味しかった話を言い出したのであった。此の話が終わって、二人が久吉に眼を遣ると、玩具で遊んでいる久吉の顔が薄暗く見えて、部屋に暗さが忍び寄っていた。

「お母さん、気が付かずすみません」

と言って、腰を上げたおうめが炭火を台所から持って来て、丸火鉢に火を(おこ)した。

師走の中頃に差し掛かった割には、昼間の陽からは冬とは思えない一日であったが、陽が落ちると冬の寒さが部屋を被い始めている。

行灯の明かりと、おうめが熾した火鉢の火が寒さを忘れさせてくれた。

およつとおうめは夕餉前の一時をまた話しに入っている。

「おうめさん、この前の芝居話、あれは楽しかったねぇ」

「お母さん、里の母まで呼んでくれまして有難うございました」

「いゃ、あんな話は、この城下では滅多に耳にする事がないからねぇ」

 とおよつが言って、傍にいる久吉を膝に抱えると、久吉の小さな手を火鉢に(あぶ)らせた。

「久吉、暖かいねぇ」

 とおよつは言って、久吉の顔を横から覗き込んだ。おうめはおよつのこの仕草を眼を細めて眺めていた。およつとおうめはそれから四半刻(三十分)程、あれやこれやの世間話をし乍ら、久吉の顔を二人が覗いたり、声を掛けたりしている。おひでが夕餉の支度が整った事を告げて来たのに合わせて二人の話は終わった。およつは膝の久吉をおうめに渡すと、掛け声を掛けて腰を浮かした。そしておうめに抱かれている久吉のほっぺを指で少し押した。

「久吉、じゃあ、婆ちゃんは行くよ」

 およつが笑顔を残して部屋を後にした。


夕餉後に宗茂とおうめが手焙りを挟んで、取留めの無い話をしていると、おうめの頭にふっと思い起こされる事があった。

「お前さん、覚えていなさるかぇ。昨年の暮れ、近藤様が訪ねて来なさった事を・・・・・」

 問われた宗茂は訝った顔をおうめに見せた。

「さぁー、近藤様が来られたかなぁ」

 宗茂は小首を捻って考え込んだ。だが、思い出す事は出来なかった。

「それが、何か」

 と宗茂が、今度はおうめに問うた。

「いやですよ。尋ねているのはおうめの方ですよ」

「ふーん」

 と言って、宗茂はまた考え込んだ。

「養育方の加茂様がお呼びだとの、近藤様からのお話ですよ」

「あぁー、思い出した。加茂様のお呼び出しか」

 と言って、宗茂はおうめの顔を窺がった。

「それがどうした」

「どうしたと言うより、いま、ふっと思い浮かべたので・・・・・」

「あぁー、そう言う事か」

 宗茂が加茂様に呼ばれた事でおうめに話した事は、巷では捨て子の里親になると言って、捨て子を養育している処に里親人が来て、捨て子を貰って行く時に養育費として金子(きんす)をせびる事が横行しているので、これらの話に乗る事が無い様にとの仰せの話であった。

「おうめ、すまなかった。儂が此の事を早く話しておけば」

 と言って、宗茂はおうめに頭を下げた。

「お前さん、よしておくんなさいよ。私に下げられると困りますよ」

 とおうめは()みを浮かべていたが、心の中では懊悩(おうのう)が覆い尽くしていた。

このおうめの心を安堵(あんど)させてくれる事は・・・・・、

久吉が六歳になる迄、何処からも里親の申し出のない事である。

其の後の五年はおうめがしっかり養育して、久吉が十一歳になった時、産みの親の手に久吉を戻そうと思って、おうめが久吉を抱いて三年の歳月が流れて、寛政三年の年末を迎えていた。この三年の間に里親を申し出て来る話は一度だって来なかった。嬉しかった。後三年、里親の申し出が来ない事を願って、おうめは浮かべた笑みを閉じていた。


開けた寛政四年の正月十八日に、久吉の四歳の誕生日に穏婆のおたかと乳人役を受けてくれたおはつを呼んで祝い事を終えると、季節は春が足早に遠退き夏の終わりの六月を迎え様としていた。

家の中や庭をちょこちょこ走り廻っていた久吉の動きが、六月の末日近くから鈍くなり口数も減っている。

この久吉の様子に不審を抱いたおうめが、唯事でないと悟り宗茂に話をすると、宗茂は久吉の額に手を当てて、久吉の顔を正面や横から眺めると、衣服を脱がせて体の全体を隈なく見ると、おうめに顔を向けた。

「おうめ、久吉が此処二、三日の間で頭や腰を痛がる事は無かったか」

「その様な事はありませんよ」

 おうめは怪訝な顔つきで(こた)えた。

「では、食べた物を吐き出す事はなかったか」

 と宗茂が、再びおうめに()(ただ)した。おうめは宗茂を不安の眼差しで見詰め乍ら、二、三日前の様子を振り返る仕草を見せた。

「そんな事はなかったわ。何か、お前さん、久吉に・・・・」

 とおうめが言って、宗茂に擦り寄った。宗茂は再び久吉の額に手を置いた。

「別に代わった事はないから安心しな」

 と言った宗茂は苦しい笑顔を見せて席を立った。おうめは宗茂の心から出る笑顔ではないと悟り、宗茂の後を追うと、帳場へ行く廊下でおうめは宗茂に声を掛けた。

「お前さん、別に代わった事はないと言いなすったが、何かあるのじゃないのですか」

 おうめの問い掛けに、宗茂は足を止めて振り向く事なしに、おうめに言った。

「おうめ、久吉は疱瘡に罹り掛けているらしい」

「えっ、久吉が疱瘡・・・・」

 疱瘡がどんな病か。おうめには分かっていた。久吉の様な子供達が、あの様な小さな手で冥途(めいど)への扉を押し開ける病と信じていたから、おうめは心が抜けて廊下に腰を落とした。おうめの小袖が廊下に擦る音で、宗茂はおうめに振り向いた。

「おうめ・・・」

 と宗茂は言って、おうめの肩に手を掛け、おうめを抱き起こした。

「おうめ、お医者の見立てを受けなければ分からないが、多分、疱瘡だろう」

 宗茂は言葉を止めた。暫しおうめを見ていたが、止めた言葉を続けた。

「おうめ。案ずる事はない。久吉を死なせる様な事は、この宗茂が絶対しないから」

 と宗茂は、おうめに笑みを見せると帳場へと歩を進めた。

おうめは宗茂の後姿をみ乍ら、宗茂の心の暖かさを、おうめの心へ素直に貰い受けしていた積もりであったが、頭を過ぎる疱瘡と言う病の怖さをすっかり打ち消す事は出来ず。およつの部屋の襖の引き手に手を掛けていた。

 

夕餉前の一時、およつに宗茂、そしておうめが飯台を囲んで先程から話し込んでいる。

「宗茂、博多の町に気の利いた祈祷師(きとうし)がいるじゃろうが、その人を呼びなさい」

 とおよつは言って、番頭の伊平を部屋に呼ぼうとした。

「おっかさん、一寸待ってよ。医者の見立ても終わってないから」

 およつは宗茂の話を聞く事もせず。おうめに眼を向けた。

「おうめさん、久吉に赤い衣裳を着せなさい」

 不思議な表情を見せているおうめに、およつが話を重ねた。

久吉を寝かせる離れの部屋には誰も入れぬ様にする事。そして久吉のおもちゃから布団まで全て赤色で埋め尽くす様にと、およつは多少興奮気味でおうめに告げた。このおよつの話に宗茂が訝った様子で訊ねた。

「おっかさん、その赤色は何の為にするのよ」

「疱瘡に罹った時は、赤色で子供を包むと疱瘡が逃げて行くと、お姑さんから教わったの」

 とおよつが聞かせてくれたが、宗茂は合点が行かず。不機嫌な様子を見せた。

その様子をおよつが見て宗茂に問い質した。

「じゃあ、お前に妙案があるのかねぇ」

「妙案と言う物じゃあないが、あたきにはあたきの考えがある・・・・」

 と言って宗茂は暫し口を噤んだ。

宗茂の胸の内には、久吉が多少の熱を出しているので、明日、医者に見立てて貰って、確かに久吉が疱瘡に罹っているならば、宗茂が考えている手立てを久吉に施したいと言う思いがあった。

その手立てとは、秋月の城下で宇治屋と言う薬種問屋に養子に入っている卯左衛門から聞いた話である。

寛政元年に秋月藩医に召抱えられた緒方春朔(おがたしゅんさく)が、寛政二年に軽い疱瘡に罹っている子供二人に疱瘡の痘痂(とうか)を以って、()(かん)苗法(びょうほう)と言う遣り方で治療したと言う話を、弟の卯左衛門から聞いていた宗茂が、奉行所の手付役人をしている近藤を介して、秋月藩医の緒方春朔に面談して鼻旱苗法の遣り方を聞いていたし、福岡城下で春朔の治療方法を学び得た医師の紹介も受けていた。

此の事があったので、宗茂は紹介を受けた医師の治療に任せると共に、播磨屋に伝わる疱瘡の治療薬に宗茂自身が手を加えて改良していた【疱防丸】を、久吉に施せば病が重く進む事はなく命を取り留める事が出来ると思っている宗茂が、疱瘡の症状をおよつとおうめに聞かせた。

疱瘡に罹っていると思われる久吉の体にはこれと言った症状が未だ見えてはいないが、既に久吉が疱瘡に罹ってから十二、三日が過ぎているとすれば、久吉には高い熱が出て来て、その熱の為に久吉は頭や足腰の痛さで二、三日は苦しむだろう。

その高い熱が出ている頃には、顔や頭そして体に赤い(まだら)の吹き出物が出来て来る。此れが日を重ねるに従って水を含んだ吹き出物へと代って来ると共に、上がっていた熱が下がり始める。熱は下がるが水を含んだ吹き出物は膿を含んだ吹き出物へと代る。膿を含んだ吹出物が出来る頃には下がっていた熱が再び上がって来る。

この膿を含んだ吹き出物に(かさ)(ぶた)が出来て来る頃には上がっていた熱が下がり始める。

疱瘡と言う病はこの様な症状を見せると、宗茂は秋月の藩医である緒方春朔から聞き及んでいた事をおよつとおうめに話して聞かせた。


翌朝、薬院町で開業をしている町医者、岸本洞泉の許へと宗茂が急いだ。

町医者の岸本洞泉の見立てによると、宗茂が思った様に久吉は疱瘡に罹っていた。

罹ってから既に日が経っているとの話に、宗茂とおうめは心を痛めた。

ならば、宗茂が話してくれた緒方春朔の治療法以外にはないだろう。この治療法を施せば、久吉は命を落とす事にはならないだろう。とおうめは思って、宗茂に洞泉先生へ全てをお願いする様に願い出た。

瘡蓋を粉末にしたのを、洞泉は木の(へら)に盛って、久吉が呼吸をする度毎に鼻から吸い込ませた。それと共に宗茂が改良した疱防丸を飲ませて病の兆候を見守る事にした。

医者の洞泉の治療に願いを叶えると共に、おうめはあの夕焼け空の中で出会った人に誓った。赤子には世間の赤子と同じ様な幸せを味合せて遣ると言う思い。

此の誓いを成就(じょうじゅ)させる為にも、何としても、久吉が冥土への道をさ迷っているのを連れ戻したい思いから、播磨屋の氏神になっている鳥飼八幡宮でのお百度参りから戻ると、夜は庭の片隅に祭られている不動明王に一心不乱に願いを掛けている。

もう何日になるだろうか。おうめがこの様な振る舞いをしている脇では、宗茂が久吉の床を一時も離れず。腕組みをして、久吉をじっと見詰めている。

―久吉、(やまい)に勝つのだぞー

 と宗茂が、何度も何度も久吉に心で言っている様に、傍のおうめには見えた。

一方、およつは近所の大工に、真っ赤に塗らせた神棚を急いで作らせると、朝昼晩と神棚になんとも知れぬ呪文を唱えて、久吉の病の回復を願っている。

おうめに宗茂、そしておよつが久吉を疱瘡と言う病から連れ戻そうとして、色んな手を施しているが、久吉は冥途への道をさ迷い続けている様におうめと宗茂には思えて、久吉に大きな声を掛ける。

「久吉!久吉!」

だが、久吉は熱に(うな)されて二人の呼び掛けに眼を開け様ともせず。手を差し伸べ様ともせず。久吉は冥途への旅路を一人寂しく歩き続けている様におうめには見えた。

冥途への旅路から久吉を、この世へ連れ戻したい願いでおゆりやおりつ、そしておはつが引っ切り無しに見舞いに来てくれた。おうめの里からも興左衛門とおふじが、それに穏婆のおたかも見舞いの品を持参して駆け付けてくれた。

これらの見舞い客の中に、奉行所の近藤房次郎が尋ねて来た。近藤は養育方加茂利平太の託け物として、懐から紫の袱紗を被せた物を宗茂とおうめの前に差し出した。

宗茂が丁重に袱紗を開くと、一本の蝙蝠(かわほり)(おうぎ)が宗茂とおうめの眼に入った。

扇の表には源義経の八艘(はっそう)()びの勇姿が濃淡の紅色で描かれていた。其の図柄の上部には疱瘡を封じ込める狂歌が記されている。裏を返して見ると、同じ様に紅の濃淡で久吉が張り子の犬と戯れている姿が描かれている。其処にも狂歌が歌われていた。

「加茂様から、彼の様なお見舞いの品を頂戴し、恐縮に存知上げます」

 宗茂が丁重に近藤に言葉を戻す傍で、おうめとおよつが腰を深く折っている。

近藤が宗茂とおうめ、そしておよつに眼を向けて、苦しんでいる久吉にも眼を向けた。

暫く久吉に眼を落としていた近藤は、左腰横に置いている(うち)(がたな)を手に取ると、小柄(こづか)を宗茂へ渡そうとした。宗茂はびっくりした表情で、近藤が差し出す小柄に眼を落とした。

「宗茂殿、申し訳御座らぬが、拙者(せっしゃ)は見舞いの品を持参しておらぬ」

「近藤様、お見舞いに来て頂く事で、私達は有難く存じています」

「いや、久吉に取り付いている疱瘡の厄病(やくびょう)(がみ)から久吉を守る為に・・・・」

と近藤は言って、久吉の枕元に小柄を置いた。

「お武家様の腰の物を、身元も分からぬ久吉の為に・・・・」

 と宗茂は言って口を噤んだ。

「かまわぬ。久吉だって人の子だ」

 と言って近藤は宗茂からおうめに、そしておよつに眼を配って、其の眼を久吉に向けて立ち上がった。


洞泉先生は瘡蓋を粉末にしたのを久吉に施した後、久吉の床にずっと付いてはくれたが、先生からの話は何一つなかった。

だが、久吉に出来ている膿を含んだ様な吹き出物が影を潜めて、瘡蓋が見えて来た頃に洞泉先生が久吉の容態を話してくれた。

「もう此処まで来ると安心してもよろしいですぞ」

「えっ、先生、久吉は助かるのですか」

「うん、大丈夫でしょう」

 宗茂はおうめの顔を窺った。

「おうめ! 久吉が助かるって・・・・・」

 おうめはただ頷き乍ら、手の平を鼻に被せ、ほろほろと頬へ滴を落としていた。

およつが洞泉先生の傍に来て、何度も何度も頭を下げてお礼を述べている。


この日から七日後、久吉の床を畳む事になった。

この時、おうめは思った。

―神が久吉に与えた。大人になる試練か・・・・・・。

其れにしては、死を境にしての試練とは(むご)い。

だが、此の惨さを乗り越えて来たのだから、久吉は立派な大人になって行くだろう。とおうめは心に描いていた。久吉が試練を乗り越えたのだから、このおうめだって、久吉を育てて行く先にどんな苦しみが、どんな辛さが、どんな悲しみが待ち受けていても決して負けはしない。改めて夕焼け空の中で出会ったあの二人に誓いを重ねていた。

一月(ひとつき)近く、久吉は冥途への道をさ迷って、おうめの腕の中に戻って来た。久吉が戻って来るまでのおよつやおうめは、久吉が罹った病の進み具合を助勢する厄病神を追い払い。良い神を招き入れて待つ身は、何とも言い様のない苦しさを覚えていたのだった。

だから、およつとおうめは宗茂に頼んで、久吉の回復祝いには銭を掛けて遣らせていた。

季節は秋に入っていた。播磨屋の座敷で久吉の回復祝いと名を打っての(うたげ)が開かれていた。奉行所の近藤の席に、おはつの処に、おたかの傍に寄り添って笑顔を見せていた久吉が、行き成り小走りに走り出して庭に面している障子を半分ほど開いた。其処から秋の涼しげな風が宴の席に入って来た。皆が風の流れて来る方に眼を遣ると、障子際に佇んでいる久吉の背越しに、先月の末頃から咲き始めたと思える百日紅の花弁が微風を受けて小刻みに揺れている。


                                                          

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ