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博多のごりょんさん  おうめの思い入り

作者:中岡 真竹

寛政元年の一月十八日、霙混じりの風雨が荒れ狂う夜に、一人の赤子が商家の門口に置かれた。
福岡城下簀子町の薬種問屋播磨屋の内儀おうめは、主人宗茂と一緒になって三年が経っても、二人の間には子供が授かってはいなかったので、おうめは主人宗茂に去り状を願い出た。しかし、その時姑のおよつが何の理由か去り状を出す事を許さなかった。それから六年が経った寛政元年の一月十八日の嵐の夜に、播磨屋の門口に置かれていた赤子を抱いたおうめは、この子を自分の子と育て上げ播磨屋の跡取り息子として考えた。しかし、親戚縁者から血筋を引いた子を養子に入れるべきとの話に悩みながら、赤子に久吉と名付け芸を身に付けさせて、元服を迎える十五の歳まで育てて名も巳之助と改めた。十五の歳に、この巳之助の生まれ素性を宗茂とおうめが打ち明けて、播磨屋の跡取り養子にすることを話した。すると巳之助はいまから奉公に上がる身、その前に跡取り養子されると、この巳之助が渾身込めて奉公をしないだろう。そうなると先々でこの播磨屋を背負う巳之助としては器量を疑われる。奉公から戻っておとっつあんの眼鏡に適うならと言って江戸への奉公に出る。
江戸日本橋山東京伝の店に奉公に上がった巳之助は、文化三年の江戸大火に出遭うが、九死に一生を得て故郷福岡に戻って来る。
奉公先が終わった処で、巳之助は宗茂とおうめに奉公先の話を聞かせている時に宗茂が急死をする。播磨屋としては先のことは何一つとして決めてなかった。おうめが取り仕切って決めてもよさそうな事であるが、嫁に入ったおうめとしては憚りがあって、親戚御一途さんの席で決めて頂くのが最良と見て、巳之助の話を持ち出したが、またしても血筋を引いた養子話が持ち出された。
おうめは自分の命を投出してもかまわない思いで、巳之助の先々の事を願い出るが・・・・・・・・・・
宗茂の姉おゆりの手助けで、巳之助の話は上手く納まったが、おうめの気は晴れなかった。巳之助の先を思えばまだまだおうめが肩の荷を降ろすことが出来ないと見た。親戚御一途の席からの戻り道で、おうめは泥濘に足を取られた。その時半歩遅れの番頭清次を見た。おうめはこの清次に託そうと思って播磨屋への道に足を向けた。

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