2.ヴァージニア・ワーム(V・W)
ところで、説明するまでもないが、V・Wの名前の由来は、歴史スペクタクル『紅茶の入れ方問はず語り』の作者ヴァージニア・ワームである。
イングランド地方民にとって、紅茶の入れ方は、最もセンシティブで、軽率に口にしてはいけない話題ということになっている。自分のやり方がこそが最良であると信じている相手に、わざわざ議論を吹っ掛けるなど、分別と嗜みを欠く行為と糾弾されるイングランド地方で、唯一、このV・Wは、誰にも一滴の血も流させることなく、およそ一○一種類の紅茶の入れ方について語って見せるという偉業を成したことで評価されているが、あいにく現在それ以外の作品は、この辺境の島国の南、イングランド地方ですらほとんど読まれていない。
亡くなった祖母は、A・Cのみならず、V・Wのファンでもあったということが、遺品整理中に判明した。なぜ生前思い至らなかったのか、今となっては不思議だが、V・W(猫のほう)は、わたしが生まれた時には既にV・Wとして祖母宅にいた。だから、学校の英文学の授業でヴァージニア・ワームについて学んでも「ああ、おばあちゃん家の猫と同じ名前なのか」とは思ったものの、わたしにとっては物心つく前から猫の方が絶大な存在であったから、この作家からいただいた名前だとは、少しも思わなかったのだ。
祖母はありとあらゆるものを溜め込んでいた。廃棄するのは生ごみぐらい、いやそれすらも、堆肥にして庭でワイルドに繁殖する植物に与えていた。学校帰りにほとんど毎日祖母宅に通っていたわたしは、もちろんそのことを知っていた。骨董と呼べるような価値あるものは稀で、多くはチャリティー・ショップに寄付しようとしても拒絶される可能性が高いガラクタだ。
遺品の処理はわたしに一任されていたから、あまり考えず、機械的にほいほいと分別し、紐で縛り袋に放り込み、燃やせるものは雑草がぼうぼうと生い茂る庭の片隅にあるドラム缶で燃やした(ちなみに、大学の同級生で「ドラム缶」が何か知っている者は皆無だった)。ついでに、雑草も少し刈ってもやしたが、焼け石に水、祖母の庭は相変わらず、とっちらかっており、こんぐらがったまま。
おばあちゃん、晩年は大好きなガーデニングもままならないぐらい弱っていたんだな。
そんな思いが頭をよぎり、目頭が熱くなりかけたが、いやまて、と思い直す。祖母が元気な頃から庭はこんな感じではなかったか。生前、確かによく庭に出て何かしらの作業をしていた。この庭は、宇宙を再現しているのだ。そんなことをうそぶいていたんだ、彼女は。雑草というのは、人間が好ましくないと感じた時に初めて雑草になるのだとか何とかも言っていた。要するに、草花が好き放題に伸びている状態を、祖母は好んでいたのだ。「宇宙」は大袈裟でも、小型の「森」ぐらいの趣はある。
あるいは、祖母の世代の口にする「宇宙」と、わたしたちの「宇宙」との間に、世代間差があるのかも。祖母はスペース・ピープルの存在が陰謀論者のたわごとと思われていた時代を実際に経験していたから。