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1.アリス・カニンガム(A・C)

アリス・カニンガムは人類を代表する詩人で、移ろいやすいイングランド地方の天気をときに抒情的に、あるいは皮肉を込めて、しかし生まれ育った土地への愛情とけれんみたっぷりに歌い上げたことで知られる。代表作「どうして傘が要るの? どうせ濡れるのに」は、五年生の国語の授業で必ず暗記させられるから、みんな知っている。

「うえっ、なにそれ。ヨンタムの鼻歌の方がまだマシ」

 授業中にそんな悪態をついてクラスの皆を笑わせたお調子者のヨーリンは、担任から報告を受けた校長先生からこっぴどく叱られて、反省文を三十日間書かされるという厳罰を受けた。ちなみに、ヨンタムとは、バスタイムになると上機嫌で自前のポエムに珍妙な節をつけて歌い出す、ヨーリンの五歳(当時)の妹だ。

 ある文学作品を好きか嫌いかは、あまり重要ではない、とわたしたちは教えられる。ただし、悪口を言うのはよくない、と。詩は素直な心で受け入れるものだ。受け入れられない場合は、そっと脇に置いて、見て見ぬふりをしてやり過ごすのが良識あるヒトの振る舞いであるから。ヨーリンのように、小ばかにした態度をとるのは、最も慎みを欠く忌まわしきこととされている。

 わたしは、そっと脇に置いてやり過ごしてきた口だ。

 この詩をほんとうに理解できるようになるのは、三十代を過ぎて、夢も希望も失ってからだと言われている。それ故、ナショナル・アンセムと呼ばれている。ネイションなんて括りは、とうの昔に廃止されたというのに、だ。

 パブで酒が入ると「どうして傘が要るの? どうせ濡れるのに」を暗唱し始める中高年の数は少なくない。どちらかというと男性に多いらしいが、なぜそうなるのかは判然としない。そして、最も有名で現代でも頻繁に引用されるフレーズ


 ずぶ、(wet,)ずぶ、(wet,)ずぶ、(wet,)ずぶ、(wet,)ずぶ濡れ(soakin')なのよ(wet)


 このくだりに差し掛かったところで、誰もかれもが、滂沱の涙を流し始め、乱痴気騒ぎとなる。そのため、「カサヌレ禁止」の貼紙を掲げるパブは珍しくないが、禁止したところでどうにかなるものではない。

 この、皆が涙を流し始めるくだりは、かつてのグレイトなイングランドの滅亡を憂い嘆いているというのが定説だが、およそ二百五十年前の時点で、かろうじてユナイテッドだったキングダムは、既にグレイトとは名ばかりだった。だから、地球上から国という縛りが亡くなりイングランドが事実上消滅したとして、嘆き悲しむ意味が解らない、というのが我々世代の感想だ。生まれた頃には既にこうだったのだから、嘆きようがない。

 それでも、アリス・カニンガムのこととなれば話は別だ。死後三百年が経過してなお、地球で最も売れてるベストセラー作家。聖書の次に売れているのはA・Cと言われるほどで、その人気は地球だけにとどまらない。多くの地球発のノベルは、この惑星を一歩でも出ればまったく不人気なのだが、アリス・カニンガムは、宇宙社会で唯一認められた作家だと言っていい。だから彼女の出身地、かつてのイングランドにルーツを持つわれわれは、まるで自分たちの手柄のように、アリス・カニンガムの偉業を称える。なんだか、涙ぐましい。


 わたしの祖母は、どうやらアリス・カニンガムの熱烈なファンだったらしい。

 祖母ミンミンが二百歳で大往生を遂げ、遺品整理を仰せつかったのは、彼女に最も気に入られていた孫のわたしだった。二百歳ということは、凋落の止まらないイングランドがグレイトどころかユナイテッドの一員ですらなくなった頃合いの、二十一世紀の半ばから人生がスタートしたということだ。そうはいっても、かつてのユナイテッド・キングダムの凋落は、突如崖から転落したように起きたわけではない。むしろ、長く緩やかな下降線として成し遂げられたから、彼女は祖国が名ばかりとはいえグレイトだった時代を知る最後の世代に属する。

 A・Cがなぜ祖母のお気に入りだったのかは、わからない。祖母とわたしの間には、たとえ一緒にいたとしても会話らしい会話はほとんどなかったから。

 ただ、偏屈で親戚中の鼻つまみ者だった彼女の一人暮らしの家に、わたしはよく遊びに行っていた。祖母は「うるさい鼻たれどもは大嫌い」と二十八人の孫を漏れなく嫌っていたが、わたしは無口で、猫が好きな子供だった。

 自分の家ではペット禁止だったので、祖母の飼い猫のヴァージニア・ワームに迷惑そうな顔で出迎えられるのが子ども時代のわたしの数少ない楽しみの一つだった。

 V・Wがある日忽然と姿を消すまで、わたしは学校帰りに祖母の家に直行するのを日課にしていた。そして、V・Wの失踪後、祖母は二度と猫を飼おうとしなかったけれども、わたしは祖母の家に通い続けた。「猫は死期を悟ると云々」という胡散臭い説明を信じる気になれず、そのうちひょっこり戻ってくるのではないかと半ば祈るように願っていたのと、他にすることがなかったからだ。猫とは気紛れな生き物である。二、三年、いや十年経過してから戻ってくることだって、大いにあり得る。V・Wが何事もなかったかのようにふらりと帰ってきたときには、その場にいて、お前はまだいたのか、という顔をしてもらいたかった。あれから十年経つから、お前は一体誰だ、という顔をされるかもしれない。そして、婆さんはどこか、と。

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