サプライズなんて誰も望んでいません
「アデラ、君との婚約は破棄させてもらう。僕は真実の愛を見つけたんだ。この、彼女……セシルとの」
魔法学院での華やかな卒業記念パーティ。
その一角で放たれた非常識極まりない言葉は周囲を水を打ったかのように鎮まり返させるには十分な出来事だった。
その沈黙のうい、大半は「うーわ、ないわ」の気持ちがこもっているからか、件の言葉を吐き出した男にじっとりとした視線が集まっている。こそこそと話しだそうとすれば多少目立つだろう。
ただ、目立つもなにも自分自身が当事者であるからいつまでも沈黙しているわけにもいかない。
目の前の一応婚約者だった男、ベイリーは側から見ても不快な笑みを浮かべて隣の女性の肩を抱いている。彼の言葉を聞いて感動に打ち震えているのか、俯いている彼女はなにも言わない。
私自身も、まさか自分がこんな場面に出くわすことになろうとは思ってもみなかった。貴族の爵位はあるものの、高くもなく低くもなく、かといって平民でもない。彼のほうは魔法医療院の倅であるので有料物件ではあったが、性格はご覧の通り。わがまま放題の彼を何度叱ったことか。女が口出しするなと時代錯誤もいいところの文句はいつものことで、そろそろこちらから婚約破棄の申し出をしようかと相談していたくらいである。
「あの……」
返事をしない私に苛々とした表情を隠しもしないベイリーの隣で、蚊の鳴くような小さな声でセシル嬢が声をあげる。
「うん? どうしたんだいセシル」
「聞いておりません……婚約破棄をされるとはいったいどういうことですか?」
「ああ、言っていなかったね! 僕は君と愛しあうために彼女とはもうこれっきりだ。安心してくれ。そしてセシル、君に結婚を申し込みたい! サプライズのほうが良いと思って今日まで我慢してたんだ。君も待っていただろう?」
セシル嬢が顔を上げる。前髪の隙間から卑屈そうな瞳が覗いて、小動物のように可愛らしいその顔をキッと歪める。そして、ベイリーの手を思い切り振り払った。
「さ、サプライズだなんて誰も望んでおりません! そ、それに、わたしはあなたのことを好きでもありません!」
上擦ったような金切り声に耳がキンと痛んだものの、その意外な言葉に私は目を丸くする。彼女の腰を抱いていたその手も、彼女は身をよじって逃げだしたことで空を切る。
大人しくて卑屈そうな顔をしたまま彼女は胸の前で祈るように手を組んで私に頭を下げる。
「アデラ様に失礼じゃないですか、こんなの。失礼どころじゃなくって……ごめんなさい、ごめんなさい……わたし……拒否したら入院してるお母様がどうなるかって言われて……されるがままに、なっていました。ちゃんと、ちゃんと断ってればこんなことには……! わたし、怖くて……ごめんなさいごめんなさい……!」
「な、なにを言っているんだい!? 僕と君は真実の愛で結ばれていると散々言い聞かせただろう! 君は僕に笑いかけてくれたし、アデラみたいに怖い顔をして僕を叱ったりなんてしない! 僕に相応しいのは君みたいな子なんだ! 母君だって、責任を持って僕が担当すると言っただろう!」
半狂乱になって泣き出した彼女にベイリーが言いつのる。
その言葉は彼女の訴えが真実であることを示していた。
「嫌なんです! もう嫌なんです! わたしの私物はすぐなくなるし、授業のペアはベイリー様が睨むから誰もわたしと組んでくれないし、月経の周期もなぜか知ってるし、帰り道も嫌だって言ってるのに家まで着いてきて、妹さんも可愛いねって……もう、もう嫌なんですよ! わたし、怖い……!」
周囲で話の行く末を眺めていた者達からもこそこそと軽蔑の声があがっている。こうも周知の場で彼女が感情的に爆発してしまったのは幸いなことだったのかもしれない。今や一番の悲劇のヒロインは彼女、セシルだ。
正直なところ、婚約者の性根がこんなんだったと判明した私も泣き出したいくらいなのだが、結婚する前に分かっただけ良かったのだろう。これで彼有責の婚約破棄をすることができそうだ。
「セシルさん、こちらにおいでなさい」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
駆け寄ってくる彼女を抱きとめる。さすがに助けを求めて震えて恐怖する少女を無碍にすることはできない。
「ま、待てセシル!」
「ベイリー様、今のお話が本当なら大変なことですわ。至急、あなたのご実家の魔法医療院にセシルさんのお母様の転院を打診します。セシルさん、証拠などはございますの?」
「録音なら……いっぱい、あります。怖くて……ごめんなさい」
「そう謝らないで。あなたは被害者よ」
証拠があるなら悪い結末にはならないだろう。
血走った目でセシル嬢に手を伸ばしていた彼は警備員に連行され、会場にはあまり気持ちの良いとは言えないざわめきだけが残っていた。
「今日も彼に言われてエスコートされていらっしゃったの?」
「はい……ごめんなさい……あの人、アデラ様は怖い人だから嫌だと……おっしゃっていて……わたしは平民ですし、お母様も人質に取られていて逆らえず……本当に申し訳ございません」
「いいのよ、気になさらないで。そう、反省もしていないのね、あの人は。マナーの指摘やお勉強のことくらいしか口出ししておりませんのに」
昔から彼は調子に乗りやすく、夢見がちな性格ではあった。お勉強を抜け出して遊びに行ってしまう彼を捕まえて戻ってくるのは私の役目だったし、人に失礼な態度を取ることも多く、辟易として私は彼と過ごす日は注意ばかりしていたように思う。不真面目な彼にとって、それはきっと苦痛だったのだろう。見下している女に指摘されるのは、さぞプライドが傷ついたことでしょうね。
「当てつけにって、おっしゃっておられました。本当に申し訳ございません……ちゃんと勇気を持って断っていれば良かった」
「だから、いいのよ。あんなかたと結婚することになるところでしたのよ? 私はあなたにお礼を言いたいくらいだわ。ありがとう、セシルさん」
「……! ありがとう、ございます」
ぐしゃぐしゃに泣いた顔はお化粧が崩れて見るも無惨なことになっている。けれど、抑圧から解放された彼女は卑屈そうな表情が薄れて先ほどよりは健康的な表情をしているように見えた。
「それにしても、男性ってどうして無茶なサプライズが好きなのかしらね」
「なぜでしょうね……」
私の言葉に小さく彼女が呟いて答える。
こればっかりは理解できないことだった。彼は私に対してもよく、無茶なサプライズを用意することがあったから。
「ところで、セシルさん。お互いに踊る相手がいなくなってしまいましたし、私とダンスでもいかがかしら?」
「え……!? わたし、女性側しか、分からないですし……ダンスも下手で」
「私がリードしてさしあげましょう。たまには女性同士、可憐な花二輪で踊るのも華やかで素敵でしょう。今は辛いことを忘れて楽しみましょう? せっかくの卒業パーティなのですから」
俯いてしまった彼女に手を差し出す。
すると、そっと遠慮がちに自身の手を重ねたセシル嬢ははにかみながら頷いた。
「……はい!」
大輪の花ではないが、小ぶりな可愛らしい花のような笑顔は微笑ましい。
学院の成績も良いほうだったと記憶しているので、彼女と魔法理論について語らうのも楽しそうだ。
後日、勘違い男と化していたベイリーはしっかりとご家族に叱られて再教育になり、評判がガタ落ちして誰も振り向いてくれなくなり、私は新たにできたお友達と無事に逃げ切った問題解決後の有意義な時間を過ごすことにしたのでした。
お上品な人の地の文が書けませぬ!!!