表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

子どもたちの挽歌

作者: 水無飛沫




夜になってから、ダリオは長兄アルノルドのもとを訪れていた。


「兄ちゃん……」

「どうした、ダリオ。こんな時間に」


アルノルドは突然の来訪者に眉をひそめた。


「僕……悪い子だ……」


そう言ったきり黙り込むダリオを見て、彼は事態の深刻さを察した。


「お前……」


恐る恐る「来たのか」と問いかけると、ダリオが無言で首を縦に振る。

どうして、と聞く前に「いつまでだ」と残された時間を問いただした。

「マザーが明日の朝までだって」

今にも泣き出してしまいそうな震える声でダリオが答えた。

「ラヴェンナには……」

ぶんぶんとダリオの首が横に振られる。

末の弟を何かと気にかけているラヴェンナにそんなことを告げたら、きっと取り乱してしまうに違いない。

ダリオは彼女を悲しませてしまうことが何よりもつらかった。

彼はそのことを頼れる兄に相談に来たのだった。


「どうしよう」


黙って行くには、あまりにも情に欠ける。

けれど、永遠の離別を直接伝えるにはダリオはまだ幼すぎた。


「お前はどうしたいんだ」


アルノルドがダリオに優しく問いかける。


「僕……僕、悪い子なんだ」


悪い子だから、ここから『卒業』しなくちゃならない。

そう言葉を続けようとしたダリオの頭を、長兄の手が優しく包みこむ。


「大丈夫だよ。お前は俺たちの中でも一番いい子だ」


ぐしゃぐしゃとダリオの頭が撫でられる。


「だって……」


昼間ラヴェンナに抱きしめられたときの柔らかさと香りが、今でもダリオの胸を締め付けている。


「大丈夫だよ」


ダリオを励ますように、アルノルドは優しく声をかける。


(十人いた子どもたちも、今や六人が『卒業』してしまった。今度は末の弟だなんて)


置いていかれる寂しさと、選ばれなかった安堵を同時に感じて、アルノルドは己の内に湧いた感情を恥じた。


(今はこの子の未来を祈る時だ)


「なんにしても、打ち明けてくれてありがとう。明日はちゃんと見送ってやるからな。

それとこのあと絶対にラヴェンナに会うんだ。いいね」


アルノルドがダリオを安心させるように笑いかけ、再びその小さな頭を撫でた。

長兄と別れてしばらく逡巡したのち、意を決してダリオは長女のもとへと向かう。

彼女の部屋のベルを鳴らすと、ほどなくしてラヴェンナが出てきた。

薄い寝巻きの上にカーディガンを羽織っている姉の姿に、ダリオは本日何度目かの胸の痛みを感じた。


「あら、ダリオ。もう大丈夫なの?」


ラヴェンナはダリオの体調が戻ったと思ったのか、嬉しそうにしている。


「あ、そうだ。お昼にね、港でおいしそうなお菓子を買ったの。

一緒に食べましょ?」


そう言ってラヴェンナはダリオを部屋に招き入れた。

ダリオは導かれるままに席に着いたが、なにもしゃべることができない。


「本当にどうしたのよ。ダリオったら今日はおかしいわ」


首を傾げながらお茶とお菓子を用意するラヴェンナ。

その姿を見ながら、ダリオはやっとのことで口を開いた。


「明日、『卒業』することになったんだ」


「え」


末弟の突然の告白に、笑顔を張り付けたままラヴェンナの動きが止まる。


「やだ、なんで。どうして」


受け入れられないラヴェンナが、小さな声でつぶやいた。

そんな姉の姿を見て、ダリオの胸は張り裂けてしまいそうなほど痛んだ。


「僕ね、悪い子に、なっちゃったんだと、思う」


短く区切りながら、ゆっくりとダリオが言葉を紡ぎ出す。

そうでもしないと嗚咽が混じって、うまく喋れなくなってしまいそうだったのだ。


「そんなわけない。そんなわけないわ。あなたが悪い子だなんて……

きっと何かの間違いよ」


マザーは今まで一度も間違いを犯したことがない。

だって僕たちを正しく育てるための人工知能なのだから。


「ごめん、姉ちゃん」


「ああ、可愛そうなダリオ」


ラヴェンナが座ったままのダリオをぎゅっと抱きしめる。

奇しくも、ダリオから抱き着いた昼間とは逆の構図になっていた。


苦しいけれど、自分のことを思って泣いてくれる姉が愛おしい。

離れたくないな、と頭の片隅で考えてしまうことをダリオは止められなかった。


けれどそれは許されない。

不安で不安でしかたがないけれど、自分の都合でラヴェンナを未知の場所に連れていくことは、他のなによりも恐ろしいことだ。


自分を抱きしめて、いやだいやだと泣きじゃくるラヴェンナとは逆に、ダリオは少し冷静になっていた。


(『卒業』を言い渡されたときね、姉ちゃんに全部打ち明けてしまえば一緒に『卒業』できるんじゃないかって、そんなことを考えちゃったんだ。

だから、僕は本当に悪い子なんだ……)


「ごめん」


どれくらいそうしていただろうか。ただただすすり泣くラヴェンナの思うがままにされていたが、

しばらくするとラヴェンナが落ち着きを取り戻してきた。

そんな彼女にダリオは少し安心して、「そろそろ戻るよ」と別れを切り出した。


「ダメよ。今日は一緒に寝るの」

ラヴェンナは彼の体を一向に放そうとしない。

ダリオは困ったように笑う。


「僕もうそんな小さな子どもじゃないよ」


「バカね。あなたまだ十歳じゃないの。まだまだ手のかかる弟よ」


それに、とラヴェンナは言葉を続ける。


「……私が寂しいの。今夜はずっと離さないから」


そんな姉を見て、ダリオは観念した。

きっと心のどこかで自分もそれを望んでいたから……。


「手のかかる姉ちゃんだね」


照れ隠しに茶化すと、「うるさい」とラヴェンナがダリオに抱き着いたまま寝室へと導いた。


それからふたりは手を握り合って、抱きしめ合って眠った。

最後の夜は、きっと彼女に一生残る思い出となってくれるだろう。

……自分がいなくなっても、きっと覚えていてくれるだろう。

ダリオはそれを表す言葉を知らなかったけれど、とても満たされた気持ちになった。


翌朝、ダリオがラヴェンナと広場へ向かうと、そこにはすでにアルノルドとコルネリオがいた。

ふたりとも神妙な顔をしてダリオが来るのを待っていた。


「まったく、お前が先に『卒業』するとはな。うらやましいぜ」

コルネリオが軽口を叩く。無理に明るい口調でしゃべってはいるが、隠しきれない緊張を伴っている。

「俺たちのことは一切気にしないでいいからな。辛いことがあったら戻って来いよ」

『卒業』した子どもがどうなるのか、ここにいる誰も知らない。

けど、戻ってきた子はただ一人としていない。アルノルドは自分の言葉を虚ろに感じつつも、ダリオと自らの不安を打ち消すためにそう言わざるを得なかった。

「うん、これでお別れだね。アルノルド兄ちゃん、コルネリオ兄ちゃん、……ラヴェンナ姉ちゃん」

ダリオが三人に向かって手を振る。

別れ別れになってしまうのは悲しいけど、昨晩のことが彼を少し元気にしてくれていた。


マザーに指定された区域へとダリオが歩き始めると、隣にひとつ、気配を感じた。


「姉ちゃん!?」


ラヴェンナが悪戯っぽい表情をしてダリオの手を握る。

咄嗟に足を止めてしまったダリオを、引っ張るようにしてラヴェンナは歩き続ける。


「二度と会えないかもしれないなら、ずっと一緒にいればいいじゃない」


彼女の顔に、もう悲壮な表情は残っていなかった。


「でも……」


『卒業』がなんなのか、誰も知らない。

もしかしたら待っているのは永遠の闇なのかもしれない。


「それに私、規則を破った悪い子だし」


昨晩のことを言っているのだろう。ラヴェンナが舌を出して笑う。


「行っちまいな。元気でな」


背後で兄たちが大きな声で叫んで、大きな声で笑っていた。


「行ってきます!!」


ダリオとラヴェンナはふたりの兄に大きく手を振って、大きな声で応えた。












評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
おぉ…。 すごく読者に想像の幅を持たせる作品ですね。 自分としては一番嫌なパターンとして、廃棄処分などの特になにも残せず殺処分されるパターンだったらかなり最悪な可能性ですね。 マザーと呼ばれる人工…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ