恋の狩人 ―8―
雨上がり、晴れやかな空に大きな虹が架かった。
ラズは頬杖をついて、青い空と七色の光を、瞳に映している。
それは春の祭りを祝うかの様な、美しい虹。
「奇麗な虹ね」
「光の屈折ですよ」
ユンユのとり止めのない返事に、ラズは二の句が告げなかった。
ユンユはむっつりと春の祭りに持っていく菜の花と卵を挟んだサンドイッチを作っている。なぜユンユがこんなに不機嫌かというと、ラズはちらっとテーブルを横目で見た。
――奇麗な形の花餅。
アンの手作りだ。初めて作ったとは思えない出来栄えだ。記憶を無くす以前に作っていたかも知れないが、それでもこれだけ奇麗な形の花餅を作れるのは、よほど手先が器用なのだろう。そのアンさんは3婆姉妹に朝早く、連行されてしまった。
料理に関しては、ひと筋なわではいかないこだわりを持つユンユは、あっさりと奇麗な形の花餅を作られてしまって、その矜持を傷つけられたようだ。その時のユンユの顔は見ものだった。ラズはフフッと思い出し笑いを漏らしてしまった。
「どうかしましたか?」
「うん、ユンユは、アンさんと一緒に居ると、何だか子供っぽくなるなって思ったの」
その言葉にユンユは、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「心外です。……以後気をつけます」
「気をつけなくていいのよ。私はうれしいの」
「うれしい?」
「子供らしいとは違うわねえ、歳相応な反応を見せてくれるのが、うれしい」
「歳相応ですか? 僕は早く大きくなりたいです」
「早く大きくなんてならないわよ。人間誰しも同じ時間を生きているんだから。背伸びして生きる事はないわ。明日は必ず来るんだから、焦らないで」
「……」
ユンユは納得のいかない思いで、黙り込んでしまった。ラズの言う事はわかる、どんなに焦っても、ラズとユンユの歳の差が縮まるわけではない。頭で分かっていても、気持ちが付いていかないのだ。アンが来てから余計に心が乱される。今の自分には出来ることがあまりに少ない。
「ユンユはいいわよ、これからなんだから。私なんてもう下り坂よ」
ラズは大きなため息を付いて、最近気になるそばかすを撫でた。昔より増えてきた気がする。これって、シミ?……ショック。
「ラズ先生は、可愛いおばあちゃんになりますよ」
ユンユは、ラズを元気付けようと、朗らかに笑った。
「……………………ありがとう」
少年よ、ここはまだまだお若いですよって言うところだぞ!
* * *
村の中央に七色の旗がはためき、春の女神に捧げる花餅がテーブルを彩り、料理自慢の村人が持ち寄った手料理のかぐわしい匂いがたちこめ、村人たちは楽しい音楽に合わせて踊り。飲めや、歌えの大賑わい。
花々がほころび、蝶が舞う。鳥が歌えば、心が躍る。
さあ、春の祭りの始まりだ。
「あ、ラズ先生とユンユが来たわ。遅いじゃない! 待ってたのよ」
ケプラのはしゃいだ声が聞こえた。顔を上気させてユンユの元へ走ってくるケプラは、萌黄色の可愛いドレスを着ていて、耳には貝のイヤリングがぶら下っている。
「こんにちはケプラ、貴方に春の女神の幸があらんことを。そのドレスとても似合っているわ」
「ありがとう先生、先生とユンユにも春の女神の幸があらんことを。さあユンユこっちに来て頂戴。まあ、美味しそうなサンドイッチね」
ケプラは、嫌がるユンユの腕に自らの腕を絡ませると、強引に広場の中央に招き入れた。ラズも邪魔をしないように後ろから付いていく。
「いらっしゃいラズ先生、貴方に春の女神の幸があらんことを。ラズ先生のところの花餅は毎回奇麗だべな。おや、アンさんはどうしたべ?」
「ありがとう。ダトンにも春の女神の幸があらんことを。アンさんなら朝早くおばあちゃん達に、連れて行かれたわよ」
花餅とサンドイッチを大きなテーブルに載せていると、ダトンが声を掛けてきた。そう言えば辺りを見渡してもおばあちゃん達とアンの姿は見えない。
「おばあちゃん達、また何か企んでいるわね」
元気すぎるおばあちゃん達は、村人たちを驚かせるのが何よりの長寿の秘訣だと言う。
「おばあちゃん達のいたずらは、おもしろいべ」
「まあ確かに、人を貶めるようないたずらは、絶対にしないわね。それより村長は?」
「あそこだべ」
とダトンが指差した先には、初老の男性が、青白い顔をして椅子に座っていた。腰にラズ特製のコルセットを巻き、座ったり歩いたり出来るようになったもの、ずっと寝ていた身体には大きな負担がかかっているはずだ。
「こんにちは村長、どうですか? 具合は」
「おや、ラズ先生、貴方に春の女神の幸あらんことを」
村長は穏やかに微笑んでいる。色が白いのは、ずっと家の中で療養していたため日に焼けなかったからだ。
「ありがとうございます、村長も春の女神の幸があらんことを。今日奥様は?」
「アレは、スーリャと春の祭りの采配で忙しいようでな」
村長は少し顔を曇らせた。
「心配なのですね。スーリャのこと」
村長は小さく頷いた。楽しい春の祭に水を差したくない気持ちと、スーリャの体調を気使う気持ちがせめぎあっているのだ。
「昨夜からスーリャの顔色が悪いようじゃ、誰が聞いても大丈夫だ、と答える始末でな。今日さえ終れば、スーリャもゆっくり出来るのじゃが。村の皆にいらん心配を掛けさせたくない。そんなスーリャの気持ちが手に取るように分かるんじゃよ」
「そうですね、スーリャはそういう子ですよ」
「少しはうちのを見習って、ふてぶてしくなって欲しいもんじゃ」
「まあ、わたしってそんなに厚かましいかしら?」
野太い声が頭上から振ってきた。見上げるとそこには村長の奥方が、ニンマリと笑っていた。縦にも横にも大きな奥方と、痩せ気味の村長が並ぶと村長が子供のように見える。
「私はお前のそういった、図太いところに引かれたんじゃよ。まあ根負けとも言うがな」
幸せそうに笑う村長に、奥方は花餅を半分に割って手渡した。もちろん村長に渡したほうが大きい。それは幸せな夫婦の姿だ。
「それじゃあ私はスーリャの様子を見て来ますね」
と言い残し、ラズはその場をそっと後にした。
* * *
「スーリャ」
ラズは村人に囲まれるスーリャを見つけた。確かに疲れた顔をしているようにも見える。
「ラズ先生、アタイ、スーリャのお腹を触らせてもらってただよ」
「もういつ生まれてもおかしくないだべな」
「んだ、んだ」
「赤ちゃん生まれたら、抱っこさせてなスーリャ」
「もちろんだべ」
「スーリャ、調子はどう?」
「アハハ、始まったで、ラズ先生の心配性が」
「んだ、ラズ先生は挨拶代わりに調子を聞いてくべ」
「そうだっけ?」
「んだ、んだ、村の名物だ。特にスーリャには顔を合わせるたびに言っとるべ」
スーリャを囲んでいた村人たちは、んだ、んだっと笑っている。
にぎやかなおしゃべりは止まらない。
「先生、大丈夫だよ、あたしも赤ちゃんも元気だべ」
スーリャはお日様のように微笑んで、優しくお腹を撫でた。
ここは引き下がるべきだろう。ラズはこのときの判断を後に、とても後悔した。
「そう、わかったわ、それじゃあ、無理をしないようにね」
そう言ってから、その場を後にして、ダトンを探した。
ラズはダトンを捕まえて、お互いスーリャのことを注視するよう話を持ちかけた。
と、その時。ラズの腰に小さなスーが勢い良く抱きついてきた。にっこり笑うスーの前歯がない。
「あら、乳歯が抜けたのね」
「うん、朝ご飯食べている時に、とれたの。変な感じ」
スーはラズの腰から手を離すと、くるくる回って踊りだした。うれしくて、うれしくて堪らないのが伝わってくる。その姿を見ているとラズの心も躍りだす。
「スーちゃん、とっても可愛いわ」
「んだ、オイラも女の子が生まれたら可愛い花衣を着せてやるべ」
柔らかなフリルがふんだんにあしらわれた薄桃色の花衣。動くたびにビーズがシャラン、シャランと玉響の音をたてる。髪は奇麗に編みこまれ、白い花が散りばめられている。
そしてスーの飛び切りの笑顔。
「うちの子が1番可愛い!」
感涙にむせび泣くククルが大声で言う。スーはそんな父親にはにかんだ笑顔を見せて、スカートを広げてクルリと回った。
「スーはどこにも嫁がせねえべ!」
ウオ~ンと男泣き。そこへダトンも加わり2人してオンオン泣き出す始末。大男2人に泣かれるスーは流石に戸惑っている。
「まったく、これだから男親は! スーおいで、お母さんと花餅を食べよう」
オリスが優しく手を差し伸べると、スーは喜んでその手にしがみ付いた。
「花餅大好き!」
2人は仲良く手をつないでご馳走の並べてあるテーブルに向かった。
「……………………花餅に負けたべ」
さびしく残されたククルの呟やきに、ラズとダトンはククルの肩をポンッと叩いて励ましてやった。
「お腹が空いていたのよ、スーちゃんはお父さんとお母さんと一緒に花餅を食べたいはずよ」
「んだ、ククルはいいお父さんだ。オイラの良い先輩だべ、オイラが父親になった時、アドバイスが欲しいだべ」
「……オイラいい親かな?」
「どうしたの? 大丈夫よ。スーちゃんは花餅も好きだけど、お父さんも大好きよ」
「オイラ、親になるのが怖かったんだべ。オリスに子供が出来たって言われた時は、まだ結婚してなかったんだ。正直、今なら逃げられると思っただよ。でもオイラはオリスに心底惚れていて離れたくなかった」
「……ククル?」
「オイラ昔から乱暴者でよ。喧騒と暴虐の中で生まれて育ったんだべ。親も兄弟も居ない、愛情が何か分からない、そんな男だったべ。挨拶代わりの喧嘩なんてしょっちゅうさ、オリスに出会うまで、愛情なんて言葉知らなかった」
ククルの過去を始めて聞いた。ククルとオリスは7年前乳飲み子のスーを抱えて、この村に移り住んだのだ。
「産まれたばかりのスーは片手に乗るくらい小さくて。潰しちまうんじゃないかと不安で、不安で……。オイラいい親かな?」
「馬鹿だね、そんなこと悩んでいたのかい」
オリスの声に、ククルがうな垂れていた頭を勢いよく持ち上げた。
「オリス! いつからそこに?」
「馬鹿だね、そんなことで悩んでたのかい。アタイに言ってくれればよかったのに、ほらスーの笑顔を見て御覧なさい。幸せそうじゃないか。スーもあんたもアタイの宝物だよ。いい親かどうか悩めるだけ悩めばいいさ、悩んだだけ、笑顔の数だけ、いい親になれるさ。たぶんね」
「……オリス」
「どうだい、そろそろスーにも妹か弟か居てもいい頃だと思うんだかね」
オリスは流し目を送り、人差し指でククルの筋肉を愛撫する。2人の雰囲気が急に色っぽくなっていく。
「ゴホン」
2人の愛欲にあてられたラズが、たまらず咳払いで2人の意識を引いた。
「あら、ラズ先生居たの?」
「居ましたよ、ずっとね」
村に子供が増えるのはいい事だ。うん
* * *
「オイラもスーリャと一緒に、花餅を食べるだべ」
ダトンが去ってしまうと、ラズはひとりぼっちになった。
周りを見渡すと、村人たちは家族団欒で春の祭を楽しんでいる 。飲んで、歌って、踊って。それは、それは賑やかだ。笑い声が天まで届きそうだ。
その中で、ラズはひとりだった。
春の風が優しくラズの頬を撫でる。目をつぶれば、見えてくる過去の残像。
――会いたい、あの人に。
震える睫毛に、小さな花びらがふわりと降ってきた。小さなキスのように。
「ホッホッホ、春の風は思い出を運んできたようじゃな」
「長老!」
「ウヒャヒャヒャ、美味いぞ、この蕗の薹味噌の焼きおにぎり」
食べてみろ、と渡された焼きお握りは、蕗の薹のほんのりとした苦味が口の中に広がる。
「この苦味がたまらんのう。子供にはわからん旨味じゃわい」
「長老は甘い物もお好きでしたよね」
「んだ、ラズ先生も食わず嫌いしとらんで、つまみ食いをしてみるんじゃな」
長老はラズにウインクを投げて寄越した。ラズには好き嫌いはない、長老は暗にほのめかしたのだ。
ひとりを思い続けているのではなく、誰かと恋をするのも、悪いことじゃない。
ラズは長老の言葉を、そう解釈した。
ラズは焼きお握りを頬張った。ほんのり苦い大人の味。
「どうです、長老。私と一緒に花餅を食べませんか?」
「ウヒャヒャヒャ、嬉しいお誘いだが、それはそこに居る若造に譲るわい」
長老は顎をしゃくり上げた。その先に居たのは――。
「……………………」
村人が全員、彼を見ていた。