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恋の狩人 ―7―


花曇。


それは春の日の曇り空。

ぼんやり曇った空模様(そらもよう)は、花々にとって開花時期をのんびりと延ばせる優しい天気の心遣い。霞んで見える山向こうに、絹糸のような優しい春の雨が静かに降る。


――ラズのような天気だよ。


そう言ってくれたのは、誰だったかしら?


ぼんやりと窓の外を眺めていたラズに、幼い記憶が仄かに囁いてきた。記憶喪失の男を看ているせいか、最近やたらと昔のことを思い出す。


アンの事は、もう少し様子を見てから、村長に相談してみようと思う。彼にも一軒家が、必要なのではないだろうか? このまま記憶が戻らない可能性だってあるのだから、この村に住居を置くのも悪くない。記憶が戻るか戻らないか分からない男に、永住しろ、とまでは言わない。それでも今の、宙ぶらりんの状態のままにしておくわけにはいかない。


――春の祭りが終ったら。村長のところに掛け合おう。


そう、心に決めた。


「ラズ、どうした? 外に何かあるのか?」


問題のアンは、長い足を投げ出して診療所の椅子に座り。読みかけの本から顔を上げた。少しでも記憶が蘇るきっかけになれば良いと思い、ラズが渡した本だった。


「雨が降ってきそうだなって思っていたのよ」


「雨が降ると問題でもあるのか?」


アンは音もなく、ラズの側まで歩み寄ると、その視線を外に投げた。ラズはその端整な横顔をちらりと盗み見る。


あれからラズは、アンの髭を剃っている。髭が伸びたら結婚、と勝手に決めてしまい、有言実行しようとするので、ラズはアンをとっ捕まえて、無理やり髭を剃ることにしたのだ。髭が伸びたら結婚する、という事は、裏を返せば、髭さえ伸びなければ、結婚はしないということだ。

アンは髭を剃られる事に、文句を言っているが、それでいて何処となくうれしそうだ。アンという男はよくわからない。


そうこうしているうちに、この超絶美形にも慣れてしまった。美人は3日で飽きるとはよく言ったものだ。

男装の麗人に見間違うほどのユンユを育てたラズは、美形に免疫があったのだ。


「それで、雨が降ると、問題があるのか?」


「明日、春の祭りが行われるからね。やっぱり春の祭りは麗らかな日差しの中で、にぎやかに行うのが素敵だわ」


「俺はこんな曇り空も好きだぞ。不思議と心が落ち着く。ラズみたいだな、この天気は」


吃驚した。まるで追走の世界から飛び出してきたような台詞。


「どうした? 鳩が豆鉄砲食らったような顔して」


「……前にも同じ事を言われたわ。吃驚しちゃった、そんなこと考え付く人が2人もいるなんて」


「それはユンユが言ったのか?」


「違うわよ。ユンユに出会うもっと前、私がもっと小さい時。誰だったか覚えていないわ。ただその言葉がとても印象に残っていたのね」


本当、誰だったのかしら? いくら頭をひねっても、記憶の糸を手繰り寄せることが出来ない。


「記憶って、箪笥の引きだしみたいね。簡単に引き出せる記憶もあれば、錆び付いてなかなか引き出せない記憶もある」


それと、鍵をかけて締まった、つらい記憶の引きだし。


「アンさんは、箪笥を丸々紛失してしまった感じね」


なるほど、と言う顔をしたアンはラズに飛びきりの笑顔をみせた。


ううっ、眩しい。


「ラズと分かち合える記憶があるのは、良いものだな」


アンはお菓子を貰った子供のように笑った。真っさらな記憶の箪笥は、子供と同じ。今は貪欲に、新しい記憶を取得しようとしているのだ。ラズは優しくアンに笑いかけた。


「明日の春の祭は、きっといい思い出になるわ。たくさん思い出を作りましょうね」


「そうだな、二人で記憶を築いていこう。抱擁を交わし、深く激しい接吻、濃厚な初夜、続く蜜月、ふがっ」


って子供のような笑顔で、とんでも無いことを言うな! ラズは真っ赤になって、アンの口を押さえた。


「そんな記憶は築くつもりはありません!」


アンは、瞳を輝かせて、ニヤリッと笑った。手の平に感じる唇の柔らかさが生々しい。とっさに手を引っ込めようとしたが、手首を捕まれた。


「離して」


アンはラズの瞳を見つめたままラズの手の平に優しい口づけを落とした。


騎士のような優雅な仕種。獣のような情熱的な視線。


この男、絶対に女ったらしだ! 間違いない!


そう確信した時。


「先生、こんにちは」


目鼻立ちのしっかりした12歳の女の子、ケプラが診療所の扉をくぐってきた。

ケプラは二人の様子を見て。


「あら、お邪魔したかしら?」


などと聞いてきた。

ケプラは、ませた女の子なのだ。今日も顎の辺りで切りそろえた亜麻色の髪に何時間、櫛を通したのだろう。


「ラズ先生、ユンユは居ないの?」


「ユンユは今、村長の所でリハビリのお手伝いをしていると思うわ」


その言葉にケプラはあからさまにがっかりと肩を落とした。ケプラはユンユに惚れ込んでいるのだ。4年前ケプラの一目ぼれからはじまり、現在も悲しい一方通行だ。それでもへこたれないケプラは、熱烈アタックを続けている。


「残念。明日は一緒に花餅を食べようとお誘いするつもりだったのに、今年も逃げられるんだろうな」


ケプラが口を尖らせて、いじけてしまった。


ひとつの花餅を男女2人で分け合って食べるのは、求愛の儀式。それは婚約を交わした男女にだけ当てはまるのだが、ケプラはそんな事おかまいなし。春の祭で花餅を振りかざしてユンユを追いかけるケプラの姿は村の恒例行事と化している。


「乙女ですもの、大好きな男の子と花餅を食べるのが夢よ」


「何故、花餅を男女で食べるのが夢なんだ?」


「まあ、あなた知らないの!?」


ケプラはそこで初めて、アンの顔をまともに見た。一瞬ア然としたケプラの顔は、みるみるうちに紅くなる。


「あ、あ、あんたが噂の記憶喪失のアンさんだべな」


ケプラ、訛っているよ。ラズは心の中で冷静に突っ込んだ。ケプラは訛りが嫌いで、決して使わない。そんな彼女がついつい訛って仕舞うほど、舞い上がっているのだ。



「アタイはユンユひと筋だからね!」


誰ともなく宣言するケプラ。自分自身に言い聞かせている部分が大半だろう。


「安心しろ、俺もラズひと筋だ」


「子供相手に何を言うのよ!」


ラズがアンに食って掛かった。すると。


「ラズ先生、アタイは子供じゃないわ!」


と、ケプラが剥きになってラズに歯向かった。


「ああ、彼女は立派な女性だよ」


アンさん、やっぱり貴方は女ったらしだわ! ラズはその言葉をぐっと飲み込んだ。ぽーっとしたケプラが、アンの手を握り締めていたからだ。


「素敵だわ、アンさん。私、ラズ先生のこと、応援するからね。ラズ先生、羨ましいわ、こんなハンサムな人に惚れられて。私も行く行くはユンユと……」


夢見る乙女の暴走は誰にも止められない。


「私、ユンユの所に行くわ、村長のところだったわね」


「そうだけど、邪魔はしないようにね」


「分かっているわよ、将来、ユンユのお手伝いが出来るような看護婦になるのが私の夢ですもの。あ、そうだアンさん、花餅はね、恋の狩人たちが食べる花を模っているの。正確には花の蜜を食べるんだけど。その花を“恋花”といってね。恋の狩人のオスがメスに求婚の際に餌付けする行動を人が真似をしたのがはじまりですって。春の祭りでひとつの花餅を食べた男女は永遠に結ばれるのよ。素敵よね」


まくし立てるように説明したケプトは、愛するユンユの元へ走っていった。


「ふ~ん、花餅ね」


意味ありげな視線をラズに送るアン。


ラズは出来るだけ無視しようと思った。アンが何を言い出すかは見当が付いていたから……。


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