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水中花の涙 ―28―

額から汗が流れ落ちて、息が上がる。

心臓が爆発しそうだ。



“お城に大勢の人が来て、ミチュちゃんを連れて行ったの”



ラズは混沌とする町を全力で駆け抜けながら、リーザの言葉を反芻していた。

狂気の渦中にある町は、方々で火の手が上がり、焼け付くような暑さだ。

海に近づけば近づくほど、人影はまばらになる。



“神の怒りを鎮めるため、ミチュちゃんを生贄に海に放り込む……”



ラズは一心不乱に走った。

肺が軋む。

心臓が痛い。

それでも足を止めることは出来ない。

やがて、目的の場所が見えてきた。


――海!!


そこでラズは立ちすくんだ。

目に映る光景に驚愕する。

何故なら、手足を縛られたユンユが男たちの手によって海に投げ込まれる瞬間だったのだ。

ユンユの体がスローモーションのように宙に浮く。


――ユンユ!!


水飛沫が派手に舞い上がり、ユンユの体が海に沈む。


「ユンユ!」


ラズの声に、男たちが一斉に振り向いた。

何かに取り付かれたような般若の形相に、血走った(まなこ)がラズに向けられる。

ラズは男たちの気魄(きはく)に一瞬蹴落とされるものの、今は躊躇している暇はない。

津波が迫っている。

しかも、ユンユは泳げない。


(早く助けないと)


ラズが足を踏み出すと、男たちの間に緊張が走った。


「――女、何をするつもりだ」


剣呑な雰囲気の男たちがじりじりとラズを囲む。


「そこを退きなさい」


ラズは男たちに負けじと睨みかえす。


「神の供物を横取りするきか?」


ひとりの男が(ふところ)から、短刀を取り出した。


「儀式を妨げるものは、我らが排除する!!」


男は奇声をあげ、短刀をラズに向けて突き出した。

鋭い刃が不気味にきらめく。

ラズは身構える暇さえなかった。


「――っ!!」


短刀がラズに届く寸前。

ゴツン、と鈍い殴打の音がした。


「……え?」


男の手から短刀がこぼれ落ちる。

ラズの目の前で、男は白目を向くと、地面に崩れ落ちるように倒れた。

倒れた男の影から現れたのは――。


「――アンさん!」


アンは剣柄で男の後頭部を殴打したのだった。


「ラズ、無事か? 怪我は?」


「だ、大丈夫よ、ありがとう」


「そうか、よかった……」


アンはほっとしたように微笑んだ。


「まったく、貴女は鉄砲弾みたいな(ひと)ね」


「オルマ子爵!!」


オルマ子爵が口元を扇子で隠しながら、ラズの前に進み出る。


「貴女に何かあったら、クリシナ様が暴走して、世界が破滅しちゃうわ」


オルマ子爵はラズと会話しながら、男たちに鋭い視線を投げて牽制する。

ラズは、腕っ節が強く背の高いアンとオルマ子爵の背中に庇われる格好となった。


「オ、オルマ子爵様……」


男たちはアンとオルマ子爵の登場に動揺を見せている。


「さて、貴方たち、こんな所で馬鹿な事をしていないで、さっさとお退きなさい!!」


オルマ子爵の朗々たる声が響く。

しかし、男たちは引くに引けない所まで来ていた。


「例えオルマ子爵様であろうと、我らの邪魔はさせぬ。――者共、掛かれ!!」


「おおー!!」


男たちは時の声をあげて、アンとオルマ子爵に立ち向かってきた。


「どうやら、お灸を据えないといけないみたいねっ!」


オルマ子爵が玉虫色のマントを脱ぎ捨てると、筋骨隆々の鍛えあげられた体が姿を表した。


「ラズちゃん、ここは私たちに任せて、早くユンユちゃんを助けて」


オルマ子爵がラズに鋭く囁く。

ラズはこくん、と頷くと海に向かって駆け出した。


「女だ、女が供物を横取りするつもりだ、女を取り押さえろ!」


男たちがラズを取り押さえようとした。

しかし、アンとオルマ子爵がそれを阻止する。


「お前たち、誰を相手にしていると思っているの!? お前たちが勝てる相手じゃないのよ!」



アンとオルマ子爵に太刀打ち出来る者など、ひとりもいなかった。

男たちは次々と薙ぎ倒されていく。

その隙に、ラズは見事なフォームで海に飛び込んだ。


「ちくしょう!!」


ひとりの大柄な男がオルマ子爵に飛び掛かかる。

オルマ子爵は大柄な男の攻撃をたやすくかわして、軽々と背負い投げで、投げ飛ばした。

オルマ子爵は投げ飛ばした大柄な男の顔を見て、目を見開いた。


「……貴方、鍛屋の息子じゃない!」


鍛屋の息子は寡黙で勤労で、家族思いの男だ。

オルマ子爵はマッチョでハンサムな彼に、常日頃から目をかけていた。

それ故、裏切られたショックを隠しきれなかった。


「貴方、なにやってるのよ!! こんな所で馬鹿やってないで、さっさと家族を連れて避難しなさい!」


「避難だ!? 俺には5人の幼い子供がいるんだ。嫁は臨月だし、お袋は寝たきり、親父は長年の勤労で目を患い盲目だ! どうやって避難するんですか!」


「リヤカーでも引いて逃げなさいよ!」


「リヤカーは盗まれた。町は乱闘騒ぎで、危険極まりない。その中を幼い子供を5人も抱えてどうやって逃げろというんですか!? 今はもう、神にすがるしかないんです。家族を助けるために……」


男の目から涙がこぼれ落ちる。


「馬鹿者! だからって罪のない人間を虐げていい理由にはならないわ!!」


「オルマ子爵様……」


「今、貴方が居るべき所は家族の元よ! 家族がどれだけ心細い思いをしているか、家族思いの貴方なら分かるでしょ」


「……俺、怖いんだ」


「恐怖を感じない人間なんていないわよ!」


「家族を失いたくない。……誰もがオルマ子爵様みたいに強くないんだ」


「人は弱い生き物よ。だから群れを作るの、それが家族であり町になる。人はひとりでは生きられない、弱い生き物なのよ」


「……オルマ子爵様」


「この町のすべて人々が私の家族。家族を救いたいと思う気持ちがあるから、私は強く立てるのよ。失う事を考えるより、守る事を考えなさい」


「……」


大柄な男は唇を引き締めて、後悔の涙を流す。


「ああ〜苛々するわね! ぼんやり私を見つめている暇があったら家族の元に戻りなさい!」


「……あ、ありがとうございます、オルマ子爵様。このご恩は一生忘れません」


「勘違いしないでちょうだい! 貴方たちを無罪放免にするつもりはないわ。罪はきっちり償ってもらいます」


オルマ子爵は顔を曇らせて、海に視線を投げた。


「――私の可愛いユンユちゃんに何かあったら、ただじゃおかないわよ。覚悟しておきなさい!!」


“私の可愛いユンユちゃん”ユンユ本人が聞いたら、烈火の如く怒りだしそうな台詞である。

しかし、オルマ子爵の妄想は止まらない。オルマ子爵は鼻息が荒く宣言する。


「ユンユちゃんは“将来のオルマ子爵夫人”なのよ!!」


それは、有り得ないから。

横で聞いていたアンが、心の中で冷静に突っ込んだのだった。



* * *



珊瑚礁が群生する、瑠璃色の海。

本来ならば、艶やかな魚たちが優雅に泳ぐ、楽園のような美しい海。

しかし、今は急激な引き潮により、砂が舞い上がり、視界が不明瞭になっている。


(ユンユ、どこ!?)


海に飛び込んだラズは、必死に海中を蹴り、目を凝らしてユンユを探した。

海の水は潜れば潜るほど冷たくなる。


(早く、ユンユを見つけなくては!)


手足を縛られたユンユが自力で海面に顔を出すのは不可能だ。

ユンユは水に浮く事さえ出来ない、天性のカナヅチなのだから。


(ユンユ頑張ってね。今、助けにいくから)


それまで、ユンユの息が続けばいいが。

もし、すでに水を飲んでいたら……。ラズの背筋が冷たくなる。


(……お願い、無事でいて)


どれくらい時間がたったのだろう。

焦りばかりが募る。

地獄のような時間は、数秒間のようにも数時間のようにも感じられた。


(息が苦しい。一旦浮上して息継ぎを……)


その時だった。

目の端にキラリと光る金色の揺らぎが見えた。


(――っユンユ!!)


ユンユは力無く、海中に漂っていた。


(ユンユ!!)


ラズはユンユの元に泳ぎ着くと、ユンユの顔を覗き込む。ユンユの軽く開いた唇から、気泡ひとつこぼれ出ていない。

固く閉じられた瞳。

ピクリとも動かない手足。

ラズは心臓を鷲掴みされたような衝撃を受けた。


(ダメ! ユンユ、しっかりして)


ラズはユンユの腰に腕を回すと海面に向かって、力強く海中を蹴った。


「――っプハ!」


ラズはユンユと共に海面に顔を出し、喘ぐような呼吸を繰り返した。

ユンユはぐったりしたままだ。


「ハア、ハア、ユ、ユンユ、しっかりして」


ユンユの頬を叩いても、まったく反応がない。

ラズは恐怖で胃が引き攣る。

このまま目を覚まさなかったら……。

ふと浮かんだ考えを、ラズは首を強く振って打ち消した。


(嫌だ嫌だ嫌だ!!)



――嫌だ!!



「アンさん! オルマ子爵! 手を貸して!!」


ラズは声を張り上げてアンとオルマ子爵を呼んだ。

切羽詰まった声に、アンとオルマ子爵はすぐに反応した。

アンが海に飛び込み、オルマ子爵がユンユを海から引き上げる。

ラズが海から上がる頃には、ユンユを海に放り込んだ男たちは、折り重なるように辺りいったいに倒れていた。


「ユンユちゃん!」


オルマ子爵がユンユの手足を縛る縄を切り、ユンユを地面に横たえる。

ぐったりと仰向けに寝かされたユンユ。

青白い顔に生気を感じない。


「ユンユちゃん、しっかりして!!」


オルマ子爵がユンユの肩を揺さぶっても、ユンユの瞳は固く閉じられたままだ。


「オルマ子爵、退いて!」


ラズがオルマ子爵を押し退けると、急いでユンユの口元に顔を近づけ、呼吸を確認する。



――呼吸(いき)をしていない。



ラズの血の気が一瞬で引く。

恐怖で胃が競り上がってきそうだ。


(――嫌!!)


ラズは震える手で、ユンユの脈を確認する。

トクンと脈打つ確かな血潮を感じた。


「脈はあるわ! 人工呼吸を――」


ラズが最後まで言い終わらないうちに、オルマ子爵がユンユの鼻を摘んだ。

手際よく気道を確保して、オルマ子爵はユンユに覆いかぶさる。

口から口にいっきに息を流し込んだ。


「ユンユちゃん、お願い、息をして!!」


オルマ子爵が祈りながら、人工呼吸を続ける。


(お願いユンユ、目を開けて!)


ラズは唇を噛み締めて見守るしかできなかった。

繰り返される人工呼吸。

ラズは瞬きすら忘れて、祈るようにユンユを見つめた。

体が凍りついて、動く事さえ出来ない。


「……ラズ」


アンが後ろからラズを包み込むように抱きしめた。

ラズはアンの暖かい腕にしがみつく。

怖くて仕方がなかった。

もし、ユンユを失ったらと……。


「大丈夫、ユンユは強い」


アンがラズの耳元で囁いた。

その言葉はラズの心に染み渡る。



――大丈夫、きっと大丈夫。



「アンさん、もっと強く抱きしめて」


「んっ」


アンの腕に力が篭る。


「もっと強く」


アンの体温がラズの恐怖で凍った体を温めていく。

今は亡き、婚約者のブラフを戦場に送り出してから、長年、ひとりで肩肘を張って生きてきた。

今、この場に寄り添える相手がいる事を心から感謝している。

ひとりじゃ耐えられない。


(ブラフ、お願い。ユンユをそっちに連れて行かないで)


ラズは命綱のように、アンの腕を掴んだ。


「ユンユ、戻ってきて! ユンユ! 生きて!」


ラズは願いを言霊(ことだま)に乗せて、叫んだ。


「ユンユ!」


ラズの叫び声が届いたのか、ユンユの指が微かに動いた。


「――っ!!」


「――グ、ゲホ、ゴホ、ゴホ」ユンユが水を吐き、苦しそうに咳き込んだ。


「ユ、ユンユ!!」


ラズはアンの腕から飛び出すと、ユンユの背中をさする。


「ゴホ、ゴホ、ゴホ。……ラ、ラズ、せんせ」


「ユンユ!」


ユンユの意識が戻った。

呼吸もしている。

ラズの目に嬉し涙が溜まる。


「ゴホ、ゴホ。ぼ、僕は……」


ユンユの瞳がラズを見上げた。


「ラ、ラズ先生」


「ユンユ、助かったのね。よかっ――」


感極まったラズが、ユンユを抱きしめようとした時。


「ユンユちゃん!!」


オルマ子爵がラズを突き飛ばし、ユンユに抱き着いた。


「………………え?」


突き飛ばされたラズは両手を広げたまま茫然としてしまった。


「よかったわ、ユンユちゃんが助かって本当によかったわ!!」


子供のようにおんおんと大声を上げて泣くオルマ子爵。

その情けない姿に、呆気にとられていたラズの頬が緩む。


「ゴホ、ちょっ、オルマ子爵、ゴホ、重い、退いて」


ユンユが本気で迷惑そうに言うと、オルマ子爵はしぶしぶユンユから離れた。


「……ユンユ?」


ユンユの焦りを帯びた顔に、ラズの中で再び不安が頭をもたげる。


(……まさか)


ユンユは辺りを見渡した。ラズにオルマ子爵にアン……。


「……ミチュは?」


「――っ!!」


ユンユの小さな声はラズの耳に確実に届いた。

ミチュがいない。

どこに行ったの?

……まさか。


「ラズ先生、ミチュは?」


ラズは錆びついた機械のように、ぎごちなく首を左右に振った。


(――まさか)


「じゃあ、ミチュはまだ海に!!」


不安が的中した。

ラズの心臓が一瞬止まった。


――ミチュが海に。



再び、脈打ち始めた心臓が狂ったように(とどろ)く。


地響きのような不気味な音。

太陽を隠さんとする巨大な波。



――津波が来る。

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