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水中花の涙 ―22―

ユンユは、賑やかで暑苦しい町中を、重い足取りで歩いていた。


「熱い……」


額の汗を拭いて、目の前を楽しそうに歩くオルマ子爵を見た。

子爵ともあろう者が、従者も付けず炎天下を意気揚々と歩くとは、規格外の変わり者だ。

町の人間も、オルマ子爵に笑顔でお辞儀している。

彼は民衆に慕われ領主のようだ。


「少し、見直した」


「ねえ、ユンユちゃん。これ素敵じゃな~い」


オルマ子爵が、真珠で出来たティアラを頭の上に載せている。

肉体美を誇こる体格のいいオカマ子爵には、不似合いの繊細なティアラだ。


「変人だけど……」


その時、フッと人の視線を感じた。

誰かにつけられている!?

振り向こうとした時、オルマ子爵に腕を掴まれた。


「駄目よ、振りむいちゃ!」


「――っ!」


「何よその驚いた顔は。私は変人だけど愚か者ではないわ」


(変人って自覚はあったんだ)


「いいこと、気付かない振りをして、このまま歩き続けなさい」


オルマ子爵はユンユと腕を組むと、尾行に気付かない振りをして歩き続けた。

ユンユが横目で後ろを確認すると、フードを被った怪しい人物が2人の後をつけている。


「いつから、気付いていたんですか?」


ユンユが小さい声で鋭く聞いた。


「自宅を出た時からよ」


「そんなに前から!」


ユンユは愕然とした。

まったく気付かなかった。

オルマ子爵は早々と気付いていたというのに、正直落ち込む。


「落ち込むことなんてないわよ。私は場数を踏んでいるもの。クリシナ様ほどじゃなくとも、私もそこそこの武芸の達人なのよ。蝶のように舞い、蜂のように刺すって有名だったのよ。それにね――」


「それに?」


「私は町で起こっている“変事”を知らない愚か者ではないわ。この数ヶ月の間に女性たちが数人、行方不明になっている事も秘密裏に調査をしていたのよ。結果、行方不明の女性たちにはひとつの共通点があったわ」


「共通点!!」


「そうよ。行方不明の女性たちは貴族の娘から庶民の娘、年齢もバラバラ。たったひとつの共通点。――それはと“ある画家”に肖像画を依頼した、ということ」


「肖像画ですか?」


美と芸術の都では、うら若き娘たちが肖像画を描いてもらうのは、一般的であり、ごく普通のことだ。


「画家の名は“サディ”よ」


「サディっ!!」


「声が大きいわよ」


ユンユは、ハッとして自分の口を押さえた。

サディと言えは前オルマ子爵の息子。正当なる後継者。

先ほど、オルマ子爵邸で出会った画家。


「皮肉よね。会いに行こうとしていた矢先に相手から来て、その顔を見てこっちは人生最大のカルチャーショックを受けたのよ」


「でも、どうしてサディが!?」


「彼は前オルマ子爵のように好色で、美人画だけでは飽き足らず、本物の美女を集めだしたのかも知れないわね」


「それじゃあ、ラズ先生やリーザたちが危ないじゃないですか」


「大丈夫よ、彼女たちは美女じゃないもの」


「なっ!! ラズ先生を屈辱しないで下さい」


「屈辱じゃないわよ。真実ですもの。それに子爵邸には大勢の衛兵がいるから、万一でも安心よ。それより1番心配なのが貴女よ。ユンユちゃん。だから貴女を連れ出したの。そしたらどっこい、まさかの尾行よ。もしかしたらサディの手下かもね。私だったら犯行は手下に任せて、自分にはアリバイを作っておくもの。サディはユンユちゃんに狙いを定めたのよ」


「ありえません!」


「あら、貴女みたいに奇麗な女の子は絶対狙われえるわよ」


「女!?」


一瞬取り乱したユンユだったが、女装していることを思い出した。

そうだった、今は女装しているんだった。ユンユは唇をぐっと噛んで奇麗な女の子と言われた屈辱に耐えた。


(ん、待てよ。僕らを付けている怪しい人物がいるって事は、犯人はエサに首尾よく食いついたって事にならないか? 尾行している怪しい人物を捕まえたらロサを見つける事が出来るかもしれなじゃないか!)


「オルマ子爵! 僕、じゃなくて、私をひとりっきりしてくれませんか?」


「駄目よ。そんなの危険だわ! 女性たちを攫った犯人が尾行しているのよ」


「だからですよ!」


「囮になるって事?」


「そんな殊勝な事じゃありませんよ。犯人を捕まえて取っちめてやる」


ユンユは悪魔のようにニヤリと笑うと、指をポキポキ鳴らした。

外見は繊細な金髪碧眼の美少女だが、中身は野山を駆け巡って育った丈夫な青年だ。


(絶対に犯人を捕まえてみせる!)


ユンユの目にやる気が(みなぎ)る。


(そして、女装という恥をかかせてくれた後始末をきっちりつけてやる!)


ユンユの私怨入り混じった激情が、尾行している怪しい人物に向けられた。



* * *



「サディさん! 待って下さい」


ラズはオルマ子爵未亡人の話を聞いて、部屋を飛び出していったサディの腕を掴んだ。

降ってくるような蝉時雨の中、生い茂った木々の間から夏の強い日差しがまだらに降り注ぐ。

暑さと湿気で肌にじっとりと汗をかいている。

しかし、掴んだサディの腕は異様に冷たかった。


「サディさん?」


「俺が前オルマ子爵の子供? 正当な後継者? 信じられるかっ!」


「…………」


ラズはなんと言って慰めればいいのかわからなかった。

2人の間に蝉の鳴き声だけが反響する。


子爵未亡人の話は衝撃的だった。

100人もの美女を集めたハーレム。

女同士の嫉妬や確執。

前子爵の唯一の子供。

本物の指輪。

現オルマ子爵の指輪は子爵未亡人が内密に作らせた物。


どれくらい、2人は黙ったまま立っていただろう。

ラズの額に玉のような汗が浮んでいる。


「……すいません、取り乱してしまって。屋敷の中に戻りましょう、熱いでしょう」


サディがうな垂れるように謝った。


「謝る事なんかないわ。私だって子爵の子供だなんて言われたら、きっと取り乱すわよ」


ラズの言葉に、サディは泣きそうな笑い顔を浮かべた。


「こんな時、ロサが側に居てくれたら……。失って始めて、彼女の事をこんなに思っている自分に気付きました」


「何を言っているのよ。ロサを見つければいいことじゃない。私はまだ諦めないわ」


「ラズさん、貴女はロサに似ています」


「私とロサが?」


「頑固で、コレと言ったら梃子(てこ)でも動かず、人のために駆けずり回る、どうしようもないお人よし。それでいて自分にいまいち自身がもてない。ロサは母親に似なくて事が悲しかったと言っていた事があるんです」


ロサの母親は稀に似る美女だ。


「俺は彼女の事をそのままで十分美しいと思っていました。だから肖像画のモデルを頼んだんです。ロサは最初のうちは恥ずかしがっていましたが、何とか説得して受け入れてもらったんです。その矢先に彼女は行方をくらました……。ロサを見つけたら、彼女を2度と放しません。そのままの彼女がありのままで幸せになるのが、彼女の美しさなんです」


「…………」


もっと美人だったら。

もっと身分が高かったら。

もっともっと……。


ラズはそうやって自分自身を否定してきた。

それは自分に対しても、ありのままのラズを受け入れてくれているアンに対しても不心得な事だった。

ラズは今までの自分を恥じた。

真剣なアンの思いを、ラズは身分が違うからとやり過ごして来たのだ。

アンの想いに真っ向から向き合えば、きっと自分が傷つく。

そう思ってきた。

アンの想いを無視して、自分ばかり傷つかずにいたのだ。

そんなの卑怯だ。


(私は、アンさんと向き合う義務があるんだわ)


「ラズ様、ラズ様」


物思いに耽っていたラズの耳に、メイドの声が聞こえてきた。

ラズを探している。


「ここです。私はここに居ます」


声を張り上げ、両手を振ると、顔なじみのメイドが急いで駆けつけてきた。


「ラズ様。神殿から使者かお越しになっておられます」


「神殿から」


もしかしたら、ロサの事で何かわかったのかも知れない。

ラズはサディを見上げると、力強く頷いた。


「俺も一緒に神殿に行ってもいいですか?」


「もちろんよ」


ミチュをリーザに預けて、ラズとサディは使者と共に馬車に乗り込み神殿に向かった。

真っ青な空に浮ぶ入道雲が、照り付ける太陽を隠し、不吉な影を落としている。



* * *



「じゃあ私はちょっと席を外す振りをするわよ。……本当に平気?」


オルマ子爵は賑わう露天商の前で、こっそりユンユに耳打ちした。

オルマ子爵も、犯人を捕まえる為にはユンユの案が1番手っ取り早いという事はわかっている。

しかし、女性を囮に使うというのが、どうも気が引けるのだ。


「平気ですよ」


「でも、か弱い女性を――」


「いいから、早く行ってください」


ユンユは五月蝿い小蝿でも払うように、手を振った。

か弱い女性などと言われて、喜ぶユンユではないのだ。


「――何かあったら、大声で叫びなさい。直ぐ近くに居るから」


「ご好意はありがたいのですが……」


ユンユは言葉を一旦留めると、オルマ子爵の格好を頭のてっぺんからつま先まで見下ろした。

頭には白鳥の羽をあしらった豪勢で巨大な帽子。真珠だけで作られた、ジャラジャラ音をたてるドレス。靴には巨大なエメラルドを中心にありとあらゆる宝石があしらわれている。


「その衣装では目立ちます。出来るだけ離れていて下さい」


ユンユの冷たい言葉に、オルマ子爵はギョッとした。


「離れろ、ですって!? こっちは本気で心配してあげているって言うのに、キー!! 貴女って可愛げがないのね!」


(可愛げがなくて、結構ですよ)


ユンユの冷静な姿勢が崩れないのを見て、オルマ子爵は頬を膨らませ、つんけんとした態度で踵を返した。


「それでも! 攫われそうになったら大声を出しなさいよ!」


捨て台詞とは思えない捨て台詞を吐いて、オルマ子爵はプリプリ怒って行ってしまった。


「悪い人ではないんだ、悪い人では……」


ユンユは人ごみの中に消えていった派手な白鳥の帽子を目で追いかけながら、小さく呟く。

その時。


「喧嘩でもされたのですか?」


老婆のしわ枯れた声が、直ぐ近くで聞こえた。

驚いて後ろを振り向くと、腰の曲がった老婆がユンユを見上げているではないか。

先ほど横目で確認した薄汚れたフードを被っている。

間違いない、ユンユたちの後を付けていた、怪しい人物だ。


(――行動が早い!)


「喧嘩でも、されたのですかな?」


老婆が再び問う。

ユンユたちを付けていたのが老婆だったとは、少しばかり拍子抜けだ。


(いや、見た目で騙されてはいけない)


ユンユは背筋を伸ばすと、老婆に向き直った。

直ぐに動けるように、軽く足を開く。


(クソ、スカートが邪魔だ)


ユンユは焦燥感を表に現さないように、女性らしいか細い声を出した。


「おばあさんは誰なんですか?」


「しがない占いの老婆じゃ」


「占い……」


「そうじゃ、そなたに危険が迫っておる」


「危険?」


(突然何を言い出すんだこの老婆は?)


「ワシに付いて来なさい」


(誰が付いて行くか!)


「安心しなさい。ワシの占いの館は直ぐソコじゃ」


(この手で他の女性たちを攫ったのか?)


女性というものは占いに弱い。

危険が迫っていると不安を煽られたらなおさらだ。

まして相手は、非力な老婆。

少しぐらい付いて行っても大丈夫だろう、そういった油断があったのかもしれない。


「……」


ユンユは無言のまま頷くとシワシワの手を取り、老婆に導かれるまま人気のない横道に入った。

その瞬間、ユンユはいつも携帯している短剣を老婆の喉元に押し付けた。


「ひっ!」


「大声を出さないで下さい」


老婆は脅えきった瞳でユンユを見上げ、小さく頷いた。

ユンユの良心が疼く。

村で老人に囲まれて育ったユンユは、高齢な老人たちを敬う感情が自然に備わっている。

老婆には出来るだけ怪我を負わせたくない。


「どうして、僕たちの後を付けていたのです?」


「……た、助けてくれ」


「答えてください」


ユンユは心を鬼にして、老婆に向けた刃に力を込めた。


「ワ、ワシはお前さんを守ろうと思っておったんじゃ」


「守る?」


「そうじゃ! あの好色なオルマ子爵から、か弱い女性たちを守らなければならない。それがワシの使命じゃ」


「オルマ子爵から女性たちを守る?」


“心は乙女”のオルマ子爵は美青年が好きでも、女性の事は眼中にないはずだ。


「オルマ子爵は女たちを集めて、ハーレムに押し込める極悪非道な男だ!」


老婆の目がカッと見開き、老人とは思えないほどの力強い手がユンユの腕を掴む。


「あんたも、あのオルマ子爵に自画像を描いてもらうのか? 工房(アトリエ)で出会っているところを見たよ。お嬢さんたちがオルマ子爵邸に入った時はもう駄目だと思ったが、お前さんだけでも出てきてくれてホッとした」


「――!」


この老婆は、画家のサディを前オルマ子爵だと勘違いしている。


「さあ、お前さん。ワシに付いておいで、あの男から守ってあげるから」


老婆の爪がユンユの腕に食い込む。

爪が肌を破り、血が滴り落ちる。

恐ろしいまでの力だ。


「はーい、そこまで」


いつの間にか現われたオルマ子爵が、老婆の手を孔雀の扇子で叩いた。

老婆はギャッと呻くと、ユンユから手を離し、恐ろしいまでの眼光でオルマ子爵を睨んでる。


「私はお婆ちゃんだろうと容赦はしないわよ」


オルマ子爵は悠然と扇子で顔を扇ぎ、オホホホと高笑いをした。

この人なら、老婆だろうと何だろうと、自分に歯向かう者なら容赦はしないだろう。

ユンユはそう考えると、先手を打つことにした。


「おばあさん、安心してください。オルマ子爵はもういません!」


「あら、居るじゃないここに――。ウグッ!」


ユンユの肘鉄が、見事決まった。


「ちょっと黙っていてもらえませんか? 今、大事な話をしているんです」


ユンユは天使のような笑顔をオルマ子爵に向ける。

オルマ子爵はみぞうちを押さえて、涙目でユンユを睨んでいるものの、口をへの字に曲げて黙り込んだ。


「おばあさん。オルマ子爵はもう居ないんです。だから女性たちは安全なんですよ」


「信じられるか! あの男は女の敵だ!」


「この煌びやかな服を着た人が、新しいオルマ子爵ですよ。ちゃんと紋章入りの指輪もしています」


老婆はオルマ子爵の指に光る紋章入りの指輪を見た。


「……まさか、ありえない」


老婆の瞳が驚愕に見開かれる。


「おばあさんが女性たちを無理やり攫ったという事は、前オルマ子爵と同罪ですよ」


ユンユの言葉をゆっくり租借した老婆は、力が抜けたように地面に座り込んだ。


「ワシはただ、女性たちを守ろうとしただけだ。あの好色な男から」


「ええ、わかりますよ」


ユンユは老婆のか細い背中を優しく撫でた。


「守るために、かくまっただけじゃ。傷ひとつ負わせていない」


傷ひとつ負わせていない。

ユンユは嬉しさのあまり、その場でガッツポーズをしてしまった。


「女性たちは、今どこに!?」



――生きている! 生きているんだ!



ユンユとオルマ子爵は老婆の案内の元、総勢5名の女性たちを救い出した。

傷ひとつなかったが、脅えきって青白い顔をしていた。

女性たちはオルマ子爵の手配で医者に診て貰ってから、各々の家に無事に帰される事になった。




しかし、そこにはロサの姿はなかった。





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