水中花の涙 ―21―
「それじゃ、このロサが隠し持っていた指輪は、サディさんの物だというのね」
ラズの質問に、画家のサディは大きく頷いた。
オルマ子爵邸の庭園で、オルマ子爵とラズは美容に良いうという超高級“真珠入り珊瑚の種のジュース”を飲んでいた。
広い華麗な庭には、人工的に池が作られてあり、蓮の花が見事に咲誇っている。
うだるような暑さも、蝉の鳴き声も、青葉が生い茂る池の側にいると、幾分涼しく感じられた。
そこへ、女装したユンユが、女学生のリーザ、画家のサディを連れてやって来たのだ。
3人は冷たい飲み物で喉を潤すと、指輪の事をラズとオルマ子爵に話して聞かせた。
「この指輪の紋章は、確かにオルマ子爵の紋章よ」
オルマ子爵は、自分の指にはまっている紋章入りの指輪を見せた。
サディの持っている指輪とまったく同じだ。
「どちらかがよく出来た贋物ってことですよね?」
ユンユがポツリと呟いた。
貴族以外が家紋を有することを禁止する世の中。
紋章入りの指輪の贋作を作るなど、厳罰に値する。
ラズはゾッとした。
もしかしたらロサは、とんでもない事件に巻き込まれているのでは?
『……ロサ、そう、ロサと言ったね。その女、……残念じゃが、もう、どこを探しても居らんよ……』
町で出会った、不思議な占いの老婆の言葉が蘇る。
ラズは不安で、心がざわめいた。
2つの紋章入りの指輪。
ラズは恐ろしい物でも見るように、指輪を見比べた。
「ねえ、ちょっと待ってよ。私頭がパンクしちゃいそうよ。今までの経緯を簡単に教えてちょうだい」
オルマ子爵が、ラズに聞いた。
「そうね。まず私たちが探しているのは、ロサとういう女性よ。半年も前に失踪しているの、ある日突然消えてしまったそうよ。最初はロサと確執があった学院長を疑ったのだけど、彼女はどうやらシロみたい。まあ確かに学院長が犯人だったら、私たちにも嘘を付いていたはずよ」
女学院に初めて訪れたとき、ロサが行方不明だと話してくれたのは、学院長その人だった。
もし、学院長が“ロサは今、学院の用事で出張中だ”などと、嘘を付けば、ラズたちはそれを信じて、事なきを得ていただろう。
学院長が犯人なら、わざわざ真実を話して、事を大きくするはずがない。
「それで、ロサの部屋で見つかったのが、この指輪」
オルマ子爵の紋章入りの指輪。
この世に2つとあってはならない物。
「ねえ、そのロサって人、もう海の底なんじゃない」
オルマ子爵があっけらかんと言った。
ラズの心臓が凍る。
不安を的確に言い当てられたのだ。
少なからず、ラズもユンユも最悪の事が脳裏に掠める事があった。
もしかしたら、ロサは――。
「馬鹿を言うな!! ロサは生きている!」
突然、サディがオルマ子爵の胸倉を掴み、拳を振り上げた。
サディの不安は怒りという形で、オルマ子爵に向けられたのだ。
しかし、サディの拳は振り上げられたまま、開いたり握ったりを繰り返し、振り下ろされることはなかった。
オルマ子爵は脅えるそぶりも見せず、平然とサディを見つめ返している。
2人の間に張り詰めた一本の線のような緊張が走る。
「……あなたのその顔、あの人にそっくり」
オルマ子爵が誰にも聞こえないような小さな声でポツリと呟いた。
それから、胸倉を掴んだままのサディの手を扇子でバシンっと叩いた。
「ちょっと! いい加減離してちょうだい。服がしわになっちゃうわよ」
サディはオルマ子爵を睨んだまま、服から手を離した。
庶民が子爵に手を上げる自体、不敬罪に当たるのだが、オルマ子爵は服のことしか興味がないようだ。
オルマ子爵はプリプリ怒りながら、服のシワを懸命に伸ばしている。
「もう! せっかくの私の服が、いやんなっちゃうわ」
オルマ子爵は、服のシワを伸ばしながら、ぶつぶつ小言を言っていたと思ったら、いい事を思いついたように突然立ち上がった。
笑顔をユンユに向ける。
「そうだわ。ユンユちゃん一緒に服を買いに行きましょう」
「いえいえいえ、どきっぱりと遠慮しておきます」
服を買いに行くだなんてとんでもない。
女装がばれてしまう。
これ以上の恥さらしはごめん被る。
焦ったユンユは、激しく首を振った。
「あら、あなた昨日からその格好じゃない。女の子はお洒落しなきゃ。楽しいわよ、お女の子同士のお買い物は」
――男の子同士のお買い物です。
ユンユの正体を知っている、ラズとリーザとサディは心の中でつっこんだ。
オルマ子爵は、嫌がるユンユの首根っこを、むんずと掴むと、引きずるように連れて行く。
「ああ、そうだわ、指輪のことが知りたかったら、私の母。オルマ子爵未亡人に聞いてみなさい」
途中で振り返ったオルマ子爵が、サディに向かって言った。
――贋物は私の方だわ。
* * *
「どう、これ素敵じゃない」
町に繰り出したオルマ子爵とユンユは、貴族御用達の仕立て屋の一角を陣取っていた。
高級絨毯が敷き詰められた豪華な部屋は前面鏡張り。
仕立て屋の主人やお針子の女性たちが、いそいそとオルマ子爵に見本のドレスや布をあてがっている。
貴族の服は基本は全てがオーダーメイド。
ユンユはオルマ子爵の散財っぷりに、開いた口が塞がらなかった。
「……似合う、似合う」
魚の鱗をイメージしたというキラキラでヒラヒラのスカートをはいたオルマ子爵がくるりと回り、ユンユに意見を求め、疲れ果てげんなりとしたユンユは抑揚のない声で答える。
「何よその死んだ魚みたいな目! もっと楽しそうになさい」
「もう帰りましょう。10着もドレスを仕立てたんだから満足でしょう」
「ユンユちゃんは1着も買ってないわね。可愛いドレスがたくさんあるわよ。コレなんか似合いそう」
オルマ子爵が、ユンユの目の色に合わせた、緑色の布を手に取った。
「結構です」
「お金の心配は要らないのよ」
「遠慮します」
「もう、遠慮なんてしないでちょうだい」
「お断りします」
「……つまんな~い」
オルマ子爵がいやんいやんと体をくねらせる。
「じゃあ、帰りましょう」
「待ってよ。今は帰りたくない気分なの」
「……帰りたくない気分って。んな思春期の子供みたいな事を言わないで下さい。贋物の指輪の件も早く調べないと――」
「聞いてちょうだい。私の父親、前オルマ子爵はね。大勢の側室が居たのよ」
オルマ子爵は、ユンユの言葉にかぶさるように唐突に話し始めた。
オルマ子爵が、パチンと音をたてて扇子を閉じ、人払いをすると、試着部屋にはオルマ子爵とユンユの2人っきりになった。
「私の父は好色でね。美人と見れば、人妻だろうと何だろうと、強引にハーレムに連れてきて、総勢100人もの美女たちを囲っていたわ」
「100人!?」
貴族が側室を抱えるのは家の繁栄のため、珍しいことではない。
しかし、側室を取るのも2人か3人程度だ。
「お盛んでしょ。でもね、子供は私ひとりなの、100人も側室が居ながら、子供がたったひとり」
「……奇跡の子供ですね」
「ズバリ言って良いのよ。私は前オルマ子爵の本当の子供じゃないって」
「そんな……」
「私の産みの親は、したたかな女性だったわ。全てが計画通りだったのよ。カッコウ鳥っているじゃない。他の鳥の巣に卵を産んで、自分の子供を育ててもらって。自分は優雅な生活。まさにあれよ」
「…………」
「前オルマ子爵はやっと出来た子供に大喜びで、疑惑の芽を全て断ち切ってしまったの。きっと男としての矜持が許さなかったのね。側室を寝取られたのよ、そりゃ、好色男としての矜持はボロボロよ」
「でも……」
「でも、何? 私が本当に前オルマ子爵の子供だとでも? 100人も側室が居て、子供がひとりよ。どう考えたって怪しいでしょ。母は私を、後継者を産んだことで、ハーレムの頂点に君臨したの。正室より豪華な部屋を宛がわれ、贅沢三昧の毎日を送っていたわ。それも全て計算づく。本当、女ってしたたかよね。打って変わって、托卵男は不憫」
「……全てが計算づく?」
それが本当なら、オルマ子爵の産み母は、とんでもなく野心的な女性だ。
「そうよ。女はしたたかに生きて、男は矜持に生きるの。どちらが長生き? 女よ!」
「た、確かに」
それは認めなければならない。
ユンユは村の3婆姉妹を思い出していた。三人とも、夫に先立たれている。
「だから、私は女性に生れたかったのよ。男は嫌! 私は、ハーレムで煌びやかな女たちに囲まれ育ったの。だから奇麗なものが大好き。彼女たちのパワフルな生き方には尊敬するわ。どうやって仲間を出し抜いて寵愛を受けるか、血と汗がほとばしっていたわ。毎日が女同士の戦争よ」
オルマ子爵の目が興奮に輝き、ユンユの口の端が引きつる。
「パワフルすぎるでしょ……」
オルマ子爵は少し寂しそうに笑うと、鏡に向かって自分自身に語りかけるように喋り始めた。
「今日まで、父には子種がないと思っていた……」
今日まで? ユンユは何故っと首を捻った。
「サディという画家は、私の父親そっくりな顔をしていたわ。あの怒った顔。まさに生き写し。そんな男が紋章入りの指輪を持って私の前に現われた」
「それって……」
ユンユの目が見開かれる。
「彼は、間違いなく前オルマ子爵の子供よ。――私の兄よ」
――贋物は私。
「ねえ、ドレスはもういいわ。次は露店に行きましょう。この町の露店は素晴らしい装飾品が売ってあるのよ」
「ま、まだ買い物するんですか!?」
「何言っているの。まだまだ序の口よ! さあ行くわよ!」
オルマ子爵は意気揚々に、ユンユを引きずりながら、賑やかな町に繰り出していった。
* * *
「そう、あなたの名前はサディというの……」
子爵未亡人がポツリと呟いた。
青ざめた顔は、実年齢より老けて見える。
ラズがミチュと遊んでいた子爵婦人に会いに行ったのは、オルマ子爵が不思議な言葉を残してから直ぐだった。
サディを見た子爵未亡人は、幽霊でも見たかのようにサディの顔を見つめた。
「教えて下さい。俺は、何者なんですか?」
サディもさすがに不安を煽られている様で、健康的に日に焼けた顔が青白くなっている。
子爵未亡人は、忘れたくとも忘れられない記憶が蘇ってきた。
オルマ子爵は稀代の女好き、100人もの美女を集め、ハーレムを作っていた。
しかし、ひとりも懐妊することがなかった。
邪険にされた正室にとって、それは腹のそこから笑えることだった。
そんなある日――。
『懐妊しただと!』
『は、はい』
美しく、気の弱い女が、正室の前で震えている。
この女は、ハーレムに居るには弱すぎる。
『間違いないのか!』
『ま、間違いございません。子爵様がお渡りしてから、5ヶ月も月の物がございません』
『5ヶ月!』
正室は驚いて、女のほっそりとした腰を見た。
『お願いでございます。このままハーレムにいては私の懐妊は知れ渡ることでしょう』
『…………』
ハーレムでは以前、懐妊したかも知れないという女が、堕胎薬を飲まされた事があった。
女の嫉妬は恐ろしい。
『私には耐えられません! この子と私をお助けください。頼れるのは子爵婦人様しかいないのです』
女がすがる様に正室に訴えてきた。
『わかった、そなたを守ってやろう』
それから、正室は産み月まで女を匿い、子供は無事に産まれた。
――男の子だ。
憎かった。
子供を愛おしそうに抱く女が。
夫に愛されたこの女が。
女性としての幸せを手に入れたこの女が――。
「子爵未亡人様?」
ラズが急に黙り込んだ子爵未亡人のことが心配になり、遠慮がちに声を掛けてみた。
子爵未亡人は、数回瞬きをすると、ラズをしっかり見つめた。
それからおもむろに、サディに向き直る。
サディの顔は、前オルマ子爵の若い頃そっくりだ。
男前のりりしい顔立ち。
昔、子爵未亡人が恋焦がれた顔。
「あの時の赤子、生きていたのね……」
「どういう意味ですか?」
「全て、全てお話します」
子爵未亡人は、贖罪を求めるように、語り始めた。