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水中花の涙 ―17―


「では、参ります!」


メイドの言葉にラズは、ベッドの支柱に手を廻すと、ぐっと足に力を入れた。

その瞬間、コルセットが万力の力で締め上げられる。

人生2度目のコルセットだ。


「ぐ、苦しい」


「頑張ってください。あと1センチ締めないと、ドレスが入らないのです」


メイドはラズの腰を足で押して、コルセットの紐を引っ張る。


「ぐ、うう……」


ミチュと一緒に、お菓子を食べ歩いた事が悔やまれる。

それでも、ラズは太っているわけではない。

貴族社会のドレスの腰周りの方が異常なのだ。


「さあ、締まりました」


「息が出来ません」


「我慢してください。これから正式な晩餐会なのですから」


そう言ったメイドは、額の汗を拭うと、ぽっと頬を赤らめた。

美貌の英雄クリシナを招いていの晩餐会に興奮が抑えきれないのだ。


今、オルマ子爵邸は混乱と興奮に包まれていた。

ラズたちは賓客として丁重にもてなされ、ひとり、ひとりに優雅な部屋を宛がわれた上、晩餐会まで開いてくれるという。


水1杯、指を動かすだけで出てくる始末。

まさに、至れり付くせりだ。

贅沢な暮らしに慣れていないラズにとって、なんだかお尻がこそばゆい。

断ろうものなら、英雄クリシナに対しての非礼を詫びるために自害をするしかない、とオルマ子爵が泣いてすがり付いてきくる。


(早くロサを探したのに……)


オルマ子爵にロサの事を聞いてみたが、“ロサ”という女性をまったく知らないと答えた。

ロサが紋章入りの指輪を持っていたのかも、わからない。

ロサの捜索は、ふり出しに戻った状態だ。

ラズはため息を漏らした。


「痛いですか?」


ラズの髪を、華麗に結い上げているメイドが聞いた。


「ううん、大丈夫よ」


ラズには数名のメイドが付き、お姫様のような扱いを受けていた。

煌びやかに着飾るというのも、疲れるものだ。


「さあ、ラズ様、参りましょう」


全ての用意が整ったラズは、宝石の付いた扇子を渡された。

美しく結い上げられた髪に宝石が散りばめられ、胸元が大胆に開いた豪華なドレス、二の腕まである長い絹の手袋、歩きにくいハイヒール、窮屈なコルセットのお陰で、胸の谷間が出来ている。


巨大な鏡に映った自分は、自分ではなかった。


(そばかすが消えているわ。別人みたい)


ラズは、丹念に化粧を施された顔を、しげしげと眺めた。

昼間に怪我をした、頬の傷も目立たない。


(花珠様の軟膏のお陰かしら?)


ラズは頬に手をそっと当てると、消えかかった傷をよく見ようと、鏡に近づいた。


「ラズ様、早く参りましょう」


頬を上気させたメイドがラズをせっつく。

メイドとして有るまじき行動なのだが、それだけ早く、英雄クリシナに会いに行きたいのだ。

そわそわと落ち着かないメイドたちの気持ちが、手に取るように分かる。


ラズはクスッと笑うと、長いスカートを軽く持ち上げて、ゆっくりと歩き出した。

慣れないハイヒールで足元がぐらつく。

ようやく階段まで付くと、金ぴかの手摺(てすり)にもたれ掛かり、ひと息いれた。


柔らかな螺旋(らせん)を描く巨大な階段。

赤い絨毯が敷かれ、階段から降りていく貴人たちを、優雅で荘厳に演出してくれる作りになっていた。

階段下は大理石のダンスホールになっており、ドーム型の天井には、海の神と真珠乙女の神話が見事に描かれてあり、シャンデリアが光り輝いている。

階段下のホールには、アン、ユンユ、ミチュ、オルマ子爵が待っていた。


ミチュとユンユは、着替えていない。

ユンユは学生は制服が一番の礼装ですからと、頑として着替えなかったのだ。

女装中のユンユが侍女たちの手で身包みを剥がされたら大変な事態になっていただろう。

オルマ子爵は又一層、華美なドレスに着替えている。


アンは金の刺繍が施された黒い礼服に身を包んでいた。

肩にかかる雪豹柄の重厚なマントは足元に広がるり、腰にさしたサーベルは実用的な物ではなく、宝石が輝く装飾用のサーベルだ。

王者のような装いに身を包んだアンは、普段からその美貌を見慣れているラズでも、息を飲むほど、美しかった。

ラズについて来た侍女たちが、一斉にため息を付く音が聞こえる。


アンの金の瞳は、ラズだけを見つめていた。

その視線は貪欲であり、視線だけで服を脱がされたような、落ち着かない気分になった。

広く開いた胸元が、急に恥ずかしくなり、扇子を開いて胸元を隠した。


(このまま、部屋に逃げ去りたい)


しかし、ラズが階段を降りなければ、晩餐会は始まらない。

ラズは花珠様を思い浮かべた。

彼女のように、堂々として優雅に上品に――。


「ラズ様のご来場です」


ラッパが鳴り響く。

過剰な演出に、肩を竦めそうになる。


(賓客として招待するにも、やり過ぎよ! まるで王族みたいじゃない。こうなったらやるしかないわ、女は度胸と愛嬌よ)


ラズはぐっと胸を張り、顎を上げ、一歩ずつ、ゆっくりと階段を降りていく。

全ての人の視線が集まり、いやおうなしに緊張が高まる。


グキッ!


ハイヒールを履いた足が変な方向に曲がった。


「えっ、おっとっとっと」


階段の途中でバランスを崩し、両腕を思いっきり振り回す。

コルセットが苦しくて、俊敏な動きが取れない。

見守っていた人々が、一斉に息を飲む音が聞こえる。


――転げ落ちる!


と思ったものの、いつの間に階段に駆け上がったアンが、ラズを抱きかかえていた。

ころんころんと、ハイヒールだけが、階段を虚しく転げ落ちていった。


「大丈夫ですか!?」


ユンユも階段を駆け上がってきた。


「恥ずかしすぎる」


穴があったら入りたい気分だ。

ラズは赤くなる顔を両手で覆った。

アンがラズを抱えたまま、階段を降りると、革張りの大きな椅子にラズを座らせた。


「ありがとう、アンさん助かったわ」


足首がズッキン、ズッキンと脈を打つように痛む。

ラズは痛みを隠して、アンに微笑んだ。

今ここで痛いと言ったら、せっかく用意してもらった晩餐会に水を指してしまう。

ここまで用意するのに、使用人たちは、額に汗して、東へ西へ、上へ下へ駆けずり回っただろう。

彼らの為にも、晩餐会を無事に終らせなければならない。


(スカートが足首を隠してくれる長さでよかったわ)


足首はきっと、赤く腫れてくるだろう。


「ラズ?」


「何?」


アンがラズの足元にひざまずいたと思ったら、スカートをめくり上げた。


「ぎゃああ、何すんのよ!」


アンはラズの悲鳴などお構いなしに、ラズの足首に視線を落とした。

そこはすでに、赤く腫れてきている。


「ユンユ」


アンが肩越しにユンユを呼ぶと、ユンユはそっとラズの足首を診た。


「折れてはいません。捻挫ですね」


「オルマ、ラズの部屋に氷を運ばせろ」


(部屋に! それは晩餐会が中止ってこと!?)


ラズは慌てた。


「待って、私は大丈夫よ」


「コレだけ足が腫れているんだ。無茶をするな」


アンがそっとラズの足の甲を撫でた。

その優しい愛撫に、うなじがあわ立つ。

ラズが足を引っ込めようにも、アンに太ももをつかまれていて、引っ込めることが出来ない。


「お願い、アンさん、離して……」


「駄目だ」


アンは、ラズを見上げた。

アンの表情は怒りを抑えているようにも見える。


「ねえ、私は本当に大丈夫。ただの捻挫ですもの、うわっ!」


アンは唐突にラズを抱きかかえ、階段に向かった。


「アンさん、晩餐会はどうするの!?」


「捻挫した足は速く冷やした方がいい。初期の治療を怠ると、後を引くぞ」


そう言ったアンは有無を言わせず、ラズを部屋まで運び、キングサイズのベッドに降ろした。

怒りに燃える金色の瞳が、ラズを見つめる。


「…………」


ラズの、寄せて上げた胸が、大きく上下する。

アンは、ラズのドレスを脱が始めた。


「ちょ、何するの!?」


ラズの抵抗を無視して、アンはコルセットを手際よく外した。

残ったのはシミーズとドロワーズ。

乱れ髪に、薄い下着姿でキングサイズのベッドに寝転ぶラズ。

薄っぺらな下着だけで、アンの金の瞳に晒されるのは、酷くおぼつかない。

ラズは大急ぎで、絹のシーツで体を覆う。


アンはコルセットを苦々しく見てから、脇に放った。


「こんなものを着ているから、気絶したりするんだ。調子が悪いのに何故無茶をする」


アンがラズに怒りをぶつける。

ラズは叱られた子供のように、シーツを鼻の下まで持っていった。


「だって、脱水症状だって軽いモノだったし、皆が晩餐会の用意をしてくれているのに、水を差すのが申し訳なくって」


アンはラズの顔の両端に手を付いて、覆い被さるように見下ろした。


「ラズ――」


「クリシナ様、氷を持ってきましたわ」


「ちべたいよー!」


オルマ子爵が、両開きの扉を開けて、洗面器一杯の氷を持っていた。

ミチュも両手に氷を握っている。

ユンユは捻挫した足に固定する板を大至急、部屋から取ってきた。


「あ、あら、お邪魔だったかしらん?」


オルマ子爵が扇情的なラズとアンの場面を見て、オホホホホと誤魔化すように笑った。


「お邪魔なんかじゃありませんよ、ラズ先生、足を見せてください」


オルマ子爵を押しのけて、部屋にずかずか入ってきたユンユが、ラズの足首に冷たい布を当てた。

ミチュが心配そうにラズのベッドに這い上げって来た。


「たいたい?」


ミチュが小首をかしげて、痛い? と聞いてきたので、ラズは手を伸ばして、ミチュの頭を撫でてやった。


「大丈夫よ」


「たいのたいの、とんでけー」


痛いの痛いの飛んで行け、ラズがミチュに使う言葉だ。

ラズは愛おしさが胸にこみ上げてきて、ミチュを抱きしめた。

柔らかい頬っぺたに頬ずりをする。


「ミチュのお陰で、痛いのが飛んで行ったわ。ありがとう皆、もう、大丈夫よ」


アンは、疑わしそうに、片眉を上げたが、何も言わなかった。


ラズの“大丈夫”という言葉ほど、疑わしいものはない。



* * *



夜も更け、ラズはひとりで豪華な天蓋付きのキングサイズのベッドに横になり、天蓋から吊り下げられている薄い絹のベールを見つめていた。

化粧も奇麗に落として、絹の寝間着に着替えている。

ラズは、重たいため息を付いた。


踏んだり蹴ったりの1日だった……。


頬にうっすらと残る切り傷、足首の腫れ、そして脱水症状。


危険に陥ると何時もアンが助けてくれる。

不甲斐ないばかりだ。

もっと、人に迷惑を掛けないようにしなくては……。


アンとは、もうすぐでお別れをしなければならないのだから。

あの占いの老婆は、アンのことを言っていたのだろう。


(惚れ薬だって、フフ、笑っちゃうわ)


今日、つくづく思い知らされた。

身分の差をいうモノを。

豪華な屋敷で堂々と振舞う彼は、間違いなく王者だ。


(それに、比べて私は……)


ラズはため息を付いた。


(肝心な所でこけるんだもん。とんだ道化師よ)


足首が痛い。

胸も痛い。



* * *



月明かりが差し込む廊下。

何処からともなく聞こえる、グラスハープの透明な音色。

マントが夜風にのってはためく。


アンは静かに佇んでいた。

その手には、淡い光を放つ真珠。

海で見つけたものの、次から次へと騒動が持ち上がり、なかなか渡せなかった“愛の誓い”


「…………」


アンは何かを心に決めたように、真珠を握り締めた。

足はラズの部屋に向かっている。



* * *



ラズは、寝返りをうった。

なかなか寝付けない。


(アンさんはあの時、なんて言おうとしたのかしら?)


オルマ子爵が氷を持ってくる前、アンは何かを言いかけた。


(無茶をしたら、押し倒す、というのは本気なのだろうかしら?)


アンはラズが嫌がれば、無理やり体を奪うことはしない。

それは確信に近い。

しかし、ラズが本気で拒絶すればだ。


ラズには、それが心もとなくなっていた。

アンに惹かれている。

体を求められたら、与えてしまうかも知れない。


アンに惹かれない人がいるだろうか?

ラズは実際に、昼間のアンの口付けに、うっとりしていた。

彼の愛撫は、素晴らしく、思い出すだけでも、心が疼き、顔が赤くなる。

ラズの心も体も、アンに陥落しそうになっていた。


(もし今、アンがあの扉を開けてやってきたら……)


ラズが、視線を扉に向けた。


「…………ふふ、まさかね」


ラズが笑って、目を背けた時、扉がゆっくり開いた。


(うそ!! アンさん……)


高鳴る心臓。

ラズは汗ばんだ手で、しっかりとシーツを握り締めた。


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