水中花の涙 ―16―
「それじゃあ、ミチュは子爵邸にいるの!?」
ラズは、白い小鳥を人差し指に止まらせたアンに詰め寄った。
小鳥は溶けるように形を崩すと、アンの指に指輪としてはまる。
何度見ても不思議な光景だ。
遥か昔に滅んだエルフが遺した“魔法の遺物”。
アンの“魔法の指輪”もそのひとつ。
大変貴重で稀な存在。
「ああ、鳥の目を通して“見えた”。豪華な部屋でお菓子に囲まれていた。嬉しそうにお菓子を食べていたぞ」
「なっ」
この期に及んであの子は……。ラズは頭を抱えたくなった。
こっちは気が狂わんばかりに探し回っているというのに……。
ミチュは自分が誘拐された自覚がないのだろう。
「たしか、この町の領主はオルマ子爵だったはずだ」
アンが思い出すように、顎を摩りながら言った。
「オルマ! オルマ子爵って、あの派手好きな好色子爵の!?」
「よく、知っているな」
目を見開いて驚くラズに、アンは意外そうな顔を向けた。
ラズはぶるっと体を震わせた。ラズが知る“あのオルマ子爵”だったら、ミチュがさらわれた理由もおおよそ見当が付く。
「昔、ユンユを女の子と間違えてさらったのが、オルマ子爵よ! ああ、なんて事かしら、また、側室かなにかするために、美少女のミチュをさらったんだわ。オルマ子爵はもう70歳を越えているはずだわ、あの好色爺めっ!」
早く、ミチュを助けないと大変な事になる。ラズは焦った。
今はお菓子を与えて、ご機嫌取りをしていても、それから先は――。ああ、考えるのもおぞましい。
「早くミチュを助けに行きましょう!」
「ユンユをさらったのは先代のオルマ子爵だな。今、爵位は息子が継いでいる」
「親子そろって、うちの子を誘拐するとは! なんて因縁かしら!」
ラズの言葉に、アンは顔をしかめた。アンの記憶するオルマ子爵は、たしか……。
「おかしいな」
「何がおかしいの?」
「今のオルマ子爵は、“女”に興味が無いはずだ」
「…………え?」
「オルマ子爵は、オカマ子爵だ」
んな、駄洒落じゃないんだから、とラズは心の中で突っ込んだ。
* * *
淑女のように楚々(そそ)と歩いていたユンユは、女学院の校門を出た瞬間、脱兎の如く逃げ出した。
鬘が取れないようにしっかりと頭を抑え、スカートが太ももまでめくれるのは、お構いなしだ。
通行人がギョッとして、ユンユを振り返っている。
(ごめんなさい! ごめんなさい!)
心の中で何度も謝る。
リーザに正体を見破られそうになったユンユは、リーザのみぞうちを打ち、気絶させたのだった。
今頃、リーザはロサのベッドで寝ているはずだ。
(本当に、ごめんなさい!)
拳に残る、リーザの柔らかい感触。女性を殴ったのは初めてだ。罪悪感に苛まれる。
走ることで、その罪悪感から逃れようと、ユンユは必死で走る。
「はあ、はあ、はあ」
足がガクガク震えるまで走ったユンユは、木の幹に手を付いて、息を整えていた。
汗が顎から滴り落ちる。
喉がカラカラだ。
(鬘が蒸れる)
しかし、鬘を脱ぐのは賢明とは思えない。
1度失敗しているのだ。
ユンユは、暑さを堪えて、ぐっと背筋を伸ばした。
目の前にそびえ立つのは、豪華絢爛の城。
ユンユの足は無意識に“オルマ子爵邸”に向かっていたのだ。
(ここが、あの好色爺の城……)
ユンユは、オルマ子爵の紋章が入った指輪を握り締めた。
ロサは何故、オルマ子爵の紋章が入った指輪を持っていたのだろう?
オルマ子爵は昔、ユンユをさらった好色な爺。
ユンユが覚えている限り、美しい女性を収集家のように集めるのが、趣味のような男だった。
(ロサは、子爵邸にいるのだろうか?)
オルマ子爵がロサをさらったのか?
いや、ロサは、平凡な容姿の女性だ。
オルマ子爵は“美しい女性”にだけ興味があるのだ。
何だか、女学院の学院長と重なるモノがある。
理事長とオルマ子爵の共通点は“女性の美”へのこだわりだ。
2人に繋がりがあってもおかしくない。
“女性の美”に反対していたのはロサ。
そこまで考えると、ユンユはぶるっと体を震わせた。
(生きていてくれよ。ロサ)
ユンユはそびえ立つ城を見上げ、心に強く願った。
「あら、ユンユ?」
背後からラズの驚いた声が聞こえ、ユンユも驚いて振り返った。
「ラズ先生!」
少し青白い顔をしたラズが、アンに抱えられるように立っていた。
「どうしたんですか!?」
ユンユがぎょっと驚いて、ラズの額に手を当てた。
ラズは困ったように微笑んで、ユンユの手を払いのけ、アンの手から逃れ、ひとりで立った。
「少し、人ごみに酔っただけよ。2人とも大げさなんだから。それより、どうしてユンユがここに?」
「コレを見てください」
ユンユは紋章の入った指輪を見せた。
「貴族の指輪、男性用の大きな指輪ね」
「はい、ロサの部屋から見つけました。オルマ子爵の紋章だそうです」
ラズは目を見開いて、ユンユを見てから、指輪を手に取った。
「どうして、オルマ子爵の指輪が、ロサの部屋に?」
「それは、分かりません。それで、ラズ先生とアンさんはどうして、ここに?」
「ミチュがさらわれたの、オルマ子爵に」
ラズの言葉を聞いて、ユンユの脳裏に幼かった頃、オルマ子爵にさらわれた記憶が鮮明思い出された。
女の子に間違えられてさらわれたユンユは、危うく、オルマ子爵の側室にされるところだった。
今度はミチュが!? ミチュはユンユにとって大切な家族。
「またか、あの好色爺!」
息巻くユンユに、ラズは微妙な視線をアンに送ってから、ユンユを見た。
「それがね、今度は少し違うの」
「違う?」
「ええ、まあ、とりあえず、直談判しに、オルマ子爵邸に行ってみましょう」
「その前に、僕は着替えて良いですか? いつまでも女装というのは……」
ユンユはスカートを持ち上げて聞いた。ラズは、美女にしか見えないユンユを頭のてっぺんから足先まで眺めた。どこからどうみても、可憐な少女だ。
「……念のために、女装のままの方が、安全かもしれないわ。うん」
ユンユが可憐な男の子だと分かったら、大変だ。
* * *
「ここに、白金色の髪をした、女の子がいるはずでしょ」
「やかましい、ここを何処だと思っているのだ? お前のような庶民が来てよい所ではない!! さっさと帰れ」
ラズはオルマ子爵邸の門衛に、すげなく門前払いにあった。
子爵邸は周囲を頑丈な塀に囲まれ、ネズミ1匹、侵入者を許さない。
唯一の豪華絢爛の鉄柵の門の前には、始終、門衛が立っている。
門衛は青と白の華美な軍服を着た、無愛想な男たちだ。
「無礼なのは分かっているわ、でも話ぐらい聞いてちょうだいよ」
ラズは食い下がった。
早く、ミチュをこの両腕に抱きしめたい。
「駄目だ、駄目だ」
「ねえ、お願いします」
「くどい! 不敬罪で牢獄に入りたいのか」
「ラズ先生、ここは一旦引きましょう」
ユンユがラズの肩に手を置いて、後ろに下がる様に促した。
ラズは悔しそうに、唇を噛み締めてから、門衛を見つめた。
やっぱり諦めきれない。もう一声!
「話だけでも……」
「しつこい!」
門衛が素早く動くと、ラズの腕を掴み、後ろに廻し、締め上げた。
「痛!」
「ラズ先生!」
「女、いい加減に――」
門衛は最後まで言えなかった。
なぜならアンが門衛を投げ飛ばしたからだ。
投げ飛ばされた仲間を見て、他の門衛たちの間に緊張が走った。
剣を抜く音が聞こえる。
「この際だ、強行突破するぞ」
アンが向かってくる門衛を蹴飛ばし、剣を奪った。
「え?」
ラズが突然の乱闘に、狼狽していると、ユンユがラズを肩に担ぎ上げた。
「ラズ先生、口を閉じておいて下さい。舌をかみますよ」
ユンユは言い終わらないうちに、アンを追いかけて、ラズを肩に担いだまま走り出した。
アンが次々と襲ってくる護衛兵をなぎ倒し、猛スピードで大理石の廊下を走り抜けていく。
幼い頃から山道で足腰を鍛えたユンユでさえ、付いていくのがやっとだ。
「この部屋だ」
アンが見事な装飾なされた豪華な扉を蹴った。
ラズがユンユの肩から下りると、部屋の中に駆け込んだ。
「ミチュ!」
金がふんだんに使われた豪華絢爛な部屋では、ミチュがお姫様のような奇麗なドレスを着て、お菓子に囲まれていた。
口の周りにチョコレートを付けているではないか。
その横には、豪華なドレスを着た白髪の老婆がいた。
酷く怯えた様子で、メイド達と抱き合って震えている。
「ママー!」
ミチュがお菓子の山から抜け出し、ラズに抱きついた。
ラズもミチュをしっかり抱きしめる。
「曲者だー! 子爵未亡人のお部屋に、曲者だー!」
護衛兵の警鐘を鳴らす音が、子爵邸内に響き渡る。
子爵未亡人!? ラズは白髪の上品そうな老婆を見た。
青い顔で震える子爵未亡人は、確かに見覚えがある。
オルマ子爵に誘拐されたユンユを返してくれた、あの時のご夫人だ。
「ラズ、ユンユ、窓から逃げるぞ」
ここは3階。さすがにアンでも、飛び降りて無事ではいられない。
「無理よ!」
「ユンユ、ミチュを抱いてくれ。俺がラズを抱く」
アンは聞く耳を持たない。両開きの窓を開けて、肩越しにユンユを振り返った。
「はい」
ユンユは、ラズからミチュを受け取ると、ラズを立たせた。
「ユンユ、ここ3階よ」
「来た道は、護衛兵で埋め尽くされていますよ」
ユンユがミチュを体に巻きつけている。本気でここから飛び降りる気だ。
ラズが覚悟を決めた時、か細い声がした。
「待って、待ってちょうだい」
青い顔をした子爵未亡人が、ユンユを見つめている。
「あなた、あの時の子ね」
「何事だっ!」
子爵未亡人のか細い声に重なって、ドスの効いた男の声が部屋に響き渡った。
「帰ってきて早々、一体何事なの?」
開き扉から、護衛兵を従えて入ってきた派手な男。孔雀の襟に、玉虫色のマント。ビラビラのシャツ、宝石が散りばめられた尖った靴。
ラズは、切迫した時を忘れて、唖然と見つめてしまった。
「嫌になっちゃう。私は疲れているのよ!」
派手な男。オルマ子爵がぷんぷんとお冠で、闖入者を見渡した。
その目がはたっと、アンに向けられた。
アンは片足を窓にかけ、肩越しに振り返っている。
その姿は、窓から差し込む光に照らされ、神々しく見えた。
端整な容貌も相まって、一幅の絵画のようだ。
オルマ子爵の顔が驚愕に見開かれ、口元がわななく。
「まさか、うそでしょ……」
オルマ子爵は、小さく呟いてから、後ろを振り向いた。
「お前たち、叩頭せよ!! ここに居られるのは、クリシナ様であられるぞ!」
オルマ子爵の言葉に驚愕が広がり、そこに居た全ての人々が、頭を地面につけて、アンにひれ伏した。
ラズはただ呆然とその光景を眺めていた。