水中花の涙 ―14―
「みちゅ、これたべる」
「あら、おいしそうね。私も食べちゃお」
“美と芸術の都”
各地か芸術家が自然と集まり、彼らが腕を競い合った美しい建物か立ち並ぶ。夏の暑さを潤す、涼やかな貝殻で出来た風鈴の音。キャンパスを広げている画家や果実や小物、織物などの屋台で賑わう街道。石が奇麗に敷き詰められた道路は、馬車が走りやすくなっている。町の中央には、素晴らしい彫刻が施された豪華な噴水。町中、水道が設備され、何時も清潔な水が供給されている。昼も夜も人で賑わう、美しい町。
まさに、町全体が芸術品だ。
ラズは、ミチュと手を繋いで、街道を歩きながら、色鮮やかな飴細工を頬張った。精巧に出来た美しい飴をバリバリ噛み砕く。
(なんで、ユンユもアンさんも、私をロサの捜査から外させたいのよ!)
神殿で、花珠様に捜査の参加を願ったまでは良かった。
しかし、ラズの頬の傷のことで神経が過敏になっていたアンが、ラズを捜査には加えないと、言い切ったのだ。
花珠様も小さな子どもを巻き込みたくないと、正論を言うので、ラズとミチュは、捜査から外されたのだった。
ラズは子どもじみているが、仲間外れにされた気がして、腹を立てていたのだ。
腹も立てばお腹も空く。ラズはミチュと一緒に好きなだけ甘いものを食べていた。
(何よ、アンさんなんて、花珠様と仲良く2人きりで、さぞ楽しいだろうよ。そりゃそうよ、あんだけ奇麗な人と一緒に居て、楽しくない人なんていないもの。男なんて所詮、美女に走るのよ)
ラズの憤りは、違う方向へと進みだした。それが“嫉妬”である事に気づかず、ラズは腹を立てて町中をズカズカと歩いていく。
ミチュは好きなだけ、甘いものが食べる事が出来て、ご満悦だ。
「そこのお嬢さん、どうされた?」
賑わう町の中、苛立つラズの耳に、しわがれた声が聞こえた。
悲しいかな、“お嬢さん”とういう言葉に反応して振り向くと、街道の隅っこに小さな絨毯を広げて、小物を売る老婆がいた。みすぼらしい形の老婆は、シワシワの顔、真っ白な髪、腰が曲がり目も白濁しており、齢は80を越えていそうだ。
「私のことですか?」
ラズは辺りを見渡してから、自分を指して聞いた。
「そうじゃ、お嬢さん、お前様のことだ。何をお腹立ちで? この占い婆が占ってしんぜようか」
「占い?」
ラズは老婆の視線と同じになるように、老婆の前にしゃがみ込んだ。
「そうじゃ、ささ、手の平を見せてみろ」
ラズはおずおずと左手を老婆の前に差し出した。
「両手じゃ」
老婆は、もう片手を差し出せと、断固として要求してきた。もう一方の手はミチュとしっかり繋いでいる。ラズはしぶしぶミチュと手を放した。
「……ミチュ、少し手を離すけど、ここから絶対に動いちゃ駄目よ!」
「めよ!」
「そうよ、駄目よ」
「みちゅ、ここ、うごかないよ!」
にかっと笑うミチュに、ラズは一抹の不安を覚えつつも、占いの老婆に両手を見せた。少しの間なら大丈夫だろう、そう思ったのだ。
「おや、お前様、遠いところから来たんだね」
占いの老婆がラズの両手をしげしげ眺めながら言った。
「分かります!」
「水難の相が出ておる。なにか水でお困りのことが?」
「はい、昨日おぼれかけました!」
ラズは目を輝かせ、すごいわ! と驚嘆の賛美を送った。
「おや、コレは……。身近に男性がいるね?」
「……ええ」
アンのことだろうか、ユンユのことだろうか、ラズは不安で胸が苦しくなってきた。2人のうちどちらかに何か悪いことでもあるのだろうか?
「その男性と、“別れ”が近づいているよ」
「はい、そのお通りです……」
ラズは、なるべく考えないようにしていた事を、老婆に言い当てられ、驚きよりも悲しみが勝った。ユンユやアンとは王都に行けば、別々の道を歩まなければならないのだ。永久の別れとは言わないが、それでも身を切られるように寂しい。
「可愛そうに、いつの時代も泣くのは女だ」
老婆はシワシワの手でラズの手を包み込むと、優しく撫でた。
「お前様に、いい物をあげよう」
「いい物?」
老婆は、懐から小さな小瓶を取り出した。みすぼらしい老婆には不釣合いの、美しい小瓶だ。
ラズは老婆の手に光る、美しい小瓶をうっとりと眺めた。小瓶の中でキラキラ輝く“水中花”に心を奪われる。なんて美しい、真珠色の薔薇のような花だろう。
「コレは何ですか?」
ラズは好奇心一杯に、老婆に聞いた。老婆はニヤリと笑う。
「コレは、惚れ薬じゃ」
「惚れ薬!?」
ラズは素っ頓狂な声が出た。
この老婆は、少し勘違いしているようだ。確かに“男性との別れ”は近いが、色恋の別れではない。
しかも、惚れ薬だなんて、そんな子供だましじゃ有るまいし。
だが、老婆は真剣だ。
「これを飲ませれば、相手の男性はいちころだ」
老婆は押し付けるように、ラズの手に惚れ薬を渡した。
困ったラズは惚れ薬を老婆に返そうかと思ったが、脳裏にアンと花珠様の姿が浮んだ。
花珠様。
美しいだけではなく、心の優しい女性だ。豊満な体のライン、慈悲に満ちた微笑。
(私が男だったら、絶対に花珠様に惚れているわ)
アンだってなびくかもしれない。
2人はまさに、理想の美男美女カップルではないか。
そう思うと、胸が痛んだ。
(アンさんとは、友だちでいるって決めたのは私なんだから、アンさんが誰を好きになろうが、誰と結婚しようが、私には関係ない)
ラズは自分に言い聞かせて、唇を噛み締めた。
すると老人が立ち上がり、絨毯を畳んで店じまいの準備に取り掛かった。
「あの、お代は?」
「お前様が、その男性とうまくいったら、頂きに行くよ」
老婆はニヤッと笑うと、ラズに背を向けた。
「待って下さい!」
ラズは咄嗟に老婆を呼び止めた。
「何じゃ? まだ何か用か?」
老婆は、迷惑そうに振り返る。
「ええ、あの、私、人を探しているんです!」
ラズは占いや呪いを信じてはいない。
しかし、“ロサの行方”を聞かずにおれなかったのだ。神にでもすがる気分だ。それに、この老婆はラズに水難の相が出てると見事に当てたではないか。
「人を探している?」
「はい、ロサという女性です。占って貰えないでしょうか?」
「――っ!」
ラズの言葉に、老婆の顔から、見る見る血の気が失せていった。蒼白になった老婆は今にも倒れそうだ。
ラズは占いなんて信じていないのに、老婆の顔を見ると、言いようの無い不安を掻き立てられた。
「あの、お婆さん、大丈夫ですか?」
「……ロサ、そう、ロサと言ったね。その女、……残念じゃが、もう、どこを探しても居らんよ……」
老婆の意味深な言葉に、ラズは息を飲んだ。
「――どういう事ですか!?」
ラズの頭に、老婆の言葉がじっくり浸透する。居ない? どこを探しても?
「わしが言えるのは、そこまでじゃ」
老婆はそれだけ言い残すと、老人とは思えない速さで、人ごみの中に消えてった。
――ロサは、どこにも、居ない?
ラズは最悪のシナリオを思い浮かべた。夏だというのに、冷や汗が流れ落ちる。
いや、まだだ。まだ結論に達するには、早すぎる。
占いなんて、当たるも八卦あたらぬも八卦だ。そう、今はユンユやアンの情報を待とう、それしかない。
ラズは落ち着こうと、大きく深呼吸をついた。何度か深呼吸しているうちに心拍が落ち着き、冷静にモノを考えられるようになってきた。
(そうだわ、私もひとりでこまねいていないで、ロサの事を、町のいろんな人に聞いて回ればいいのよ)
ロサはこの町で何年も生活していたのだ。学院外でも知り合いは居るだろう。
そう考えると、急に目の前が開けてきた。
(やっぱり私は、動いてないと駄目ね。じっとしていると、鬱々と変なことばかり考えてしまうわ)
ラズは、手の中の小瓶を見た。
惚れ薬。
きっと子供だましだろう。そう思っていても、捨てられなかった。
ラズは惚れ薬をポケットにしまうと、ミチュに声をかけた。
「さて、ミチュ、少し早いけど、ユンユとの待ち合わせ場所に行こうか」
ラズが振り向いた時。
――そこにミチュの姿はなかった。
* * *
ユンユはごくり、とつばを飲み込んだ。
ゆっくりと、ロサの部屋の鍵穴に鍵を差す。
カチリ。
小さな音がした。
ドアノブに手を置き、静かに慎重にドアを開ける。
ユンユは辺りをすばやく見渡し、人が居ないのを確認してから、ロサの部屋にすばやく滑り込んだ。
そして、音もなくドアを閉める。
「はぁ~」
ユンユはドアにもたれて、つめていた息を一気に吐き出し、肩の力を抜いた。
女子生徒のふりをして、学院内に難なく潜入したユンユは、生徒の半数が生活する女子寮。そこのロサの部屋の鍵を手に入れることに成功し、人目を忍んで、部屋に侵入したのだ。
さすがに緊張した。
女子生徒のふりをして、堂々と校門をくぐった時、男だとばれたらどうしようと、戦々恐々だったが、誰一人、疑いを持つことなく、ユンユはすんなり学院内に入ることが出来た。ホッとした反面、男としての矜持が傷ついたのだった。
女顔の自分がつくづく嫌になる。
「はぁ~」
ユンユはため息を漏らすと、肩まである金髪の鬘を取った。蒸れて頭が痒くなる。スカートも足がスースーして気持ちが悪い。
(女の子はよく、こんなの履いてられるな~)
ユンユは鬘をベッドに放ると、ロサの部屋を見渡した。窓から差し込む日差しが、部屋を明る照らしている。
きちんと整頓された、こざっぱりとした部屋だった。
一人用のベッドに、羽ペンの置かれた勉強机、ぎっしりと本の詰った本棚と、小さな洋服箪笥。簡素で小さな部屋。
ユンユは勉強机に積もった埃を、人差し指で拭う。
随分長いこと、掃除がされていないようだ。
何か変わったモノはないだろうか?
ユンユが勉強机の抽斗に手をかけた時。
「あら、鍵が開いているわ」
くぐもった少女の声が、部屋の外から聞こえた。
ドアがゆっくりと開く。
(しまった、鍵をかけ忘れた!)
痛恨のミス。
しかも鬘を外したままだ。
不法侵入の上、鬘がない。
ユンユは今、明らかに不審人物だ。
男だとばれれば、末代までの恥。その場で憤死したいほどだ。
辺りを見渡しても、簡素で小さな部屋には隠れる場所がない。
そうこうしているうちに、ドアが徐々に開いていく。
――どうする!?
ユンユは焦るあまり、頭が上手く回転しなくなっていた。
少女がおずおずと、ドアの隙間から、顔を覗かせた。
「――っ!?」