水中花の涙 ―12―
「ロサが、行方不明?」
「そうなのございます。まるで煙のように居なくなってしまって……」
美と芸術の町の女学院。
ナアダ夫妻の1人娘、ロサの勤める“淑女のための学び舎”だ。
貴族から中流階級の12歳から18歳までの淑女が、教養とマナーを身につけるため、社交ダンスから立ち振る舞い、裁縫、世界史、芸術、音楽、美容と幅広く教えられる。
内助の功。それが貴族や豪商の妻の役目と考えられているのだ。
女性の生涯は結婚相手で決まると言われており、女学院でも男性が自慢したくなるような妻を育てるべく、教育がなされる。
結婚が天下の分かれ道のような女学生たちは、日々、勉強と美容に余念がない。
ラズはミチュを連れて、ロサに会いに来ていた。ロサの勤める女学院に行けば、すぐにでも会えるだろう、とラズは思っていたのだった。
しかし、ラズが通されたのは、理事長室だった。豪華絢爛な室内、高級な絨毯。巨大な絵や、艶やかな花が飾られている。
ステンドグラスを背景に、白髪をきちっと結った理事長が、優雅なお辞儀でラズとミチュを出迎えてくれた。理事長は若い頃はさぞ美しかったであろう、と思わせる老婆だ。歳を取っても、スタイルが良く、凛とした美しさがある。
ひと通りの挨拶を済ませ、ラズは豪華な椅子に腰を下ろし、ミチュを膝に座らせると、理事長にロサのことを尋ねた。
女学院は男子禁制のため、アンとユンユは、ひと足先に今晩泊まる宿屋を探してもらっていたのだった。
「ロサが、行方不明?」
「そうなのございます。まるで煙のように居なくなってしまって……」
「煙のように」
「ロサは、とても真面目な教師で、無断欠席どころか、1度も遅刻をしたことが無かったのでございます。それがある日、無断欠勤したので、心配した同僚が、女子寮の彼女の部屋に行ったのでございますが……」
理事長は、心労のため息を落とした。
「それで、ロサの部屋に置き手紙か何かがあったのですか?」
ラズがせっつく様に聞いた。
「いいえ、残念ながら何も無かったのです。ロサの部屋はきちんと整頓され、朝出かけたまま、帰宅した形跡も無く。かといって、行方をくらます理由が我々には思いつきません。ロサは生徒に慕われ、同僚の人望も厚く、誰からも好意をもたれていました」
話の雲行きがどんどん怪しくなり、ラズは言い知れぬ不安を抱き始めた。
「だから、事件に巻き込まれた可能性が高いのでございます」
「――っ!」
ラズは、心臓を鷲づかみにされたようなショックを受けた。
「混乱を防ぐために生徒たちには、ロサは実家の母君がお倒れになって急遽里帰りしている、と伝えてあるのですが、もうロサが姿を消して、半年近くたちます。いつまでも隠しておくことは出来ないでしょう」
「半年!?」
そんな、おかしい。ラズはすばやく考えを廻らせた。少なくともロサは3ヶ月前には、両親であるナアダ夫妻に手紙を送っているのだから。
理事長が嘘をついている? それとも、ロサが自ら身を隠している?
――何故?
ロサの手紙には、大切な人が出来たと書いてあったようだ。だから、両親と会うはずだった予定をキャンセルしたのだ。
「失踪する前、ロサには親しくしている男性がいませんでしたか?」
ラズの疑問に、理事長は怪訝な表情を浮かべた。
「いいえ、まったく。ロサは鮮麗潔白、男性とお話しするだけでも真っ赤になるような女性でございます」
「…………」
ますます疑問が深まる。
ロサの大切な人とは一体誰? もともとそんな相手はいなかった? ではナアダ夫妻に届いたロサの手紙は? その手紙はロサが書いたものなのか?
(いえ、あのナアダ夫妻が、子どもの筆跡を見間違えるわけないわ)
ロサは何らかの理由で、身を隠さねばならいのだろうか? ロサの大切な相手は本当にいるのだろうか? 本当にロサは半年も前から行方が分からないのか?
――ロサはどこへ?
「それで、そちらのお嬢様は、我が学院へ入学希望でいらっしゃいますか?」
「え?」
ロサの事を考えていたラズは、理事長の質問に間抜けな返事を返してしまった。
「そちらの、可愛らしいお嬢様でいらっしゃいますわ」
理事長は、ミチュを指している。ミチュはラズの膝の上で、お菓子を両手に抱え、ほくほく顔だ。
「まさか、ミチュはまだ5歳ですよ」
ラズの言葉に、理事長は目を見開いて驚いた。
「まあ、こちらの生徒さんの親御さんは、3歳の頃から、我が学院へ入学させるために、習い事させておられますわよ。5歳といったら遅いくらいでございますわ」
「3歳!?」
「我が学院は、しつけの行き届いた教育と、華々しい実績を兼ね備えておりますから、親御様に人気がありますの。そちらのお嬢様は、さぞ美しく成長されるでしょうから、あと、必要なのは、教養でございますわ、我が学院では――」
「ちょ、ちょっと待って下さい。私はロサを探しに来たのであって、この子をここに入学させる気はないんです」
ラズは、急に熱の入った理事長の喋りに、戸惑いながら口を挟んだ。
「まあ、なんて惜しい。その子でしたら、それは、それは、すばらしく美しい、女性に成長されるでしょうに! ぜひ我が院で預からせてください! 我が院から“花珠様”を出すのが歴代の慣わしでしたのに……このお嬢さんでしたら、今の花珠様を抜くような美しい花珠様になれる逸材でございます」
「ありがとうございます。でも――」
「お金のことは気になさらないで下さい。こちらのお嬢様は、美貌奨学金が受けられますわ」
「美貌奨学金?」
ラズの質問に、理事長は待っていましたと、得意げに背筋を伸ばした。
「はい、見目麗しいお嬢様は、奨学金が出ますの。女の全ては、美と教養でございます。それさえあれば、最高の人生が送れますわ」
「…………遠慮しておきます」
ミチュは村の教師、ナアダの教育で十分だ。野山を駆け巡り、爺婆に大切に育てられる。それで満足だ。
「まあ、なんて愚かでしょう。ただで最高の教養が請けられるといっているのですよ。親御様なら、お子様に最高の教育を受けさせる義務がございます。お子様のために!」
「この子のため……」
確かに、理事長のいう事には一理あるかもしれない。ラズは痛いところを突かれた気分だ。
「そうでございます! そしてゆくゆくは我が院の看板を背負い、歴代最高の花珠様におなりしていただくわ。今のどこの馬の骨だか分からない花珠様に、我が院の輝かしい誇りを奪われたままでは、口惜しくございます」
思いっきり私怨入り混じった勧誘だ。
いわゆる、今の神殿の巫女、花珠様はこの学院の出身者ではなく、それが悔しい理事長は、歴代最高と言われる美貌の花珠様を抜くような女性を、この学院から輩出したいと言う訳だ。
そんな私恨に巻き込まれるのは、ごめん被る。
「素晴らしい申し出だと思うのですが、遠慮しておきます」
ラズはそれだけ言うと、お菓子を頬張るミチュを小脇に抱え、理事長室を退室したのだった。
閉じた理事長室の扉から、理事長の地団駄が聞こえたのは、気のせいだろうか?
* * *
「待って下さい!」
学院を出ようとしたラズの背中に、まだ幼さの残るか細い声が掛けられた。ラズが振り向くと、15歳くらいの少女が、青ざめた顔で立っている。
編み上げブーツに白い手袋、詰襟の黒いワンピース型の制服を着ているという事は、ここの生徒だ。
「あの、その……、私、リーザという者です。不躾な質問ですけれど、貴女様はロサ先生をお探しに来られたのでしょう?」
「……ええ、そうよ」
「やっぱり、ロサ先生がご実家に帰られたというのは、理事長の嘘なのですね!?」
リーザは、震える両手でスカートを握り締めた。
「“やっぱり”って、何か心当たりがあるの?」
ラズは希望を胸に、リーザに詰め寄った。しかし、リーザは激しく首を左右に振る。その両目に涙が滲んでいた。
「いいえ、いいえ、私が、ロサ先生にお手紙を書こうと、何度ご実家の住所を聞いても、先生方は答えて下さらないのです。それに……」
「それに?」
「それに、私、ロサ先生が居なくなる前日に、理事長とロサ先生が言い争っているのを聞いて……ロサ先生は学校を辞めさせられたんじゃないかって、不安なんです」
「理事長とロサが言い争っていた?」
そんな事、ひと言も聞いていない。ラズは疑いの目を、理事長に向けざる得なくなってきた。
「はい、ロサ先生は、美貌が全てだ、という教育方針に反感を持っておられました。顔で女性の良し悪しを決めるのはおかしい、と。それでよく理事長と対立しいたのです。私のような平凡な容姿の生徒たちは、ロサ先生を慕っておりました。私、理事長がロサ先生をどこかへ追いやったのではないかと、疑心暗鬼にかられ、夜も眠れないのです」
リーザの青白い顔と、目の下のクマが、その言葉を顕著に物語っていた。ラズはそっとリーザのか細い肩を抱くと、その背中を優しく撫でた。
リーザのような思春期の娘にとって、美の競演のような学校は、針のむしろとも言えるだろう。そんな中、ロサはリーザにとって心の拠り所だったに違いない。
リーザが、ロサを心配する気持ちは、痛いほど伝わってきた。
「大丈夫よ。ロサは私たちが必ず探し出すわ」
ラズが自らの胸をどんっと叩く。その横でミチュもラズの真似をして、自らの胸を叩いて見せた。
「本当ですか?」
リーザの瞳に、希望の光が宿ったのを見たラズは、大きく頷いて、こう言った。
「約束するわ」
* * *
「で、約束しちゃったんですか?」
ユンユが呆れたように言った。
ラズは女学院での事のあらましを、宿屋に待機していたアンとユンユに話して聞かせていたのだ。
「ごめん、そのリーザって子があまりにも健気で。ユンユが試験に間に合うように、王都に行くわ。だからギリギリまでロサを探したいの」
また、安易に約束してしまった自分に呆れつつも、ラズはユンユに頼み込んだ。
ユンユはため息を付くと、仕方がない、と腹をくくった。
「それで、どうやって探すんですか?」
「1番怪しいのは理事長なのよね……」
「そうですね。僕もそう思います。話を聞くだけだと、ロサさんは理事長の目の上のたんこぶだったみたいだから」
「ロサの失踪に、理事長が関わっている可能性は高いわ」
「出来れば学院に潜入捜査が出来ればいいんですが」
生徒に成りすまして、こっそり学院に潜入するのが1番手っ取り早いのだが、ラズは歳を取りすぎ、ミチュは若すぎる。他の方法を探さなければならない。
ラズとユンユが、悩みに悩んでいると。
「ユンユが女装したらいいんじゃないか?」
アンの爆弾発言投下。
「………………」
ユンユがぎしっと固まった。金縛りにあったように、まったく動かない。
「ユンユにい、じょそー」
無邪気なミチュが追い討ちをかけ、ユンユの繊細な胸に言葉の刃が突き刺さる。
ラズはハラハラと見守るなか、ミチュの愛らしい笑い声が、星の瞬く夜空に吸い込まれていった。
* * *
ユンユは、肩まである金髪の鬘を被り、黒のワンピース型の制服を着ていた。どこをどう見ても、背の高い迫力のある美女にしか見えない。
結局、他の方法が見つからず、ユンユが女装して、潜入捜査に試みることになったのだった。内情を知ることもできるうえ、理事長を監視でしる。生徒同士のお喋りは、情報を得るにあたり、バカにはできない。
どこから見ても、美女に見えるユンユだが――ユンユとしては、いたく不服――ラズはやはり心配なのだ。出来ることなら、自分が学院内に潜り込みたい。
しかし、アンとユンユと約束してしまったのだ。“無茶はしない”と。
「バレそうになったら、すぐに逃げるのよ!」
「分かっていますよ。バレたら子々孫々までの恥ですから。何が何でも逃げ切ってみせますよ」
ユンユは、碧の目玉をぐるんと回した。
「それより心配なのはラズ先生です。ラズ先生は、危険な事に顔を突っ込まないで、観光でもしていたらいいですよ」
「そんなわけにはいかないわよ」
「それじゃあ、1日中ここに張り付いているんですか?」
「そのつもりよ」
「バカを言わないで下さい。女学院の前に1日中張り付いていたら、変質者と間違えられますよ」
「うっ、確かに」
「今、ラズ先生が出来ることは特にありません。ミチュを連れて、例の花珠様を見に行って下さい。そのほうが僕は安心して、捜査ができます」
確かに、今の時点でラズに出来ることは何ひとつない。
「ユンユの言う通りね。わかったわ」
ラズはしぶしぶ頷いた。
「では、何度も言うようですが、危ないことに顔を突っ込まないで下さい。お願いしますよ」
「ええ、分かったわ。だから、ユンユも無茶はしないでね」
「わかっていますよ」
ラズとユンユは、約束の意味を込めて、しっかりと手を握った。
「では、いってきます」
ユンユは、気合を入れなおすと、慣れないスカート姿でこけそうになりながら、学院の内に消えていった。
「……ユンユは大丈夫かな?」
ラズはしばらくの間、変質者よろしく、学院を見つめていた。