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水中花の涙 ―11―

美と芸術の都は、その名の通り、それは、それは、美しい都である。


青と白を基調とした最高の建築家による、美しい建物が整然と並び、エメラルドグリーンの海と相まって、この世の天国と称される絶景が広がる。



「奇麗ね」


ラズが船の甲板から一望する景色に、ため息を漏らした。


「ちれーね」


アンに肩車されたミチュも、ラズの真似をして、いっぱしに、ため息を漏らす。


「昼過ぎには、港に入るそうだ」


アンの言葉に、ラズが頷いた。


現在、船は錨を下ろし、帆を畳んで、沖合いに停泊していた。入港できる時間を待っているのだ。

船旅も、あと少しで終るかと思うと、少し寂しくなってくる。

船酔いに悩まされた時は、このまま海に落ちてしまおうかと思うほど辛かったが、慣れてくると、それなりに快適な船旅だった。

船員たちも気のいい人ばかりで、大食らいのミチュに、喜んで食事を分けてくれたものだ。彼らとの別れは名残惜しい。



「すごい、噂には聞いていたけど、本当に奇麗ですね。あの青いドーム型の建物は何だろう?」


興奮したユンユが指差した先には、町を見渡せる小高い丘の上に、大きく美しい建物がある。荘厳で優しく女性的な建物だ。


「あれは、神殿でさ」


赤ら顔の船長が、ひょっこり顔を出した。


「愛と美の女神様。一説には海の神様の妻とも言われて、この“美と芸術の都”では、深く信仰されているんでさ」


海の神は、荒くれ者の男神とされ、ひと昔前まで大時化(おおしけ)が続いたりすると、美しい女が生贄にされ、海に投げ込まれる事もあったそうだ。その娘たちが泡となり海の神の花嫁になる時に生まれたのが、真珠という言い伝えだ。


今はそういった風習は廃れて、町で1番美しい未婚の女が神殿の巫女を勤め、海の安全を祈るという。

巫女は結婚が決まれば、その職を辞す。嫁ぎ先は、貴族であたったり、豪商であったり、巫女を辞してからも、その生活は安泰なのだ。

故に美しい巫女は、町の人々の憧れなのだ。親は娘が生まれると、巫女にするため、幼い頃から、美容と教養に余念がないという。


「ここいらでは、神殿の巫女を“花珠様”と言うんでさ」


花珠(はなたま)?」


初めて聞く言葉だ。ラズは首を傾げて、船長に聞き返していた、


「“花珠”とは、本来は真珠の最高品質をさす言葉なんでさ。色合い、形、欠陥がなく、申し分のない大きさ、年に1個有るか無いか、そういう代物でさ。もちろん値段も張りやすぜ」


「そう言えば、この“美と芸術の都”は、真珠の養殖でも有名でしたね」


ユンユの言葉に、船長が満足そうに微笑んだ。


「そうだ、“美と芸術の都”は、顕著に美しいものを愛する人々が集まった都だから、美にはうるさく、心酔して、尊重している。だから美しい巫女様を敬意を込めて“花珠様”と呼ぶんでさ」


「なるほどね」


「しかも、今の花珠様は、歴代の巫女様方の群を抜いて、それは、それはお奇麗な女性だそうでさ。時間があったら神殿に行ってみるといい。ご尊顔を拝することができるかもしれねえ」


花珠様見たさに、神殿の前には、毎日、長い列が出来るそうだ。


「すごい話ね。花珠様は、どれほど美しいのかしら?」


ラズは美しい神殿を眺めた。“美”が何より尊ばれる都。


(この3人は、きっと目立つだろうな)


ラズは、ユンユ、アン、ミチュを順々に眺めた。三者三様の美しさがある。

金髪のユンユを太陽とするなら、ミチュは月の精霊、アンは闇の帝王。


(まあ、この町にはあまり長く居る予定はないのだから、大丈夫でしょ)


“美と芸術の都”は寄ったのは、王都に近い港という他に理由があった。

それは、ナアダ夫妻の娘、ロサに会うためだ。

ロサは“美と芸術の都”で教職についている。王都に行くついでに、ロサの元気な姿を見てきて欲しい、とナアダ夫妻に頼まれたのだった。


ロサにはどうやら、大切な相手が出来たようで、ナアダはその相手の男性のことも気にしていた。


『悪い虫だったら、けちょんけちょん追っ払って下さい。いい男だったら~、仕方がありません。婿に迎える心の準備を整えておきます』


ナアダが旅立つ直前のラズに、耳打ちした言葉だ。ナアダはロサを嫁に出す気は皆無のようだ。


まあ、気持ちは分からなくもない。とラズは未来に向かうユンユを見つめた。子離れって難しい。


ラズはため息をつくと、エメラルドグリーンの海に視線を落とした。キラキラ反射する波、優雅に泳ぐ魚たち透けて見える透明度の高い海だ。


「おちゃかな~」


ミチュがアンの肩の上で、両手をペチペチ叩いて、大はしゃぎだ。


「この辺り一体の海で、真珠を養殖しているんですか?」


ユンユが海を覗き込みながら、船長に質問している。


「そうさ、しかし、養殖もんの真珠は取ったら泥棒だぞ。だが、ひとつだけ、海から真珠を取っていい暗黙の了解がある。それは……」


船長が、もったいぶった言い方をすると、片方の眉を吊り上げ、ラズとアンを見た。


ラズとアンが結婚してないにも関わらず、ミチュがママとパパと呼び。アンがラズに尽くす姿は、航海中の船乗りたちに面白可笑しく映った。


「それは……男が女に求婚する時なんでさ」


「求婚? 求婚と真珠と、どう繋がりがあるのかしら?」


「真珠は、海の神さんの花嫁たちから出来たと言われとるんでさ。だから真珠を身に着けて結婚すると、幸せになれると言い伝えがあって、求婚中の男は、海に潜り、真珠をひとつだけ取って来ることを許されとるんでさ。しかし、この辺りは人食いザメが居る。真珠取りは、男の度胸試しでもあるのさ」


「なるほど」


そう言うとアンは、ミチュを肩から下ろし、上着を脱ぎ捨てて、躊躇なく海に飛び込んだ。

見事な飛込みだ。アンは滑るように海に潜っていった。


「……やっぱり、あの兄さん飛び込みおった。しかし、ここまで即決とは……」


船長は、ラズの肩に手を置くと。


「子どもも居るんでさ、早く結婚してやれ」


と、うんうんと頷いて諭した。


「船長、今、海に何か落ちる音がしませんでした」


甲板に集まりだした船員たちが、船長に声をかける。船長は無言でニヤリっと笑った。すると船員は、合点がいったようで、笑顔になった。


「やっぱり、あの哀れな色男、海に潜ったんでさね! やった賭けは俺の勝ちだ!」


ラズはギョッとした。哀れな色男? 賭け?


「どういう事ですか船長!?」


ラズが詰問すると、船長は両手を上げて、すまん、すまんと謝った。


「あの色男の兄さんが、あんたのために、真珠を取りに行くかどうか、賭けをしていたんでさ」


「賭けえ?」


ラズは、素っ頓狂な声が出た。


「そうでさ、この航海中、あの兄さんが、尽くす姿を見ていてな、少々哀れに見えてきた。男をあんまり焦らすもんでないぞ。気がついた時には、逃がした魚は大きかった。てな事になっているぞ」


「私たちは、そういう関係じゃありません。友人です」


ラズは憤慨しながら答えると、船長は鼻で笑った。


「そうは、見えんぞ。間違いなくあの色男の兄さんは、あんたのことを想っている。あんないい男そうそう居ないぞ。どこが不満なんでさ」


不満? アンに不満はない。完璧すぎる。完璧すぎるゆえ、不安なのだ。

不満なのは自分自身だ。自分がもっと奇麗だったら、もっと身分が高かたら、もっといい女だったら……。


ラズは、潮風でバサバサになった髪が、急に恥ずかしくなってきた。毎日梳くミチュの絹のような髪質が羨ましい。


「……ミチュ?」


そういえはミチュが居ない。ラズが辺りを見渡すと、ミチュは手すりをすり抜け、甲板の端っこに居た。


「ミチュ危ない!!」


ラズが声をかけた時には、すでに遅く。


「みちゅも~」


と、海へダイブ、そしてドボンッ!!

お腹を水面に、したたかに打ちつけた音と共に、豪快な水しぶきが立った。


「ひいい!」


ラズは悲鳴をあげて、慌てて海を見下ろした。



…………浮いてこない。



ラズは間髪いれずに、海に飛び込んだ。船長も続く、ユンユはかなづちのため、大急ぎで、救助用の浮き輪を海に投げ込んだ。



* * *



海は思いのほか冷たかった。


(居た!)


透明度と高いお陰で、ミチュはすぐに見つかった。ミチュはポカンと呆けた顔をして、ブクブク沈んでいる。どうして息が出来なくて、自分が沈んで行くのか不思議そうだ。


ミチュは水中でラズと目が合うと、青い瞳を細めてにっこり笑った。海に入り込んできた光の筋がゆらゆらとミチュを照らす。白金(プラチナ)の髪がキラキラと揺れ、そのあまりの美しさに、ミチュを見慣れているラズでも息を飲んだほどだ。


しかし、お転婆のミチュは、口をガバっと開けて笑ったため、空気が泡となって漏れ出した。


(大変!)


ラズは大慌てで、ミチュの元に向かう。



と、その瞬間。

ラズの足元に、巨大な影が揺らめいた。大きな背びれが目の端に写る。


(まさか、人食いザメ!)


驚いた瞬間、ラズの口から、一気に空気が漏れる。


(しまった!)


苦しい。早くミチュを助けないと、もがけばもがくほど、体が沈んでいき、意識が遠のく。

手が虚しく、海水を掻き分けた。力が出ない。泳ぎは得意なはずなのに。小さい頃、よく泳いだから……あの子と一緒に。



――あの子? 誰?



脳裏に“あの子”を思い出そうとした瞬間、ラズの腰に力強い腕が回された。


暖かい息が、ラズの口に移される。


アンが口移しで、ラズに息を吹き込んだのだ。アンは漆黒の髪を揺らめかせ、ラズの唇を捕らえて離そうとしない。2人の唇の間から、空気の泡が漏れ出す。ラズの肺に空気がいきわたると、アンは金の瞳を煌かせて、ラズを見つめ、しっかりと抱えなおした。


海の中から見る海面は、太陽の光がゆらゆらと輝き、神聖な美しさに包まれている。


アンは、ラズを抱えて、海面に浮上した。


「――っぷは!」


ラズは海面に顔を出した途端、空気を思いっきり吸った。


「ミチュは!?」


ラズがアンに掴みかかると、アンは濡れた前髪をかき上げながら、ラズの後ろに視線を送った。

ラズが器用に立ち泳ぎをしながら、後ろを振り向くと、唖然と口を開けてしまった。



ミチュは、イルカの背に乗って、大はしゃぎで遊んでいるではないか。

イルカは賢く人懐っこい、水中でミチュを見つけたイルカは、その背中に乗せて、海面を飛んだり、水中をも潜ったりしている。ミチュも楽しそうだ。



そう、あの背びれは、イルカだったのだ。


「ラズ先生―、大丈夫ですかー」


ユンユが船の上から叫んでいる。


「こっちは無事よー!」


ラズはユンユに手を振ると、アンと一緒に浮き輪に捕まった。またアンに助けてもらった。


「ありがとう、アンさん」


「泳ぐのが、下手になったな」


その言葉にラズはムッとした。本来は泳ぎが得意なのだ。今回はイルカを人食いザメと勘違いして、慌ててしまったのだ。


「普段は、魚のように上手に泳ぐのよ」


「だったら、また一緒に泳ごう」


アンは、白い歯を見せて笑った。青い空、青い海、金の瞳、漆黒の髪、ブロンズ色のアンの鍛えられた肢体が輝いて見える。


――なんて美しい男性だろう。


ラズはただ、困ったように笑った。


そして、会話の違和感に気づくことはなかった。ラズはアンが村に来てから、アンの前で1度も泳いだことがなかった、にも関わらず、アンは“泳ぎが下手になった”そう言ったのだった。


ラズは、その違和感に気づくことなく、浮き輪に捕まり、ミチュを心配そうに眺めていた。






この時、ラズたちの下で、“巨大な何かが”ゆらりと泳いでいるのを、ラズは気がつかなかった。


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