水中花の涙 ―6―
ケプラは12歳になる、村の女の子。
亜麻色の髪を、顎の辺りで切りそろえ、毎日、何時間も梳かしている。
目下、ユンユに片思い中の、少しおませな女の子。
今日も、愛しのユンユを追いかける。
「ユンユ、何をしているの?」
「薬草摘み」
ユンユは腰をかがめて、ケプラに目もくれず、ひたすら薬草を摘んでいる。
「手伝うわ」
ケプラは、ユンユの隣にしゃがみ込み、つかの間、至福の時を過ごした。
しかし、ユンユは、どこか上の空だ。
いつもの彼らしくないわ、とケプラは訝しがった。
「ねえ、ユンユ、どうしたの?」
「うん」
生返事を返すユンユ。
「ユンユ?」
「ん~」
「今日はいい天気ね」
「うん」
「暑いくらいね」
「うん」
「明日は雨かしら?」
「うん」
「ユンユは、ケプラが好き?」
「うん」
「……ケプラは可愛い」
「うん」
「ケプラ、最高!」
「うん」
「豚もおだてりゃ木に登る」
「うん」
「……………………………あ、ラズ先生とアンさんが、キスしてる」
「うん……って、ええ!?」
ユンユは勢い良く顔を上げた。
「嘘よ!」
ユンユは、この時初めて、ケプラに顔を向けた。
「ケプラ!? いつからそこに居たの?」
「気づいていなかったの!?」
ケプラは頬を膨らませて、怒って見せた。
「ごめん、考え事していたから」
「ミチュちゃんの事?」
「……うん、まあ、そんなとこ」
ユンユの曖昧な返事に、ケプラは眉をひそめた。
「ミチュちゃんの事じゃないの?」
ユンユは困ったように笑うと、再び薬草を摘みはじめた。その額に汗が光る。
ケプラは、じっとユンユを見つめた。
――ユンユは何か悩んでいる。とケプラは思った。だが、問い詰めたところで、話してくれるわけではない。もどかしい気持ちが、ケプラの胸にこみ上げてきた。
(私が、もう少し大人だったら)
ケプラはもどかしい気持ちを胸に仕舞いこみ、ただ静かにユンユを見つめた。
玲瓏な横顔。金色の輝く髪。愁いを秘めた、碧色の瞳。暑さで、白い肌がほんのり上気している。
ギラギラと照る、夏の太陽。
「ねえ、ユンユ。帽子を被らないと、脳みそが沸騰しちゃうわよ」
帽子を被って、農作業。コレは村人のスローガン。ケプラも小さい頃から、徹底して教わったものだ。
「そうだね」
ケプラの言うとおりだ。とユンユは額に手をかざし、じりじりと照りつける太陽を見上げた。
「薬草も結構、採れたし――」
一瞬、ユンユの目の前が、真っ白になった。
「ユンユ!!」
ユンユが膝からドサッと倒れた。ケプラの悲鳴が響く。
「た、た、大変だべ! い、今、ラズ先生を呼んでくるべ!」
焦ると、訛る癖のあるケプラが、大急ぎで立ち上がった。
「待って、ケプラ。少し休めば大丈夫だから……」
ユンユは、立ち上がる力もなく、ぐったりと横になっている。
「で、でも~」
ケプラは慌てふためきながらも、ユンユのおでこに手を当てた。
――熱い!
日射病で、亡くなる人もいる。
ケプラはぞっとした。
――このままじゃ、ユンユが……。
* * *
寝てしまった。
寝るつもりはなかったのに、ミチュを寝かしつけていたら、知らず、知らずのうちに寝てしまったようだ。
ラズは、眠たい目をこすって部屋を見渡した。
爽やかな薫風が、部屋の中に吹き渡り、ラズの頬をそっと撫でていく。窓から差し込む日差しが暑そうだ。
ラズは、体を伸ばすと、静かにベッドから下りた。
「ミチュ、お腹の調子はどう?」
――返事がない。返ってくるのは静寂のみ。寝ているのかしら?
「ミチュ?」
ラズはそっとシーツをめくる。
「あれ、居ない」
ベッドはもぬけの殻だった。
「あの子、どこに行ったのかしら?」
ラズは辺りを見渡したが、ミチュの気配がしない。
「またどこかで、食べ物を貰わないように、釘を刺しておかなきゃ」
ラズは鏡を覗き込み、ピンピン跳ねる寝癖を押さえつけた。
「もう、この髪は!」
ピンピン跳ねる赤茶色の髪。梅雨の季節になると手入れも大変だ。
(どうして、アンさんは、私なのかしら?)
ラズは、鏡に写る自分の顔に、疑問を抱いた。
アンのような魅力あふれる壮絶な美男子なら、女性は引く手あまただろうに。
(それに比べて、私は……)
いたって非凡な顔。赤茶色の髪も、茶色の瞳も、どこでも見かける組み合わせ。
そばかすが幼い頃からのコンプレックス。
背は低く、華奢な体。なまめかしい曲線はほとほと乏しい。
男性の注目を引くところなんて、ひとつもない。
強いて言えば、歯並びが良く、唇は瑞々(みずみず)しく形が良い。
ラズは、寝癖を直すのを諦めると、鏡に向かって、にっこり笑った。
鏡に映る女性は、美人というよりは、愛嬌のある顔だ。
これまでは、それで満足だった。でも――。
ラズは、愕然とした。
(私、何を考えているの?)
でも――。
でも、アンを引き止めておくだけの魅力が欲しい。
(違う、私はアンさんとは“友だち”でいたい。だから“女”として、彼を惹き付ける必要なんてないはずよ)
ラズはさっさと鏡から視線をそらすと、絶対にアンの抗いたがい魅力に屈するものか、と意固地になっていた。
と、その時。
診療所の扉を、けたたましく叩く音が轟いた。
無我夢中に扉を叩く音に、ラズは恐怖さえ感じた。
――何事なの!?
ラズは大急ぎで、診療所の扉を開けた。
そこに立っていたのは……。
* * *
「コレでいい?」
ケプラは、木陰で休むユンユのおでこに、川で濡らして来た冷たい布を当てた。
「うん、ありがとう」
ユンユが倒れた後、ケプラは火事場の馬鹿力で、ユンユを木陰に運び、上着を脱がせ、大急ぎで塩と水を運んできたのだった。
塩水を飲んだユンユは、木陰で静かに休んでいた。
まだ目眩がするが、大分、楽になった。
「他に、して欲しいことはない?」
ケプラは、心配そうに尋ねる。
「何もないよ」
ユンユは目を瞑り、小さくため息を付いた。日射病を起こすなんて、なんて馬鹿だろう。
「ユンユ」
ケプラの心配そうな声が聞こえる。しかし、今は1人になりたかった。無様な失態を人に見せたくなかった。
「もう、大丈夫だから――」
1人にして欲しい。そう頼もうと、ケプラを見上げると、彼女はカオ老子の手紙を見つめていた。
「ケプラ!」
「ご、ごめん、上着をたたもうと思ったら、この手紙が出てきたの。でもこれ、ラズ先生宛の手紙よね。どうしてユンユが持っているの」
「…………」
「私がラズ先生に渡してくるわ」
「ケプラ!!」
ユンユは、ケプラから手紙を引っ手繰ろうとしたが、力が入らない。頭痛がぶり返す。
「どうして、ラズ先生に渡したら駄目なのよ?」
「――ケプラには関係ない……」
ユンユはムッとして、ケプラから顔を背けた。
その態度にケプラは、カチンときた。
「なによ、拗ねちゃって!」
ケプラは仁王立ちになると、ユンユを怒鳴りつけた。
「拗ねる?」
ユンユは心外な、と言い返した。
「そうよ! ユンユは大好きなラズ先生を、ミチュちゃんに取られて、拗ねているのよ!!」
「何を、馬鹿なことを」
「自覚が無いだけじゃない、うじうじ悩んで! うっとうしいっ!!」
「う、うっとうしい?」
そんな事を言われたのは初めてだ。ユンユは唖然と口を開いた。
「そうよ、男がねちねちと、まったくもって、うざいわ! イラっとするのよね! ケツを叩きたくなる! 悩みを声に出して言ってみたら? ラズ先生に自分の気持ちを、ちゃんと伝えてみたら?」
「……迷惑が、かかるから」
ユンユは1度しか、我がままを言ったことがなかった。ユンユのたったひとつの我がまま、それは、この村にラズと一緒に住みたい。それだけだった。
今の願いは、この村を出て行くことだ。矛盾しているじゃないか、とユンユは自嘲気味に笑った。
「馬鹿じゃないの! 何が迷惑よ、うじうじ悩まれる方が迷惑よ! そ、そんなユンユは、ユンユは――」
ケプラは、双眸に涙をためて、叫んだ。
「――大っ嫌い!!」
ケプラは手紙を持ったまま、踵を返して、走り去ってしまった。
「………………」
取り残されたユンユは、呆然と座り込んでいた。
静寂が耳に痛い。
――大好きなラズ先生を、ミチュちゃんに取られて拗ねているのよ!!
「…………ミチュに嫉妬?」
ラズの養子という絶対的な立場を、ミチュはいとも簡単に奪ってしまった。
――ラズ先生に自分の気持ちを、ちゃんと伝えてみたら?
……ラズ先生にとって自分が1番必要な人間でありたい。王都に行ってしまったら、僕はラズ先生にとって、何者でもなくなってしまうのが怖い。
――大っ嫌い!!
「……クソっ」
ユンユは乱暴に頭を掻きむしった。
一体何なんだよ、勝手にやって来て、勝手に怒って、勝手に泣いて、女ってわかんね。
緑陰を吹き抜ける風が、ユンユの汗ばんだ体を撫でていく。
風に運ばれてきた雨の香りが鼻をつき。遠くで、雷の鳴る音が聞こえた。
それは、嵐の予感。