表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/60

水中花の涙 ―4―



『…………時は満ちたり』




真珠のように美しい肌。月の光を紡いだ如くまばゆい白金(プラチナ)の髪。桜色の唇。

白い背中からは、小さな体には不釣合いな、大きな翼が生えていた。


――月の精霊。


そう思うほど、可憐で美しい少女が、体を丸めて繭の中で眠っていのだ。




(一体全体どうなっているの?)


ラズは呆然と、立ち尽くしいた。


(花守は、どこに消えちゃったの?)


巨大な繭の中から現れたのは、いとけない可憐な少女。人の3倍はある、勇猛な獣の姿は、どこにも見当たらない。


(この子は……何者なの? 人間? 違う、人間のはずがないわ)


人と決定的に違うのは、肩甲骨あたりに生える、雄大な翼。


そう、それは花守の翼。


「……花守、なの?」



少女の銀色に(きらめ)くまつ毛が、ピクッと動いた。ラズの声に答えるように、少女は双眸をゆっくりと開ける。


そこに現れた瞳は、花守の瞳と同じ色をしていた。


――吸い込まれそうな、青き輝き。


少女はおもむろに上半身を起こし、煌々(こうこう)と照る満月を見上げた。白金の髪が、サラサラと肩から零れ落ちる。


そして、羽化した蝶のように、厳かに翼を大きく広げはじめた。


水を打ったような静けさのなか、翼を広げる音が響く。


純白の翼が、大地を滑るように広がり、青葉に小波(さざなみ)がたつ。月の光を反射させ、波立つ波紋は繭を中心に広がっていく。


少女は、キラキラと零れ落ちる月の雫を受け取るように、両手を広げた。長い白金の髪が、少女の体を絹糸のように覆う。


空に、大地に、おおきく広げられた翼。


澄んだ夜の空に、丸い月が冴え渡る。



――聖なる降誕。



動物たちが一斉に恍惚とした歓喜の咆哮をあげた。

歓喜と熱気が静かな大地を揺るがす。瞬く星々、やさしい風、全てが輝きだす。


それは人知を超えた、神秘的な光景。




美しき少女は、ラズを見つめ、お日様のように笑った。




* * *



「ラズ先生とアンさん、いつの間に、子作りしただべ?」


「――――――ッ」


ラズは村長の息子、ダトンの顔に、飲みかけのお茶を、勢いよく吹いてしまった。


「ラ、ラズ先生〜」


「ご、ごめんダトン。あんたがあんまり変な事を言うから」


ラズは慌てて服の袖で、ダトンの顔のお茶を拭いた。


(だいたい、一昼夜で5歳の子どもが産めるわけないじゃない。しかも、子作りなんて言うと、アンさんの目が煌くのは気のせいだろうか?) 


ラズの背筋がぞわぞわした。今、アンを振り返るのは危険だ。


「オイラ、女の人のお腹からしか、子どもは生まれないと思っていただべ」


「たしかに、そうよね」


「それに、この子はラズ先生とアンさんに似てるだべ!」


「どこがっ!?」


ラズは驚いて、少女に目線を向けた。


花守だった可憐な美少女は、ラズの上着を着て、アンの膝の上で丸くなって寝ていた。

親指を口に咥えて寝ている姿は、どこをどう見てもて、人間の子供だ。あの後、大きく広げられた翼は、空に溶け込むように消えていってしまったのだ。

白金の長い髪は、あまりに長すぎるので、腰の辺りで切りそろえた。真珠のような肌に、薄紅色にほんのり色づく頬。桜色の唇。


まれに見る美少女だ。


「しっかし、長生きはするもんじゃのう。繭から女の子が孵るとは、なんと面白いことか!」


と長老。


長老とダトンは村を代表して、昨夜の珍事を聞きにラズの家に来たのだった。動物たちの大地を震わした歓喜の咆哮に、村人たちは大災害の予兆だべか!? とパニック寸前だった言う。


「本当にこの子が、あの花守だべか? 信じられないべ」


ダトンがしげしげと、少女を見つめる。少女は眠りながらも、アンの服をしっかり掴んで、離そうとしない。

刷り込み現象とでも言うのだろうか。少女はアンとラズの側を離れたがらないのだ。


アンは少女の頭を優しく撫でている。ブロンズ色の絶世の美貌を持つアンが、真珠のように白い肌を持つ、美少女を抱く姿は、恐ろしいまでに、似合いの親子だ。


「繭から孵ったのは、この子だから、この子が花守だと思うわ。私も断言は出来ないけど……」


獣が人の姿に変態したのだ。未だに信じられない。何度も頬っぺたをつねった。痛いので、夢じゃない。

孤高の獣として、花守の生態はまったくの謎に包まれているのだ。繭に包まれただけでも驚きだったのに、人の形に変るとは、度肝を抜かれる。


森の奥にひっそりと住む、他の花守たちも姿を変えることが出来るのだろうか? それを確かめる(すべ)はない。


ラズは美少女に視線を落とした。普通の人間のように育てればいいのかしら? また獣の姿に戻ったりするのかしら? 病気になったら人間と同じ治療でいいのかしら?


疑問は山ほどある。それでもラズはこの子を、自分の子どもとして育てよう、と心に誓った。


ラズは自分の子どもを持つ事を、すでに諦めていた。スーリャにはアンとの間に子どもを作れば良い、と言われたが、そんなことあり得ない。アンは国王となるべき人なのだから。


(私はこの村で、この子を立派に育ててみせるわ)


少女は幸せそうに、親指をしゃぶりながら眠っている。


「よう、寝とるわい、本当にめんこい子じゃの」


「んだんだ」


長老とダトンは目尻を下げて、少女を見ていた。


誰もが愛さずにいられない、不思議な少女だ。

繭の周りに居た動物たちは、朝日が登るころには姿を消していたが、今も小鳥が窓のふちに止まり、少女を見守っている。


「それで、ユンユはどこに行ったんじゃ?」


長老はきょろきょろと部屋を見渡した。


「ユンユは、大旦那様と一緒に繭の抜け殻を見てもらっています」


「なんじゃ、朝ごはんにあやかろうと思っとったんじゃが、残念じゃ」


「よかったら、私が何か作りましょうか?」


「ありがたいが、わしゃまだまだ、長生きしたいんじゃ。遠慮しとくわい」


それは、どういう意味でしょう? ラズは笑顔を引きつらせながら、その言葉を飲み込んだ。悲しいかな、家事音痴の自覚はあるのだ。


仕方ないのう、と長老が、テーブルの中央に置かれた壷から、蜂蜜をすくって舐めた。


「ん~、蜂蜜は旨いのう。ククルが養蜂を始めてくれたおかげじゃわい。娘のスーが蜂に刺された時は大騒動だったがのう」


長老はヒャッヒャヒャと笑った。



ククルの1人娘、スーが蜂に刺された時。ククルの怒りにさらされた蜂は、全滅の危機に瀕した。


蜂の巣箱を焼こうとしたククルを、村人がすがり付いて止めようとしても、ククルはそれをものともせず、あっさり払いのけた。哀れな村人たちは、軽々と吹っ飛ばされたのだ。


筋骨隆々のククルに対抗できるのは、ほっそりとした妻のオリスだけ。2人の夫婦喧嘩は超一流の武術家の格闘を見ている様だ。



――まったく、この夫婦もいったい何者なんだろう?



「ラズ」


「え?」


アンの呼びかけに、ラズは回想から現実に引き戻された。


いつの間にか目を覚ました少女が、アンの膝の上にちょこんとお座りして、お腹をキュルルルルと鳴らしているではないか。


「あら、お腹空いたのね。……って何を食べるのかしら?」


「うちの息子だったら、スーリャのお乳だべ」


アン、ダトン、長老の視線が、ラズの胸元に集中した。ラズは咄嗟に胸元を両手で隠した。


「ちょっ、何を考えてんのよ!!」


ラズは顔を赤くして叫ぶ。


「んだ、ラズ先生のお乳、もがっ!」


いつも、ひょうひょうとした態度の長老が、珍しく大慌てでダトンの口を塞いだ。そんな2人を、アンが氷点下の視線で睨んでいた。

金色に妖しく煌いた瞳が、俺の女の胸を見るな。と警告している。


「ゴホン。と、とりあえず、この蜂蜜をあげてみたらどうじゃ?」


アンの無言の殺気をいち早く感じた長老が、ラズに蜂蜜の壷を渡した。


「蜂蜜ね。食べてみる?」


ラズが少女に声を掛けると、少女は目を輝かせて、小さな手で机をバンバン叩いて催促してきた。ラズはスプーンで蜂蜜をすくうと、少女の口に運んでやった。


「はい、あ~ん」


少女は桜色の口でスプーンをパクッと咥えると、幸せそうに微笑んだ。


やっぱり甘いものが大好きな、食いしん坊の花守だわ。ラズは少女につられるように一緒に微笑んでいた。



* * *



「という事は、花守は“メス”だったのか?」


「そうみたいです」


「ふむ」


ユンユの答えに大旦那は、しばし考えるしぐさを見せた。


「5歳くらいの“美少女”と言ったな」


「ええ」


「この馬鹿でかい繭から、普通サイズの美少女が産まれたのか?」


大旦那は、ユンユの腕の中の、繭の抜け殻を指した。

ユンユは朝になると、繭に詳しい大旦那を連れて、繭の抜け殻をどうしたらいいのか聞いていたのだ。生糸にすることになった繭の抜け殻は、驚くほど軽かった。



「ええ、僕も信じられませんが、本当です。今から我が家に寄りますか?」


「ふむ、本当に美少女だったら、うちのひ孫の嫁にいいかもしれんのう。しかし、5歳差は年上過ぎるかのう? ひとつ年上の嫁は金の草鞋(わらじ)を履いてでも探せ、6つ上は睦まじいとも言うしのう。う~む。やっぱり嫁は歳上に限るのか?」


「…………」


ユンユは呆れたように、碧の目をぐるりと回した。


親馬鹿ならず、爺馬鹿。ここに在りけり。


獣が人に変るという、人知を超えた変事を目の前に、零歳児のひ孫の嫁選びに真剣な大旦那は、嫁は年下がいいかのう、う~むと唸りながら、ラズの家に向かったのだった。




家の近くまで行くと、ユンユの足がピタッと止まった。


「ん? どうした坊主」


「……今、何か聞こえませんでしたか?」


ユンユが耳をすました。それにならって大旦那も、耳に神経を集中させた。

小鳥やカエルの鳴く声、水の流れる音、風の音。特に変った音はしない。


「……鳥が鳴いとるのう」


「そうじゃなくて――」



 ガチャーン



ユンユの言葉にかぶさる様に、何かが割れる音がした。

それと同時に、ラズの悲鳴が微かに聞こえた。


――ラズ先生の悲鳴!?


瞬く間に血の気の引いたユンユは、間髪いれず走り出していた。



――ラズ先生の身に何が!?




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ