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恋の狩人 ―3―

老人が大きな岩の上で胡座(あぐら)をかき、年期のはいったキセルを吹かしている。フーッと吐いた白い煙りは、青い空に吸い込まれていく。


老人の頭に鳥がとまり、チチチチッと鳴く。老人は歯の抜けた口で、ニカァと笑う。


「平和じゃのお〜」


この老人、村1番の御長寿。年齢は誰も知らない。ミイラのように痩せた身体は、まだしゃんしゃんとしている。


飄々(ひょうひょう)とした性格ながらも、驚くほど知識が豊富で、村の生き字引。


村人達は困った事があると、老人に相談に乗ってもらうのが常である。


「長老! 長老!」


誰かが土煙をあげながら、ドタドタ音をたてて走って来る。


「誰じゃ〜、ワシを呼ぶのは」


長老は、加齢で見えにくくなった目を細め、近づいてくる人物を確認する。大きな身体を揺らしながら走る初老の婦人が見えた。


「村長の奥方ではねえか」


「ちょ、長老」


村長の奥方は、膝に手をついて、ハアハア苦しそうに息をしている。


「そんなに急いで、どうしたんじゃ?」


「今、家にダーリンが1人ぼっちなの、目を離すとすぐ無茶をするから」


縦にも横にも大きな奥方は、村長にぞっこんに惚れ込んでいる。街の豪商の実家から飛び出し、富も外聞も捨てて、押しかけ女房に納まるほどだ。ノミの夫婦は、今でも仲睦まじい。


ひと息ついた奥方は、ポケットから取り出した物を、長老に渡した。


「長老、コレ見て下さい」


コロンッと長老の皺くちゃの手に転がり落ちたモノ。


「……指輪じゃのう」


宝石があしらわれた、豪華で壮麗な指輪。目を奪われる崇高美。素人目から見ても、桁外れに高価な物だとわかる。


「ソレ、うちの息子が拾ってきた人が持っていた物なんです。ボロボロだった服を洗おうとしたら、その指輪と(くし)が出てきて」


と、奥方は櫛を長老に見せた。櫛は村娘が持つような、飾り気ひとつない質素な代物だ。


高価な指輪と質素な櫛、共通するものがまったく見えてこない。


「櫛だけだったら、村に置いてきた恋人か嫁にでも手土産かと思ったんですが、この指輪は、町人さえ持つのも難しい代物ではないかと思って。ましてボロボロの服を着た旅人が持ってる物ではないのです。相談するにもうちのダーリンも息子も底抜けに人が良いし……スーリャには黙っとりました。あの子にはこれ以上心配事を抱えさせたくなくて」


「ふむ」


さすがは元豪商の娘。見る目があるわい、と長老は思った。これが他の村人だったら、奇麗な指輪だべ。で終わるだろう。価値や価格を見抜くのは意外と難しい。とある村人が高価な皿を犬の餌入れに使っていたという有名な笑い話しまである。



――7つの宝石で作られた美しい龍の指輪。



龍の右目には金、左目には銀、額の瞳に真珠、身体に瑠璃、尾に珊瑚、爪に水晶、たてがみに瑪瑙。


繊細で優美、匠の神髄を集めた技である。




「ふむ、心配するでない。この指輪はよく出来た偽物じゃ」


「……偽物」


「偽物じゃ。しかし、よく出来ておるわい。その男は全財産をはたいて買ったのでないだろうか?」


「ああ、だから、一文なしで、ボロボロの身なりをしていたのね。そういえば、服はそこそこ良い生地だったわ。どっかの金持ちの馬鹿息子かしら」


奥方は安堵の表情を浮かべ、長老に相談してよかったわ〜、と愛するダーリンの元へ帰っていった。


「……ふむ」


長老は奥方を見送ると、再び指輪に視線を落とした。


長老には、わかっていた。


この指輪が。――本物であることを。




『3つ目の龍』


龍は創造神、3つの(まなこ)は太陽神、月神、破壊神の3貴神を表している。


代々、王家の紋章として受け継がれてきた。


この紋章を所持して良いのは、王家の者のみ。


指輪には魔法がかけられ、主意外の指には、決してはまらない。


贋作など、作れるわけがない。




長老はヒャハッハッハと愉快そうに笑った。


(面白い事が起きそうじゃわい)


指輪を手の平で、ぎゅっと握り閉めると、ぼそぼそと何かを呟いてから、空に向かって放った。


指輪は真っ白な小鳥に変わり、ラズの家へ一直線に飛んでいく。


「村長の(せがれ)が拾ってきたという御仁に、是非とも会わにゃならんぞい」


長老はウッヒャヒャヒャヒャと笑いながら、白い小鳥を見つめていた。



* * *



「じゃあ、ここからあっちまで、雑草取り、よろしくね」


ラズはアンを連れて、菜園までやって来た。やって来た、と言っても家の裏なのだが。


野菜、ハーブ、薬草が多岐に渡り、栽培されている広い菜園だ。


暖かい日差しの中、菜の花には、蝶々が戯れ、春の訪れを感じさせる。


ピーチュルル、と鳥の美しい鳴き声が、山の方角から聞こえてきた。


「“恋の狩人”が鳴いているわ、もう春の祭の時期なのね」


「恋の狩人?」


アンが雑草をとりながら、不思議そうに聞いた。


「赤茶色の小さな鳥よ“春告げ鳥”とも言われるわ。春1番に鳴く鳥でね、彼らが鳴きだすと木々が芽吹き、動物達に恋の季節が訪れるの。神話でも人類初めての夫婦に豊饒(ほうじょう)の女神の(めい)を受けて、恋の指南をしたと言われてるわ」


故に“恋の狩人”が鳴く頃、豊饒の女神を祝う春の祭が行われる。豊饒と愛を司る女神は嫉妬深い神ともいわれる。


春の祭に欠かせない花餅は“恋の狩人”が食べる、薄桃色の花を模っているのだ。



「あら、あれは?」


良く晴れた青い空に、1匹の白い小鳥が真っすぐ、こちらに向かって飛んでくる。小鳥は、アンのボサボサ頭に着地。


「……えらく人に懐いている鳥ね」


「そういうものか?」


アンは動じる事なく、草取りを続けている。


「野生の鳥は、普通は人には懐かないからね。凄いわこの鳥、右目が金色で、左目が銀色」


奇麗な鳥ね、と手を伸ばしたところ、ピーッと威嚇されてしまった。


素早く手を引いていなければ、噛まれるところだった。


ラズが、危なかった〜、と手をさすっていると、アンがむんずと頭上の小鳥をわしづかみにした。


「小鳥め、俺の恩人に何をする。焼鳥にして食っちまうぞ」


そんなに可愛い小鳥を丸焼きに!? ラズは慌て首を振った。


「焼鳥は辞めて!」


「焼鳥は嫌いか? ならスープにするか?」


「いえいえ、食べる気はございませんから」


「そうか、確かに“コレ”は食べれそうにない」


アンはそう言いながら、先ほどまで鳥だった指輪を空にかざした。


ラズは目を見開いて、指輪を凝視している。


「……凄い、魔法の指輪なんて、初めて見るわ」


「凄い物なのか? だったらラズにやる」


アンは指輪をラズに投げて寄越した。ラズは焦りながらも、指輪を無事にキャッチすると、アンに返そうと必死だ。


「要らないわよ!」


アンは指輪を受け取らない。


「何で?」


「何で、って、魔法の指輪は希少で高価な物なの、コレひとつで、家が1軒ぐらい普通に建つわよ!」


「だったら尚更、貰ってくれ」


「あんた馬鹿なの? 経済観念がまったくないんじゃない!?」


「俺はラズに何かをあげたいんだ」


「だったら、労働力で充分よ! 草取りの後は薪割をしてちょうだい。だからコレは返すわ。貰っても迷惑なの!」


その言葉に、アンは渋々、指輪を受け取った。



「……手を、離してくれないかしら」


指輪を手渡されたアンは、ラズの手首を掴み、離そうとしない。


「指が赤くなってる、さっきの鳥に突かれたのか?」


「違うわ。昨日、薬草を取りに山に入った時に、植物のトゲが刺さったの」


ほっとけば治る、と続けようとした言葉は衝撃のため、言葉にならなかった。


アンがラズの指を口にくわえたのだ!


「*&★#♪¥!!」


言葉にならないとは、このことを言うのだろう。アンはラズの指からトゲを吸い出すと、ペッと吐き出した。


「これで治りが早くなる」


髭面で、にっこり笑うアン。


(何なの、このフェロモンだだ漏れ男は! 髭面なのに!)


茹でタコのように真っ赤になったラズは、後はユンユに頼んであると言い残し、診療所に向かったのだった。



* * *



診療所は村の中央に位置付く、老朽化の進む平屋建て。


ラズが着くころ、診療所には、常連客がたむろしていた。


「先生! 結婚したって本当かい?」


「入り婿さんだべ」


「何処で引っかけなさっただ」


「先生もいい歳だ、わしら心配しとっただで」


「早く、子供作りさい。その歳だ急がねば」


「んだな、3人は欲しいだべ」


「わしら冥土に良い土産話が出来ただべ」


「んだ、んだ、先生さ子供が出来たら、わしらが面倒見ちゃるだべ」


んだな〜。と顔を見せ合わせ、微笑む3姥姉妹。


ラズは自分の笑顔がぴくぴく引き攣るのを感じた。


上から、ティマ、トッコ、ツェゲ、齢70代の3姉妹。

3人とも仲が良く、矍鑠(かくしゃく)としている。今日も診療所の掃除を手伝いに来てくれたのだ。


どんなに老朽化が進もうと、診療所は清潔でなくてはいけない。と言うのがラズの師であり父の教えなのだ。


例え、患者が居なくとも、毎日のように掃除をしているうちに、3姥姉妹が(みずか)ら手伝ってくれるようになったのだった。


「おばあちゃん達、誤解よ。私は今だに独身」


「んだども、先生の家さ男がおるでないか!?」


長女のティマの言葉に、妹二人が、んだ、んだ。と相槌を打つ。


「彼はダトンが拾ってきた患者よ、記憶を失っているの」


記憶を!? と3姥姉妹は興味津々。


「知りたい?」


ラズの問に、3姥姉妹は、目を爛々に輝かせて頷いた。


「それじゃあ、診療所の掃除に取り掛かりましょう」


ラズは元気に、診療所の扉を開いた。


春の青空に、診療所のシーツがはためき、老婆達の笑い声と、ラズの調子っぱずれの歌声が山々にこだました。



* * *



ユンユは、せっせと草取りに勢をだすアンを観察していた。


雑草と野菜をきちんと見分け、更には家畜用に雑草を残しているところを見ると、農家出身だったか? と思うほどだ。


「何か用か?」


アンは雑草を取り続けたまま、ユンユに声をかけた。


「……本当に記憶がないんですか?」


「……実は俺は犯罪者で、記憶喪失は嘘だ。……と言ったらどうする?」


以前にも記憶喪失の患者を看たことはある。しかし、余りにもあっけらかんとしたアンの態度には疑い深くもなるものだ。


馬鹿なのか、詐欺師なのか、よほど器の大きい人物か?


ユンユは思案した。


――もし、本当に彼が犯罪者だったらどうする? アンは見るからに、鍛えられた身体をしている。今の自分が勝てるとは思えない。


しかし、ラズ先生を傷つけられるのは我慢ならない。自分には何が出来るのだろう? もう、役立たずになんかなりたくない。



ユンユは酷く歯痒い思いで、アンを睨んだ。


「ラズ先生や村のみんなを傷つけたら、ただじゃおかないからな!」


ユンユの碧色の双眸には殺意さえ感じられる。


アンはユンユの視線を受け流すと、両手についた泥を払い落として、屈めっぱなしだった背中をトントンと叩いた。


「正直、俺は記憶がないから自分が犯罪者かどうかは分からない、でも、恩人に害を与え気は毛頭ないから安心しろ」


アンはユンユを見据え、本心を答えた。2人の間に渦巻くぴりぴりとした緊張感は、風に乗って流れてきたラズの調子っぱずれの歌が打ち砕いた。




ラ〜ラ〜ラ〜、真っ白な〜シーツ〜〜〜、気持ちいい〜な〜




鬼でさえ脱力してしまいそうな歌声。


「これは?」


「ラ、ラズ先生の歌声……です」


アンは目を閉じて、歌声に聞き耳をたてた。


「…………素晴らしい歌声だ」


アンの言葉に、ユンユはぎょっとした。


「アンさん、頭おかしくない!? いや、おかしかしい!!」


きっぱりと断言するユンユに、アンはニヤリッと不適な笑みを浮かべた。


「美しい女性だな、ラズは。女のひとり寝は寂しいだろう」


「な、何、言ってんだ!?」


ユンユは怒りのため、顔が赤くなるのを感じた。アンは、ラズの居る方角を見つめ、狼のような貪欲な笑みを浮かべた。


「ラズは、俺がいただく」


その言葉にユンユの怒りが爆発した。


「お前、バッカじゃないの! 勝手な事を言うな、誰がお前なんかに! そもそもラズ先生には、忘れられない人が居るんだ!」


「忘れられない人? それは誰だ、どんな奴だ?」


「お前に教える義理はありません!」


敵意むき出しのユンユに、アンは目を細めた。


「安心しろ、ラズを傷つける気は無い」


「記憶の無い男が何を言っても無駄です」


「記憶が無くとも、ラズが俺にとって、心を揺さぶる女だってことは変わらない」


「時々居るんです。そういう患者さん。しばらくすると熱も下がりますよ」


「それは、どうかな」


アンは不敵に笑った。

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