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花の繭 ―15―

貴族のドレスを着たラズが、闘技場に着いた時、試合は残すところ、ひとつとなっていた。


「落ち着いて、ラズ先生。堂々としていれば大丈夫よ」


侍女の服を着たナアダの奥さんがラズの震える手を取り、貴賓席に(うやうや)しく連れて行った。もし、庶民が貴賓席に居ることがばれたら、大事だ。ラズは緊張のあまり、心臓が張り裂けそうだった。


ラズは大きく深呼吸をしてから、ぎこちない動作で貴賓席に腰を下ろし、闘技場を見下ろした。


土埃の舞い上がる格闘場には、2人の人影。ひとりは全身を銀の甲冑に身を包み、見るからに勇猛果敢な騎士だ。ひとりは質素な黒い服の、すらりと背の高い男。ブロンズの端整な顔立ちに、金色に光る瞳、ぬばたまの黒髪。立っているだけで、その場を圧倒する存在。



――アンさん。


アンとラズの視線がぶつかる。

不思議だ、周りには大勢の人がいるのに、2人きりに感じる。


ラズは決めていた。この試合が終ったら、ひとりの女としてアンの胸に飛び込もう。誰かを愛して、また置いていかれるんじゃないかと、少し怖いけど……。




大衆の声援は、アンの耳には届いていない。ただひたすらラズを見つめていた。眼を見ればわかる、何か大きな決断を下したことを。


アンは子供のように笑いたくなった。ラズを抱きしめに行きたかった。抱きしめて、今すぐこの場から連れ去りたかった。しかし、それは試合が終ってからだ。今晩が楽しみだ。


アンは凄艶な笑みを浮かべた。その笑みに、女性たちが色めき立つ。失神する者まで現れる始末。




銀の甲冑を着た対戦相手が、間合いを取るようにじわじわと動き始めた。


アンは銀の甲冑に視線を移した。


先に動いたのは銀の甲冑の人物だった。鋭い突きで剣を繰り出す。アンはそれを紙一重で避けていく。無駄な動きがひとつもない。

2人の戦いは美しく、荘厳な演舞のようだ。誰もがその妙技の素晴らしさに、目を見張った。2人とも達人の域を超えている。


「なぜ剣を抜かないのです!?」


すれ違いざまに、苛立ったような声で銀の甲冑の人物が言った。アンは腰にさした剣を1度も抜いていない。何故なら、その剣は折れていて、使い物にならないから。


アンはニヤリと笑った。こいつはイラついている。剣を抜かないことで、試合を軽んじていると思っているのだろう。


試合の最中、腹を立てて集中力が欠けるのは、命取りになる。


(すまんな、俺はさっさと試合を終らせて、ラズの元へ駆けつけたいんだ!)


アンは足元の土を蹴り上げ、土埃を相手にかけた。


「卑怯なっ!」


相手がひるんだ隙に、強烈な回し蹴を繰り出す。


銀の(かぶと)が、空高く宙を舞い、日の光を反射する。


闘技場がどよめいた。


アンが肩越しに振り向くと、美しい亜麻色の髪が目に写る。


格闘場に立っているのは、銀の甲冑で体を包み、長い亜麻色の髪をなびかせた。――男装の麗人。


アンは悠然と笑う。その微笑には畏怖を感じさせる凄みがあった。


「久しいな、エンリル」


アンが堕天使のような冷笑を顔に浮かべると、銀の甲冑を着たエンリルの喉元が大きく上下する。顎から汗が一筋滴り落ち、乾いた地面にシミを作った。


公爵令嬢エンリル。血筋から見れば、王妃にもなれる美貌の令嬢は、男顔負けの剣術をたしなみ、誰よりも正義を愛する女性。騎士団の長であり、戦の功労人。


そして、たったひとりの男をひたすら追いかけている。その男の名は――。



* * *



「ユンユ君、こっちですよ~」


松明を持ったナアダが、忍び足で、再び格闘場の地下を歩いていた。


ソーパと大旦那を一旦、宿屋に避難させて、ナアダとユンユは、傀儡(かいらい)となった若旦那の解毒の方法を聞きだしにやってきたのだ。


「さっき来たときはこっちでしたよ」


ユンユがナアダと反対の方向を指した。


「1度見つかった場所には居ませんよ~。それに、こっちから微かに声が聞こえてきます」


ユンユは聞き耳をたててみたが、聞こえるのは松明の燃える音のみだった。

ユンユは首を(ひね)りながらも、自信満々のナアダに着いて行く事にした。しばらく進むと、確かに人の声がする。ナアダは松明の火を消して、ユンユに無言で合図を送ってきた。


ユンユはナイフを持つ手に力を込めた。



* * *



「マーシャル!」


若奥様のヒステリックな声が、甲高く響いたと思ったら、パンッと頬を叩く音が続いた。


「お前は何を言っているのか、わかっているのかい!?」


「師匠をたぶらかすのは、もういい加減にして下さい。このままではお金で身を滅ぼしてしまいます」


マーシャルは赤くなる頬を押さえながら、悲痛に叫んだ。


「馬鹿な事を! 私はそんなに愚かじゃないわ。お金は幾らあっても足りないくらいだよ」


マーシャルの師匠は、若奥様の色香に騙され、禁術の金蚕蟲(きんさんこ)を作り出した。金蚕蟲は蟲毒師(こどくし)にとって諸刃の剣。


マーシャルは恐ろしくて堪らなかった。


最初は金塊を生み出す金蚕蟲を歓迎した。贅沢が楽しかったのだ。しかし、金蚕蟲は生贄を求めるようになり、次第に師匠は変っていった。

宮廷医師だと名乗り、貴族たちを傀儡(かいらい)として操り、町を牛耳り始めた。今や師匠は、この港町の裏の支配者だ。


さらに、金蚕蟲は次第に、(ぎょ)しにくくなってきている。次に金蚕蟲に飲み込まれるのは自分たちだ。いや、もう飲み込まれているかも知れない。


マーシャルは長めの前髪の隙間から、醜く歪んだ妖艶な女を見つめた。若奥様と呼ばれ、やりたい放題の悪業を繰り返す。心の中はもう金蚕蟲に蝕まれたに違いない。


「何だい、その眼は! 私は同情されるのが、大嫌いなんだよ」


若奥様は、再び手を振り上げた。


叩かれる! マーシャルは目をつぶり、腕で顔を隠して、身構えた。

しかし、幾ら待っても叩かれる気配がしない、恐る恐る目を開けると、師匠が若奥様の腕を掴んでいた。


「マーシャル、お前はこの金蚕蟲を継ぐ、唯一の蟲毒師だ。今からそれでは思いやられるな……」


師匠が、あきれ果て、ため息をついた。師匠もすでに金蚕蟲に蝕まれ、何を言っても聞く耳を持たない。いずれマーシャルもそうなるのだろうか? 抗わずに心を蝕まれた方が、楽なのかもしれない。それでも、マーシャルは師匠を助けたかった。


「……師匠」


「もう何も言うな。上ではそろそろ決着が着いているころだろう、私は行く。マーシャル、お前はここで金蚕蟲を見張っていろ」


「あら、私も行くわ。祝福の女神役の私が行かなくては、試合は終らないもの」


若奥様は、朱を差した唇を、真っ赤な舌で舐めた。

茫然自失に座り込んだマーシャルを置いて、若奥様と呪術師の師匠は闘技場に、金蚕蟲の生贄を求めに行ってしまった。



* * *



ユンユとナアダが息を殺して隠れているすぐ横を、呪術師と若奥様が過ぎ去っていった。

残るのは虚脱して座り込む、呪術師の弟子マーシャル。

ユンユは頃合いを見はかってから、ゆっくりマーシャルの後ろに近づき、すばやく罠で捕らえた。


「!!?」


驚いたマーシャルだったが、時すでに遅し。罠はすでに腕に食い込み、身動きが取れなくなっていた。振り向いた先には、見覚えのある金髪の小僧。


「お前はっ! 食堂の金髪!! 何をしに戻ってきた!?」


「覚えていてくれたのですか? 改めて自己紹介しますよ、金髪ではなくて、ユンユです。お見知りおきを、偽宮廷医師のマーシャル」


「くそっ、離せ!」


暴れれば暴れるほど罠が食い込んでくる。マーシャルは暴れるのを諦めると、ユンユを睨みつけた。


「少しお尋ねしますが~、傀儡の解毒法を教えて下さい」


のんびりとマーシャルの前に回ったナアダが、子供に諭すように易しく言った。


「…………」


「黙っていちゃ、わかりませんよ~」


まるで、子供に遅刻の理由でも尋ねているようだ。


「……ただで教えるわけにはいかない」


「はい、交換条件は、何でしょう~」


「……師匠を、助けてくれ」


「助ける? 具体的にはどう言うことでしょう~」


「俺にもわからん。だけど師匠は、貧困窟(スラム)に捨てられていた俺を、ここまで育ててくれた大切な人なんだ。師匠は、詐欺を働いたり、簡単な呪術を操るけど、根っからの悪い人じゃなかったんだ。女とお酒が大好きで、その日暮らしの、ずる賢く、情にもろく、少し情けない人だったんだ。なのに今じゃ人が変ったように……。このまま、身の破滅に突き進むのを、黙って見ていたくない」


しかし、非力なマーシャルは何も出来なかった。だから、お酒に逃げたのだ。馬鹿騒ぎで憂さを晴らしていたのだ。師匠を金蚕蟲から解放する方法なんてモノは、この世にはない。

それでもマーシャルは藁にもすがる思いで、ナアダに訴えたのだ。


「親の心子知らず。子の心親知らず。まったく、親と子は想い合っていても、なかなか上手くいかないものですね~。うちの娘もですね~、親知らずを抜くって言うんですよ~、ほら奥歯に生えている――」


「ナアダ先生、今はその話は結構です」


ナアダの長話を、ユンユがすっぱり切り捨てた。


「マーシャル、君の望みは叶えられるかも知れません」


ユンユが拍子抜けするほど、あっけらかんと言った。


「本当か!?」


「君たちを不幸にしているのは、この金蚕蟲でしょう」


ユンユは鎖で縛られている金蚕蟲を指差した。


「ああ、欲に眼がくらんだ結果、えげつない化け物を抱えてしまった」


「この化け物を何とかすれば、いいのでしょう」


「出来たら、もうとっくにしているさ。金蚕蟲は不滅の生き物。殺すことも、捨てることも出来ない、呪術師が死ぬまで取り憑かれる」


「何とか出来ると思いますよ」


「何とかあ? ふざけてんのか!?」


驚きに目を見開いているマーシャルに、ユンユは笑顔を向けて天井を、いや、地上を指した。


――アンが居るから大丈夫。


酌に触るが、アンなら任せても安心できるのだ。どんなに不可能だと思うことも、アンならやってのけてくれる、そう信じられるのだ。


「彼に任せておけば大丈夫ですよ。だから、解毒法を教えて下さい」


ユンユは真っ直ぐな偽りのない瞳を、マーシャルに向けた。マーシャルはユンユの眼差しを正面から受けると、ゆっくり頷いた。


「…………分かった、解毒剤を作る。しかし、渡すのは金蚕蟲が消滅してからだ」


「分かりました」


「……それと、あの老人どうなった?」


マーシャルが呟いた。


「老人?」


「昼間の、食堂で……」


「ああ、喉に食べ物を詰まられた老人ですか。ええ、もう憎たらしいほど元気になりましたよ」


「……そうか、良かった」


マーシャルの呟きが、吐息のように囁かれた。

コイツはまったくの悪い奴じゃないのかもしれない、ユンユが後の終生の友となる、マーシャルとの出会いだった。




ユンユとナアダが、マーシャルを抱えて、解毒剤を作るために地下室から出た後、松明の燃える音が響く、人っ子ひとりいなくなった空虚な地下室で、飢えた金蚕蟲が、鎖を引きちぎり、猛烈な食欲を満たすために人肉を求めて、瘴気を撒き散らしながら、地上を目指していることなど、まだ誰も気づいていなかった。



――にえを、我に……



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