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花の繭 ―14―

ラズはユンユの腕に守られるように、地下室の隅に隠れると、固唾を呑んで聞き耳を立てた。足音からしてやってきた人数は3人。見つかったら命がない。極度の緊張が襲う。


(お願い、早くどっかに行って!)


ラズの背中に冷たい汗が流れ落ちた時、甲高い女性の声が空気を震わせた。


「どうして、あのじい様に致死量を与えないんだい、微量の毒じゃ、あのじい様は逝かないよ」


「そう焦るな。大旦那様には、利用価値がある、我々の呪術で傀儡(かいらい)となっていただこう」


この声は、若奥様と宮廷医師団長の声。ラズはユンユの腕の中で体を硬くした。


(やっぱり若奥様が、大旦那様に毒を持っていたのね。大旦那様が倒れたとき、すぐにやって来た宮廷医師もグルだったなんて。いえ彼は宮廷医師ではないわ、今、呪術と言ったもの。彼は呪術師なんだわ)


呪術と医術は似て異なるもの。相反するもの。

太古の昔は、巫女やシャーマンが怨霊を払う治療が当たり前だった。今では迷信深い人々の間でしか行われていない。また呪術師は人々を呪い殺すとして、迫害を受け、今はもう、その姿を見ることはないはずだった。

しかし、呪術師たちは姿を隠し、口伝で知恵を脈々と伝えてきたのだ。


「それより、師匠、早くコイツに生贄を与えなければ、我々が食べられてしまいます」


第三者の声にユンユの体がピクッと動いた。


(この声、確か……。そうだ! 食堂であった、マーシャルとか言ういけ好かない宮廷医師。あのやろう、宮廷医師なんて嘘を言いやがって、呪術師の一味だったんだ! こんな詐欺師たちに、港町の人々は脅えながら暮らしているのか?)


ユンユは無意識に、ラズを抱く腕に力を込めていた。ラズもユンユの腕を、命綱のように捕まえている。


「弟子よ、そう慌てるな。試合の優勝者が“最高の生贄”の誉れとなるであろう」


「優勝者が?」


「あの男、なかなかの腕を持っている。生贄にすれば、美食家のコイツも満足するだろう」


「あの男? もう優勝者がわかっているのですか?」


まさか!? とラズとユンユが顔を見合わせた。

辺りに散らばる剣や甲冑、盾などが、松明の揺らめく明かりに照らされて、不気味に光を放っている。


「――アン、という男だ」


(アンさん!!)


ラズとユンユに衝撃が走った。その拍子に近くにあった盾が落ちて、この世の終わりとも思えるほどの、けたたましい音を立てた。


――しまった!


「誰だ!」


意を決したユンユは、咄嗟にラズを背中に庇い、物陰から姿を現した。いつも携帯しているナイフを抜く。


「曲者が!」


宮廷医師団長と名乗っていた呪術師の男が、近くに落ちていた長剣を引き抜き、ユンユに襲い掛かってきた。ユンユは小さなナイフで応戦する。


「秘密を知ってしまった者は、生かしておくものか!」


呪術師が長剣を振り上げた時、どこからともなく現れたナアダが、うなじに手刀を落とした。呪術師は膝から崩れ落ちる。矢をつがえていたマーシャルが師匠、と言って矢を放り出し、倒れた呪術師の元へ駆け寄った。若奥様は突然のことで呆然としている。


「今のうちに、逃げますよ!」


「でも!」


ラズはナアダに腕を引っ張られたが、その場にとどまった。あの蚕もどきの化け物に、アンが生贄にされてしまう。ここに落ちている、甲冑の持ち主たちのように。


「あの化け物には、私たちでは太刀打ちできません」


いつものんびりしているナアダに、焦りの色が見える。

怪しく蠢く醜悪な蚕もどきが、暴れ出した、今にも鎖を引きちぎり、人間たちに襲い掛かろうとしている。

瘴気のような腐敗臭が広がり、ラズは目が霞んで、気持ち悪くなった。


「ラズ先生、失礼しますよ」


ナアダは片手で口と鼻を押さえて、どこにそんな力があるのかと思うような怪力で、ラズをもう一方の手で抱えあげると、ユンユに視線を送り、走り出した。

口元をしっかり押さえていたユンユは、呆然としているソーパを掴むと、ナアダの後を追いかけた。


「ソーパ! またお前か! 誰にも、誰にも邪魔などさせるものかああ! 全て手にしてみせる!」


暗黒の地下に、若奥様の声がどこまでも反響した。



* * *



蟲毒師(くぐつし)の使役する(むし)の一種で、金蚕蟲(きんさんこ)ね」


「蟲毒師?」


ラズは初めて耳にする言葉を聞き返していた。


ラズたちは命からがら、何とか地下から抜け出すと、真っ先にナアダの奥さんの所に駆けつけたのだった。


「若奥様のあのお怒りからして、大旦那様が危ない!」


ソーパのひと言で、ラズたちは、馬車を借りて大旦那様の元へ向かった。馬車の中でラズは地下で見たことをナアダの奥さんに説明していたのだ。


「蟲毒とは、虫を使った呪術のことを言います」


全員がナアダの奥さんを見た。


「百足や(さそり)、蜘蛛など毒のあるもの虫を共食いさせ、最後に残った(むし)を使役すると聞いたことがあります。その毒で人を殺めることも、傀儡(かいらい)として操ることも出来ます」


ラズは虚ろな目の看守たちを思い出した。彼らは操られていたのだ。


「操られている人たちを解放するには、どうしたらいいのかしら?」


「残念ながら、私は知りません。蟲毒の術を解く秘法は、蟲毒師にしか伝来していません」


「それでは、あの巨大な蚕みないなモノは何なのですか?」


「おそらく、金蚕蟲。蟲毒の使役する中で1番厄介なものです」


「厄介?」


「金蚕蟲は蟲毒師に巨額の富を与る代わりに、生贄を差し出さねばなりません。生贄を与えなければ、蟲毒師を食い殺します。金蚕蟲は1度創り出すと、殺すことも、捨てることも出来ない。永久に付きまとうのです」


「そんな! いくらアンさんでも、そんな殺すことも出来ない化け物に、勝てるわけないわ。食べられてしまう」


ラズは蒼白な顔で叫んだ。もう嫌だ、大切な人を失うのは!


「ラズ先生。毒には毒を持って制するよ」


やんわり笑った奥さんは、服のそでを、たくし上げた。

細く美しい腕には真っ白で奇麗な蛇が巻きついていた。蛇の瞳は右が金で左が銀だ。


ナアダの奥さんは蛇の牙から1滴の毒液を小瓶に落とした。


「気をつけて、月影花の何倍も猛毒よ。薄めれば強力な痺れ薬になるわ」


ラズは目を見開いた。どうしてナアダ先生の奥さんが魔法の指輪を持っているの?


白い体に金と銀のオッドアイ。それは魔法の指輪。小さな指輪は、生き物に変形することが出来る。アンの持つ白い小鳥。ヌエの持つ白い猫。そしてナアダの奥さんの持つ白い蛇。


(もしかして、魔法の指輪って、意外と有るものかしら?)


ラズは知らないが、魔法の指輪はこの世に、6個しかない。太古の昔、栄華を誇り、突然絶滅したエルフ族が残した。魔法の遺物なのだ。

ひとつは国王が代々所有し、後の残りはどこにあるのかは不明とされている。

その指輪が、名も無い小さな村に3個もあるというのが異常なのだ。


「でも、この毒をどうやってアンさんに渡せは……」


ラズの言葉を受け、ナアダの奥さんが大輪の花のように笑った。



* * *



「大旦那様!」


ソーパは驚く店員たちを尻目に、大旦那のいる部屋に駆け込んだ。そして目の前の光景に息を飲む。


若旦那が、短剣を振り上げて、絹の布団で眠る、大旦那の胸元めがけて振り下ろそうとしている。


「!!」


ソーパは考えるより先に、体が動いていた。猪のように走り出し、若旦那に体当たりしたのだ。ソーパは若旦那と一緒に床に転げた。


「ソーパさん!」


少し遅れてやってきたユンユが若旦那の手から、短剣を蹴り、遠くに飛ばした。


「どうして若旦那様が!!」


ソーパは涙目で訴えている。しかし若旦那の耳には届いていない、虚ろな瞳でぼんやりしている。


「もしかして、若旦那様は蟲毒師に操られているんじゃないですか~」


のんびりとナアガが入ってきた。その手には縄が握られている。その縄で手際よく若旦那を縛る。


「……お前たちは誰だ」


眠りから覚めた、くぐもった声がベッドから聞こえた。


「大旦那様!」


「ソーパか?」


「はい」


「おかしな夢を見ていた……」


「夢、ですか?」


「夢だ……リ・アンの、娘の家族に囲まれている夢だ」


「大旦那様……」


「お前たちが持ってきた手紙を見せてくれ」


顔を輝かせて、今すぐに、と執務室に向かったソーパだったが、肩を落として帰ってきた。


「すみません、手紙は暖炉にくべられていました」


「……そうか」


「手紙が駄目なら、直接会えばいいじゃないですか」


ユンユが口を挟んだ。


「お前は誰だ?」


「僕はラズ先生の弟子のユンユです。こちらは学校の先生でナアダ先生」


ナアダがぺこりと頭を下げた。


「学校の先生? どういう面子だ?」


「私たちは、リ・アンお嬢様と愉快な村の仲間たちです~」


薄い髪をそよがせて、ナアダが軽快に言った。一瞬流れた白々しい空気を、ユンユが咳払いをして、払いのけた。


「……僕は、眠り薬でも使って、頑固者の大旦那様を、村に連れ帰ろうとしていたんです」


それは犯罪だよ、ユンユ君とナアダが言ったのを無視して、ユンユは続ける。


「村長の奥方は、貴方の娘さんは、貴方のことを心配しているのですよ! 元気な顔を見せてあげて下さい」


「……」


「お願いです」


「……会って、どうする? ワシはもう先が長くない、今更会ってどうする」


「貴方の娘さんは、会いたがっておられます」


「会ってしまったら、ワシは、いずれくる寿命におびえなければならない。大切な人を残していくのは辛すぎる、娘も残された悲しみを背負わしてしまう。いっそ、憎まれたまま逝くほうが良い」


「……それは間違っています」


ユンユがきっぱり言った。


「僕は、僕の母は娼婦でした。僕を1度も抱きしめてくれたことがありませんでした。幼い僕は、母に嫌われているのだと思い、何時しか僕は母を憎むようになりました」


ユンユの肩が震えている。ナアダが慰めるようにそっと肩に手を置いた。


「でも、最近知ったのですが。母は僕を愛してくれていた。母が僕を抱きしめなかったのは母なりに、僕に遠慮していたからだって」


「坊主……」


「家族が、愛情をぶつけるのに遠慮していちゃ駄目なんですよ! 生きているから、伝えられる言葉があるんですよ! お願いです。村長の奥方に会ってください」


――母に、抱きしめてもらいたかった。


ユンユは、かなわなかった夢を大旦那に託したのだ。


ユンユは膝に握り締めた拳を置き、頭を下げた。ナアダもそれに(なら)う。ソーパは袖でそっと目元を拭いている。部屋を重苦しい沈黙が支配する。しばしの間があって、ユンユがおもむろに顔を上げた。


「答えが否でも、無理やり連れて行きますけどね」


顔を上げたユンユは、真っ直ぐ大旦那を見た。一瞬、驚いた表情を見せた大旦那は、ガッハッハと豪快に笑い出した。


「気に入ったぞ、坊主。お前の顔に免じて、娘に会ってやる。家出した娘をまだ叱っておらんからな、会ったらこっ酷く叱ってやる」


「ふふふ、決着がついたみたいね」


滑るように部屋に入ってきたナアダの奥さんが、にっこり笑った。その手に白いカリントウを持っている。


「このカリントウ、大旦那様の大好物だそうですね」


「うむ、そうじゃ。蚕を油で揚げて、砂糖をまぶした物だ」


ナアダの奥さんは、優雅に笑うと、カリントウを赤い舌でペロッと舐めた。


「やっぱり、このカリントウに毒が盛ってあるわ」


部屋に衝撃が走った。1番焦っているのはユンユだ。


「毒を舐めたんですか? 気分は悪くないですか?」


「大丈夫よ、私は幼少のころから、毒には慣らされているから」


ナアダの奥さんは、ユンユに安心するように笑いかけると、言葉を続けた。


「これはジギタリスの花、上手に使えば、魔女の秘薬と呼ばれ強心剤として使われるわ」


少し舐めただけで、毒を言い当ててしまうなんて、ナアダの奥さんは、いったい何者なんだ? とユンユが目を白黒させていると、ナアダの、のんびりした声が聞こえた。


「ジギタリスの花言葉は“熱い胸の思い”まさにですね~。恋焦がれる熱愛。まるでアンさんのことですね。そういえば~、ラズ先生は?」


奥さんは扉の方を見て、渋るラズに手招きした。ゆっくり姿を現したラズは、貴族のドレスを身にまとっていた。

薄紅色の絹のドレスは、ふんわりと体を覆っている。大きく開いた胸元が気になってしょうがない。


「わ~、似合っていますよ」


「お世辞は言わないで下さい」


ラズはげんなりと、ナアダに言った。先ほど大きな鏡で見た自分は、とっても貧相だった。ドレスに着られているのだ。


「貴族の服に、短髪は似合わん!」


唐突に商人魂に火がついたのか、大旦那が元気よく叫んだ。

大旦那の命令でソーパは薄紅色の繊細な刺繍をあしらった美しいベールを持ってくると、ラズの頭に被せた。

肩の辺りまでしかない赤茶色のくせっ毛は覆い隠し、さらにベールの上から、ピンクと白の花で作られた花冠を乗せた。


「うむ、胸元が開きすぎだ、お主、乳が無いのう」


余計なお世話だ! ラズは叫びそうになるのを必死で抑えた。


「ソーパ、繭玉を持って来い」


「はい」


ソーパは、ラズの首に美しい装飾品を掛けた。中央の白い繭玉を中心にあらゆる宝石が花のようにあつらえられてある。動くたびにシャランシャランと玉響な音を奏でる。仕上げにほんのり化粧を施す。


「うむ、上出来じゃ」


大旦那が満足そうに頷き、ユンユがあんぐり口を開けて見つめ、ナアダは娘を嫁に出す父親のように涙ぐんでいた。


そこには美しい花嫁のような女性が立っていた。



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