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花の繭 ―12―

「……こ、ここは」


ユンユは、食堂で助けた老人を背中に負ぶって、絵にも描けない豪華絢爛な、花売宿の前にやって来ていた。

宵の闇の中では妖艶な艶やかさであろう建物は、昼間に見ると、あまりにもけばけばしい。大体、昼間から花売宿を堂々と使う人間は少ない。


「…………僕は帰ります」


ユンユは(きびす)を返して、来た道を引きかえそうとしたが、背中におぶさっている老人が髪の毛を引っ張った。


「待て、待て、客として来たんじゃないわい。医者として来たんじゃ。早とちりするでない、馬鹿もんが」


「あら、カオ老子。待っていたんだよ」


カオ老子の声が聞こえたのだろう、肌着1枚の女性が宿の中から出てきた。ユンユは視線のやり場に困り、(うつむ)いていると、背中の老人が、ワシの弟子だ。といけしゃあしゃあに大ぼらを吹いた。


「まあ、老子のお弟子さん! とってもハンサムね。さあ、入ってちょうだい」


「僕は――」


「患者が待っているぞい」


老人の“患者”という言葉に、ユンユは口をつぐみ、むっつりと花売宿の門をくぐった。


「そら、ここだよ」


女が案内してくれた部屋まで行くと、老人はユンユの背中からするりと降りて、患者の元へ元気よくスタスタ歩いていった。


「ハンサムさん、あんたカオ老子の弟子なんだってね。カオ老子はいい師匠でしょ」


「…………」


この状況で違う、とは言いづらい。弟子じゃないなら何者なんだ、という説明をしなくてはならないのも面倒だ。


「カオ老子は本当にいい先生だよ。町をのさばる、宮廷医師とは月とすっぽんだよ。うちらみたいな商売の人間は、人として扱ってもらえないんだ。もちろん病気になっても、ほとんどが放って置かれるのよ。カオ老子は隔たり無く患者を診て下さる」


カオ老子の事を誇らしそうに言った女は、ユンユの玲瓏な横顔を見た。むっつりとしたユンユは、決して、肌着の女性を見ようとしなかった。すると女は笑顔を曇らせてフン、と小さく鼻を鳴らした。


「お高く止まちゃってさ。顔が良くて、偉いお医者様のお弟子さんだか何だか知らないけど、あんたも私らのこと軽蔑しているのかい? 好きでこんな商売しているわけじゃないよ。私だって幼い頃は誰かのお嫁さんになって、子供産んで、普通の幸せを夢見ていたのさ」


女は寂しそうに遠くを見つめている。


「戦が全部壊しちまいやがった……戦が終わった今でも、私らはここから出ることは出来ない。私は“返花”でね。もう普通の生活には戻れないんだよ」


1度身を売った人間は、差別や偏見に遭い、まともな生活は送れないのだ。

“返花”それは年季の明けた遊女が、お天道様の下で生活が出来なくなり、再び闇の世界に返ってくることを言う。

恋の闇に咲く妖艶な花は、毒を含んだ、寂しい月影の花。決して太陽の下で咲くことが出来ない。


「ねえねえ、カオ老子のお弟子さんが来たって本当?」


「わお、すっごい美形じゃん」


「あんた、金髪が嫌いじゃなかった」


「まだ、若いわね。お姐さんが相手してあげようか?」


薄手の衣をまとった女たちが、どやどや押し寄せて来た。


「お前たち、カオ老子のお弟子さんを、からかうもんじゃないよ!」


鋭い叱責が飛び、ひとりの老女が現れた。花売宿の女主人だ。女主人はユンユを見るなり、目を大きく見開いた。


「……ユンユ、お前、ユンユじゃないか?」


「まさか、グローリア叔母さん……」


ユンユの口から数年ぶりに、懐かしい名前が呟かれた。



* * *



「アンさん、すごいですね~」


ナアダは声援が飛び交う観客席から、いつものようにのんびりとした口調で言った。

アンは1度も剣を抜いていない。足払いをしたり、軽く押したりと、相手の力をうまく利用して、次々と筋骨隆々の猛者たちを倒していく。


「あの、銀の甲冑の人も強いわ」


素人目でもわかるほど、アンと銀の鎧の人物は群を抜いて強い。


「何者でしょうか~?」


「只者ではないわね」


「もしかして、あの銀の甲冑の人が――」


例の噂話が、ナアダの脳裏によぎった。まさかとは思いつつも。


「……英雄クリシナ?」


ナアダの心を読んだように、妻がナアダの言葉を続けた。


「……ふふふ、まさかね~、英雄クリシナが参加している話は、良くある只の噂話ですよ~」


「ええ、そうね」


2人の間に微妙な沈黙が下りた。


「……それにしてもラズ先生とユンユ君どうしたんでしょう。アンさんがんばっていますよ。ラズ先生早く来てあげてください」


アンが先ほどから、観客席を見て、ラズを探しているのを、ナアダは胸の詰まる思いで見ていた。



* * *



「久しぶりだね、ユンユ、元気だったかい?」


「……はい」


ユンユとグローリアは、女たちを追い払い、2人っきりで静かに喋っていた。

豪華な内装の部屋に、ユンユは落ちつかない思いだった。また、グローリアと会うとは思ってもいなかった。彼女は戦乱の中で、行方不明になっていたのだから。


「今はお医者様の弟子だってすごいじゃないか。娼婦から産まれた子供が戦を乗り越えて、今やお偉いお医者様とはね」


「……偉くなんか、ないですよ」


ユンユの母親は、グローリアの経営していた花売宿の娼婦だった。父親は知らない。美しく客の耐えることない人だった故、誰が父なのか、本人さえわからなかったのではないだろうか。


「……ユンユ、おっかさんを、恨んでいるかい?」


1度も母親らしいことをしなかった母。顔さえ思い出せない。


「あの子はね、うちらが止めるのを無視してお前を産んだんだよ。娼婦は子供が出来たら流してしまうのが掟だ。身ごもっている間、商売が出来ないだろ、あんたの母親は稼ぎ頭だった。私は産むのを止めろと言ったんだよ、娼婦の子として生まれた子に、まともな将来は望めないって」


グローリアは昔を懐かしむように笑った。


「あの子はお前を産んだ。産んだ後は稼ぎを取り戻すかのように、しゃかりきに客を取っていたもんさ。あんたのおっかさんは、母親らしいことは何もしなかったのは、あんたに遠慮していたからさ、自分みたいな人間が、真っ白で無垢な赤子を抱きしめるのは残酷だって言ってね。でもね、あんたを産みたくて産んだのは間違いないよ」


「…………」


ユンユの脳裏に浮ぶのは、鏡越しに写る母の紅い唇。


「ユンユ、産まれてきてよかったかい?」


ユンユは母を恨んだこともあった。自分が惨めに思えて、母を恨むことで、己を正当化しようとした事もあった。しかし、そんな醜い思いは、のどかな村が、春雪のごとく解してくれた。それでも時々、忘れ霜のように胸に刺すモノがあった。


「…………僕を産んでくれた母には、感謝しています」


今は心からそう思える。グローリアは、そうかい、と言うと、静かに微笑んだ。2人の間に穏やかな風が流れた。すると薄手の衣をまとった女が、部屋にひょっこり顔を出した。


「ちょいっと、お話中に悪いんだけどね、カオ老子、おひとりで帰っちゃたよ」


「ええ!?」


あの狸爺! 男ひとり、女の園に取り残されて、ユンユは心の中で悪態をついた。


「そんで、ハンサムなお弟子さんに、コレを渡しといてってさ」


女はユンユに2枚、手紙を渡した。ひとつはユンユ宛、もうひとつは師匠宛、ラズにだ。


ユンユは手紙をざっと読むと、王都に来て、医学の勉強をしてみないか。という誘いだった。


(王都?)


――王都の医術学院に3年通えば、宮廷医師の試験が受けられる資格を得る。どうじゃ、ワシが推薦してやる。お前さんほどの腕があれば、学院に受かる事は、まず間違いない。1度、ワシを尋ねて王都へ来い。



「ねえ、ハンサムさん。あたし胸が痛いの、診てもらえない?」


「あ、ずるーい。私も診て貰いたいわ」


薄絹をまとった女たちが雪崩れ込む様に、部屋に入ってきた。


「…………」


ユンユはグローシアに困ったような視線を送った。しかしグローシアは誇らしそうに頷くだけだ。ユンユはため息を付くと、姿勢を正して、医者の顔になった。


「わかりました。ひとりずつ並んでください」


今、ユンユは人生の岐路に立っている。



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