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恋の狩人 ―2―

春眠……


春ってのは、どうしてこんなに眠いのだろう。


窓から差し込む朝日が眩しい。小鳥のさえずりが、爽やかな朝を告げる。


ラズは枕を抱えて、むにゃむにゃ。


「先生! ラズ先生!」


朝の静寂を破るユンユの声に、ベッドから飛び起きたラズは、寝間着の上に簡素な上着を羽織り、医療鞄を片手に、裸足で飛び出した。


「ユンユ! スーリャが産気付いたの? それとも長老がついに? ククルの所の夫婦喧嘩?」


「先生、落ち着い下さい」


家の戸口に立ったユンユは、朝日に金髪を輝かせ、呆れたように、宝石のような碧の目玉をぐるん、と回してみせて、ラズの靴を差し出した。


まったく男にしとくには勿体ないほど端正な顔をしている。朝日を浴びるその肌には、そばかすひとつ無い。どんなに日焼けしても、白い肌のままだ。


「うん、ちょっと深呼吸するわ」


スー、ハー、と朝の冷たい空気を吸い込み、5年間愛用している革の靴を履いた。


そう言えば、昨日、村長の家から我が家へ、生き倒れの男を運んだんだった。男を台車に乗せて、運んできたダトンは、心配だから。と昨晩は泊まったのだ。


「それで、どうかした?」


「昨夜、先生がダトンと連れてきた男が、行方不明です」


「何ですって!?」


「朝起きたら、ベッドはもぬけの殻でした」


しかしベッドはまだ暖かく、近くに居るはずだ。


「ダトンは?」


「まだ、高いびきです」


「ダトンを起こして、この辺りを捜して貰って。ユンユは家で待機!」


「僕も捜しに行きます!」


意気がる歳頃のユンユは、自分が捜索に回れないのが歯痒いのだ。


「私達、全員が捜索に出るわけには行かないのよ。誰かが連絡係として家に居てほしいの。ユンユ、頼りにしてるわよ」


そう言うと、ラズはユンユに背を向けて、走り去った。




ユンユはその背中をじっと見つめた。朝日を浴びたラズの赤茶けた髪は、赤く燃えているようだ。小さな身体には驚くほどのバイタリティーがある。


7歳の時からあの背中を見つ続けてきた。何度、手を伸ばし、抱き着きつきたいと思っただろう。


いや、1度だけ抱き着いたことがある。ラズを永遠に失うと感じた瞬間に、必死にしがみついた。


ユンユにとってラズは絶対的な存在だ。


命を救ってくれた騎士。生きる力を与えてくれたラズ。


騎士になりたい、と思ったのも、戦場を巡り、負傷者の治療にあたるラズを守りたいからだった。患者を亡くした夜に、ひっそりと涙を流すラズを、ユンユは物陰で静かに見守ってきた。しかし、ラズはそれを知らない、知らなくていい……。


ユンユは部屋に入ると、呑気に床で寝ているダトンを蹴り起こした。



* * *



ラズは、森の中をまっすぐ湖に向かった。


不思議と、こっちに行けば彼が居るような、という感覚があった。


ラズは魔力もないし、第6感が優れているわけでもない。核心があるわけではないし、あやふやな感覚だ。

それでも、足は止まらない。


しばらく歩くと、森が拓けて、朝日に輝く湖が見えてきた。


水面に朝日がキラキラと踊り、爽やかな空気が通り抜ける。水鳥が泳ぎ、幻想的な雰囲気をかもしだしている。何度見ても美しい光景だ。目を細め、辺りを一望する。



――居た。



男は腰まで水に浸かり、身体を洗っていた。均整のとれたブロンズ色の美しい体が、朝日に輝いてる。優雅でしなやかな黒ヒョウが水浴びしているようだ。


(あ〜あ、包帯までびしょ濡れにして)


普通なら、キャーと、悲鳴をあげて、目を隠すなり、逃げるなりするのだろうが、ラズは憧憬の眼差しを向け、どうやったらあんなに美しい身体になるんだろうと、考えていた。


「いつまで見てる気だ?」


男がニヤリッと笑った。その声は、低く、耳に心地良い。


「あら、ごめんなさい」


ラズは180度向きを変えた。その顔は、ほんのり色付いている。


「ここはどこだ?」


背後から男の声がする。


「ここは、ココモ山の山裾にある小さな村よ。嘆きの岩に倒れていた貴方を見つけた者が、ここまで運んだのよ。私は、ラズ。村医者よ。貴方の名前は?」


「……名前」


「そう、名前」


「……思い出せない。自分の名前がわからない」






――その男は、記憶を失っていた。



* * *



朝の騒動が一段落つくと、ラズ、ダトン、ユンユ、記憶喪失の男は小さな食卓を囲んだ。


朝食は焼きすぎの硬いパンと、野菜のスープ。3人の食べ盛りの男性陣は物足りなさそうだ。



「記憶がないのは大変だべ、何かわからない事があったら、オイラに言ってくれ」


と、ダトン。


「本当に記憶がないの? 犯罪者か何かが適当な事を言ってるだけじゃないんですか」


と、ユンユ。


「頭を打つと、記憶が無くす事もあるわ」


と、ラズ。


記憶を無くした男は、ボリボリと、髭を掻いている。

自分の名前も、どこの出身も、何故嘆きの岩に居たのか、そして、どこに行くつもりだったのか、全てを忘れていた。


しかし、男は焦る事も、落ち込む事もない。ラズとしては、下手に落ち込まれるよりは助かるのだが、記憶喪失の“ふり”をしているのではないか? という懸念が頭をもたげる。しばらくは、監視することに越した事はないだろう。


「頭以外に痛む所は無いかしら?」


「いや、大丈夫だ」


「それと、家から出かける時は、私かユンユに声をかけてからにしてちょうだい」


「わかった」


男は、ボリボリと頭をかきながら答えた。今朝は身体が痒くて痒くて、堪らなかったそうだ。確かに何日も、風呂や行水に縁がなさそうな風貌をしている。顔がまったく見えない、ボサボサ頭の髭面に、しらみやノミが居たとしても驚かない。



「ラズ先生、スーリャが来てます」


外の井戸で洗いものをしていたユンユが、スーリャを伴い戸口に現れた。大きなお腹を抱え、片手には大きな籠をぶら下げている。ダトンはスーリャの元に、すっ飛んで行き、抱擁を交わす。相変わらずの愛妻家ぶりだ。


「先生、これ、お義母様から」


と、スーリャは籠を差し出した。大きな籠には大きなパンと、肉の薫製、木苺のジャムが入っていた。


「うちの旦那様は沢山食べるから、先生に迷惑かけてるんじゃないかって心配してたんだべ」


「う〜ん、美味しそう。ユンユ、サンドイッチにしてくれない」


「いいですよ」


今朝の朝食に物足りなさを覚えていたユンユは、早速、二の腕をまくりあげた。


スーリャも手伝おとしたが、ラズとダトンに強制的に椅子に座らされた。そして、テーブルを挟んで座っている男に気づいたのだ。


「あら、あんさん。目が覚めたんだね」


「あんさん?」


「この辺りの方言で“貴方”という意味よ」


男の疑問に、ラズが答えた。


「名前が無いの不便だから“アン”さん。にしませんか」


パンを器用に切り分けながらユンユが言う。なんて安直なんだ。と皆が思ったものの、男がそれで良い、と納得。


記憶喪失の男はアンと命名された。


「アンさんの服、洗っちょいただべ。ほつれていた所はお義母様と(つくろ)いといたべよ」


スーリャはにっこりと、アンに服を手渡した。


「ダトンはいい嫁を貰ったわね」


ラズがしみじみと言った。


「んだ! オイラには勿体ないくらいだべ」


と、照れながらも、心底幸せそうなダトン。彼が結婚前に己の足の事や、亡き戦友への後ろめたさから、悩み苦しみ、マリッジブルーになったのをラズだけが知っている。


「スーリャ、調子はどう?」


「はい、私も赤ちゃんも元気だべ」


スーリャの笑顔は輝かんばかりだ。ラズもつられて、にっこり笑った。


村長が骨折してからこっち、村長の奥さんとスーリャは介護に家事にと忙しく、疲れを貯めているのでは? と心配をしていた。


ダトンも今回は街への買い出しは辞める、と言ったのだが、スーリャに笑顔で送り出されてしまったのだ。


村では、春になると豊饒の神に豊作を願う、春の祭が行われる。その祭りに欠かせない“花餅”には、どうしても砂糖が必要なのだ。


春の祭を楽しみにしている村人のために、街で砂糖を買ってくるのが、次期村長の勤め。それがスーリャの考えだった。


頑張り過ぎるのが玉に傷のスーリャ。ラズは心配で堪らなかった。


しかし、医者であるラズが不要に心配すると、スーリャも不安になる。


スーリャには心身ともに、健康であってもらいたい。


「スーリャ、臨月なんだから無理は禁物よ。健やかな赤ちゃんを生みましょうね」


ラズはスーリャの手を包むと、優しく微笑んだ。


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