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花の繭 ―7―

交易が盛んな港町は、さまざまな人種や民族が行き交いし、活気にあふれている。

沖に停泊した巨大な帆船に海鳥が止まり、海賊まがいの船から政府御用達の交易船、地元の漁船などで海はひしめき合っている。

潮の香りと喧騒の中、人にぶつからないように歩くのは困難だ。


「相変わらず、賑やかね」


ラズは、喧騒に負けないように、声を張り上げた。


「何だか、いつもより人が多くありませんか?」


ユンユは荷物を()られないように、しっかり抱え込んでいる。アンは腰にククルの剣が挿してあるのみだ。ソーパは慣れた様子で、ひょいひょい人を避けて歩いている。


「そうね。何か催し物でもあるのかしら?」


港町には闘技場も設備されており、腕自慢の猛者が賞金と名誉を懸けて戦い、競い合うのだ。この時ばかりは、貴族も庶民も垣根を越えて、賭け事に熱狂するのだった。


しかし、格闘大会の時期ではないはず。とラズは首を捻った。


「宿屋が空いているでしょうか?」


ユンユの言葉に、ラズは辺りを見渡した。街道を賑わう観光客。人出の多さに宿が空いているか不安になる。


「あら、お兄さんたち宿を探しているのかい?」


客引きの女性が、アンの肩にしな垂れかかって来た。

アンやユンユは町に着いてから、頻繁に女性たちから声を掛けられる。金髪碧眼のユンユは、若い女性の視線を集めるが、アンは男女問わず視線が注がれる。アンには人を惹きつて止まない不思議な魅力があるのだ。


女性に声を掛けられたアンは、ラズに物言いたげな視線を送ってきた。


(いったい何が言いたいの?)


ラズは旅の疲れを取るために、早く宿屋を取りたかった。


「宿代はいくらかしら?」


ラズがあだっぽい女性に声を掛けると、怪訝そうな顔を向けられた。あんたは関係ないのよ、という声が聞こえてきそうだ。“あいまい宿”のお誘いだということに気づかないラズに、アンもユンユ、ソーパさえおろおろ焦っている。


「や、宿を取るなんて、水くさいですよ。ぜひ私どもの店にお泊り下さい」


「あら、いいの?」


「もちろんですよ!」


番頭、でかした! とアンとユンユは、ソーパに心の中でエールを送った。ソーパが胸をなでおろした時。


「あんたみたいに良い男なら、無料で泊めてあげるよ」


あだっぽい女は、アンの腕を真っ赤な爪で愛撫した。それを聞いたユンユが、一瞬だけ人の悪い笑みを浮かべ。


「それはいいですね。僕たちはソーパさんのお世話になりますから、アンさんはそちらでお泊り下さい。お店に大勢で押しかけるのは、ご迷惑でしょうから」


ユンユが微笑んで言った。それは穢れを知らない天使の微笑だ。それなのに、異様な威圧感があり、空気を敏感に読み取ったソーパは、冷や汗がにじみ出るのを感じた。


「確かに、そうよね」


ユンユの言うことには一理あるわ。とラズは思ったのだが、アンが女の腕から逃れ、ラズの肩を掴み、引き締まった胸に抱き寄せた。


「すまんな、俺は愛妻家なんだ」


「誰が妻、もがっ」


誰が妻なのよ、と怒ろうした時、アンの口がラズの口を塞いだ。ラズがいくらアンの腕を振り払おうとしても、力強い手が背中に回され、身動きがとれない。

野次馬たちがはやし立てる声が聞こえ、あだっぽい女の怒っている声もする。路上で口付けなんて恥ずかしすぎる。ラズの顔は茹でた(たこ)のように真っ赤に染まった。

唖然と見ていたユンユの毛が逆立った。策士策に溺れた瞬間だ。


「さあ、ソーパ案内してくれ」


艶めいたアンが満足そうに言うと、ソーパが声もなくこくこく頷き、人垣を割っていく。あだっぽい女は未練がましくアンに、その女に飽きたら、いつでもここにいらっしゃい。と住所の書かれた紙を渡した。



* * *



ソーパの案内した店とは、レンガ造りの超弩級(ちょうどきゅう)の工場だった。蚕や繊維を煮る巨大鍋、水車を利用した大きな糸巻き機、何十台の機織機、せわしなく働く人々が店の繁栄ぶりを思わせる。


「ラズ先生、あんまり大きな口を開けていると、ほこりを食べてしまいますよ」


ここが村長の奥方の実家なの? と口をあんぐり開けて驚いていたラズに、ユンユが小声で話しかけてきた。ソーパに言わせればコレはほんの一部らしい、更に蚕の家や、蚕が食べる桑の畑。糸に色をつけたり、洋服を作ったり、絨毯を織ったり、そして交易にも余念がないそうだ。その富は想像をはるかに超える。

奥方はこの富を全部捨てて、村長の元へ嫁いだのよね、とつらつら考えていると、女性の怒声が響き渡った。


「この1ヶ月、無断で休んでおきながら、いきなり帰ってきて客を泊めろ? ソーパお前は無断欠勤でとっくに解雇になっているよ、厚顔無知とはこのことだね」


厚化粧の妖艶な女がソーパを店の外に放り出した。女は第二の皮膚のようなぴったりとした服で、胸の大きい官能的な身体を包み、大きく開いた胸の谷間には豪華な宝石が輝いている。スカートのスリットから、曲線美の美しい足を惜しげなく見せている。

店の前には何事か、と騒動を嗅ぎつけた野次馬が群がり始めた。


「ま、待ってください。私はちゃんと休暇届けを――」


「ああ、確かに休みはとってあったさ、1週間だけね! お前は1ヶ月いなかったんだよ」


「それは、私が道に迷って――」


「言い訳は結構!」


「わ、若奥様」


「おとといきやがれ!」


妖艶な女は啖呵を切ると、踵を返し店の中に消えていった。野次馬たちも騒動が終れば、興味を無くして退散し、後は地面に座り込んでいるソーパがぽつんと残った。


「ソーパ、大丈夫?」


「……解雇(かいこ)(かいこ)回顧(かいこ)


ソーパはショックで頭のネジが飛んでしまっている。ラズはソーパの肩を揺さぶった。


「しっかりしてちょうだい!」


ソーパは、ぼんやりと視力の弱い瞳にラズを映した。

しかし、ソーパはラズを見ていなかった。ソーパの眼球がぐる、と上を向き、白目を剥いたと思ったら、ラズのほうに倒れてきた。

寸前のところでアンがソーパの体を支えた。ソーパは疲労とショックで気を失ってしまったのだ。


「大変、早く休ませてあげなきゃ」


辺りを見渡すと、再び野次馬が集まってきている。


「あ、やっぱり〜、ラズ先生とアンさんとユンユ君」


野次馬の中から、見知った顔が現れた。


「ナアダ先生!」


優しい笑顔で優雅な物腰、頭髪の薄いナアダは、村の学校の先生。その隣は黒髪の絶世の美女、ナアダの奥さんだ。


「やあ〜、ラズ先生」


「どうして、ナアダ先生と奥さんがこちらに?」


「今、農繁期でしょ〜、子供たちもお手伝いが忙しくて。だから村の学校は春休みにして、私たちは町まで買い出しです」



* * *



「部屋がひとつしか空いてないの?」


嬉しい悲鳴です。と手を揉みながら謝る宿屋の亭主に、ラズはひと部屋でかまわないと告げた。それに難色を示したのは以外にもナアダだった。


「ラズ先生、すみません。私が紹介したのに……そうだ、良かったら今晩、夕食をご馳走させて下さい〜」


「そんな、お気になさらないで下さい。今まで野宿でしたから、屋根の下で眠れるだけで幸せです」


ナアダと出会ってから、事の顛末を話すと、自分たちの泊まっている宿に、まだ空きがある。と言うので、案内してもらったのだ。

宿屋は、海辺に近いため、潮風に強いずんぐりとした石造りで、窓が小さい。

1階が酒屋で2階が宿屋だ。人通りの多い町並みからは少し離れた場所にあるため、普段は人の出入りが少ないようだ。


ラズはソーパを早くベッドで寝かせてやりたかった。

勘定は前払いだ。カバンに手を突っ込み、財布を取ろうとした。


「…………あれ?」


ラズはカバンに両手を突っ込んでガサガサ探した。

ない、ない! 財布がない!! 荷物を全部床にばら撒いても、財布が見つからない。


――あっ! あの時だ。


ソーパが店から投げ飛ばされた時、ラズは注意力が散漫だった。野次馬に紛れてスリが、ラズのカバンから巧妙に財布を掏ったのだ。


「やられたあああ」


「ラズ?」


頭を抱えるラズを、アンが心配そうに覗き込んだ。


(そうだ! アンさんに無料で泊まらせてくれるって言っていた人がいたわよね。無料ってのは怪しいけど、今は背に腹は変られないわ)


ラズは勢いよく起き上がると、アンの腰に手を突っ込んで、住所の書かれた紙を取り出した。アンとユンユが声を揃えて、あっと叫んだ。その住所のところに、ラズを泊めるわけにはいかない。そこは男性が楽しむ“あいまい宿”なのだから。


その時、天の声が降ってきた。


「ラズ先生、良かったら、私たちと相部屋しませんか?」


ナアダの奥さんが、2階を指して言った。


「え?」


「そうですね〜。ソーパさんにベッドを使ってもらって、あとの男性陣は雑魚寝すればいいですから」


「そんな、お客さん困ります! 宿賃を払って頂かなきゃ」


ナアダの奥さんは、宿屋の亭主の方に流し目を送り、艶冶(えんや)な微笑を浮かべると、吐息のように囁いた。


「いいでしょ?」


鼻の下を伸ばした亭主は、もちろんです。と現金な返事を返してきた。

ラズは2階に登る階段で、後でお支払いします。と心の中で謝ったのだった。




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