花の繭 ―6―
次の朝、ラズは胸騒ぎをおぼえて、目を覚ました。
(月影花、どうしたかしら?)
月影花は猛毒が有る。誰かが間違って口にしたら大変だ。早く起きて、月影花を探さなくては。
ラズは上着を羽織ると、青空の下に出た。
昨晩はこの辺りに、花守が居たはずよね、風に飛ばされていなかったら、この近くに落ちているはずだわ。と地面を見つめながら歩いていると、どん、とユンユにぶつかった。
「大丈夫ですか、ラズ先生」
ラズはおでこを摩りながら頷いた。
「この辺りに、月影花が落ちてなった?」
「月影花ですか? いえ見ませんでた。ですが繭は見かけました」
「……繭?」
何のことだろうと、ユンユを見ていると、ユンユは視線を動かした。ユンユの視線を追っていくとそこには。
――馬車の大きさぐらいありそうな、純白の真綿に包まれた大きな“繭”があった。
「…………!!」
ラズの目が限界まで見開かれた。たまげて声もでない。
「僕も最初は何なのか、よくわからなかったんです。大きな卵でもあるのかと思いました」
確かに卵にも見えなくは無いが、こんな大きな卵も見たことない。
「……繭って、こんなに大きい物だっけ?」
「いいえ、普通は手の平サイズの大きさです」
「そうよね」
ラズはおずおずと繭に触れてみる。やさしく暖かな絹の肌触り。
「今、アンさんが花守を探しています」
ユンユのの言葉に、ラズは辺りを見渡した。
――花守の姿が見えない。
「花守は?」
「朝から見当たらないのです」
「!!」
森に帰った? いや、もしかしたら……
ラズは繭を見上げた。
「花守は見つからなかった」
森から帰ってきたアンの言葉だ。
ラズとユンユ、そしてアンは巨大な繭を見上げた。
「普通、哺乳類は“さなぎ”になったりしませんよね」
「そう、その通りよユンユ」
「花守は哺乳類なのか?」
アンの疑問に、ラズは正確な答えを返せなかった。
「……鳥類かも知れないわね」
花守には空を飛ぶ羽がある。鳥類か哺乳類の違いは、卵で産まれるか、異かなである。
「ラズ先生、悩むところが違います。どっちにしたって鳥類もさなぎにはなりません」
ユンユの冷静な突っ込みに、ラズは物凄く納得してしまった。
「状況を整理すると、花守が居なくなって、この大きな繭が現れたって事は確実なのよね」
アンとユンユが大きく頷いた。
「それじゃあ、花守が繭になったと考えるのが1番妥当なのね」
ラズはそう呟きながら、大きな繭に顔を摺り寄せると、春の果実の香りがする。
――トクン、トクン
微かに鼓動の音。
――生きている。
ラズは繭の中に花守の存在を感じた。
何が起こったかは、まだ良くわからないが、今は花守が生きていることに、胸を撫で下ろした。
ラズが繭に寄り添って鼓動の音を聞いていると、村長の奥方の素っ頓狂な声が聞こえた。
「何この大きな卵!? 村のみんなで食べれそうな、大きなカステラが出来るわ」
奥方は興味深そうに、繭を見上げている。
「食べちゃ駄目ですよ。それにコレは繭です。たぶん……」
「繭と言ったら大旦那様です」
奥方の横に、誇らしそうに言うソーパが現れた。大旦那様のことを尊敬している口ぶりだ。
「大旦那様?」
「私の父のことよ。父は豪農に産まれて、養蚕で大成功してね、大金持ちになったの。父は研究熱心の性格で、大量に量産することに成功したの。強い糸を作ったり、美しい糸を作ってみたり、実験には余念がないわ」
「はい、大旦那様はとても研究熱心なお方でして、羽化に適した温度、湿度、また繭を使った人間用の薬など研究の幅を広げられております」
「早い話が、私の父に繭の研究で右に出るものはいないのよ」
奥方の言葉にラズの心は決まった。
「私、その大旦那様に会いに行きます!」
ラズはきっぱり言い切る。
「いいでしょう奥方、私その大旦那様をこの村に連れてきて、この繭を見てもらいたいの、ちゃんと羽化するかどうか、じっと待っているのは私の性分じゃないわ」
奥方はにっこり笑い、うん、と大きく頷いた。
「ありがとう、私はラズ先生たちに父の所に行ってきて欲しいと頼みに来たの」
奥方は、こいつも連れて帰ってやって、とソーパの背中をドンと叩いた。
* * *
「さあ、早速準備よ」
ラズは家の中に入ると、路銀や衣服を用意した。荷物は出来るだけ最小限にしたい。
「ユンユ、余っている乾燥した薬草を売るから用意してちょうだい」
「はい」
ラズは時々町に下りて、乾燥した薬草を売り、町でしか手に入らない薬を買って帰ってくる。いつもは1番近い町に売りに行くことが多いのだが、今回はついでと言うことだ。
「あら、ユンユ、その眠り薬は売らなくていいわよ」
棚から緑色の小瓶を取り出しているユンユが、ラズを見て優しく笑った。
「確か、村長の奥方の父親は頑固で大柄な人でしたよね」
「そう聞いているわ」
「今回は、村をあまり空けておきたくないですよね」
「………………うん」
頑固な老人、眠り薬。この組み合わせにラズは嫌な予感がした。
ユンユは交渉が決裂した場合、大旦那様に手っ取り早く眠り薬を飲ませて連れ出す気だ。
ラズの顔が引きつる。
「大丈夫ですよ。あくまで最終手段ですから」
にっこり笑ったユンユは無垢な天使のように見える。
この時、ラズは初めてユンユの腹黒さを垣間見たのだった。
着の身着のままのアンは、荷造りする必要がないため、花守の繭の近くに座っていた。
「ヒャッヒャッヒャッヒャ」
愉快な笑い声が響く、この独特な笑い方は長老だ。
「港町に行くんじゃて」
「相変わらず耳が早いな爺様」
「コレを持って行け」
長老がポン、と投げて寄こしたのは、ククルの折れた剣だ。
「折れてしまった剣じゃが、腰に挿しているだけ役に立つ。ククルはこの辺りの村人を山賊から守る用心棒みたいな事を時々しとるんじゃ。山賊はククルの剣を見てビビッて逃げるわい」
10年にも渡った大きな戦が終わり、国に平和がもたらされたとはいえ、未だ、納得のいかない血気盛んな荒くれ者や、貧困に喘ぐ人たちが、暴挙や山賊まがいのいざこざを起こしている。時代は混乱の渦の中にいるのだ。
「壊すのは一瞬じゃが、再興するには時間が掛かるわい」
長老はそう言うと、ヒャッヒャッヒャッヒャと笑った。
アンはククルの折れた剣を握り締めた。平和な村には不必要な剣は、鈍い光を放っている。
「港町に関して、面白い噂話を聞いたわい」
「噂話?」
「お偉い人間が来るとか、来ないとか。アンさんの静かな暮らしも今日までかも知れんな」
ヒャッヒャッヒャと笑う長老を見て、アンは不敵に笑った。
「俺は今までの人生で、静かな暮らしをした覚えは無い」
アンは花守の繭を指差した。
「ヒャッヒャッヒャ、その通りじゃったわい」
アンの笑みに、長老の笑みも深くなった。
春の澄んだ空の下、ラズはアンとユンユ、そしてソーパと共に港町へ出発したのだった。