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花の繭 ―4―

崖から落ちたラズの体は、恐ろしい速度で風を切り裂く。走馬灯に耽る時間さえない。



「――きゃ!」



落ちたら痛いだろう、と瞬時に頭を廻らせたラズは、白くてふわふわした雲の上に着地した。


(……痛くない、ここは天国かしら?)


ラズはいまいち状況がつかめないまま、自分は即死だったのかしら? とぼんやりと考えた。


「ラズ、大丈夫か?」


アンの声にラズが振り向く、そこにはまぎれもなく花守に乗ったアンがいた。そう、雲だと思ったのは花守の背中だったのだ。

アンが漆黒の黒髪をなびかせ、黒に近い金の双眸を持つ端整な容貌で花守を駆る姿は。


「…………堕天使みたい」


ラズが小さく呟いた声は、アンには聞こえなかったようだ。


「ラズ?」


「……何でアンさんが」


ショックの覚めやらない頭が、きちんと働かない。ラズは瞬きを繰り返した。


「俺たちは、“春の果実”を採ってきた帰りだ」


アンは花守にくくりつけられている、大きな急ごしらえの籠を指差した。中には山盛りの春の果実が輝いている。


「半分は花守が食べてしまったんだが、コレだけあれば満足だろう」


満足も何も、またご近所に配って回らなければならない。限度というものを知らない男だ。


「で、ラズはどうして、崖の上から落ちてきたんだ?」


その声に、少し怒りが含まれていたのを、ラズは敏感に感じ取った。ラズは徐々に落ち着きを取り戻し、事の次第をアンに話した。


「……ごめんなさい、花守を森に帰せだなんて、私が軽率だったわ」


「花守はもう森には帰れないさ」


「そっか、アンさんは、わかっていたんだ。私が追いかけていく必要なんて無かったんだね」


今日は厄日だ、そう思わずにはいられなかった。


「そうさ、俺たちが通りかからなければ、どうなっていたと思う」


その言葉にラズはぞっとした。今更恐怖がこみ上げてくる。ラズはぶるっと体を震わせて、自分自身を抱きしめた。緊張がほどけて、目じりに涙が溜まってきた。


「怖かった……」


「……ラズ」


アンの声にラズが蒼白の顔を上げると、親指に腹でそっと涙を拭ってくれたアンは、すかさず無遠慮に唇を重ねてきた。


「んん!」


甘酸っぱい春の果実の味が口に広がる。ラズは右手を振り上げて、思いっきりアンの頬を叩いた。その拍子にアンが花守から落ちた。ラズの見間違いでなければ、ひゅるるるると落ちていくアンはニコニコ笑っている。


「きゃああ、アンさん! この高さから落ちたら、いくらアンさんでも助からないわ!」


ラズの狼狽をよそに、花守は優雅に旋回して、アンを空中で見事に受け止めた。アンと花守は、戯れているように見える。


「ハハハハハハ、楽しいな」


「楽しくないわよ!」


アンと居たら、心臓がいくつあっても足りない。


笑っていたアンは、ふと真剣な顔に戻り、ラズの頬に手を添え、親指で優しくラズの頬を撫でた。


「俺だってラズが崖から落ちたとこを見て、肝がつぶれる思いだった。思い出すと手が震える」


「……アンさん」


アンはラズの瞳を見つめながら、赤茶色の髪を()いた。


「待つ、と決めていた。しかし、もう待つのは止めることにする」


アンがラズの手をもち、手の平に口づけを落とし、金色の瞳に炎を宿る。


――逃げられない。


ラズの体が金縛りにあったように動かなくなった。ラズの手を握るアンの手に力がこもる。


と、その時、花守が急降下して、咲き乱れる花々の間をすり抜けていった。花嵐が起こった様に、乱れ散る薄桃色の花びらがラズとアンをそして花守を包む。


「花守が、仲間はずれにされて悲しんでいる」


「花守の気持ちがわかるの?」


「なんとなく」


なんとなく、ね。やっぱりアンさんはすごい、とラズは妙に関心してしまった。


「さあ花守、好きなように飛んでみろ」


アンの声に反応するように、再び上空に翔け上がった花守は、楽しそうに、旋回する。


胃の中身が空っぽでよかったわ、と思うようなハチャメチャな飛び方だ。その割には、春の果実は篭の中にきちんと納まっている。


「花守の名前、考えなくちゃね。それで、この子は男の子? 女の子?」


「……………………あみだで決めるか」


「性別をあみだくじで決めちゃ駄目でしょ。この子はたぶん、女の子だと思うわ」


気持ちはなんとなくわかっても、性別はわからないなんて、なんだか可笑しいわ。とラズは頬を緩めた。


「女の子? それは、医者としての見解か?」


「いいえ、女は甘いものが好きなのよ」


得意そうに微笑んだラズは、春の果実をつまみ食いした。



後に、ラズの勘は間違いなかったことが、とんでもない事件が起こり、証明されることになったのだ。



* * *



家に帰ると、食卓に見知らぬ男が、腕に包帯を巻かれて、湯気の立ちのぼる野菜のスープを飲んでいた。


「こんばんは、お邪魔しています」


男は(よわい)40代あたりだろう。長身痩躯で、服は長く旅をしてきたのか大分くたびれいてる。気の弱そうな男だ、それが第一印象だった。


この村で村人以外を見るのは珍しい。


「どちら様?」


「こちらの家主様ですか? 恐れいします、わたくし、港町のとある豪商の番頭を勤めさせていただいている、ソーパと申す者なのですが……」


人を探して、この村に向かったものの、眼鏡をなくし、森の中をさ迷い歩いていたところ、ユンユに熊か何かに間違われて、ナイフでざっくり刺されたという。

ユンユは何度も謝って、丁寧に治療を済ませて、夕飯までご馳走になっているそうだ。


ユンユは申し訳なさそうな表情で、スープのお代わりをよそっている。ラズは今日は間違いなく厄日だわ、と思いながら貧乏神のような風貌の男に声をかけた。


「そう、それはお気の毒にでしたね。それで、探している方と言うのは……」


「はい。リ・ランお嬢様です」


ラズはユンユと顔を見合わせた。貴族のような名前だ。思い当たる節がない。


「この村には、そういった方はおられないと思いますよ」


「はい、先ほどユンユさんにも言われました。しかしこの辺りの小さな村に居られると聞いたのです」


ソーパは必死に食い下がった。


「どういったお方なのかしら。リ・ラン様という方は」


「はい、リ・ランお嬢様は、聡明で美しく、高値の花のようなお方で……」


まさか、ヌエさん? お嬢様と言うには少し、お年が……、などとラズが不謹慎なことを考えているうちに、ソーパのお嬢様自慢は続いた。


「……それで、お嬢様は燃えるような恋を抱えて、旦那様が作られた監禁部屋から脱出され、全てを捨てて身ひとつで、愛おしいお方の元へはせ参じたのでございます」


――まさか。


ラズとユンユは微妙な視線を交わした。思いあたる人物がひとりいる。


「お嬢様は、現在もそのお方と仲むつまじくお過ごしだと、風の便りに聞きました」


ラズは、首にぶらさがっている、村長の奥方の掛香を外してソーパに見せた。


「これ、ご存知?」


目の悪いソーパは、眉間にしわを寄せて、掛香を鼻の先まで持っていった。


「っ!! コレはリ・ランお嬢様の掛香です。間違いございません」


聡明で美しいリ・ランお嬢様は、大柄で豪快な村長の奥方で間違いないようだ。




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