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恋の狩人 ―12―

スーリャの子供は、夜明けと共に元気な産声をあげた。


「スーリャ、よく頑張ったわね。立派な男の子よ」


ラズは、生まれたばかりの赤ん坊を、産着に包んで、スーリャの腕の中に戻した。スーリャのこめかみに暖かい涙が零れ落ちる。


「ありがとう、ラズ先生」


ラズは、スーリャの頭をねぎらう様に撫でてやり、汗ばむおでこに感謝の口づけを落とした。


「おめでとう、スーリャ」


耳元に囁くように声を掛けてから、姿勢を正すと、ゆっくり戸口をふりむいた。

そこには、心配で蒼白になった、ダトンが呆然と立っていた。


「おめでとう、ダトン。貴方お父さんよ」


その言葉にダトンの呪縛が解かれ、大柄なダトンは小柄なラズに勢いよく抱きついた。ラズの口からグエと蛙のつぶれたような悲鳴が漏れた。


「ありがとう、ラズ先生!」


ラズはギブアップと言わんばかりに、締め上げるダトンの腕をバンバン叩いた。


「く、苦じ~」


「おっと、すまねえべだ」


ダトンの歓喜の抱擁から解放されたラズは、ゴホゴホ、咳をしてから、うろたえているダトンの背中を思いっきり叩いた。


「しっかりやんなさいよ、お父さん」


そう言うと、親子水入らずにすべく、そっと部屋を後にした。

村長の家から出らラズは、朝露の香りを鼻腔一杯に吸い込んだ。



群青色の空に紫色の雲がかかり、まだ暗い大地から、茜色の地平線が見える。


黎明。新たなる夜明けがラズの心に静かに、しかし確実に染み渡る。

ラズは己の両手を見下ろした。この手に感じた、新しい命の温もり。確かな重み。自然に頬が緩んできた。


――命って素晴らしいわ。


「ラズ先生?」


1人で微笑んでいるラズに、遠慮がちに声が掛けられた。


「あら、ユンユ」


優しい微笑をたたえた金髪碧眼の美青年は、その目の下のクマが昨夜の激闘をしのばせる。


「お疲れ様です。ラズ先生」


「貴方も、私がいない間、とても良くやってくれたみたいね」


村長の奥さんに感謝されたわ。とラズは誇らしく思いがあふれ出た。


「ラズ先生が帰ってくると、信じていましたから」


それは心からの言葉だった。


「ありがとう」


「お疲れでしょう、後は僕が看ていますので、少しお休み下さい」


正直、まったく眠たくない。興奮しているからだろう。しかし身体は疲れているはずだ。自分の健康管理も大切だ。


「それじゃ、お言葉に甘えさせていただくわ。それと、アンさんは今どこに?」


「アンさんなら、我が家の裏に……」


ユンユにしては歯切れの悪い返事だ。それもそうだろう、ユンユを驚愕させたもの、それは、孤高の獣。花守。

あれは、ラズとアンが森を急いで下っていた時、花守が追いかけてきたのだ、殺される、と一瞬肝をひやしたものの、花守は背中を見せて、乗れ、と顎をしゃくって、合図を送ってきた。ラズとアンが花守の背中に乗って帰ってきた時は、村じゅうが大パニックになった。


その花守が、ラズが花餅を与えた個体だと判断したのはアンだ。ためしに花餅を与えると、うれしそうに食べた。孤高の獣の王者は、アンの手からうれしそうに花餅を食べたのだ。



* * *



アンは花守の美しい毛並みに指を通していた。柔らかい毛は猫のように気持ちよく暖かい。純白の獣に寄り添う、黒い騎士。光と影、近寄りがたいほど恍惚とした美しい光景だ。


「花守とは美しい獣じゃ」


飄々とした長老がひょっこり現れ、花守がグルルと威嚇する。花守はラズとアンにしか身体を触らせない。

アンは花守をなだめるように、首元に顔を埋め、優しく撫でた。かすかな花の香りが鼻腔をくすぐる。花守はうれしそうに喉を鳴らし始めた。

花守が現れて村じゅうが、大パニックになるなか、この長老だけが、まったく態度を変えなかった。


「どうやらアンさんは記憶を取り戻したようじゃの」


「!?」


何故、知っている。アンは鋭い一瞥を長老に投げた。


「ヒョッヒョッヒョッ、アンさんの背中がしょんぼりしておったから、もしかしてと思ったんじゃ」


(このじい様、鎌をかけたのか!)


食えない老人だ。とアンは心の中で毒ついた。


「……じい様は、俺が誰だか、知っているのか?」


「ホッホッホ、おかしなことを言う、アンさんはアンさんじゃろ」


長老が、高らかに笑い、一瞬虚をつかれたアンは、ニヤリと口角を上げた。


「この村は居心地が良いな」


のどかな村は、廻る季節をありのままに受け入れ、晴れの日も、雨の日も、自然の恩寵に感謝する。


「だからじゃろう、この村にはおのずと、背負いきれない過去を持つ者たちが集まってきおったわい」


「この村の住人で、国ひとつは動かせそうだ」


それだけの粒ぞろいが、この小さな村に居るのだ。


「ヒョッヒョッヒョッ、それだけの野心がある者は、この、のどかな村は退屈じゃろう」


「確かに」


平和を愛するこの村を害する者が居れば、とんでもない報復を受けるだろう。


「じい様もただ者じゃないだろ。今回もいろいろ根回ししていたようだしな」


「何のことじゃ?」


(とぼけやがって)


あの時、村から聞こえた歌。霊獣を呼ぶのに必要な、強き想い。2つそろった指輪。老人は全てを見通していたかのようだ。


「さて、アンさん、ワシからも改めてお礼申し上げる、スーリャを助けてくれてありがとう」


長老はいつもの飄々とした態度ではなく、宮廷の重鎮が用いるような、最敬礼のお辞儀を深々とした。その礼に辟易していたアンは素っ気無い態度をとった。


「別に、自分のしたい事をしたまでだ」


「それもそうじゃの」


長老はアンをからかうように片目をつぶり、孫を抱くように、優しくアンを抱きしめた。


「よう無事に帰ってきてくれた。おかえり、アンさん」


「……ただいま」


アンは長老の痩身を抱き返した。

花守がそんな2人をじっと見つめている。その花守の頭に、恋の狩人がチチチチチと止まる。



――俺の可愛い恋の狩人。


それは、今は亡き戦友の言葉。



* * *



「この櫛を私にくれるの?」


仮眠を取るため、帰宅したラズに、アンが質素な櫛を渡した。


「ああ」


「でも、この櫛はアンさんが記憶を無くす前から持っていた物でしょ。もしかしたら、誰かのお土産かも知れないじゃない」


「それは、ラズのための、たったひとつの櫛だ」


「私のため?」


「ブラフが婚約者のために、戦場で手作りした櫛なんだ」


ブラフ。ラズの初恋の人で、婚約者。


ラズは雷に打たれたような衝撃を感じた。震える手で櫛を握り締めた。


「ブラフとは、戦場で知り知り合って、直ぐに親友になった」


ラズの眼が涙で霞む。うすうすわかっていた事じゃない。


「ブラフはいつも婚約者のことを“俺の可愛い恋の狩人”と呼んでいた」


ブラフの櫛に大粒の涙が零れ落ちる。ラズは櫛を抱きしめて、嗚咽をもらした。



「この櫛を渡して、“愛している”と伝えて欲しいと、頼まれた」


愛している、この言葉をラズもブラフも口にしたことが無い、お互い若くて気恥ずかしかったのだ。しかし、こんな形で聞きたかったわけじゃない。


「うあああああああ」


ラズが泣き崩れた。悲痛な泣き声が、アンの胸を締め付ける。



会いたい、会いたい、会いたい、会いたい……。

お願い、誰か、お願い、彼に会わせて。



アンはたまらず、ラズをきつく抱きしめた。どこにも逃がさないように。



命は廻る、花が咲いて、種が出来て、枯れる。そして新たな若葉が開くように。人から人へ受け継がれる、命。無限の時のなかにある限りある命だから、愛おしい、今を一生懸命、生きて、その日々を記憶する。



――いつか貴方の思い出を、笑って語れるように。



ラズはいつの間にか、泣きつかれて眠ってしまった。

アンは掌中の珠のようにラズを抱き上げ、ベッドに横たえた。静かにその場を離れようとすると、ラズの手がアンの服を握り締めて離さなかった。

アンは嬉しそうに微笑むと、ラズのベッドに一緒に横になった。小さなベッドは2人で寝るには小さいが、重なり合うように寝れば、問題ない。


「ラズ、君は覚えていないんだね。俺たちは、遠い昔に出会っていることを」



* * *



ユンユが村長の奥方に、もう大丈夫だから、と言われて帰宅してみると、家の窓に3婆姉妹がへばりついている。


3婆姉妹はいったい何を見ているんだろう?


「おばあちゃん達、人の家を覗いて何をしているんですか?」


「しっ、静かにするべ」


お婆ちゃん達は人差し指を口の前に持っていき、視線で窓の中を見るように合図した。


「?」


ユンユが窓から覗き込んで、見たものは。


「同衾じゃ、同衾じゃ」


「添い寝じゃ、添い寝」


「ええの~、若いもんわ」


ラズとアンがひとつのベッドで折り重なるように眠っていた。

ユンユの堪忍袋は、疲れのため切れやすくなっていた。


「起きなさあああい!」


ユンユの怒声がのどかな村にこだました。


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