恋の狩人 ―11―
手を伸ばせば届きそうな距離に、スーリャを助けるために必要な“恋花”がある。
まるで自分の恋のようだ、とラズは思った。もう少しで手に入れるところだった初恋は、戦によって引き裂かれた。
ラズとアンを取り囲む憤怒した花守たちは、じりじりと間をつめてくる。花守は花盗人を決して許さない。その鍵爪にかかればひとたまりもないだろう。
戦慄が走る。ラズは死を覚悟し、瞳を閉じた。
――ごめん、スーリャ。
恐怖のために凍りついたラズの冷たい手を、アンの大きくて暖かい手が優しく包んだ。
見上げると、黄金の瞳が煌いている。
「……聞こえるか?」
何が? と聞き返そうとしたラズの耳に、風に乗って途切れ途切れに聞こえてくる旋律。
「歌が……歌が聞こえてくるわ」
――祈りの歌。
自然と始まった祈りの歌は、1人また1人と歌いだし、今や村人たちが、老若男女問わず全員で歌っている。心から願い祈り、調べは高く、高く、大空へと舞い上がる。
ラズの心が鼓舞する。諦めるな、そう言われた気がした。
――みんな、ありがとう。
花守たちが猫のような耳をそわそわ動かし、落ちつかない。歌が気になるのだ。注意散漫になった花守の隙をつけないだろうか?
「ラズ、俺が花守の気を引く間、恋花の元へ走れ」
「気を引くって、馬鹿を言わないで、1人で5匹の花守の相手をするつもり? 絶対無理よ」
「俺はラズを守ると誓った」
人間なんて花守にかかれば一瞬で始末されるだろう、2人が助かる道は万にひとつもない。
「貴方を犠牲にするつもりはないわ」
「誰が犠牲になるといった」
「嫌よ、貴方を1人置いて行くなんて、出来ない!」
「スーリャを助けるんだろ」
「っ!!」
アンの言うとおりだ。スーリャを助けるために、ここまで来た。それでもアンを置いていけない。もう嫌だ! 子供のように駄々をこねたい、泣いて叫んで、どうにもならないもどかしさを、ぶちまけたい。
ラズはアンの服の裾を離すまい、と握り締めた。震える唇を噛み締めて、アンを見上げる。
アンの黄金に輝く瞳は、ラズの唇に注がれた。ラズの血のにじむ唇を親指で撫でる。
「……ラズ」
噛み付くようなに唇を奪われた。
ラズはアンの指に自分の指を絡ませ、口付けに応えた。
そして、ラズの指にはまっていたヌエの指輪と、アンの指輪が重なり合う。
2匹の龍が出会った。
一泊の無音の後、すさまじい光が指輪から放たれた。飛び掛ろうとしていた花守たちが飛ばされ、ラズの目がくらむ。
「眩しい、何なのコレは!」
指輪から放たれる光は次第に収まり、静寂と闇が支配する中、空から荘厳なる7色のオーロラが舞い降り、カーテンのように世界を包む。
ラズとアンのまん前に現れたのは巨大な、霊獣。
霊獣、それは、夢物語の中だけの存在だと思っていた。
その身体は太陽の如く光り輝き、圧倒される存在でありながら幻影のよう。透明な翼は清らかな水の如く大地に広がる。鳥のようで、馬のよう、そして龍のようにも見える。慈愛に満ちた鋭い瞳でアンを見下ろしている。
『我らが末子よ、何ゆえ我らを呼び出した』
脳裏に直接響く、男と女の重なり合った不思議な声。
「俺は呼び出してはいない、ラズといいところを邪魔しやがって」
とんでもない暴言を吐くアンに、ラズは目を見開いた。
『あいかわらずよのう、我らが末子よ』
「だいたい俺は、あんたの末子とやらではない」
『我らが、末子を間違えるわけがないであろう』
「俺は記憶がないが、どう見たって人間だ」
規格外の人間だけどね。ラズが心の中で突っ込んだ。とりあえずアンが普通の人間ではないことに、妙に納得してしまった。
「とっとと消えてくれ、俺はラズと続きをする」
「しません!」
どういう神経をしているんだ。続きなんて花守に囲まれて出来るわけがないだろう。
「花守!」
花守を忘れていた自分が信じられない。ラズは急いで辺りを見渡した。
見えてきたのは、これまた信じられない光景だ。
――花守たちが傅いている。
静かに頭を垂れ、目を伏せている。最強といわれる獣の王者が頭をたれるなんて、驚きの光景だ。
――今なら恋花を取りに行ける!
ラズは一目散に恋花の木に走った。恋花の枝に止まっていた、恋の狩人が驚き、チチチチと威嚇してきた。
「お願い、少しでいいの、花を分けて頂戴」
ラズが懇願すると、恋花のひと枝が自然に折れて、ラズの手元に落ちてきた。
驚いて、アンを振り返ると、彼は力強く頷いてから、霊獣に視線を送った。
『強き想いが、我らを呼んだ』
「もういいだろ、早く消えろ」
『末子よ、そなたにも恩寵を……』
霊獣はそういい残すと、水琴窟のような澄んだ音を鳴らして幽寂に消えていった。
厳かな余韻を残して。
いつもの森の静けさが戻ってくるまで、どれほど時間がかかっただろう。
「………………ラズ、帰ろう、村へ」
アンがゆっくり、ラズに手を伸ばした。
「……うん」
ラズは恋花の枝を、大切そうに抱えなおした。
花守たちは、いまだにひれ伏したままだ、1匹を残して。
「ちょっと待っていて」
ラズは、倒れた花守の元へ駆け寄った。
「ごめんね、お前は何も悪いことをしていないのに」
優しくのど元を撫でて、ラズがいつも持ち歩く丸薬を取り出した。
「お願い、コレを食べて」
口をこじ開けて、丸薬を放り込んだ、しかし花守は直ぐに吐き出してしまう。
「困ったわ、この薬はとても苦いモノだから、食べたくないのね」
「コレを使うか?」
アンが差し出したものは、つぶれた花餅だった。
「持ってきていたの?」
「ラズと半分にして食べようと思って、肌身離さず持っていた」
その言葉にラズは思わず笑ってしまった。花餅の端を少しちぎって、アンに渡して、また少しちぎって、自分が食べた。それから丸薬を花餅に混ぜて、花守の口に放り込んだ。花守が花餅を嚥下するのを見てラズは安堵のため息を漏らした。コレでひと安心。
「さあ帰りましょう、スーリャの元へ、皆の待つ村へ」
ラズは太陽のように輝く笑顔で笑った。
「……ああ」
アンはラズを愛おしそうに眺めてから、小さな花餅の欠片を噛み締め、しっかりと味わった。なんと甘くて美味しいのだろう。
――末子よ、そなたにも恩寵を……
アンは記憶を取り戻していた。