表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/60

恋の狩人 ―10―


山は無気味なほど静寂に包まれていた。森の生き物たちが、息を潜めている音が聞こえてきそうだ。

夕刻の迫る時刻、足元が暗くて良く見えない。慎重に歩かねばならない。


「30分ほど歩けば、恋花の咲く木があるわ。私に付いて来てね」


ラズは、後ろを振り向いて、アンが居るのを確認した。

アンはまったく足音を立てないため、ラズは何度も確認してしまう。


「……結局、その格好で来ちゃったのね」


金の瞳の黒い騎士。腰に挿したククルの剣。どこをどう見ても、高貴な騎士に見える。


「俺はラズの騎士(ナイト)だからな」


白い歯がこぼれる。


――この絶望的な状態でも、アンさんは笑えるだわ。


とても心強い。


「ありがとうアンさん。貴方が居なかったら、私はもう諦めていたと思うわ」


「礼を言うのは、まだ早い」


そう言うとアンは、ラズの小柄な身体を子供のように持ち上げた。


「アンさん!」


顔が近い。金の瞳にラズの顔が移りこんでいる。


「この方が早く進める。さあ道案内してくれ、ラズ」


アンは先ほどより数倍早く歩き始めた。今は一刻を争う事態だ。恥ずかしいとか、そんなことを言っている暇はない。


「重いでしょ? 疲れたら言ってね」


それでもやっぱり、体重のことが気になる。


「重たくはない、小鳥みたいだ」


「小鳥は言い過ぎよ」


ラズが笑った。笑った瞬間、大粒の涙が転がり落ちた。


「ラズ、なぜ泣くんだ?」


アンは親指の腹で、ラズの涙を優しく拭いた。


「同じ事を言ってくれた人がいるの。小鳥みたいだって。私の赤茶色の髪が、恋の狩人の色に似ているから」


「誰が?」


「私の婚約者よ」





あれは、12年前、ラズが16歳の頃。



「まったく、医者の不養生ってのは、この事だ」


「まだ医者ないもん」


16歳のラズは、寝食を惜んで、医学の勉強に励み、病人の家を駆け回り、ついに患者の家で倒れてしまったのだ。患者の家で横になっていたラズを、幼馴染のブラフが迎えに来てくれた。


ブラフは、1人で歩ける、と言い放つラズを、無理やり背中に背負い、夕日の中を家路についた。

ラズを背負って、小さな道を歩くブラフ、2人の影が長く伸びる。


ブラフの背中はとても温かくて、心地よい。ラズは頬ずりをしたくて、堪らなかった。


「ラズは鶏ガラみたいに軽いな」


背中を通して、ブラフの声がくぐもって聞こえた。


「鶏ガラなんて、花も恥らう乙女に対して失礼よ」


「もっと太れ。俺の子供を産んでくれるんだろ」


ラズの顔が夕日に負けなくらい、真っ赤になった。


「そんなこと言ったけ? 覚えてないわ」


もちろん覚えている。でも恥ずかしくて、つい虚勢を張ってしまった。


「とぼけるなよ、覚えてるんだろ。ラズがまだ8歳かそこらだ、あたち大きくなったら、ブラフと結婚して、たくさん赤ちゃん産んであげる。て」


それは7歳の頃から変わらない、ラズの夢だ。


ブラフはラズを背中から降ろすと、真剣な表情でラズを見つめた。


「ラズ、俺の可愛い“恋の狩人”」


ブラフはラズを抱き寄せると、赤茶色の髪に口づけを落とした。そしておでこに、頬に、鼻に、瞼に、唇に、ついばむように口づけを落とす。


恋の狩人は、ブラフがラズに付けたあだ名だ。恋の狩人の羽毛の色が、ラズの髪の色によく似ているから。


「俺と結婚してくれ、ラズ」


ラズはブラフに抱きついて泣いた。何度も頷いて泣いた。


――結婚します、貴方と。



しかし、2人が祝言を挙げる前に、ブラフは戦へと駆り出された。


「待っていてくれ」


その言葉を残して。




ラズは待った、待つだけでは足りなくて、戦場に赴いた。負傷者にブラフがいないか探した。多くの負傷者を診たが、肝心のブラフには会えなかった。



――いつまで待っていればいいの、ブラフ。


心のどこかではわかっている、ブラフはもう……。


ラズは思慕を振り払うように頭を振った。今は、昔の思い出に浸る時じゃない。


「アンさん、その木を左に曲がって」


ラズは温かいアンの体温に、安らぎを感じていた。



* * *



花守。


孤高の獣の王者。


決して、人に懐くことなく、使役される事のない。最強の獣。


その姿は、気高く美しい。



「あれが花守……」


ラズの視線の先に美しい光景が広がる。


淡く光る、桃色の恋花。朧月が春宵に浮び、赤茶色の小鳥が舞い踊る。神秘的な光景。


その周りに鎮座する、白く美しい獣。


人間の3倍はありそうな巨大な猫のようにも見える。馬のような(たてがみ)が銀の月のように仄かに光り、額に白い角が生えている。サファイアのような青い瞳が美しい。空を飛べる巨大な翼を休め、伏せている。



ラズとアンは十分な距離をたもち、風上に移動して、木陰に身を寄せた。


「準備はいいか?」


アンが剣を鞘から抜くと、朧月がキラリと反射し、金属のかすかな音が波紋のように広がった。


「待って、ナアガ先生の奥さんに貰ったこの痺れ薬を――」


その時、大きな影が2人の上に現れた。

瞬時、アンがラズを抱えて横に飛んだ。先ほどまで2人が居た地面を、大きな鍵爪が(えぐ)り取る。


「グルルル」


唸り声。それは目の前の巨大な獣の怒りの声。


「花守……」


ラズは呆然と呟いた。圧倒されて脚がすくむ。

美しい獣は、その青い瞳を怒りに染め上げ、今にも襲い掛からんと、姿勢を低く構えた。


「ガア!」


咆哮だけで、ラズとアンを吹き飛ばした。


畏怖。ラズは死を覚悟した。


「ラズ逃げろ!!」


アンは剣を構えた。


――勝てるわけないわ。


「ラズ!!」


――そうだ、痺れ薬。


ラズは、必死で辺りを見渡した。


――あった!


木陰に隠れるように落ちていた小さなビン。ラズは必死に走った。ビンを掴み、振りかえると、アンが花守を相手に応戦していた。


――すごい。


アンは流れるような剣さばきで、見事に花守の鍵爪を受け止めている。激しく交わる剣と鍵爪の音が森の中に反響する。ラズのような素人から見てもアンのすごさがわかる。

まともに花守と戦える人間が、この世に居るとは思わなかった。


ギィィン!


金属の折れる音が、夜の空にこだました。折れた剣先がラズの近くの地面に突き刺さる。


「っ! アン!」


アンが花守の鍵爪に掛かり、後方へ飛ばされた。

ラズが駆け寄ると、アンはこめかみから血を流しているではないか。


「心配するな、かすっただけだ」


「かすっただけですって! 吹っ飛んだじゃない!」


アンのこめかみの傷は小さく、血も顎までは届いていない。


「自分から、後方に飛んだだけだ」


アンのムッとした顔が、子供のようだ。こめかみの血を拭うと、アンは折れた剣に視線を落とした。


「コレはもう、使えないな」


折れた剣が、むなしくアンの手から滑り落ちる。素手で立ち向かう気だ。無茶に決まっている。


「グルルル」


花守が歯をむき出しにして、2人の前にそびえ立つ。


「アンさん、口を閉じて!」


ラズは左手で自分の口をふさぐと、痺れ薬を花守に向かって投げた。


「グアャッ!」


と悲鳴をあげた花守は、苦しそうに身もだえして、口から泡を吹いている。痺れ薬に立つ力を奪われた花守は、大きな地鳴り響かせて地面に崩れ落ちた。


「すごい効き目だわ!」


しかし、そう思ったのは、つかの間。


ラズとアンは5匹の花守に囲まれていた。花守たちは仲間を傷つけられて、怒り狂っている。


絶体絶命のピンチである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ