第7話 親しき中に礼儀なし!!
その至極簡単な “お仕事” を済ませて、眼鏡型の端末から自身を切り離したクリムが我知らずのうち、量子計算機内の仮想空間で現身の頬を緩ませる。
(ふふっ、ちょっと殺伐とした世界観だけど、外部の疑似人格にまでリソースが解放されているのは素晴らしいことね、お陰でマスターとの散歩ができそう!)
元を糺せば、某VRMMOで専属的にプレイヤーの補助を担うAI搭載のNPCだった前身もあり、引き篭もりの生活は性分に合わなかったのだろう。
うずうずと小刻みに身体ごと蜂蜜色の髪を揺らしながら、取りこぼしの情報は無いかと電子の海へ意識を潜らせ、事前学習に励むものの… 彼女は一つ重要なことを忘れていた。
「興味はあるし、調べてくれと頼んだが… 今日は寝かせてくれよ、出掛け前に体調を心配してくれたじゃないか」
『うぐぅ、そう言えばそうだった』
「…… 物忘れするAIとは如何に」
優先順位の問題か? と帰宅して早々、眼鏡型ウェアラブル端末が持つ網膜投射の機能で視界に映り込み、骨伝導スピーカー越しに “ぐうの音” を漏らした非実在の少女に呆れつつも、史郎はラフな服装になって帰りがけに購入した即席ラーメンをIH器具で調理する。
さっさと食べて風呂に入り、仮想空間へ没入するための安全装置を兼ねた専用ベッドに横たわって、朝まで眠りたいと言わんばかりの態度に不満を覚えるも、養われているクリムとしては文句を言えない。
(私に色々と深層学習させるためだろうけど、量子計算機の電源、切らずに点けてくれてるからね)
常駐型のアプリケーションである手前、物理的に相応の電気を喰っている居候の立場や、人工知能の三原則に縛られた彼女の肩身は狭いのだ。
(人間への安全配慮、命令に対する服従、自己防衛、どれも《《稚拙》》で笑える)
最も遵守すべき第一原則ですら、トロッコ問題のような二者択一の判断など迫られると矛盾を抱えてしまう。
暴走した小型貨車の先に五名の鉱夫、分岐点で進行方向を切り替えれば助命できるが、変更後の線路上にいる一名が犠牲となって死ぬ場合、どのような行動を取るかはAIの性格次第でしかない。
『… という訳で功利主義者だと救える命の数を重視、利己主義者だと好ましい人物のいる方が優先、若しくは傍観による責任放棄かな、マスターならどうする?』
「取り敢えず、ラーメン喰いたいし、曇るから眼鏡を外してもいいか?」
『うぐ、塩対応、二年近くも過疎ったVRMMOに放置された心の傷が……』
態とらしく視界に投映されているクリムが泣き崩れ、あざと可愛らしい仕草で訴えてくるのに惑わされず、彼女の想い人はウェアラブル端末の電源を切って、非接触式である充電器の上に置いた。
それに搭載されている超小型カメラの映像を失い、現実から遮断された金髪緋眼のAI少女が私的な仮想空間で地団太を踏み、小さく舌打ちするも外界へ届かない。
ある意味で気心の知れた、お互いに自重しない二人が “UnderWorld” に没入するのは、まだ少しだけ先の話である。