歪んだ狂気
以前別名義で投稿した作品です。
心に優しい話ではないです。
朝は頭痛から始まる。
子供の頃から続いており、色々な病院で診てもらったが原因はわからない。検査結果はいつも異状なし、薬が処方されることもない。
痛みに苦しむ私を母も心を痛めていたが、次第に興味を失い、私のいないところで父に私には虚言癖があると告げるようになった。
私はいつしか父と母の愛を失った。
今となってはどうでもいいことだけど
家族と会うのは年に数回、たまたま家族だったというだけの間柄だし、都合よく合わせておけばいい。なんなら死ぬまで会わなくても構わない。
頭痛の朝はどうも嫌な事を思い出す。だが予定があるので動き出さなければならない。まずはシャワーを浴びて体を起こし汚れを落とす。
昨晩から宿泊しているホテルは安価なラブホテルだがバスルームだけは綺麗、白い大理石のバスとタイル、雰囲気を出すためのブルーライトのカクテル光線、好きな相手となら盛り上がれるかもしれない。
ベットルームに寝ている男とは躰だけの関係、一緒に入ることはない。だから淡々と熱めのシャワーを浴びる。
私に残る男の痕跡を全て洗い流したい、心まで洗えるわけではないが、洗い流せた気分になる。そんなことあるはずもないのに……
髪を乾かした後、私はベットルームに戻る。
次にベットで寝ている男に別れを告げること、男との情事に当初はスリルを感じていたが、もういい加減飽きた。
決まった振り付けで踊る私は快楽を感じる事があってもそれ以上に得るものはない。
男も相手のことを考えず自分勝手に腰を振るだけ、女のこと、つまり私のことなんかこれっぽっちも気にしていない。
……くだらない
ほんとくだらない
この男も今いるこの場所も、この世界も全てがくだらない。
でも一番くだらないのは他ならぬ私
それだけはわかっているつもり
ベッドルームに染み付くヤニ臭さと匂いのきつい芳香剤はどうにも鼻につく
そして悪趣味極まりない紫と赤を基調にした壁紙、無駄に多い大きな鏡、到底好きにはなれない
ただし心を汚すときにはこんな汚らしい空間は丁度いい。空虚になり嫌な事を忘れられる。
昨晩の私や今も寝ている男のようなケダモノにはぴったりだと思う。
さっさとこの場を後にしたい。宿泊代は前払いなので退出時は気にする必要はない。
昨晩行為を求めたのは男の方だから、せめて宿泊代くらいは払って欲しかった。
だが手切れ金だと思えば惜しくもない。
私は男を起こしさっさと別れを告げることにした。
「おはよう、ちょっといい、私たちこれっきりで終わりにしよう」
「終わりにしてやってもいいけど、もう一回だけ、なぁ、いいだろ?」
目を覚ました男は最終チェックアウトまで時間があることをいい事に昨晩同様行為を求めてきた。
チープな口づけもその汚らわしい手で私に触れるのも止めて、せっかく洗い流したのだから
「用があるからやめて…… そんな気になれないわ」
「そう言うなよ、なぁ」
私はベッドに沈む。
この男とは夜の街で知り合った。顔が多少整っている事を覗けば、良いところなんて何もない
それどころか女は財布か都合の良い道具ぐらいにしか思っていない
そんな最低な男の前で私は抵抗することもできない。ただ天井を見上げるだけ……
開けた肌をさらしたまま、ただ天を見上げる。
涙が出る事も心が痛むことはない、昨日もやった事を今日もやっているだけ、予定外だが早く終わればもうそれでいい。
残念なことに躰だけは男を求めるように反応する。しばらくはベットがギシギシ軋むスプリング音と私と男の汚い声だけが響き渡る。
天井の鏡には二匹のケダモノが映る。鏡の中の私は悲壮感がなく、男と同じでサディスティックな顔をしている。
何の救いもなく、ただただ汚らわしい
でも救いなんて必要ない
そんなもの望んでいないのだから……
◇◇◇◇
時間にして二十分足らず、男はいつものように自分だけ満足すると私はようやく解放された。
芳香剤に合わせ、男と女の匂いが混じりベットルームの空気はますます汚れている。
濁った瞳でタバコを吸う男はスマホから私の連絡先を消すことに躊躇なく応じた。
最初から私のことはどうでも良かったのだろう。
だからこそ私としても都合が良かった。夜の街に近づかなければ二度と会うことはない。
男に別れの挨拶も告げず、私は一人ホテルを立ち去った。
◇◇◇◇
私のいたホテルは所謂ラブホテル街にあり、別のホテルから出てきたカップルが新宿駅東口を目指し次々と消えていく。
カップルたちを否定する気はない。彼らは互いの愛を確かめるためにこの場所を使っているだけ、私とは違う。
彼らのように私も誰かを愛し愛されたいと願うことはある。
でも私はもう普通の愛を受け入れられることはできないだろう。
歌舞伎町方面から八分ほど歩き、新宿駅東口に着いた私は私鉄のフォームを目指しさらに歩く。
今日のこの後の予定は夕方近所の音楽教室でピアノ講師をすること、音大卒の私は奏者として生計を立てたいと今でも思っている。そのため平日は小さな商社で働きながら、土日はピアノ講師をして音楽を続けている。本来なら男とかまけている暇などなく、音楽に注力しなければならない。
音楽家は狂気がないと続かない
かつての恩師はそう語っていた。一日たりとも練習を欠かせない。また才能だけでなく、努力、強い想いが必要だとも。
習い始めの練習は日々成長を感じられ楽しいかもしれない。だが一定レベルに達すると辛く厳しいものに変わる、ましてや試験やコンクール前になると過酷さを極める。
特別な想いがないと続かない。乗り越えるためには好きを超える狂気が必要になる。私は音大受験の前、毎日八時間、一心不乱に練習し何とか合格した。
今の私にその頃のような狂気はない。このままではダメなのは分かっている。
堕落しながらも奏者になる夢を諦められず、音楽と関わり続けるために音楽講師を続けている。人に音楽を教えること自体は楽しい、自分の夢を重ねることができるから
教えている生徒の一人には確かな才能があり、彼女が少しずつ上達していく過程を見守ることは感動すら憶える。
まだ粗削りだが他の誰にもない才能を持つ彼女は音大、そして私がたどり着けなかったその先まで進めるかもしれない。
彼女は以前音楽があれば他は何もいらないと笑顔で語っていた。その姿勢はとても眩しい、だが同時に苦々しさを思い出す。私が彼女と同じ年頃の時、全く同じことを考えていたから
彼女も私と同様にどこかで壁にぶつかるだろう。音楽を続ける以上、それは避けられない。プロの音楽家になる人はどうにか乗り越えていく。
私は乗り超えることができず今日に至る。
今でも壁を超えたいと願っている。だが目前の壁に立ち止まったままなのか、そもそも壁が何だったのか今の私にはわからなくなっている。
私は狂気を見失いひどく歪んでしまった、彼女に遠き日の自分と重ね愛おしさを感じる。
できることなら音楽の世界をどこまでも羽ばたいてほしい
あの蒼き空を舞うアゲハ蝶のように儚くも美しくヒラヒラと……
一方で蜘蛛のように執拗な私は心を縛る糸を幾重にも張り、空に一番近いところで罠に堕ちてくるのを今か今か待ちわびている。
糸に引っかかれば、私は何の躊躇もなく彼女を食べてしまうだろう
その羽も、その瞳も、その唇も、その全てを無慈悲に引き裂いてしまいたい
その時、彼女は私を恨むだろうか
嘆き悲しむだろうか
恐怖のあまり笑みを浮かべるだろうか
欲望で魂を汚すだろうか
私の様に……
愛おしくも狂おしい
願わくば私の想いが叶わぬことを
新宿発の下り電車で私は家に戻る。午前中の下り電車は空いているため私は難なく座ることができた。
普通電車の車窓から私は見慣れた景色を見ている。
空は今日も青く高くどこまでも遠い、この手を伸ばしても決して届くことはない。
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