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光の中で

作者: たるぽこん

 あぁ、この世はなんて眩しいんだろう

 あぁ、この世はなんて儚いんだろう

 あぁ、この世はなんて美しいんだろう


 かつて、この世は一つの光の玉だった。


 宇宙の果から反対側の果まで、1mmにも満たないような小さな小さな火の玉。そんな火の玉がその質量そのまま、途方もなく引き伸ばされたものが現代の宇宙だと、そう言われる。


 その延伸は現在もなお続いていると言われ、今この瞬間もまさに宇宙は広がりを見せていると言われている。あぁ、なんて神秘的な世界だろう。


 宇宙というものは不思議だ。我が太陽系は恒星である太陽の周りを惑星である地球が回っていて、さらにその周りを衛生である月が回っているわけだが、その太陽もさらに大きな天体の周りを回っているのだ。そんな太陽系みたいなものがいくつも合わさって、天の川銀河と呼ばれる一つの銀河を形作っているのだ。さらに、その銀河は天の川銀河以外にも無数に存在し、具体的にはアンドロメダ銀河などがよく知られているが、銀河団というものを形成する。その銀河団でさえもこの宇宙の中には無数に存在しているのだ。宇宙とは大変に広大なものである。


 そんな宇宙という途方もない大海原を天の川銀河、太陽系に釣れられて航海する私たちの星、地球。太陽に遠すぎず近すぎず、ちょうどよい距離に存在していることで生物が存在するのにちょうどよい気温が保たれている。そんな生命も、地球と呼ばれることになるこの星にもともと存在していたわけではない。かつて、地球というのはただの真っ赤な火の玉だったのだ。隕石が絶えず降り続き、生命の息吹なんて微塵も感じられないような真っ赤な火の玉、そんな火の玉が冷え、雨がふり、それによってできた水たまりの中で化学反応が起こり偶然にも糖ができた、アミノ酸ができた、脂肪ができた。その偶然がいくつも重なって始原の生物であると言われる単細胞生物が誕生したのだ。


 そんな生物は生まれては死に、生まれては死にを繰り返し、複数の細胞で協調して生きることを知った。やがて古生代カンブリア紀から新生代第四紀にかけて発展を遂げ、その末端の末端の末端に我々は生きている。生命というのは儚いものだ。生まれた時点から死が訪れることが確定しているにもかかわらず、生きている人間は今をより良くしようとし、やがては必ず破綻するであろう他の生物との関係を築こうとするものだ。結局は無に帰してしまう。しかし、我々はその運命を知りながら、無に向かっている事実を知りながら、今というこの瞬間を生きている。あぁ、人間とはなんて儚いものだろう。生命の中でも、いつか無に帰すことを自覚し続けながら生きている人間が一番儚い生物だと思う。


 今、我々が生きているこの地球は、我々人類以外に多様な生物が生きているし、そのおかげで現在の美しい地球は保たれている。


 植物を始めとして、微生物や動物もみんながこの地球の建築者なのである。もとより、人間もこの地球を形作る大切な要素なのだなと、私はそう思う。

久しぶりの投稿です。

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