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【コミカライズ】おつかれ聖女は護衛騎士と逃亡生活を満喫する ~今度は聖女をやめてみます!~  作者: ゆいレギナ
ひとりで帰郷する女編

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sideイクス 10回目の死

 ♦ ♦ ♦


「さて、とりあえず婚約破棄は保留にしてきたけど……」


 ミーチェン王太子からの婚約破棄の申し出から帰ってきたナナリーは、やはりスッキリとした顔をしていた。前回は、あんなに思い詰めて、自死までしようとしたのに……。


 当然、繰り返す三年間の記憶を、ナナリーも全部覚えているらしい。

 だけど繰り返し見ていく中で、俺は薄々気が付いていた。俺とは違う。ただ闇雲に記憶を積み重ねているだけの俺とは違い、彼女は死ぬごとに記憶が整理されているような、そんな印象を受ける。


 ――羨ましい。


「あーくそっ」

「イクス?」


 ふと浮かんでしまった嫉妬を、俺は慌てて掻き消す。

 ナナリーを羨んでどうするんだ。むしろ……ナナリーがこんな辛い思いをしてないことを、神でも魔王でも感謝しなきゃいけないくらいだというのに。


 本当に……こんな思いをしているのが、俺だけで良かったんだ。

 ただただ増えていく記憶や感情に、押しつぶされそうに、吞まれそうに、狂いそうになる感覚を常に感じているなんて……こんなの、俺だけで十分。


 まさに前回、思ったばかりじゃないか。

 覇気を失くして、絶望のあまり最悪の選択をしたナナリーを見て、悔やんだばかりじゃないか。

 だから、これでいいんだ。苦しむのは、俺ひとりでいい。


 俺だけで――


「いえ、何でもありませんよ」


 俺は、上手く笑えているだろうか?

 不安げなナナリーの緑の瞳に映る俺は、きちんと彼女の望む『イクス』になっているだろうか。俺は……俺は――


「……そうですね。今回はこんなのは如何でしょう?」


 そんな鬱憤を、俺は何かにぶつけたくなって。




「ハッハッ! なんだ、貴様らこんなモンなのか⁉」


 俺は『訓練』と称して、兵士たちをぶちのめしていた。

 ナナリーには『二人っきりで大事をやり遂げるには、無理があったんですよ』とかそれっぽいことを言って、王太子に兵士や使用人らの再教育を進言してもらったが――俺の本音は違う。


 ただの八つ当たり。そして、ナナリーと他者との交流を増やすため。

 本当は、俺に依存してもらいたい。二人っきりの世界で、永遠に二人だけで暮らしていけたら――そんなこと、考えないわけでもないけど。その結果、彼女は病んでしまったから。


 そうならないように、ナナリーに多く他者との交流の機会を持ってもらった。すると案の定、彼女の表情はどんどん明るくなって。


 ――そういうやつなんだ、ナナリーは。

 根が優しくて。困った人を放っておけなくて。『人』が大好きなやつだから。


 そんな嬉しそうなナナリーを見ながら、俺は闇雲に『訓練』をしていると――「おつかれ」と水を持ってきてくれたナナリーが首を傾げてきた。


「イクス……具合悪い?」

「どうしてですか?」

「ん~、なんか動きが鈍いかなぁって気がして?」


 そんなわけあるか。今だって、一人で三十人抜きしたばかりだぞ?

 その疑惑を払うように、俺は手を叩いて「休憩終了!」の指示を出す。結局五分にも満たない休憩だったから、兵士らからも……ナナリーからも「もう少し休ませてあげたら?」と非難の声があがるが、知ったことか。鬼教官? 上等だ。


 たとえどんなに身体が重くても。身体が痛くても。


 ナナリーには、ナナリーだけには、悟られるわけにはいかない。

 心配性のナナリーだけには、気づかれるわけにはいかない。




 そんな乱暴な訓練を繰り返すうちに、ひとり有能なやつを見つけた。

 元は、平民だったという。実家が酪農を営んでいたが、不況の煽りを受けて経営が難しくなって……孫息子だった彼が、出稼ぎとして入団したとのことだ。


 ようやく剣の持ち方を覚えたようなやつだったが……妙に人懐っこいやつでもあった。


「うちのチーズ、本当に濃厚で旨かったんすよ。イクスさんや聖女さまにも、食べてもらいたかったな~」

「私もチーズ好きだよ。実家に居た頃はお母さまが懇意にしていた酪農家さんに、定期的に持ってきてもらってたの」

「へぇ。聖女さまの家って、結構なお金持ちだったんすね!」

「まぁ……ちょっとだけ、かな」


 わずかな休憩時間に、そいつがナナリーとそんなことを話していたこともあった。

 当然、あとで思いっきりぶっ飛ばしてやったが――根性あることに、そいつは何度も何度も「まだまだ!」と俺に食らいついてきて。


 二年経つ頃には、そこらの騎士よりも強くなっていた。

 俺の三十年間分の知識と技術を、乾いた綿のように吸収したそいつは、ある日俺に訊いてきた。


「そろそろ、おれも教官に勝てるようになりましたかね?」

「馬鹿抜かせ」

「でも最近教官、具合悪いのかなんか知りませんが……動きが鈍くなってませんか? そろそろおれでも、教官出し抜けるんじゃないかって」

「は?」


 生意気な小僧を睨みつけるも、そいつは呑気なもんで、


「聖女さまぁ~!」


 と嬉しそうな顔で手を振る。それにナナリーも応えてやるもんだから、俺としては胸糞悪かったが――子犬のような少年に懐かれて、ナナリーもまんざらではないのだろう。


 最近兵士騎士らの士気や統率が上がったことにより、城内での王太子の株も上がったらしい。そりゃあ、そうだろう。全部俺らがやっていることとはいえ、指令元はミーチェン王太子ということになっているからな。王太子直属の兵士らが各地・各部署で活躍していることにより、今回は表立って、何事も大きなトラブルは起こっていない。ナナリーと王太子の仲も『保留』のまま二年が経過したが、そう悪いものには見えなかった。


 俺は子犬がナナリーに駆け寄っていく背中を見送りながら、どこか安堵していた。

 このまま、ループが終わってくれれば。

 ナナリーももうじき二十歳になる。

 このまま多くの者に愛され、幸せに生活していけるのかもしれない。


 ――たとえ、俺がいなくなっても。


 ぼんやりとした頭で、ふとそんなことを考えてしまった時だった。


「きゃ……」


 悲鳴にもならない小さな声が聞こえた。どんなに小さくとも、聞き間違えるはずがない。それはナナリーのものだ。その直後、ナナリーと共に差し入れを運んでいた侍女らが耳をつんざくような悲鳴をあげる。


「ナナリー⁉」


 俺が慌てて駆け寄ろうとした時、そいつが振り返った。

 子犬のような無邪気な少年兵が、「ね?」と笑顔を向けてくる。その手に持つ剣に、赤い血を滴らせながら。だけど、うろたえる侍女らに一瞥するやいなや、彼女らも容赦なく斬り捨てていった。そこでようやく、俺はそいつの剣を剣で受け止める。


「貴様ああああ!」

「ははっ、イクス教官の怖い顔! でも、もう顔だけですね」


 そいつは反動を利用して俺から離れ、身を低く構えた。そして地面を強く蹴ったかと思えば――一直線に狙うのは、血を吐きながら起き上がろうとするナナリー。


「させるか!」


 だけど、その時に限って。視界が揺れた。一瞬の立ち眩み。その一瞬のあと――俺の身体を、そいつが擦り抜けた(・・・・・)。悲鳴になれない悲鳴を聞く。瞳孔を開くナナリー。胸に突きつけられた剣の隙間から、キラキラとした黄金の粒子があふれ出す。


 そいつの声は、どこか遠く聞こえた。


「教官も聖女の幼馴染なら知ってましたかね? こいつの母親とうちの親父、昔駆け落ちしようとしたらしいんすよ。だけど、当然のように阻止されて――母親はどっかのいいところに嫁がされただけで済んだらしいんすけど、うちの酪農場は潰されました。せめてすぐ手を打つならまだしも……三年前、急にですよ? あの時の償いとか言われても――酷いっすよ。親父もとうに身分相応の相手と結婚して、おれら子供もこさえて、平穏無事に暮らしてたというのに。理不尽にも程があると思いませんか?」


 そいつの目が、たとえ赤く光ろうとも。


「こんな理不尽に復讐するためなら――魔族にだって魂売るってなもんですよ」


 たとえ嗤ったそいつの身体が、黒く染まっていようとも――俺としては、どうでもいい。

 だって、やっぱりナナリーが死んでしまったから。


 ――俺のせいだ。


 俺が、生ぬるい幸せを願ったから。

 俺がいなくても、ナナリーはこのまま幸せになるなんて。そんな甘い思考に逃げようとしたから。

 俺は己を悔やみながら、ナナリーの一つ一つを赤い触手で絡み取っていく。


 全身が痛い。心が痛い。

 それでも、やっぱりナナリーが目の前で死んでいくなんて、俺には耐えられない。



 なぁ、ナナリー。

 俺は……どうしたらいいんだ?



 ぼろぼろの身体と心で、俺は縋る。

 世界を蝕む赤い楔に、俺は――


 ♢ ♢ ♢


「今の夢は――なんだ?」


 うっかり、寝てしまっていたらしい。

 たまたま遭遇してしまった大規模戦闘。その第一波は辛うじて防いだものの「じゃあな」と立ち去れるほど、その砦の状況は思わしくなかった。


 そこの代表にも「頼む!」と懇願され、致し方なくその砦に留まっていた最中――与えられた休憩所の扉が開かれる。


「城にはなんとか連絡入れてもらった。だが……やはりすぐに兵を送るというわけにはいかないらしい。状況を把握するまで、なんとか持ちこたえろというお達しだ」

「さすがはお貴族様。ずいぶんと気が長いじゃないか」

「あんたもそのお貴族様なんじゃなかったっけ?」

「たしかな記憶はないがな」


 砦の代表を務める男は、俺と同じくらいのまだ若いやつだった。赤みを帯びた暗色の髪が、無造作でうっとうしい。しかもあちこちに着けた装飾品が、動くたびにジャラジャラうるさい。ボタンもまともに止めてないシャツ姿。それに黒の眼帯。そんな頭の先からつま先まで気に入らない男だが――俺は以前からこいつを知っていたらしい。


 隣国である帝国ザァツベルグの元王太子、ルーフェン=イコル=ザァツベルクは俺に軽口を叩いてから、深刻な顔で聞いてくる。


「なぁ、あの聖女ちゃんと、どうして一緒じゃないんだ?」

「……他人の色恋に興味があるなんて、ずいぶんと悪趣味だな」

「そんなこと言っているんじゃない。聖女がいれば、この窮地を――」

「あんな小娘に、そんな重いもの背負わせるな」


 その時、警報を告げる鐘の音が砦を揺るがす。扉の先では、ガシャガシャと鎧が擦れる音がいくつも響く。それに、俺も立ち上がった。


「あんなお節介、どこか遠くで勝手に幸せにでもなってればいいんだ」

「え?」

「行ってくる――あとで報酬、たんまり頼むぞ。お貴族様(・・・・)?」

「……だから、それはあんたもだろーが」


 そして、俺は戦場へ向かう。 

 どんなに、心が重たかろうとも。


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