懐かしの我が家×泣き虫な娘
そして、私は今お風呂に入っている。
「お嬢様、お湯加減はいかがですか?」
「あ……気持ちいい、です」
「ふふっ、それはよろしゅうございました」
あ~『お嬢様』なんて何十年ぶりに呼ばれたんだろう⁉
恥ずかしい、なんかすっごく恥ずかしい!
侍女相手にめちゃくちゃ照れているというのに、侍女の表情はなぜか嬉しそうだった。私より少し年上の彼女は、乳母の娘。昔は姉妹のように遊んでもらったっけ……。
そんな“お姉ちゃん”が、今はしっかり『使用人』の顔をして私に告げた。
「このお風呂番、じゃんけんで頑張って勝ち取ったんですよ」
彼女は丁寧に、私の髪を梳いてくれている。汚れすぎて、最初は櫛を通すにも苦戦していたけど……たいぶサラサラになってきたみたい。
私は為されるがまま柑橘の香りがする(薔薇よりも消臭効果が高いらしい。そんなに臭ってたのか……)とろとろのお湯にぶくぶくしていると、彼女が髪を軽く引っ張ってくる。
「だから、もっと堂々としてくださいませ。あなたさまは、このガードナー家のれっきとしたお嬢様なんですから――おかえりなさい、ナナリー様」
そっと付け足された、昔のようにお姉さんぶった声音に、思わず目から涙がこぼれる。
本当に……何度泣けば気が済むんだろう。
聖女として徴集された段階で、私は家を捨てなきゃいけなかったのに。
いざ帰ってきて、こんなにあたたかく迎えてもらえて。
帰る場所がある幸せを、私は噛み締める。
「本当、お身体はこんな淑女になったのに。泣き虫はいつまでも治りませんね」
「……うるさいよ、ルル姉」
「ふふっ、申し訳ございません。あとで充血をとる目薬用意しますね」
この謝りながらも反省する素振りのなさ。これも昔のまんまだ。
いくら時が経とうとも、人は変わったようで、変わらない。
ねぇ、イクス。あなたはどうなんだろう?
私は再びポカポカなお湯に潜りながら、「お願い」と小さく口を尖らせる。
湯上りホカホカ。ひっさびさに貴族ならではの服に袖を通し、髪も可愛く編んでもらった。そんな“公爵令嬢”ナナリーとして、応接間にて再度家族と感動の対面をしようというのに――
「ほお~。これが聖鳥の幼生か――成長したら成鳥。なんちゃって」
「あなた、お客様の前で寒いことおっしゃらないでくださいます?」
「いいや、ワシぁ嬉しいぞ! 人間ジョーク! いやぁ、魔氷の蝶より凍てつくとは、なかなか趣深いぞ!」
この異空間、なんですか?
両親がピースケくんと戯れているのはわかる。だけど……なんで魔王こと黒髪美少年マオくんが、ガードナー家で優雅に談笑しているのかな⁉
しかも、私の登場に真っ先に気が付いてくれたのが、マオくんでした。
「おぉ、来たか。いや~改めて整えたら、えらい別嬪さんじゃの~。どうじゃ? 本当にワシの妾になってみるのは?」
「お父さまのジョーク並みに寒い冗談はよしてください――とりあえず、ここまで転送してくれたのは魔王さんでよろしいんですかね?」
私の『魔王』発言に、この場の両親(お父さまなんか青白い顔をしている)、使用人らが身を固める。ただひとり、呑気にお茶を楽しむ魔王さんだけが「もちろんじゃ!」と陽気だった。
「そのままほっといたら、あそこで野垂れ死にそうだったしのう。さすがにそれじゃあ、寝覚めが悪いじゃろうて」
「あはは~、見てたんですか~?」
だったら、手を貸してくれても。
そんなニュアンスが伝わったのだろう。魔王さんはにんまり笑った。
「人間が他の生物を狩って食べ物を得るのも、食物連鎖の摂理。ワシが手を貸すわけにはいかんじゃろうて」
「だけど、お家へは帰してくれるって?」
「迷子の迷子のお猫ちゃんをおうちに届けるくらいの優しさはあるつもりじゃぞ?」
なんか理屈がおかしいけど……まぁ、気まぐれってことかな。気まぐれだよね。だって気まぐれでどっかの聖女と騎士をループの魔宮に迷わせちゃうくらいだもん。
魔王って自由でいいなぁ~、なんて我ながらとんちんかんなことを考えながらも、このお茶目な魔王をどうしようかと悩んでいると――口を開いたのは、まさかのお父さまだった。
「まぁ、おまえが信用している人物なのはわかった。なら、大事なことを聞こうか」
うーん。信用しているかは微妙だけど……何度も助けてもらったのは事実。
お父さまが目配せすると、使用人らがそっと部屋から出ていく。
そして、固く言葉を紡いだ。
「城から逃亡したこと、詳しく聞いてもよいだろうか」
「……はい」
さて……どうしようかな。どこから話す? それとも誤魔化す?
ひとまず、魔王と縁ができていることは(一応)受け入れてもらっているようだから……ループのことから話した方が、わかりやすいのは事実だ。だけど、そんな珍現象を信じてもらえるのかな? 当事者であるイクスが信じてくれなかったのに?
なら、誤魔化すといっても……私が城から逃げてきたせいで、『国家聖女』の代わりを務めてくれているシャナリーはもちろん、諸々手配してくれただろう両親にも迷惑をかけている。そんな人たちに、私は――
いつの間にか、私は唇を強く噛み締めていたらしい。鉄の味がする。あの時……ずっと唇を怪我しまくってイクスは、痛くなかったのかな? 痛かったよね。あの傷は、とうに自然治癒していたけれど。
ねぇ、イクス。私どうしたらいいのかな?
いつも決定権は私に持たせてくれていたけど……やっぱり私、あなたに甘えていたみたい。ひとりで決断するのがこんなに怖いなんて……私、知らなかったよ。あなたが後ろに居てくれるだけで、あんなにも頼もしかったなんて。
そう、私が怯えている時だった。
「おねえちゃああああああんっ」
いきなり、応接間に誰かが飛び込んでくる。
彼女は、全身ずぶ濡れで。私に瓜二つの白髪を持つ少女が、容赦なく私に飛びついてきた。抱きとめようとしても、勢いに負けてそのまま尻餅をつく。
扉の外で控えていた侍女が言った。
「旦那様方申し訳ございません。突如浴場にシャナリーお嬢様と王太子殿下が転移してきたのですが……お嬢様を止めることが叶いませんでした」
恭しく、だけどどこか他人事のように頭を下げる侍女に、お父さまは「いいよいいよ」と手を振る。
「下手に止めようとして、屋敷を壊された方が大変だからね」
「おねえちゃあああん。おかえりいいいい。おかえりいいいいい!」
苦笑するお父さまをよそに、私の可愛い妹が泣きじゃくっている。そのしっとりしている頭を、私は撫でた。
「たまに通信してたんだから。そんなに泣かないでも」
「だってぇ。だってぇえええ。ここ数日ぜんぜん通じなかったから、どうしたのかなぁって。そんなんで、うちにお姉ちゃんが帰ってきたって聞いたらさああ」
「もうっ、そんな泣かれたら……」
また、私も泣きたくなってきちゃうじゃん……。
てか……数日連絡取れなかったって? そんなはず――と視線を動かせば、魔王さんがこっそり口角を上げていた。「あれから五日は経っとるの」て。
いや、飲まず食わずで五日間って私の体大丈夫なの――などと、いろいろ訊こうとしたその時、私たちはまとめてふわっとした感触に包まれる。ふかふかのバスタオル。それで覆いながら、お母さまは微笑む。
「まったく。いくつになっても、世話のかかる娘たちねぇ」
そう、私たちを抱きしめてくれて。
さらにその上から、いつの間にかお父さままで、「本当だな」と私たちを抱きしめてくれている。
「家族の感動の再会、涙がちょちょ切れちゃうのう」
ソファに深く腰掛けた魔王さんが楽しそうに笑っているけれど。
なんかもう色々と、今はどーでもよくなった。
だって……私にとっては三十五年ぶりくらいに、家族のみんなに会えたんだもの。
ただの娘に戻ってもいいよね?
ただの……泣き虫なナナリーに戻ってもいいよね?
ねぇ、イクス。
こんな泣きまくりの私を見たら、あなたはどんな顔をするのかな?