泣いたあとには×お腹が空く
明けない夜はない。
たとえどんなに絶望に打ちひしがれようとも。
枯れない涙はないし、お腹は空く――生きてさえいれば。
人間の生存欲から逃げるすべはない。
「あ~、おなか空いたねぇ」
「ぴぃ」
「そういえばピースケくん、なんで最近喋らないの?」
「ぴぃ」
一時は「きもちいー」とか「はらへりー」とか短く話していたのに、なぜか私と二人でいる時、ピースケくんは話してくれない。嫌われてるのかなぁ。
「ごめんねぇ、イクスについていきたかったよね」
「ぴぃぴ」
「優しいなぁ、ピースケくんは」
私はピースケくんを頬ですりすりして、はぁ~と深く息を吐く。
よし、こんな道端で泣いている場合じゃない。とっくに空は明るくなったんだ。
とりあえず、悲鳴を上げだしたお腹をどうにかしようっ!
この辺、山から王都を超えた先の海まで続く川がある。旅の途中、何度もお世話になったものだ。だから、向かう先が逆になろうとも、川との縁がなくなるわけではない。
「よ~しっ、釣るぞ~!」
「ぴぃ!」
幸い、釣り道具を即席で作成する知識はある。だてにいつも、イクスがちゃちゃっと用意してくれるのを見ていたわけではない。それに、私も簡易的ながら旅道具は持ってきている――というか、イクスがずっと背負ってきてくれていた旅道具がそのまま残っていた。食料品や薬の類はとっくに村に分け与えていたからないけど。それでも釣り針も、糸も、ちゃんと持っている。……むしろ、イクスは何を持って行ったんだろう? この辺宿場町まで遠いはずだけど、大丈夫なのかな?
「――と、だめだめ!」
私は首をぶんぶん振ってから、手ごろな枝に糸を結ぼうとする。
もうさよならした相手より、自分の方が大事だ。なんたって、私にはピースケくんがいるからね! ちゃんと私が、食べ物を用意してあげなくっちゃ。
「よし、できたよ~。すぐおっきなお魚釣りあげて見せるからね!」
「ぴぃ!」
「じゃあイクス、餌を……」
「……ぴー」
思わずいつもの癖で呼んでしまっても、当然返ってくる言葉はない。うん、ありがとピースケくん。その低く鳴いたのは、イクスの真似だよね? たぶん。
私は「ごめん」と謝ってから、砂利沿いを見渡す。ちゃんと覚えているもんねー。こう……大きめの石をひっくり返すと、いい塩梅の新鮮な餌ちゃんたちが……。
「げ。」
えぇ、うねうねといらっしゃいましたとも。えらいたくさん。
私がそっと、石を戻すくらいには。
「……よし、仕掛け釣りってやつでいこう!」
たしかあれ、キラキラしたものやヒラヒラしたものを付けて、こう釣竿をクイクイさせて仕掛けを本物の小魚だと錯覚させて食らいつかせるやつ。キラキラヒラヒラ……この小さな葉っぱあたりでも大丈夫かなぁ? それを針に刺して――完成だ!
「いっくぞ~‼」
私は景気よく振りかぶって、釣竿を振りおろす。ふわっと糸が弧を描いて――ふぉんっと糸が飛んで、さらさら~と川に流れて行って。
「えぇっ⁉」
い……糸がちゃんと結べてなかったってことですか⁉
外れた糸には、当然針も付いていてですね……針には当然数に限りがあり……釣り糸もたくさんあるわけではないのですが。当然、川をさらさら流れていく糸と針を回収する技術、私にはない。
「はあ~~まじかあ~」
ため息ついて、見下ろした先には。ピースケくんが葉っぱの山(私が仕掛けとして不可にしたやつ)に埋もれて遊んでいた。
「……よし」
ピースケくんが飽きないうちに、どーにかするぞ!
私はめげずに、次の釣竿を作ることにする。
その後――お天道様が真上に来るまで、私は頑張ったんだけど。
「ピースケくん⁉」
「ぴぃ?」
自分で岩をひっくり返し、うねうねさんを食べだしたピースケくんを見て、私の心は折れました。残りの釣り針も一本のところまで来てたからね……ちょうど潮時かと思ってたんだ。
当然、未だまともにまともに一匹……どころか、まともな釣りらしいこともできずに、今に至ります。私はイクスの言葉を思い出す。うねうねを食べる、非常食か。これも食物連鎖かな……て、この思考は我ながらヤバいな⁉
よし、葉っぱでも食べよう。天然サラダだ。でも生だと……。
「うげぇ」
やっぱ苦い。ちょっと茹でてみようかな。水は川からたくさん採れるしね。
茹でるためには、火が必要です。大丈夫、火つけ石ならある!
「ピースケくんも、どうせならウネウネ焼いてみようよ。今火を起こすから……」
こう――枯れ枝を集めてさ。火つけ石でカンカンッと。カンカンッと……打ち合わせれば……。
「あ、あれぇ?」
だってイクスさん、いつもこーやって簡単に火を起こしてましたが?
「あぁ、そうだ! 葉っぱも入れてたかも!」
そうだよね、いきなり枝を燃やすんじゃなくて、葉っぱを燃やして火を大きくしてから枝だよね! うっかりしちゃったぁ。
「よ~し、今度こそ!」
そしてカンカンッ。カンカンッと繰り返しても――手が痛いだけで、一向に火が付く気配がなく。私が石を叩くのに合わせて、ピースケくんが踊りだしてしまったので、私は「ふぅ」と息を吐きました。
「よし、自分の本業を思い出してみよう」
私は戦士ではありません。聖女です。
そーですね、物理的にどーにかするタイプではなく、魔法を駆使するタイプです。
そう、魔法! 得意の白魔法の中に火を起こすなんて代物はないけど、白かろうが黒かろうが、魔法は魔法じゃないですか!
「久々にやるか~」
黒魔法……イクスに止められてたから、めったに使わなかったけど。
いちおー基礎くらいは押さえてますとも。えぇ、できるできないはともかく、理論くらいは勉強してあります。貴族のたしなみです。私いちおー公爵令嬢。
私は目を閉じて、集中する。イメージするのは、パッと咲くように灯る赤い炎。
「赤き火花――咲けっ! 《小さき焔》ッ‼」
火の扱いを覚えた子供が一番に学ぶ詠唱とともに、私が指を鳴らしても。
私の白い髪がなびくだけで、枝葉は揺れることすらしない。
「レッドカラー!」
何度も。
「レッドカラぁ‼」
何度も。
「れっどからあああ‼」
何度も唱えても、うんともすんとも言わなくて。
「もう、なんでかな~」
膝に手を付き、ぜぇはぁ息をしていたけど……そのままおしりを付いちゃった。
そして、膝を抱える。ピースケ君が寄り添ってくる気配がするけど……ちょっとゴメン。顔を上げる気力も湧かない。
もう……疲れちゃった……。
そうして目を閉じて、丸まっていた時だ。
背後から、パチンと指を弾いたような音がする。
「ほんとーに不器用な姉ちゃんじゃのう」
次の瞬間――視界が揺れた。目を閉じているはずなのに、視界が揺れる。右も左も、上も下もわからない浮遊感に慌てて目を開こうとした時――薔薇のいい香りがした。それはとても懐かしい。お母さまが薔薇好きで、うちの庭にはいつも季節ごとに咲く薔薇がたくさん植えられていたから。
そんなお母さま自慢の庭を、私が見間違えるはずはない。
もう何年……ううん、何十年も帰っていなかったけど、私はここで育ったんだもの。この手入れされたあずまやで、何度もお茶を――
「お母さま……」
「ナナリー? ナナリー⁉」
紅茶のカップを落とす淑女に、私は当然見覚えがある。もう何十年も会えていなかったけど……昔と変わらず、淡い色のドレスが似合う、優しい大好きなお母さま……。
それでも少し、しわが増えたかな? 化粧も濃くなった?
そんなこと言おうものなら、怒られてしまいそうだけど。
てか私が城から逃亡して、めちゃくちゃ怒っているってシャナリー言ってなかったっけ⁉
あぁ、怖い。お母さま怒ると、本当に怖いの……。だけど、目から込みあがってくる涙も。震える唇も。怒られるのが怖いからじゃない。
――四十年ぶりに見たお母さまの顔が、本当に、本当に懐かしくて……。
「あなた……本当にどこに行って……あぁ、もう。説教はあとにするわ」
そして、その懐かしく温かい腕に包まれる。
お母さまの匂いは、遠い昔の記憶の中と、何も変わらなかった。
「おかえりなさい、ナナリー」
「うん……うん。ただい……ただ、ま、お母さ……」
あ~もう。私はいつから、こんなに泣き虫になったんだろう。
もう涙は枯れたと思ったのに。
私はまた、まともに『ただいま』と言えないくらい。
お母さまに縋って、泣いてしまった。