喜びの宴×ありがとうございました
そして、それはちょうど一週間後だった。
私は夜、いつもの小屋に戻る。
あれから、イクスはいつも小屋の前で座ったまま寝ているの。見張りっていう体面なんだそう。もちろん、何度も小屋のなかで寝るように言っているんだけど……私と顔を合わせるのが不快なんだって。
だから、今日も玄関の横の壁に寄りかかって、イクスが目を閉じている。寝たふりじゃない。虫の声に紛れて、小さな寝息が聞こえてくる。
――よかったね。
人として当たり前の生活に戻ったイクス。当然私には何も言わないけれど……やはり体調も良くなりつつあるみたい。今日も日中は元盗賊さんたちと『訓練』をしていたけど、前と違っていい塩梅で手加減できていたと思う。みんなからは『おかしら弱くなったんじゃないっすか~』なんて言われてたけど……一方的に叩き伏せるだけじゃ、『訓練』にはならないもんね。その分疲れるみたいだけどさ。
それでも、やっぱり長年の疲れがすぐに取れるわけがないから。本当はベッドでゆっくり休んでほしいけれど。
「……しょうがないよね」
せめて毛布でも持ってこようかな。
そう、そっとドアを開けようとした時。彼の目が薄く開かれた。
「ずいぶん遅い帰宅だな。そのまま愛人の所に泊まってくればよいものを」
「だから、魔王さんは愛人なんかじゃありませんから」
「……まぁ、俺には関係ない話だが」
そうしてまた目を閉じようとするイクスが、拗ねているようにしか見えなくて。
たとえ、それが私の錯覚なのだとしても。
今だけは『私のイクス』だった頃に浸らせてほしい。
「毛布持ってきますね」
「いらん」
だって――彼のそばに居れるのも、本当に最後になるのだろうから。
『病撃退、おつかれさまでしたーーーーっ‼』
翌朝、私は村人全員を集めて報告した。
この村を悩ませていた病は、完全に治まった。昨日の夜は、最後のひとの様子を見に行ってたの。夜になると、咳がひどくなる病気だったから。だけど、昨日は咳で起きることもなく、気持ちよさそうに眠っていた。
そりゃあ、たまに風邪を引く人もいれば、ぎっくり腰になる人もいる。
だけど、それは生きていれば当然のことだから――地図からも排除されてしまうような、感染性のある病で苦しむ人は、もういない。元盗賊という元気な男手が増え、徴兵されていた人たちも徐々に戻りつつある。……もう、この村は何も心配いらないだろう。少なくとも、逃げてきた国家聖女や騎士の力は、いらない。
そして、ちょうど今日。シャナリーから連絡が入ったの。国王陛下も、無事に目を覚ましたんだって。一緒に通信に映っていたミーチェン王太子は、泣いて何を言っているのかわからなかったけど……呼吸もだいぶ穏やかになり、予後はとても良いとのこと。
だから、今宵はみんなの快気祝いだ。
みんな隠し持っていた(いや、持ってたんかい)お酒をここぞとばかり出して、大人たちは嬉しそうに盃を交わしている。こどもたちも焚火のまわりで、楽しそうに踊っていた。
そんなに賑やかで、楽しい祭りの最中に――少ない旅荷物を背負った青年がひとり。黙って前に現れてくれた彼に、私は言った。
「ちゃんと声をかけてくれるんですね」
「下手に追いかけて来られたら面倒だからな――一度、家に帰ってみようと思う。正直、記憶が途切れ途切れのままでは、気持ち悪いからな」
「ちなみに、私は連れていってもらえないんですか?」
「馬鹿か。自称幼馴染の女など連れ帰って……やれ嫁だの勘違いされたら面倒だ」
うわーい。私の話、まともに信じてもらえてなーい。
笑顔でそう返せればいいのに、多分私はいびつな笑みしか返せていないのだろう。
イクスは嘆息してから、遠くを見た。
「貴様もこの村に留まるつもりはないのだろう? 払える金があれば、貴様の家の近くまで護衛しても構わないが?」
「あら、わかりますか」
「ここ数日の様子を見てりゃ、な」
――ついていきたい。
どんな理由だっていい。イクスのそばに居られれば、それだけで。
だけど、ここでまた私が我を貫いて、どうするの?
せっかくイクスは、自由になれたというのに……。
私がうつむきながら唇を噛みしめていると、イクスが私の頭に手を伸ばした。頭に感じたふかっとした重み。それは「ぴぃ」と悲しげに鳴く。
「ピースケくん、連れてってもいいんですよ?」
「旅の最中に、非常食の面倒を見る方が手間だ」
そして、彼のブーツがザッと土を蹴った。
「じゃあな」
「……今まで、長い間ありがとうございました」
「……別に、俺は何も覚えとらんさ」
そうして、私の初恋は終わった。
長い、長すぎた初恋は、いつかきっと綺麗な思い出になる。そう信じて。
私もその夜、祭りの炎が落とされてから、村を出た。
私の足じゃ、まずイクスの一人旅に追いつくことはない。
それに――イクスの実家であるレッチェンド領は、私のガードナー領と真反対とまでは言わないけど、微妙に方向が違うから。きっと、私たちの道が再び交わることはないだろう。そもそも、私は実家に帰るつもりはないし。
「これから、どーしようかなー」
「ぴぃ!」
「どこ行きたい―? なんか美味しいものでも食べたいねー。お金ないけど」
私は肩に乗ったピースケくんに頬を寄せる。なんだかいつもよりふかふかな気がした。
真っ暗だった空が、うっすら白く帯び始めた。もうすぐ朝日が昇るのだろう。
昨日は星も綺麗だったから、今日は晴れるはず。ひとりと一匹の新しい旅立ちに、これ以上最適な日はない。そのはずなのに。
「あれ……」
視界が、どんどん歪んでいく。
空の明るさがわからない。下を向けば、小さな何かが、ポタポタと地面の色をわずかに変える。長閑な小さな土手沿いのさびれた道。雨なんか、降るはずもないお天気なのに。
自分の目から落ちてきた涙を自覚したら……なんだか、足の力が抜けてしまった。
「あはは……かっこわるー」
なんだか当分、立てそうにない。
私は、声をあげて泣いた。







