不機嫌な男×頭の上のピースケくん。
それからも、イクスは甲斐甲斐しく働いてくれた。
朝は村の見回りから始まり、畑仕事を手伝い、狩りの指揮をとり、炊き出しを手伝って、また村を見回ってから寝る。合間合間に、何か問題があれば私に報告もしてきてくれた。
子供がひとり風邪を引いたらしい、とか。崖が一部崩れそうだから、補強作業に人手を回した方がいいとか。
「なるほど。たしかにここの崖は危ないね」
「はい。網の作成から始めなければならないので、手間暇はかかりますが……ここらはよく子供の遊び場にもなっておりますので。早急に手配して損はないかと」
山間の今にも崩れそうな崖を見上げながら、私はイクスからの報告を受けている。
イクスと一緒に偵察してくれていた村人さんたちもいるからか、彼は今まで通り敬語で接してくれていた。イクスの記憶のこと……ほかの人たちにバレたら面倒だから。そう彼は言っていたけれど。これも復興が順調な村のことを慮ってだろう。
だから――今も。
「ナナリーちゃん、危ないっ!」
「えっ?」
村人さんらの慌てた声に、私は振り返った。だけど、ガラガラ大きな音がするのは頭上。
その直後、耳元で「ちっ」と舌打ちが聞こえたと思いきや――大きめな岩が落ちてくる。だけど、私は視界が暗いだけ。イクスが私を覆い隠すように、身を盾にしてくれたようだ。
「イクス、大丈夫⁉」
「えぇ、近くに落ちただけですから。それより、あなた様にお怪我はありませんか?」
「う、うん。おかげさまで」
「それなら良かった」
私から離れる時、彼は微笑む。愛想だと、一目でわかった。
この笑顔は、私に向けられたものじゃない。そばにいる村人たちに『聖女を敬愛している騎士』であることを示すための笑顔。
「……私からも物資の援助を王太子殿下に頼んでおきます。必要物資と担当人員の列挙、お願いできる?」
「畏まりました。すぐにまとめましょう」
元盗賊を含めた村人の特徴や特技なども、しっかりイクスの頭に残っている様子。
その数時間後に彼が小屋に持ってきた計画立案は、私が頼んだことを飛び越えて、すでにこのまま提出すればいいような形式になっていた。しかも……私が作成するより、よほど緻密で綺麗な文面。だから「このまま使わせていただきます」と頭を下げることしかできない。
そんな私に、イクスはため息を吐く。
「しかし……俺がこんな女に仕えていたとはな。仕え応えがあったと思えばいいのか」
「イクスさんは、昔から優しかったので」
そんな彼に、私も二人である時は『さん』付けせざる得ない状況となっていた。
だって私が呼び捨てにすると――なんだか嫌そうに、いつも眉間にしわを作るんだもん。
だけどそれを直しても……彼はやっぱり不機嫌そうな顔をするから。
私は苦笑しながら肩を竦める。
「私が聖力を発現した時のことに、あなたは罪悪感を覚えているようでしたから。それで仕方なく、私に付き合ってくれてたんですよ」
「……記憶にないな」
「えぇ。忘れてくれて、良かったんだと思います」
それは、紛れもない私の本音。
イクスが家を捨ててまで聖騎士になったのは、私への罪滅ぼしだったから。
自分が屋根から落ちたから、その怪我を治すために発現したと思ってたんでしょう? そのせいで、私が一人で教会に行くことなったから……私に付いてきてくれたんでしょう。
もう十分。あなたの優しさを独り占めするのは……もう十分なの。
だから「くだらない話だ」と踵を返すイクスを、黙って見送ろうとしたんだけど。
「あ、あの!」
だけど、ごめんね。どーしても気になることがある。
なんで頭の上に白金の毛だまりことピースケくん(お腹が空いたのかイクスの髪を食べようとしている)を乗せているのかな⁉
「ピースケくん、お嫌じゃないんですか?」
「……食っていいなら食うが?」
「ぴぃ⁉」
ビックリしたピースケくんは、頭の上から落ちそうになるけど。それをしっかりとイクスが受け止めているから。私の顔は自然とほころんだ。
「どうか、可愛がってあげてください」
「こいつがいい子にしているうちはな」
そして、パタンと扉が閉められて。私は本当にひとりになる。
これで良かったんだよ。ピースケくんは相変わらずイクスに可愛がってもらえているし。あとは復興作業を無事完遂されて、イクスを本当に自由にしてあげれば――それで。
「切ないのう」
その時、壁をすり抜けて。魔王さんことマオくんが入ってくる。
このひとがどんな現れ方しようと、さほど驚かないよね。だって魔王だもん。どんなシリアスしていても、ずっと頭の上にピースケくん乗せてたイクスの方が、よっほどびっくり滑稽だ。
だから、私は普通に話しかける。
「マオくんは、イクスのそばにいなくていいんですか?」
「いや~さっきもあの兄ちゃんには『喧しい』と怒られてしまってのう。しょんぼりしたワシは、可愛いおなごに慰めてもらおうかと思っての?」
――私を慰めに来てくれたくせに。
なんやかんや誰より優しい魔王さんに、私は苦笑した。
「お茶でも淹れますか? ……イクスには不味いって言われましたが」
「あ~。たしかに姉ちゃんのお茶は世辞でも美味いとは言い難いからの――と、そんなことより、ひとつ試してみたいことがあるんじゃ!」
え、ひどい。
まぁ、誰かにお茶を淹れるなんて、ここ最近初めてしたことだけど。ずっとイクスが淹れてくれてたし――あれ? もしかして、主従関係なく私のお茶がまずいから、今までイクスが淹れてたってやつ?
そんな驚愕の事実におののいている私の手が引かれて、気づいたら小屋を出ていた。
あ、イクスだ。村のおばちゃんたちの世間話に捕まっていたみたい。
そしてさらに、魔王さんに捕まるらしい。
「おい、兄ちゃんや!」
「……また貴様か。今度は何の冷やかしに――」
イクスがうんざりとしながらも振り返った時――私は背伸びした魔王さんに、キスされた。
……慣れてるもん。そりゃあ、治療ということで毎日毎日、していたことですから。
だけど、ここ十数日は一切そんなことなくて。
やっぱり間近で見る黒髪に赤い目の少年は、どこか妖艶で。
魔王さんが踵をおろし、にんまりと唇を舐めている姿を、目を見開いたまま見つめていると。少し離れた所から、「きゃ~」と黄色い声と、鼻で笑った声が聞こえた。
「ほう、なるほど。聖女が追放されて魔王の妾になるのは勝手だが、二度もそれを俺に見せるな。――不愉快だ」
そしてイクスはやっぱり頭にピースケくんを乗せたまま、今度こそ足早に立ち去ってしまう。おばちゃんたちは「たしかにこんな色っぽい少年は魔王かも~」なんて、事実を冗談にしか捉えていないようで一安心だけど。
元凶である本物の魔王は、心底愉快だとばかりに、お腹を抱えていた。
「は~なんだ、結局不快なのか!」
イクス、怒ってた。
私がキスされたところを見て、「不愉快」と吐き捨てた。
あれは単純に、他人の情事が目障りだったのかな?
それとも……嫉妬されたと、思ってもいいのかな?