はじめまして×記憶のない男
はじめまして。
イクスにそう告げた時、胸が張り裂けそうだった。
それでも、彼は私に対して「誰だ?」と訊いてきたから。
私の記憶がない彼にかける言葉は、それに間違いないはずで。
私は懸命に、口を動かした。
あなたは私の幼馴染であること。
元国家聖女であった私の、専属護衛を務めてくれていたこと。
魔王の呪いのかかり、私たちは十二回も同じ三年間をループしていたこと。
その呪いが今、解けたこと。
私が慣れない手つきでお茶を淹れながら話したことを、彼は一蹴した。
「まるで信憑性がないな」
「あはは~。ですよねぇ……」
イクスは、私が差し出したお茶を訝し気に観察してから、一口舐めるように飲む。それを「不味いな」と吐き捨てて。すぐサイドテーブルにカップを置いた。
あはは……ほんと、どうしよう。
見た目はイクスなのに、イクスじゃない。
そんな彼の前で、苦笑しかできない私は……今度はため息を吐かれた。
「まあいい。よくわからんが……俺の看病をしてくれていたようなのはわかった。感謝する」
そして立ち上がったイクスは、すぐベッドに立てかけておいた剣を腰に装着し、「じゃあな」と家から出ていこうとして。そんな彼の腕を、私は慌てて引き留めた。
「待って! どこに行くの⁉」
「貴様に関係ない」
「関係なくないよ! だって私――」
「仮に、貴様の話が本当だとするとしても」
やれやれ、と私を見下ろす目がとても冷たい。
「幼馴染だとしても、俺には貴様に関する記憶がまるでないし」
「……はい」
「専属護衛だとしても、すでに貴様は聖女を退任しているという。ならば、俺の護衛任務も解任されていると見なしていいはずだ。そもそも国家聖女の逃亡に協力した時点で、教会への反逆だ」
そのあとを、彼は言わなかったけど……。
でも、責められているのはわかる。教会にバレたら、俺の身も危ない。そう言いたいのだろう。それを責めない代わりの――彼の願いは。
「なら、貴様に干渉される謂われはない」
「はい……」
「……まさか、俺と恋仲だったなんて言うつもりはないな?」
その問いかけに、ますます私は胸が苦しくなる。
だけど、その問いかけを私が認めるわけにはいかないから。
「……はい」
「なら、俺がここに留まる道理もない」
そうして、彼はうつむく私の横を通り過ぎた。
「ど、どこに行くの⁉」
「だから、貴様に関係ないと言っているだろう」
その時だ。
「ちょーっと待ったあ!」
「ぴぃ!」
扉がバンッと開かれた先に、黒髪魔王美少年ことマオくんと、その肩に乗った小さな白金の聖鳥ピースケくんがいる。そして魔王は珍しく慌てた素振りで叫んだ。
「村の者が倒れたぞ! そこのデカいの、運ぶの手伝え!」
「どうして俺が」
えーと、とりあえず魔王さん。あなたなら、村人が倒れたとしても運ぶことも、なんだったら治療することもできるんじゃないですか? だって魔王なんだし。
だけど、魔王さんは肩をすくめるイクスに対して、小さく口角をあげる。
「そこの姉ちゃんに関する記憶がなくとも、村に世話になった覚えくらいあろうて。その恩の返し方も知らん愚図なのかのう?」
「ふん……どこで倒れた」
「こっちじゃ」
ふてぶてしくも、魔王さんの先導についていくイクス。
病人なら……私も手伝いに行かなくっちゃ。
それなのに。イクスの広い背中がなんだか怖くて。
私はなかなか動けなかった。
病人っていっても、元盗賊さんの一人がぎっくり腰で動けなくなっただけだった。ぎっくり腰……つらいらしいけどね。
それでも同僚たちにやんややんやと囃し立てられ、陰鬱な雰囲気は微塵もない。
そんなぎっくり腰さんを渋々ながら運んだイクスは、やれやれとため息吐いていた。
「まったく……どーしてそこまで無茶をする。まだそんな年でもないんだから、普通なら腰など痛めんだろうが」
「そりゃあ、おかしらのお手を煩わせたのは申し訳ないっすけど……無茶の一つや二つくれぇ、させてくだせぇよ~。おれらがこうして楽しく暮らせるようになったのは、ナナリーちゃんやおかしらのおかげなんすから」
ぎっくり腰さんは、なんやかんやイクスに運んでもらって嬉しかったらしい。
厳つい男から向けられたキラキラした目に、イクスは気まずそうに視線を逸らして――うつ伏せになったぎっくり腰さんの腰を思いっきり叩いた。
「……せいぜい治ったら、またキリキリ働くんだな」
「へいっ!」
そうして踵を返すイクスに、私は小走りでついていく。歩幅がいつもより広いから、走らないと追いつけなくて。それでも、私はなんとか声をかける。
「私以外のことは……覚えているんだよね?」
「……断片的にだがな。不便で仕方ない」
人気がいなくなった場所まで来てから、イクスがようやく足を止めてくれる。
「あと病人は何人いるんだ?」
「……三人かな」
「なら、そいつらが快復するまでは今まで通り復興に手を貸してやる。だが……貴様は俺に慣れ慣れしくするな。不愉快だ」
そう言い残し、イクスは畑の方に向かう。人手が減った分、手伝いに行こうというのだろう。
いつの間にか、ピースケくんがイクスの肩に乗っていた。イクスはピースケくんを摘み捨てようとしているけど、ピースケくんが「ぴぃぴぃ」拒んでいる。そして肩を落としたイクスは、再びピースケくんを肩に置きなおした。
やっぱり……イクスはイクスなんだ。
それが嬉しくて。少しだけ寂しい。







