初恋の思い出×俺のプロローグ②
だから、ナナリーが聖女になるため教会から徴集をかけられたと知った時も、俺は悩まなかった。一度教会に入ったら、一人前になるまで、家に帰ることが許されないらしい。一人前になったあとも、どこかの教会に所属し、なかなか休みがとれないんだとか。
ナナリーは両親が大好きだ。三つ年下の妹もとても可愛がっている。
そんなナナリーが、ずっと一人なんて耐えられるはずがないから。なにより、そんな長い間、俺がナナリーに会えないなんて嫌だ。
――俺は、ナナリーのそばに居れる道を歩く。
ただ、彼女のそばにいる方法がわからなかったから。
ナナリーの徴集の話を聞いた夜、さっそく俺は親父に訊いてみた。
「聖女のそばで仕えるなら、どうしたらいい?」
その直後、俺は親父にぶん殴られた。
知識不足のせいか――はじめはそう思った。正直、俺は勉強が嫌いだったから。騎士家系としての名誉は兄貴が継ぐだろうし、領地を継ぐのは昔から頭のいい弟の方がいいだろう。だったら、俺はあぶれ者。勉強するくらいなら、たとえ兄貴に敵わなくても、まだ身体を動かしていた方がマシだった。だから俺も、将来は騎士とまで言わなくても、どこかの一兵卒にでもなんのかな、くらいなモンだったから。
だけど、ぶたれた頬を押さえながら、顔を上げてみたら。
親父は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「え?」
「そうだよなぁ。おまえは……自分が言っている意味すら、わかってないよなぁ」
そうして顔を背けた親父から「その話はまた今度にしてくれ」と、部屋を追い出されてしまって。
だから今度は、母さんのところに行ってみた。
「聖女のそばで働くためには、どうしたらいいんだ?」
「……ナナリーちゃんね?」
はっきりと名前を出されると、まだ恥ずかしい。
思わず唇を嚙んでいると、母さんも寂しそうな顔で笑った。
「そうよねぇ、あんたは昔っから……ナナリーちゃんのことが大好きだったもんねぇ」
そんなことは……ないはずだ。だって自覚したのは、つい最近だし。
昔っから、なんて言われるほどじゃないと……。
そんな風にモジモジしていると、母さんは奥歯を噛み締めながら、目を拭っていた。
「ごめんなさいね。ちょっと母さん……もう眠いかも。また今度ゆっくりお話ししましょうか」
だから、そのあと――仕方なく婆様の所へ行ってみた。
「ちょっとアンタ、何時だと思ってんだいっ⁉」
とりあえず殴られた。まぁ、もう夜も十時を過ぎていたから……仕方ないかもしれない。年寄りは早寝早起きだしな、なんて言うと、もう一度殴られて。
それでも「何の用だい?」と訊いてきてくれるから、親父たちに訊いたのと同じことを問えば――婆様はため息を吐いてから、「アンタそんなことも知らないのかい」ともう一度殴られた。
だけど、
「ついといで」
と、婆様が肩にストールをかける。背中は丸まっているのに、足取りがしっかりとしたたくましい背中に付いていった先は書庫だ。その膨大な本棚の中から、あーでもないこーでもない、と本をぽんぽん放り投げ。「これだね」と俺の前に広げたのは、教会の成り立ちや仕組みの書物。
「いいかい? ナナリーちゃんはこれから、この牢獄の中に囚われる。聖女なんて響きはいいが、ようは無条件で酷使される一兵卒みたいなモンだからね。それこそ子作り相手まで『神の意向』とやらで決められちまう世界さ」
「反吐が出るな」
自然と吐露された子供らしくない言葉に、怒られるかと思いきや、
「いい顔できるようになったじゃないか」
婆様は満足げに笑って、再び本に視線を落とした。
「その中で、多少なりと自由を得るためには、ナナリーちゃんも聖女の中で上り詰めなきゃならない。『国家聖女』……聞いたことくらいあるだろう。白魔法の高度な技術はもちろんのこと、従順かつ自我の維持が求められる役職さ」
「自我の維持?」
怪しげな単語に疑問符を浮かべれば、婆様は鼻の上にしわを寄せる。
「教会は洗脳教育が基本だからね。聖力の発現してすぐ……幼少期から徴収されるのはそのためさ。教会にとって都合の良い人格形成をするには、幼いうちが都合が良いからね」
その点、ナナリーはもうある程度大きいから希望が持てるだろうと補足して。
婆様は苦虫を噛み締めたような顔をする。
「『国家聖女』は、教会にとって謂わば出稼ぎ要員さ。各国に派遣することによって、大きな褒賞を得る。外に出すのに、あまりに傀儡の木偶の坊だと……教会への心象が悪いだろう? 外に出す以上、宣伝要員も兼ねているんだから。教会の資金源はお布施の割合が一番大きいからね。そのため、自分の意志で神を信仰している、本当の意味での信仰者が『国家聖女』の第一要因さ」
「……だけど、その『国家聖女』になれば、教会の外には出れると。ナナリーには信仰しているふりをしてもらわないといけないわけだが」
「そうさね……それでアンタの話に戻るが。その『国家聖女』には、教会から一緒に『専属護衛騎士』が派遣される。簡単に言えば、お目付け役だね。修道院に集められた孤児がなる教会の騎士『聖騎士』の中の、エリート職さ」
「つまり、それに俺がなれば、ナナリーのそばに居られると?」
俺の確認を込めた疑問符に、婆様は固く頷いた。
「あぁ。『聖騎士』の条件として、戸籍を捨てる必要があるさね」
「……」
なるほど……ようやく合点がいった。
親父と母さんが、あんなに寂しそうな顔をしていた理由。
俺はナナリーのために、親を捨てる必要があるらしい。
「その点、聖女はまだ温情……というか、外聞良く絶縁を強いられることはないけれど……聖騎士は違う。名前こそきらびやかだが、ようは教会の奴隷だ。帰る場所をすべて捨てさせ、教会だけに尽くすことを求められる。だから、ふつうは孤児くらいしか成り手がいない」
俺も、ナナリーの家ほどではないが、家族仲が悪いわけではない。
貴族の中じゃ、円満な方じゃなかろうか。兄弟間だって同様。わざわざ捨てたいと思う家族ではない。きっと……普通にナナリーと結婚なんかした日にゃ、諸手をあげて大祝福してくれそうなもんだ。普通に、令嬢令息として結婚できたならば。
「その門を叩いたら最後、アンタは二度とこの家に帰ることが許されないだろう――それでも、あんたはナナリーちゃんを選ぶのかい?」
「あぁ」
だけど――俺は躊躇わず、頷いた。
ごめん、親父。母さん。
妄想はあくまで妄想なんだ。現実は残酷だ。このままじゃ、あんなに人懐っこいナナリーが一人になってしまう。ひとりで、笑顔とは無縁の場所に連れていかれてしまう。
だから、俺は――
たとえ迷いはなくとも、未練が欠片もないわけじゃない。
俺が奥歯を噛み締めていると、婆様が俺の背中をバシンッと叩く。
「それでこそ男だっ‼」
その絶対の賛辞は、とても頼もしかった。
「まぁ、父さんらは反対すると思うがね。なぁに、婆様がアンタの味方をしてやる。好いた女のためにここで動けないんじゃ、それこそアタシの孫と認めるわけにはいかないさねっ!」
だけど、婆様。俺はしっかりと気づいていたよ。
婆様の目の端にも、うっすら涙が浮かんでいたことに。
家との縁を切るということは、当然婆様とも他人にならなきゃならないということ。
だけどナナリーと約束してから、改めて親父たちに報告して、ぶん殴られた時――婆様は本当に、俺の味方をしてくれた。
ありがとう、婆様。
あれだけ怖かった婆様に、背中を押されたんだ。
たとえ何が邪魔して来ようとも――ナナリーのそばから離れてなるものか。