愛しているから✕キスをする。
魔王は語った。
魔王は神と同質であり、だけど違うことを求められた存在。
その違いとして、神は愛を持ち、魔王は愛を持たずして生まれた。
何千年も観察して、魔王はわからなかった。愛を持つと、どんな利があるのか。ときに愛は生きる活力となり、ときに愛はその身を滅ぼすという。愛があるからこそ生命は強くなり、愛があるからこそ生命は弱くなるともいう。
自分が与えられなかったことに興味を持つことは、必然だったという。
だけど、それを知ることは娯楽でしかないとも言った。たとえ知ったとて、魔王の存在は変わらないし、変われない。永遠の瞬間をただ管理者として揺蕩うだけの存在が――神であると。
「精神が壊れた場合は、たとえ時が戻ったとしても元には戻らん。今まで、汝らの記憶が積み重なってきたことから、それは察しられよう?」
魔王はイクスをベッドまで運んでくれた。
しかもこの窮地を、村の人らには知られぬように配慮もしてくれた。ただ今日は、家の中で二人してイチャイチャしていると――そう話したら、村の人たちは苦笑しながらも「それじゃあ邪魔しちゃいけないね」とこの小屋に近寄らずに居てくれているらしい。夕食の炊き出しもみんなが準備してくれて、ひっそりと玄関に置いて行ってくれた。
その少し冷えてしまったスープを飲みながら、魔王は言う。その赤い瞳は横目なりに、ベッドで寝ているイクスを見ていた。
「ワシは愛を知らずとても、感情はある。……気にいった玩具が壊れるのは、嫌な気分になるな」
「……それを愛というんですよ」
「お主は、とっても優しい少女じゃのう」
そう魔王さんは嬉しそうに笑ってくれるけれど。
多分、私は優しくも何とも無い。ただわがままで、自己中心的で。今もなお、眠り続けているイクスを前にして、ただ灰色の髪を撫でることしかできない。少し固い、軋んだ髪。お手入れなんて、欠片もする暇なかったもんね。お風呂も、食事も、いつも私優先。イクスも隙を見ては水浴びはしていたようだけど……私を待たせるのは忍びないと、本当にびっくりするくらい早くて。当然油を塗る暇すらもなかったのだろう。
全部、私のため。そんな彼に……私は何も返せてなかった。
ただそばに居てくれることを“当たり前”として受け入れていただけの私が“優しい”なんて……烏滸がましいにも程がある。
ピースケくんは、今も必死でイクスの手に自分のモフモフを擦り付けている。……そうだよね。いつもなんやかんや言いながら、よく面倒みてたのはイクスだもん。最初から、ピースケくんはイクスのこと大好きだったもんね。
それ以降、私が何も言葉を返さずにいたら。魔王さんも、何も話しかけてはこなかった。イクスの静かな寝息だけが、私の耳に届くモノ。
「あ、れ……?」
気がつけば、私は空のベッドに伏せって眠っていたらしい。
ご丁寧に、肩には毛布がかけられていて。ベッドに触れれば、まだ少し温かい。
「イクス⁉」
小屋の中を見渡しても、誰もない。
窓の外を見るに、もう夜は更けているようだ。だけど今日も星明かりがとても綺麗で。少し離れた場所に、肩に何かを乗せた薄着の青年がぼんやり空を見上げている姿が見える。
私は毛布を抱えて、慌てて小屋を出た。
冬が近いせいか、外の空気がキンと冷たい。私の息も、イクスの吐く息も白くなっていた。
「もう、イクス。起きたなら声掛けてよ!」
私が背伸びをしながらイクスの肩に毛布をかけようとすると、ゆっくりこちらを向いた彼は「ナナリー様」と苦笑する。そして逆に毛布を奪われて。それをマントのようにふわっと私に掛けてくれた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません――が、そんな薄着じゃ、貴女様がお風邪を引かれてしまいます。早くベッドにお戻りください」
「……イクス、具合は?」
「ご心配なく。もうすっかり良くなりましたよ」
そう、イクスはにっこりと微笑むけれど。
やはり呼吸が少し速くて、どことなく無理しているようにも見えてしまって。
私は胸元で毛布を押さえながら、意を決して顔を上げた。
「ねぇ、イクス」
――私、あなたのことが好き。
ただ本音を言葉にするだけなのに。
その一言がなかなか口に出せてくて。
そんな私に、イクスはゆるく微笑んでくる。
「魔王に何を聞かされたかは存じませんが、俺は大丈夫ですから。ナナリー様は何も気にしないでください」
そんなこと、できるはずがないじゃない。
「どれだけ痛いの?」
「……あなたを失う苦しみに比べれば、なんとも」
私の質問に、イクスは微笑を携えながら首を横に振ってくれる。
「どれだけ苦しいの?」
「あなたをそんな悲しい顔をさせることに比べれば」
いつの間にか目から溢れていた私の涙を、イクスはそっと拭ってくれる。
だけどその優しさに、いつまでも甘えては居られないから。
その手を掴んで、言おうとするのに――イクスの肩に乗っていたピースケくんが、地面へ落ちた。
あっという間に唇が、唇で塞がれてしまう。息ができない。苦しい。だけど、間近で必死に舌を絡めてこようとするイクスの必死さが……何よりも苦しい。
私がわざと舌を噛んで、強制的に顔を退かせれば。イクスも少し荒い息をしていた。
「すみません。正直なところ、このような真似は初めてでして。不慣れで申し訳ございません」
「熟練した技術があるほうがドン引きだよ」
「次までに必ずや、訓練を重ねてマスターしておきます!」
「やめて」
そんな気持ち悪い特訓だけじゃなくて。
やめて。必死に話を逸らそうとするのは、もうやめて。
「もう、逃げるのやめよう」
私ね、わかっているんだよ。
イクスがこういう趣味の悪い冗談を言う時は、必ず何かから逃げているときだ。
伊達にずっと、3✕11年以上、あなたの隣にいないんだから。
ごめんね。イクス。
そして――今までありがとう。
私は無理やり笑顔を作り、彼に告げた。
「私――イクスのことが好き」







